01


「ねえ、なまえ」
「なあにどうしたの。」
「あんたの彼氏、昨日カフェで女とお茶してたよ。なんか大人っぽい女でさ、こう、なんか大人の色気ってやつ?」
「あー、そうなんだ」

頼みもしないのに事細かに説明してくれる友人に眩暈がする。私が承太郎と付き合ってると分かった瞬間にこれだから。だから嫌だったのに。あの女がいけるなら私だって、ってかんじ?

「承太郎も大変だなぁ……」


まだまだ控えめではあるけど、徐々に高くなる空に夏の到来を知った。春も残りわずか。なるほど、最近寝るときも暑いもんなぁ。扇風機だけじゃあ、たまらないくらい暑い。同級生たちの制服も袖が短いものになり、心なしかスカートも薄くなった。もちろん私も例外じゃあなく半袖の制服に衣替えしたのだけれど、隣でのしのし歩く巨大な男は今日も真っ黒。さすがだなと思う。大きさだけで充分ある威圧感が学ランのおかげで3割増ししてるけど、滅多に取りたがらない学生帽から覗くグリーンの瞳は涼しげ。

「ねえ、暑くないの」
「ん……暑くねえ」
「………」
「………」

こちらに伸びかけていた大きな掌が引っ込んだ。それ、いま私のうちわ奪うために動かしたくせに。意地っ張りめ。見え坊はどっちだと言いたい。黒い学生服が西日を吸い込んで隣で歩く私まで熱がジリジリと伝わってくる。見たところ承太郎は汗をかいていない。少し彼の新陳代謝が心配になる。
そんなことを考えているうちに、ふと、気になった。

「ね、そういえばさ」
「なんだ」
「ホリィさんてイギリス人?」
「イギリスとイタリアのハーフ」
「ええっ、知らなかった」

何だかんだ言って母親好きなこの男は僅かばかりの間も開けずに答えるんだから可笑しい。結局奪われてしまったうちわを一瞥しながら考える。でも、つまり……ええと。

「んん?じゃあ承太郎は何人なの?お父さんは純日本人だから…」
「……イギリスとイタリアが四分の一ずつと日本が半分だな」
「なるほど。なかなかややこしいルーツだね」
「あんまり考えたことねえけどな」
「ふぅん………」

承太郎の緑がこちらを向いた。相変わらず涼しげなエメラルドグリーンの瞳を見て小さい頃を思い出す。思い出すと言っても断片的でしかも静止画だけだから曖昧極まりないのだけれど、明るめのブルネットを肩上ほどに伸ばした母親を連想した。笑顔が暖かくて緩いウェーブが柔らかそうだった母親。物心つく頃にはもう亡くなってしまってたから正直あまり執着はないけれど、今思うと、少しホリィさんと雰囲気が似ている気がする。笑顔が特に。……たしか私の母はイギリス人だったはず。いいなぁ。なんなら私の虹彩も緑色だったら良かったのに。なんで普通の茶色なんだよ………。

「なまえ」
「ん?」
「これからちょっと用事があるんだけどよ」
「うん……うん?」
「そんなに長くかからねえと思うから家で待ってるか?」
「………」

つまり今夜もホリィさんの手料理を食べるか、ということを言いたいんだろう多分。暑苦しいはずなのに所在無さげに承太郎の手が私の掌を捕まえた。なんだろう、これ。なんか嫌な気分がする。なにも悪いことしてないのに、承太郎は。
(用事ってなんなの)
おそらく私はその一言が言えなくていま苛ついてるんだと思う。今朝あの友人があんなことを言ってきたから?いつもならなにをするにも私を連れてくくせに。私に言えないこと?私が喜ばないこと?……。ああ。いつから私はこんな。

「いい。今日はなんか疲れちゃったから、帰る。夏バテかもね。」
「………」

努めて私らしく、飄々と。でも承太郎の目を見て言うのは難儀に思えたから私の指で遊ぶ彼の掌を見た。私が立ち止まると承太郎も立ち止まる。しかしその間に生じた反応の差で掴まれてた手がほどけた。右手が自由になる。
そうか、とだけ呟いて承太郎は私の髪を僅かばかり乱した。予想通り彼が屈むのが分かったから、少し俯いて見せると、頭に置かれた承太郎の手が解せぬとばかりに慄くのがわかった。

「もしかしたら風邪かもしれない。うつったらやだから、今日はやめとこ」
「…そうか。早いとこ治せよ」
「…ん。じゃあね」

返事を聞く前に来た道をとってかえす。背中の方から承太郎が私を呼ぶのが聞こえた。さすがに見苦しい言い訳だったか?承太郎は頭がきれるから、騙せるだなんて最初から思っちゃいないけど。
とにかく、早くこの場から立ち去りたい。というか、承太郎から離れたかった。彼に依存してるだなんて思いたくない。嫉妬だなんて下らないことを考える女だっだなんて思いたくない。苛ついてるのは聞きたいことが聞けないからじゃあなくて、自分以外のなにかに支配されてる自分に気付いたからだ。父が聞いたらなんて言うだろう?ああ、いつのまに私はこんなにもばかばかしい女になってたんだろう。

数歩歩いたところで自分の身勝手さに腹が立って、振り返って承太郎に手を伸ばそうと思った、理由はなんでもいい…うちわ返してよとか、なんでも。それからあの腕に抱き締めてもらえばいい。手を延ばせば応えてくれるだろう。……けれど、彼の言うとおり意地っ張りで見え坊だった私は頭で考えただけで振り返ることができなかった。今度こそ所在を失くしてしまった手でいつもより強く鞄を握りしめた。