見上げた空に瞬く光は、まるではるか彼方から届いた星々の呼吸のようだと誰かが言っていた。そして、その輝きに魅せられた人はまるで吸い込まれるように空を臨むのだろう。


涙で世界は救えない 18



「中で待つか?」
冷えるだろう、とアルトとの通話を終えたブレラが車の扉に手を掛けて、凍みはじめた空気を気遣ってかアンジュにそう問いかけてきた。帰るにしろ、待つにしろ、連絡を入れておいた方が何かといいだろうと言い出したのは意外にもブレラだった。
「いいえ、平気よ」
確かに、この星の夜は思った以上に冷える。けれどもそれは凍えるような寒さではないし、ただの冷気と呼ぶには些か勿体無い気がした。
凛とした風の中に草木や土の微かな香りが混ざり合って、眠りにつく前の小さな囁きを僅かながら感じ取る。この世に生きているものの生命を改めて実感するその一瞬が、アンジュは嬉しかった。

「それに、もう少し風を感じていたいから」
「そうか。ならいい」
「気遣ってくれてどうもありがとう。貴方は平気?」
「貴様よりはいくらか寒さに強い」
愚問だ、と以前の彼ならその一言で片付けたのかもしれない。身体の大部分をインプラントで強化した、サイバーグラントの彼にはこの程度の寒さはどうということはないからだ。
しかし、肌の上を滑る風により体温を失っていく自分の手と彼の手、果たして本当に冷たいのはどちらだろう。先程のライアとのやり取りを思い返しながらアンジュは空に滲んだ星の灯りを見つめた。

「よく似ているな」

突然の言葉に疑問符を浮かべながら、同じように空を見上げた横顔にアンジュは「何の話?」と視線を向けた。それはあまりにも唐突だった。

「貴様とアルトだ」

ランカも言っていた。
そう続けて、妹の名を呼んだときだけ彼の表情はひどく穏やかになった。本人は意識をしているつもりではなさそうだったが、おそらく本能がそうさせるのだろう。彼の中で未だに眠りかけたままになっている心の一部が少しだけ温まって揺れているようだ。

「貴様達には空がよく似合う。本当に……もう、飛ばないのか?」
「そうね。飛びたくないわけじゃないけど」

触れた左頬に掛かる指も少し前までは見えていたが、今となってはすっかり捉えられなくなった。この星に降り立って直ぐに感じた左の瞳への違和感は少しずつアンジュの世界を侵食し、ついにその視力は無くなった。
そして、この視界の狭さではいつまでもパイロットを続けられない。

「左目、もう全く見えていないのか?」
「やっぱり気付いてた?貴方にはすぐバレるだろうってアルトと言ってたんだけど」
「あぁ……確信はなかったが。さっきの貴様の答えでそう判断した。残念だな」
「でも不思議と悔しくはないのよね。少し、寂しいなぁとは思ったけれど……あぁ、皆には内緒よ?」
「そんな野暮なことはしない」

それもそうね、と言いながら吸い込んだ風の薫りが鼻腔を抜ける。いつだって目の前にあるのに、なんて遠いのだろうかと感じていた空は今やもうない。
手を伸ばせば触れられる。臨むだけで届く。愛しさにも似た憧れから待ち焦がれていた空を、あの日、とても大切な人と翔けることが出来た。早乙女アルト、その人と。
だからだろうか、自分の力で飛べなくなってしまったことを実感しても、アンジュは不思議と悲しみや悔しさを感じることはなかった。暖かい胸の高鳴りと見上げた先にいつも変わらずにあるこの星の青に救われたのだろう。

「まぁ、お望みとあらばいつでも乗せて飛んでやる、と言いたいところだが……それは、奴の仕事だな」

砂利を踏む音に二人で視線を向ければ、急ぎ足でこちらへと向かうアルトの姿が目に入った。どこか得意げに見えたブレラの横顔が可笑しくて、アンジュは小さく笑う。
少しずつ、少しずつ変わりゆくこの世界の中で、彼の心も沢山の色と温かな気持ちで満たされますように、と。

20171005
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