愛すべきなんでもない日々
行ってきます。
玄関から人気のないリビングに向けて、質の良いバリトンの声が響く。お見送りはチリンと首もとの鈴を鳴らせて擦り寄ってきたペットの猫が一匹。名をディーヴァ。
アルトが幼い頃に拾ってき、飼うとグズってきかなかった血統も何もないただの野良猫。せめて名前だけでも根っからの音楽家系である早乙女の名に恥じぬように、アルトのと父親が与えた大層なソレだったが本人はあまり気に入っていないらしい。正しく、その名を呼んだところで見向きもしないのが現実だった。
しかし、

「いい子にしてろよ、デュウ」

人になつきにくい彼女が現在唯一心を許しているアルトが愛称で呼んでやれば、またたくまに尻尾を揺らせて殊更強く擦り寄ってくるわけで。人間に例えればとうに成人を迎えているであろうが、未だ小さなその体を抱き上げて視線を合わせる。朝露を湛えたかのように潤み澄んだ瞳は左右で色が違い、幼い頃に遊んだビー玉のようなそれは酷く綺麗で魅惑的だ。
決して鳴くことのない、というよりは鳴くことを知らない彼女に付けられた歌姫と言う名。それはもう皮肉以外の何物でもなく、アルトが与えた愛称こそ、彼女のその瞳に等しくピタリと当てはまるだろうと今は亡き母親もよく笑っていたのを覚えている。
そして、彼女がそんな母親を誰より慕っていたことも――


「っ……」


不意に喉を掻いていた指先を甘く食まれて意識を戻した。薄いグレーと深いワインレッドがパチクリと瞬き、小さな首が傾けられる。心なしか不安げな表情だった。
「遅刻するぞって……?そうだな……もう行くよ」
解放してやれば瞬く間にリビングへと駆けていった小さな黒い背中をほんの数秒だけ見つめて靴を履く。小気味よく鈴の音が響き、振り替えれば姿勢良く座って自身を見つめる瞳とかち合う。パクリと開けられた小さな口から漏れる音などなかったが、なんとなく彼女が何を言いたいのか分かったような気がしてアルトは笑った。



「――あぁ、」

2011XXXX Takaya
何処かくすぐったい午前九時
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