久々に入った大きな仕事は、報酬に見合わず実に楽な案件で、その上依頼主からはオプションだと菓子折りまで貰ってしまったものだから帰りに寄ったコンビニでジャンプが売り切れていようが、街中でぶつかったおっさんの所為で手にしたいちご牛乳のパックが落っこちて破裂しようが、今日の俺はそんな些末なことで怒ったりはしない。

なんたって左手には鈴屋の数量限定おはぎ。それは、朝早く開店前から並んだとしても手に入れるのが困難な代物だと聞いている。でもってクソが付くほど高ェ。依頼主も粋なことをしてくれる。帰って茶ァ淹れて胃袋がブラックホールな餓鬼が帰ってくる前に証拠隠滅だ。
天気予報は曇りのち雨。徐ろに見上げた鈍色の空は今にも泣き出しそうで、現にパラパラと左手に降りかかるしずくが……え?左手だけ?

「旦那ぁぁぁぁッ!」
「えっ何ッ。何だよ。ちょっと、気持ち悪いんですけどーッ!」

鈴屋の菓子袋を握る俺の左手に寄り添うように泣きつく黒服が一人。名を山崎退。税金泥棒集団こと真選組の監察である男だ。

「今日という日は本当にアンタがこの世に生まれてきてくれてよかったと俺は心から思いましたーッ!」
「や、だから何だよ。離れやがれ」

男に擦り寄られて喜ぶ性癖はねェよ!
そう言いながら本来ならば腕をぶん回しているところだが、今の俺の手にはシクシクと泣いたふりをする男だけではなく、鈴屋のおはぎの命が預けられている。迂闊な行動はできまい。

「や、マジこれ持って帰んないと俺、社会的に清さんに消されるんですってば!そりゃもう跡形もなく!」

そう言いながら山崎が見つめたのは愛しい愛しい俺のおはぎさん。ヤメろ。そんな目で俺のおはぎさんを見るんじゃねェ!

「そんなの知ったこっちゃねェよ!」
「お願いします。譲って下さい。代金はきちんとお支払いしますので!」
「ヤダよ!金貰ったって今後ゲットできる保証もねぇだろーが!」

だから離れろ。今すぐ離れろ。銀さんとおはぎさんとの熱い絆を邪魔するんじゃねェ、叩っ斬るぞ。思わず木刀の柄を握りしめた。
ふと、軽くなった左手に安堵したのも束の間、目の前で盛大に土下座をし始めた黒服に今度は溜息が溢れる。こいつにはプライドがないのか。おはぎ欲しさに土下座ってなんだよ。

「お願いですよ旦那ぁ。俺のことを助けると思って!ね?義理と人情に厚い旦那なら助けてくれるでしょう?」
「無理。これだけはマジ無理」
「清さんからの株が上がりますよ」

こんな時だけ都合よく人を祀り上げやがってふざけんな。お前んとこのその上司にはもう何度殺されかけたか分からねぇんだぞ、とおはぎさんを腕に抱え直す。

「っつーか、何であいつがこんなもん欲しがるんだよ。この手のもんは嫌いなはずだろ」
「大切な客人への茶菓子と知らず、沖田隊長とその他数人で食っちまったんですよ……で、気が付けば俺だけ生贄に」
「んなもんお前らが悪いわ!そして監察のくせに逃げ遅れるとかお前もう職業変えろよ!」
「いやね、ほんというと茶菓子は別に他のでもいいんですけど……その、美幸ちゃんの分も用意してあったもんで」

そこで山崎は一連の流れをふいに思い出したのか小さく身震いした。

『ザキ。てめぇ分かってんだろぉなァ?何が何でも限定おはぎ、手に入れて来なけりゃ消す』

「相変わらず美幸ちゃんにはベッタベタに甘ェなあいつ。甘過ぎて胸焼してくるわ」
「でしょう?だったらほら、そのおはぎを是非!」
「やなこった。それはそれ、これはこれ!」

土下座態勢のまま、掌を上にして両手を差し出した山崎を一蹴する。なんとしても、このおはぎさんだけは守らなければならない。俺たちの未来のためにも。

「でもよ、美幸ちゃんならまた買ったら良いって許してくれるだろ?」
「や、それが。清さんってばちょっと美幸ちゃんのこと怒らせたみたいでして、多分話す口実に鈴屋の限定おはぎを……」
「……たいがい面倒くせェな」

目の前で項垂れるその姿には少しだけ同情せざるを得ない。理不尽な上司持つと大変だなぁ、って、あそこにはハナっからそういう上司しかいねーじゃねぇか。やっぱりおめー職場変えた方がいいんじゃね、とその肩を一度だけ叩いて「じゃあな」と振り返ったところで盛大に後悔した。もっと早く切り上げるべきだった。もしくは振り返るべきではなかった。


「おいザキ……お前、何こんなとこで油売ってんだ。えぇ゛?」


鬼だ。鬼がいた。
どう見たってカタギには見えないその表情はなまじ元がいい所為で、普通の人間に比べると迫力も跳ね上がる。一体どんな生き方をすればこうなるんだ。後ろでガタガタと震える山崎の気持ちも分からなくはない。

「ヒィィィィィィッ!」
「あれ?おかしいな。鬼が見ぇ゛ぐぁぅふッ」
「誰が鬼だ、誰が。そのお困りの天パ、毛根から殺す手伝いしてやろうか?あ゛?」
「ブみまへンべしあ」

すかさず鳩尾に一発食らったところで違和感を感じた。今日の一撃はいつもよりも随分軽い。美幸ちゃんとのことで邪念があるのか、流すようにこちらを見た視線にもすでに力がなかった。

「で、ザキ。ブツは」
「ここです!」
「ちょ待て!それ俺ンのだから!」

ガシリと腕を取られて咄嗟にそのまま山崎を投げ倒してしまい、袋の中でおはぎさんが揺れた。おいーッ!俺の大事なおはぎさんがーッ!

「糖尿予備軍の腐れ侍にこの一個千二百円の鈴屋の数量限定おはぎの価値が分かるわきゃねえだろ。譲るか?死ぬか?さぁどっち」
「さぁどっち!ッじゃねぇよ!」

真顔で尋ねたのち、直ぐに面倒臭そうにため息をついた清は「金はちゃんと払うって」と懐に手を伸ばす。ただし取り出したのは財布ではなく煙草の箱だ。お前舐めてんだろ、とは流石に言わない。そんな発言わすれば、どんな制裁が待っているか分かったもんじゃねぇ。コイツはそういう女だ。

「あのね。甘味の類が嫌いなお前には分かんないかもしれないけどね、そういう問題じゃないのよ」

言ったところで無駄なような気もするが、とりあえず諭すようにそう告げる。世の中なんでも金で解決できると思ったら大間違いなんだよ。
聞こえねぇなーと力なく笑って煙草を咥えながら、いつのまにか鈴屋の袋に手をかけて中を覗くその姿に慌てて袋を持ち上げる。隙でも見せようもんなら間違いなく分捕られる。
そこに突然、場違いに鈴を振ったような愛らしい声が聞こえた。

「退くん……と、清ちゃん……ッ!?」
「げ、マジかよ」

呼ばれるや否やクルリと身を翻してあろうことか俺の後ろに身を潜めた清は「しまった」と小さく呟いて額を手で覆った。咥えていた煙草もそそくさと懐へ元通りだ。心なしかそんな様子がいつもよりもいくらか清を小さく見せる。
一方。珍しく唇を真一文字に結んで、いつものふにゃっとした笑みを消し去った美幸ちゃんのその表情に、こんな風に怒ることもあるのか、と遠く思った。完全にご立腹である。

「……ッコラ!清ちゃん!?」
「お前何したんだよ」
「銀さん!清ちゃん捕まえといて!」

別にいつも通りの私生活を……とボソボソ呟きながらそっと距離を取ろうとする清の襟首を掴む。おい、と振り返った顔が心底ウザそうにしていたが、さっきの拳といいなんとなく今日はこいつに勝てそうだと直感した。素早く俺の懐に伸ばされた腕を空いた手で抑えれば、コイツお得意の背負い投げも無事回避だ。その分、おはぎさんにも多少の揺れは我慢してもらうことにしよう。

「銀さんッ!ありがとう」

パタパタと駆け寄ってきた美幸にほれ、と清を突き出せばバランスを崩した身体がそのまま地面に向かって傾いだのでとりあえず手を離すのはやめた。猫みたいに扱うな。と聞こえた不満げな声とは裏腹に膝に手をついて地面を見つめたまま上体を起こさない背中をマジマジと見つめる。振り返りざまにラリアットでもかまされるんじゃないかという俺の心配をよそにえらく大人しいじゃねぇか。そして、けほりと控えめな咳が聞こえた。パッと襟にかけていた手を離すが別に首が締まっていた訳ではないらしい。そして二度ほど続く咳。

「何なの。コイツどーしちゃったの?」
「風邪ひいてるから大人しくしてなきゃって言ってるのに、清ちゃんったら昼間っからお酒は飲むわ、タバコは吸うわ、部屋抜け出すわで全ッ然いうこと聞かないの!ほら、今朝より熱上がってるじゃん!」
「あぁー風邪ね……ひくんだ、コイツも」

普段からバケモノじみたタフさと攻撃性ばかりが目立って記憶され、コイツが人間のそれも女だった事実なんて俺の中じゃ綺麗サッパリ抹消されていたわけで。そもそも腹に風穴空けても笑って獲物を追い続けるような奴を人と認識する方が難しい話だっつーの。
それが風邪だと、熱だと。ホントかよ。

「今度言うこと聞かなかったらホントにもう二度と口きかないからね!」
「……ごめんなさい」

捨てられそうな仔犬のように一気にしおらしくなったその姿に言葉を失う。何だこれは。誰だこれは。
ついさっきまでの俺様暴君ないつもの清はどこいった。そう思った矢先――

「あ、あとコレ……鈴屋の限定おはぎ。このボンクラが」
「え?銀さんが?」
「や、何自然な流れで俺が美幸ちゃんに用意したみたいになってんだよ!」

というかいつのまに外袋から中身の箱だけ抜いてやがんだコイツは!いつもより数段大人しくなっちまったお前に気ィ取られて全然全く微塵も気付かなかったよ!
コンニャロ返せ!と手を伸ばしてその手中からおはぎさんを奪還する。あ、違うんだ。と笑った美幸ちゃんはいつも通り可愛いのでよしとする。

「いや、まぁ違うっていうか、違わないっていうか、って違うっていうか」
「おい、男だろ。どっちかハッキリしろ」
「誰のせいだよッ!」

おはぎさんを元通り袋の中に収めながら、すっかりいつもの調子に戻っている清を睨む。いっそ起き上がれねぇぐらい具合悪くなっちまえ。たまには大人しくしてろ。
心配そうに清の腕を取って側に控えている美幸ちゃんの手前、口が裂けてもそんなことは言えないがありったけの思いを視線に込めればあろうことか「できるもんならな」とサイレントで清の唇が動いた。

「あ、良かったら銀さんも屯所寄っていく?お茶入れるし、やま屋のカステラ残ってるから一緒に食べよ?」
「え?まじ?その話乗った!」
「う……話聞いてるだけで胸焼けしそう」
「清ちゃんは大人しくお布団だからね!」

逃すまいと腕にしがみつく美幸ちゃんの頭をそっと撫でながら「はいはい」と笑った清は、思い出したかのように後ろを振り返ってただひたすら静かに事の成り行きを見守っていた山崎を見据えた。そういや、まだいたんだ。

「えっと……俺の処罰はもう」
「お前は歌舞伎町二〇周してから帰ってこい」

やっぱり鬼じゃねェか。


鬼とおはぎと可愛いあの子


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