▼ 06
「……ここなら、大丈夫だよね」
ある日の夜、私は一人で森の奥へと来ていた。
この前出来なかった白道をどうしても練習したくて。
ただ、授業中は抜け出せないし、日が高いうちは予定があってなかなか練習する時間が確保出来ない。
ということで日が沈んでからここに来た。
本当はいけないんだけどね。
日付が変わる前には帰りますよっと!!
えぇっと、まずは精神を集中させる。
あの日から毎晩自分の部屋で集中の仕方を勉強したから、最初よりは集中できていると思う。
問題はこの先。
「……どう、して」
どんなに集中力を高めても、手に力を込めて見ても、白道なんてそんなもの、かすりもしない。
何で?
何が間違っている?
集中力が足りないの?
手の構え方が違うの?
頭の中でぐるぐる回る疑問のせいで、余計に集中力を乱す。
だから気付けなかった。
私の後ろに人がいることに。
私が反応するよりも先に、無数の氷の刃が飛んできた。
血の気が引く時間さえも与えてはくれない。
刺さったら痛いんだろうな、なんて、頭の中ではとても冷静だから不思議だ。
咄嗟に目だけは閉じることができた。
でも、痛みは全くやってこない。
あれ、前にも似たようなことあったよね。
「……その攻撃が防げるのに、白道の一つも撃てないの」
凛とした声にゆっくり目を開けると、氷の刃を放った張本人……翔音様がこっちを見ていた。
そしてその言葉には人を馬鹿にしているような意味も込められている気がした。
「……撃てないから、練習、しているんです」
思った以上に自分の声は震えていた。
この人の雰囲気、圧力によって。
「才能無いんじゃない」
一番、聞きたくなかった言葉。
そりゃあ私はついこの前までは普通の一般人だったよ。
学校のことも能力のことも何にも知らないで、平和に過ごしてきた。
だからこそ、今苦労してるんだ。
この前桐原くんに言われたときみたいに、諦めたくないから。
練習すればその分だけ必ず上手くなる。
少なくとも無駄にはならない。
なのに、なのに、
”才能”という言葉を使うと、練習や努力なんて言葉はまるで力を無くしてしまう。
どうしてこんなことを言われなきゃいけないの?
出来なかったことを練習するのはいけないこと?
悲しい、悔しいを通り越して、別の感情が流れこんできた。
嫌だな。
どうしてこうもすぐに負の感情は生まれてしまうの。
綺麗事かもしれない。
でも、やってみなきゃわからないことは事実。
私はまだ諦めたくない。
才能なんて言葉で片付けないで。
「……私の、何がわかるっていうんですか」
次の瞬間、物凄く強い力に引っ張られたかと思えば、私の首に氷の刃が当てられていた。
何が起きたの?
そんな言葉だけが頭をめぐる。
ただわかるのは、今とても危険だということ。
首を締められているわけじゃないのに息苦しい。
間近に感じるこの空気。
刺すというより、抉るという言葉のほうがあっている……心臓を鷲掴みされたような感覚。
きっと……これが、
「……弱いくせに」
”殺気”
プツリと、肉が切れる音がした。
汗のようにさらっと流れてはくれないソレは、歪に首筋を伝いながら私の制服のYシャツを赤く染めていく。
ドク、ドク、と心臓の鼓動と連動するように、赤い液体がリズミカルに溢れ出てくる。
見えないけど、きっと傷口が深いんだ。
これは……一番厄介なところに傷を付けられた。
怒らせたのか、私が。
そうだよね、私のことは知らなくて当たり前なのに。
才能がないのは自覚してたつもりなのにな。
でもやっぱり人に言われるのはあまりいい気分ではない。
平気でいられるほど、私は人間ができていないもの。
ぐぎゅるるるる
「……………」
「……………」
Q.今の音は何でしょう?
A.私のお腹の音です。
ど、どうしよう!?
やべーよこの空気!!
目付きの悪い翔音様がきょとんとして目をぱちくりさせている。
あわばばばなんて貴重な表情なんだっ、か、かか可愛いぞ!!
って、違うわ!!
シリアスな空気がぶち壊しだ!!
いやまぁ私はそういう空気苦手だからいいっちゃいいんだけど、このタイミングは無いよね!?
むしろ私このまま逝っちゃうんじゃない!?
プツリっていうか、もうグサッて殺られるんじゃね!?
「そのへんにしておけ、翔音」
私の後ろから、テノールの声が聞こえた。
その声の主に気付いた翔音様は、またいつもの表情に戻ると、私の首に刺していた氷の刃を抜いて森を去っていった。
「…………お前はこんな時間に何をしている」
仮面の人、終夜先生がこちらに顔を向けた。
翔音様がいなくなった後、しばらく静寂が続いていた。
その静寂の中で聞こえた少し低めの声に、ドキリとして冷や汗が流れる。
「……すみません」
「質問の答えになっていない。私はここに来た理由を聞いているのだが?」
「…………その、は、白道の、練習に……、」
「出来たのか?」
「いえ、全く」
こんなに練習しても出来ないって、ほんとに才能ないんじゃないのかな、私。
スッと、終夜先生の手が私に向かって伸びてきた。
そして未だに首から流れ続けている血に触れ、流れに逆らうように首筋を撫で上げる。
背筋がゾクリとした。
なな、何なのこの人!?
人の血触って何してんの!?
もしかして、”私は血が好きなんだ”とか”綺麗だ”とか思っちゃう人なの!?
うわあ嫌だ、そうだったらどうしよう!!
っていうか私、どうしてればいいの!?
どうし、
「……ッぅあ、ぁあ……ッ!!」
傷口を強くなぞられた。
その分だけ余計にどろどろとしたものが流れていく。
すでに白いYシャツは影も無くなっていた。
首から胸へ。
胸から腹へ。
流れ出るソレは止まるということをしない。
声にならない声を上げる。
悲鳴なんて、最初の一度以降出す余裕は無かった。
頭が”痛み”に追いついていない。
徐々に傷口をなぞる力が強くなる。
自分の口から、ヒュゥ……っという微かな呼吸音しか聞こえない。
むしろ私は今呼吸できているの?
そんなこともわからない。
ただただ、痛みに耐える。
でも、その手は力を増すばかり。
足が震え、意識が朦朧とする中で私はその腕を掴んだ。
力なんて全く入らない。
私の、精一杯の抵抗だよ。
「……このくらいで気絶してくれるなよ」
傷口を強くなぞっていた手から解放される。
最後のほう、私はほとんど抵抗して掴んだ腕を支えにしていた。
その支えがなくなった今、ぐらついた身体は前へと倒れ込み、仮面の男にもたれかかるようなかたちになってしまった。
あ、やばい、離れなきゃ……。
そう思って目の前にある胸を押してみるが、傷口がズキズキとして痛むため全く力が入らず、ただ服をギュッと掴むだけに終わった。
「……まだ弱いな」
そういうと、首にシュルッと何かを巻かれた。
ゆっくりと、視線を首にやると、真っ白い、
「……ほ、包帯……、?」
手慣れているのか、器用に巻いていく。
さっきまであんなに血が流れていたのに、包帯には一切赤色が染みついていなかった。
……なんで?
「血止め薬を塗った。お前には必要ないかもしれないが……」
さっきのって薬塗ってたの!!??
ものすごい痛みに耐えてたのに!!
死んじゃうんじゃないかって思ったのに!!
……っていうか、お前には必要ないって、どういうことだろう?
「てっきり傷口抉るのが先生の趣味なんだと思っ、すみませんすみません何でもないですまた抉ろうとしないでくださいィィィィ」
弱いわ、私。
「……弱いとはいえ、もうそこまで口が聞けるようになったか」
「……え?」
いつの間にか手当てが終わり、私は首の包帯に触れた。
血も止まってるし、さっきまでの激痛がまるで嘘のように今はさほど痛みを感じない。
「ほへー、この薬すごい効くんですね。もうほとんど痛くないですよ!!ありがとうございます!!」
「……馬鹿かお前は」
お礼いったのに馬鹿って言われた!?
「……私が塗ったのは血止め薬だ。あくまでも血を止めるためのもの。傷口を塞いでくれる効果などあるわけがないだろう」
「え、じゃあ何で今痛くないんでしょう……?」
「それぐらい自分で考えろ」
顔が見えなくても雰囲気でわかる。
この人呆れてるよ。
優しいと思ったら急に冷たくなるし、紛らわしいことするし、何なんだこの人は!!
「もう遅い。寮に戻れ」
「あ、はい……。手当て、ありがとうございました」
私が頭を下げると、終夜先生は背中を向けて去ろうとした。
「……それと、」
「……はい?」
「何か食したいなら朝まで待つんだな」
この人いつから居たのォォォォ!!??
06.冷たい赤が流れる
白いYシャツなのに、色ものとして洗わなきゃ。
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