02

チリンッと頭上で涼やかな音が鳴り、詩織はぼんやりと目を開けた。

開け放った窓の外では、まだ初夏だというのに一生の大半を地中で過ごす彼らが伴侶を見つけようとけたたましく命の炎を燃やし続ける。

「……蝉時雨」

そんな中寝ていたからか、懐かしい夢を見た。
母が謎の死を遂げて早三年。詩織は中学生最後の年を迎えていた。 未だ、詩織の記憶だけに存在するあの妖の正体は分からない。 今となっては夢か幻だったのか、なんて思う日々。それだけ、あの空間は優しく美しかった。
それでも鮮明に思い出せる妖と母の死が、あれは現実だと知らしめる。
ゴロンと寝返りをうった。
床に片耳をつけるとペタペタという足音が近付いてくるのが分かる。

「全く…またそんな所で寝て」

開口一番、そう文句を垂れるのは黒髪長身の人型になった朧だ。

「ここが一番涼しいんだもん」

へらっと言い訳して体を起こし、硬い床で凝り固まった体をほぐす。関節がミシミシする。この瞬間だけは床で寝たことを後悔するのだが、また暑い時には涼しい床を求めて寝転がると分かっている。喉元過ぎればなんとやら、だ。

「的場が来てるぞ」
「うわっそんな時間!?」

詩織は術具一式を引っ掴み、慌ただしく玄関を飛び出した。

「ごめん静司!」

そんな彼女を的場はどうせ寝ていたんでしょう?と笑う。

「寝癖」
「え!」
「嘘です」
「静司!」

慌てて髪を押さえようとした手は行き場を無くす。いっそこの手で叩いてやろうか、なんて思っても行動には移さない、移せない。所詮惚れたら負けという奴だ。
こんな憎たらしいやり取りすら楽しく、尊く思えるのだから恋とは恐ろしい。

「玄関先でいちゃつくな若者め。さっさと行け」
「い、いちゃついてなんかっ」
無い!と言おうとした詩織の口は虚しくも的場に塞がれる。

「珍しい。朧はついて来ないんですか?」
「今日は境内の管理で忙しい」

誰かさんが懲りずにまたまた妖を受け入れたからなー、とネチネチいう朧に詩織はそっと目をそらす。
だって捨てられた子犬のような目で見られてみろ?勝機はないだろう。
それに、もしかしたらあの妖のことを… と考えた所で首を振り頭を空にする。
いけない。最近見なかったあの日の夢を見てどうも思考がそちらへ行きがちだ。

「相変わらず有能のようで。ますます的場に欲しくなる」
「あげない、朧は私の大事な家族なんだから」
「詩織……!」

"大事な家族"という言葉に柄にもなくキュンとする。産まれた頃から知ってる大切な子供にそんなこと言われたら堪らないじゃないか。
朧はちらっと的場を見やる。
ああいつか、この男のモノになってしまうのか。 もう一人の父親的立場な朧、は勿論詩織の花嫁姿は見てみたいし子供が出来たらもう孫だと思って猫可愛がりするだろう。
気が早い?気にするな。
がしかし父というのは娘婿が気に食わんものだ。

「涙の一滴でも流させてみろ。その右目、この朧が食ろうてやる」
「おや、それは恐ろしい」
「物騒なこと言わないでよ。行こう静司」

冗談でも言って欲しく無いと少し剥れて歩き出した詩織。

「いってらっしゃい」

木の上の妖鳥がパタパタと羽を振った。

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