微笑みの影に潜む小悪魔
 位置的にはそろそろかと、陽の落ちかけた通りを歩きながら地図アプリを解除して徐に視線をあげる。すると、なんというタイミングだろうか、数メートル先にいた記憶に微かに残る金髪がゆっくりと此方を振り返ったところだった。
 あ、と一度だけその目を丸くして驚いたような顔をしたあと、青年はヒラヒラと右手を振ってとてもにこやかに微笑む。しかしながら私の方はといえば突然のことに思わず辺りを見回してしまう。生憎、彼に手を振りかえしたり声をかける人間が見当たらなかったので、手を振りかえす代わりと言ってはなんだがドギマギしながら軽い会釈を返した。
 二度目にしてこの対応と距離感の差。元より彼は人懐こい性格の持ち主らしい。そして記憶力も抜群にいいと見た。立ち尽くしていても仕方がないので、数メートルの距離を埋めるために足を進める。

「こんにちは」
「こんにちは。来てくれたんですね。またお会いできて良かった」

 そっと瞳が細められて、緩やかに上がった口角は好印象以外の何物でもない。店前の枯葉の掃除をしていたらしい彼は、箒を片手に握り、空けた左手で扉を開けてくれた。ひゅっと秋風が室内に舞い踊り、コートの裾が翻る。

「この時間帯からは特に冷えるので中に入っていて下さい。すぐ戻りますから」
「あ、有難うございます」
「お席はどこでも好きなところをどうぞ」

 はい、と後ろ手に返事をしながら店内に入ると程よい温度で効かされている暖房にコートの袖から腕を抜いた。どこでもいいとは言われだが、個人的に四人がけのソファ席に一人で座ることは憚られたのでカウンターの一番奥へと進む。
 控えめに流れるBGMを心地よさげに何組かの客が各々静かな時を過ごしている。青年の若々しいイメージに合わせて勝手に想像していたよりはいくらか落ち着いた店内だ。あまりキョロキョロとするのも可笑しいので、腰を落ち着けてからはカウンター上の照明などの調度品を何気なく見つめていた。
 店員は彼以外、見当たらない。

「すみません、お待たせしてしまって」
「そんな、とんでもないです。とても雰囲気の良いお店ですね」
「そうでしょう?僕も好きなんです」

 店内へと戻ってきた彼は、カウンターに入って手を洗いながら静かに笑う。キュ、と蛇口を捻る音のあと、シンクで両手の水をきり、ペーパータオルで手を拭く彼の一連の仕草を黙って見つめる。そして、グラスに入ったお水を出されたところで腰をあげた。

「この間は本当に有難うございました」

 出来るだけ丁寧に頭を下げれば、驚きと笑みを含んだ彼の声が「もう、そんなのは気にしないで下さい」と頭の上に降ってきた。顔を上げた先の微笑みが眩しい。見れば見るほど均整のとれた顔立ちの青年を前に、本来の目的を忘れてしまいそうになる。
 ハッと、カウンターの上に乗せていた紙袋の中から、出来るだけ簡単でシンプルな包装を店員にお願いした包みを取り出す。決して押し付けがましくならないように、と透明のOPP袋に入れてリボンをかけただけのカジュアルな包装だ。

「良かったら使って下さい。返さなくていいって仰られていたので、せめて新しいものをと思って。勿論、お借りしたものもこちらに入れてあります」
「全く……そんなに気を遣わなくて良かったのに“真面目な人”ですね」

 あの日の私の言葉を引用して口許を緩めた様子からは、一先ず迷惑ではなかったようだと安堵してグラスを手に取った。マジマジと受け取ったハンカチを眺めて目を細めた青年が浮かべる柔らかい笑顔に心が解れる。椅子に腰掛け直しながら黙ってその様子を眺めていた。

「とてもいい色だ。大切に使いますね」

 ジッとこちらを見つめる薄い青を混ぜた灰色の瞳に数秒見惚れる。彼の仕草や言葉遣い一つ一つはとても優長であるのに纏う空気はどこか洗練されている。歳は私よりもずっと若いはずなのに、とおそらくではあるが育ちの良さを察した。
 そして、借りたものを入れている袋をそっとカウンターの上に置くと、手にしていたハンカチをその中に丁寧に直した彼が再び口を開いた。濃い飴色をした台の上に肩肘をつき、その手に顎を乗せる形で軽く首をかしげる様子がなんとも言えない愛らしさを醸し出す。

「では、ご注文はいかがなさいますか?」

 にっこり、という表現以外には言葉が見つからない笑顔に、今更ではあるが内心ひどく“やられたなぁ”と感じた。
 間違いなくこの青年は大人の女の扱いを心得ているのだろう。



20181002
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