「鶯丸よ、まだ意識はあるか?」
珍しく焦燥感のある三日月の声に、鶯丸は吐息と一緒にああ、と肯定を返した。
ただの遠征のはずだった。
しかしゲートを潜ったかと思えばそこは鶯丸にとっては久々の、三日月にとっては初めての阿津賀志山。
初めこそなにが起こったか分からなかったものの、目の前に現れた遡行軍を見れば戦うのは刀剣男士として当然の本能だ。
しかし実力差は歴然。まさに月とスッポン……と言ってしまえば三日月には皮肉だろうか。
すぐにこれは無理だと判断し逃亡。
当然の如く追ってくる敵に応戦しながら山の地形を生かして身を隠し、見つかり、逃げ、隠れ。
まだ弱い三日月を庇いながら走っていた鶯丸は重傷を負い、すでに足元もおぼつかない。
さらに今いるところがどのあたりなのかさっぱりわからなくなってしまった上に、目の前には遡行軍。
「三日月」
「なんだ?」
「俺が残ろう。まだ動けるうちに逃げろ」
仲間はきっと助けに来るだろう。もしかしたらすでに近くまで来ているかもしれない。
それはきっと阿津賀志山攻略の第二部隊だ。
言葉を無くす三日月を横目に鶯丸は自嘲した。
鶴丸。
立場が逆転してお前は今なにを思っているだろう。
「命を、大事にしろ」
天下五剣。
いったいどんなやつなんだろうと思っていた。
大包平は随分と意識していたし、なるほど確かに演練で見かける三日月宗近は美しかった。
しかしいざ自分の本丸に顕現してみれば教育係の鶴丸が扱いに困るほど、お前が言うなと言われてしまったがマイペースで。
威厳も威圧もまるで感じられなかった。
鶴丸の兄を名乗り出した時にはなんだコイツと思った。
刀派の系列が同じで兄弟というならば付き合いの長い俺も兄弟でいいだろう。
鶴丸も伊達の刀たちを弟分と可愛がっているし、古備前系列の燭台切が弟分におさまってる分、むしろ兄に相応しいのでは??
鶴丸にとっては今世紀最大のいらない閃き。実は鶴丸との時間を取られ気味で不満が溜まっていた鶯丸によって静かに、時に派手に兄の座をかけた仁義なきバトルが勃発していた。
ちなみに当の鶴丸は全力で見えぬ知らぬ関わらぬ!しているので止められるものはいない。
そんな一種のちょっぴりズレたライバル関係である二振りだが、仲間であることに変わりはない。
「行け、三日月」
鶯丸は巨木に寄りかかってなんとか立っていた体を離し刀を構え、もはやこれしか方法はないと覚悟を決めた。
全く。そんな柄じゃないというのに……。
なんて、心の中で呟きながら。
自分がいても肉壁にすら成り得るか怪しい。
そう判断した三日月は血の滲むほど拳を握りしめ、鶯丸に背を向けて走り出した。
情に流されず、最速で最善を判断できるところは助かるなと鶯丸は独りごちる。
三日月が薄情なわけではないが、これが情に熱く諦めを知らず退くことのできない……大包平のような奴だったならば、「援軍を呼んできてくれ」なんて望みの無い希望的観測を建前に逃がし、逃がされる方も建前だと分かりながら逃げなければならなかったろう。
そんな労力を割く余裕のない鶯丸に、三日月の対応は有難いことだった。
「さて、この体でどこまで行けるか」
せめて三日月が逃げ切るだけの時間を稼げれば良いんだが‥‥… 本当に、まるきりはじめて検非違使に遭遇した時と同じだな。
鶯丸は痛む体に鞭打って、まずは手近な短刀に斬りかかる。
そして転機は、まるで予想出来なかったほど早く訪れた。
「かまれるといたいですよ、野性ゆえ!」
鶯丸にとって馴染みのない声が、馴染みのある色を靡かせながら遡行軍を斬り伏せていく。
視界を遮る白さに一瞬だけ鶴丸かと思ったが、すぐにそれは腰ほどもある長い髪なのだと分かった。
狐色を基調とした着物に三条派の袴の刀剣男士。
鶯丸は彼を遠目に見たことがあるな、という程度しか知らない。
「鶯丸!」
思いもよらない援軍に呆気に取られていると、今度こそ聞き覚えのある声が鶯丸を呼んだ。
次いで「伏せろ!」と鋭い声。
反射的に身を伏せると、頭上を一筋の閃光が斬った。
『三日月宗近』
踏ん張りの強い極めて優美な太刀姿と、たなびく雲に浮かび上がる三日月を思わせる打除けが多く入っているのが特徴的な名刀。
天下五剣で最も美しいと言われる刀。
その切っ先が鶯丸の背後へ迫っていた敵の喉元へ吸い込まれるように振るわれれば、
パッと、赤が散った。
普段の世話の焼ける姿を置き去りにして刀としての本分を果たすその姿は嗚呼たしかに___美しかった。