ザクザクとひたすら本丸の裏にある山をかき分けて登る。どこかを目指すわけじゃない。山伏のような修行でもない。
ただ、今は少し人の喧騒から離れたかった。
飾り気のない文章を目で追ってそれを理解した時、後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
「そういうことか」
納得と同時に悟ってしまった事実は、本当はずっと見て見ぬふりをしてきたもので。
私たちの今ですら、未来からすれば過去なのだ。
たとえより良い未来に繋がるとしても、変えてはならない過去なのだ。
私を抑え込んだ圧倒的強さを覚えている。
見慣れた真っ直ぐな金の瞳を覚えている。
見慣れない服や武装を覚えている。
私は未だ誰も知らないはずの、極めた大倶利伽羅を知っている。
「主の兄夫婦が、遡行軍に襲われることは変えてはならない過去だったかい」
ねぇ?未来の大倶利伽羅。
届かないと分かっているのに一度溢れてしまった思いは、言葉は。
一歩間違えればお兄さんの記憶は消されていた。いや、その前に命を落としていたかもしれないのに、その危険を犯してでも?あの時、私を抑える必要はあったのか?
ああ、あったんだろうとも。
君たちからすれば過去の存在の私に姿を見せてでも、君たちの知る未来に持っていく必要があったんだろう。
その先にどんな未来があるのかなんて知らない。それでもその先に君達が生きている世界という名の未来があるから、だからそうした。
兄夫婦が何事もなく結婚式を終えるのは不都合だった。あってはいけない過去だった。間違った歴史だった。
それでも、あの時私は守りたかった!
その時を生きる私たちから、未来が一方的に選択肢を奪うなんて、そんなの……!
「そんなの、いつも俺たちがやっていることだ……ッ」
名を残す偉人たちを見殺した。
折れる運命の仲間を見送った。
元の主を死に導いた。
全ては今に繋がる未来のために。
刀剣男士は、審神者は、そのための存在だ。
奪われる側になった途端に被害者ぶるなんてなんとも滑稽で傲慢で、決して許されることでは無い。
握った拳を解いて見つめる。
無骨で骨張ってて硬くて大きい、刀を握る武人の手だ。
私たちはそういう風に作られた。
今自分が立っている現在が未来にとって正しい過去なのかすら分からなくなったとしても、
それでも私たちは、戦い続けるしかないのだと分かってる。
「鶴丸国永!」
そんなことを考えて噛み砕いて飲み込んで腑に落とすのに集中していたからだろうか。
少々周りを気にかける余裕の無くなっていた私は追い縋る見習いに気付かなかった。
刀剣男士が聞いて呆れる。
大声で呼ばれてやっと気付いた私が振り返った時、見習いは息は絶え絶えあちこち枝に引っ掻かれていたし、転んだのか膝や手は土で汚れていた。
「おいおい君、何してる。近侍はどうした?」
「お、けほっ、置いて来たわ」
純粋になんで??
頭にくっつけた葉を取ってやる間、見習いは妙に大人しかった。
なんだろう。初演練の時や主と言い合いしてる印象のせいか、じゃじゃ馬キャラと思ってたけどそうでもないのか?いや近侍置いてこんな山道来るあたり充分にじゃじゃ馬だったわ。加州も苦労するな。
「ほら取れたぜ。怪我と泥は……この近くに水場はないから本丸に戻った方がいいか」
来た道を見やると獣道とも呼べない草の生い茂った帰り道。
うーん、整備された道は誰かしら通るかもだからそこを避けたとはいえ、我ながらよくこんな場所を歩いていたもんだ。そしてよく追いかけて来たもんだ。
こりゃ掻き分けるより、草木には悪いが切り捨てて進んでしまおう。
本体をこんな使い方したら手入れが必要になるか?と割と本気で心配しながら見習いに声をかけると、
「歩けないわ」
「え」
「足が痛い。靴擦れだってしてるし膝がじんじんする」
「それだけ怪我すればそうだろ。だが水もなけりゃ応急処置も出来ん。だから」
だから、ちょっと我慢してはやく本丸に帰ろう。
そう説得しようとしたのを遮って見習いはこちらに両手を伸ばした。
「ん」
「……ん?」
「ーッだから!抱えて帰りなさいよ!」
え、えええーーー……?
決まり悪そうに目を逸らしていた見習いは、察しの悪い私に痺れを切らしてキッと睨みつけた。
「いやあのな、俺は君の刀じゃないぞ」
「主以外の人間はどうでも良いってこと!?」
「そうじゃなくて」
いや中にはそういう刀剣男士もいるだろうけど。
「君の刀が。知らない所で他所の刀に自分の主を触られるのは良い気分じゃないだろう」
「ここにいない方が悪いんじゃない」
「置いて来たの君だろ!?」
なんたる暴君。
しかし見習いが引き下がる気配はない。
少しの逡巡のち、私は諦めのため息を吐いて抜きかけていた刀を納めた。
さてここで問題だ。
今日の見習いの服装は和装である。しかも袴ではなく着物スタイル。洋装が多かったはずなのになぜ今に限って着物?これで山登るとか意外とガッツあるな。
で、何が問題かって着物じゃおんぶは出来ないってとこだ。無理に出来なことはないが、背負辛いし、今でもちょっと乱れてるのにさらに肌蹴ることになるし。
「あー、暴れないでくれよ?」
私はもう一つ吐きかけたため息をかろうじて飲み込んで、見習いの背中と膝裏に腕を回した。
見習いを抱えて戻れば大事になった。
上層部のお嬢様で預かっている見習いが近侍を振り切って行方不明になったかと思えばあちこちに傷をこさえて来たのだからそりゃそーだ。やめてそんな目で見ないで犯人は私じゃないです冤罪だ!
「よお旦那。前田から聞いたぜ?おれっちの診察すっぽかして見習いと相引きたァやるじゃねーか」
「げっ薬研!?いや、体調はもう大丈…待て君その手に持ってるものは」
いつか怪我を隠して出陣した同田貫が罰として飲まされたアレでは?丸2日手入れ部屋から出て来なかったアレでは!?
「安心してくれや。改良に改良を重ねたやつだ」
「君のそれは改悪とか改造とか魔改造の域だろう!」
確かに前田との約束は破ってしまったけれどそれはあれだ、その、なんだ、えっと、うん、ごめん。全面的に私が悪い、けど飲みたくない。
ジリジリにじり寄る薬研と見習いを抱えたまま後ずさる私。見習い邪魔。
そんな中ちょうど良く駆けつけた彼女の初期刀に引き渡すべく一度縁側に下ろそうと……下ろ、…お、おろ、下させてくれ!?
見習いの腕が首に回ったままびくともしない。私はもう抱えてないのに首を抜こうとしてもがっしりホールドされてるものだから首と腰がッ。
力尽くで乱暴にするわけにもいかずなんとか離そうと格闘してると、ふいに見習いが耳元で私の名を呼んだ。
その声があまりに真剣で、無意識に無視できないと判断した私は下ろそうとするのを一旦辞めて彼女と目を合わせ、そして後悔した。
だってその瞳の奥に宿る炎。その意味を知らないほど、理解出来ないほど、察せないほど、私は馬鹿じゃない。
「好き」
遮る間もなく吐息以上の熱を持って耳に届いたシンプルな二文字は、その熱量で私の心臓を凍り付かせた。