題名:【よくある不幸話】
その異形は、私を「愚かな子」と呼んで大層可愛がってくれた。
―――私は、物心ついた頃には既に人でない「何か」の姿が見えていた。
それは幽霊などという生易しいものではなく、本当に人間ではない「何か」と表現するしかないようなモノたちだった。
その異形と出会ったのは、私がまだ幼稚園に入学したての時分だ。
母恋しさに啜り泣く私をいつも慰めてくれた、と記憶している。
その異形は私を愚かな子と呼び、時に親しく、時に厳しく、時に我が子のように慈しみ、惜しみ無い愛を注いでくれているようだった。
私にしか見えない異形は、異形にしか知り得ない事をいつも私に囁いた。
曰く、明日そこのあいつが事故で死ぬ、や、今日あそこでこいつが死ぬ、といった実に物々しい内容だった。まだ幼く、愚直で頭の悪かった私は、それは大変だと母や父や先生や時には死ぬ本人にそれを伝えて回った。
そのうち、皆が私を気味悪がり、次第に私から離れて行ったのは当然の流れだったと言えよう。
私は死を呼ぶ子供として恐れられ、そんな私を産んだ母は、父や親族や周囲の人間にひたすら責められるようになった。
そして父は、他所に女を作って出ていった。
その時の母の心情を察すると、今でも胸が張り裂けそうな気持ちになる。
この愚かな娘のせいで、母のささやかな幸せは全て壊れてしまったのだ。
母が私を置いて出ていこうと決めた時、私は敏感にそれを感じ取っていた。
しかし、私に向ける痩せ細ったその背中になぜ泣きすがることができただろうか。
母は私を捨てることで幸せになろうとしていたのだ。
それを咎める資格が私にあろうはずもない。
私は去って行く母の背中を、異形とともに見送った。
それは私が小学5年生の梅雨の時期のことだった。
しとしと。細い雨。暗い天井。がらんどうの部屋。四隅を蠢く何か。
私はまんじりともせず、当時住んでいたおんぼろアパートの一室で3日間を過ごした。
その間、一切の食事も睡眠も取らなかった私を、異形は甲斐甲斐しく世話してくれた。
電話が鳴ったのは、夜の10時を回った頃であっただろうか。
横殴りの雨が立て付けの悪い窓を小煩く叩いていた。
私は顔の見えない電話の先にいる人が母ではないかと、淡い期待を抱いた。
例え私のことを置いていっても、心のどこかでは気にしてくれていたのだと信じたかった。
恋しい母の声を夢見て受話器を取った私を、異形が呆れ顔で見つめていた。
しかし、母が私に電話などするはずもなかった。
私の期待は最悪の形で裏切られたといっても過言ではない。
電話口で顔も知らない誰かが私に報せたのは、母が死んだという黒く冷たい現実だった。
私は異形を責めた。
異形は母の死を感じ取っていながら、故意に黙っていたのだ。
他人の死は頼まずとも私に知らせるくせに、母の死にはそ知らぬ顔を貫いたのだ。
私は母が死ぬとわかっていれば、見す見すその背中を見送りはしなかった。
外聞もなく泣いて喚いて、いかないで、と母の足にすがり付いた。
母に死なれるくらいなら、私が死んだ方がましだった。
私は異形を責めた。
異形のモノが見える私でさえ、死者に出会うことはなかった。
異形が言うところによると、死後に新たなる世界が広がっていると思うことは人の傲慢の成せるわざ、なのだそうだ。
死者に逝く場所などない。人は死をもって全ての終焉を迎えるのだ。
もし、死者に存在する場所が与えられるというのなら、それは誰かの記憶の中でしかありえない。
私は瞼をとじた。もう母には会えない。
あの華奢な背中が、私の見た母の最後だった。
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