桜の下

 春が来た。今年も僕の大好きな桜には花が咲かない。約束の人にも会えないでいる。
 桜の樹の下には死体が埋まっている、らしい。誰だったかが言いだした言葉だ。桜の木があんなにきれいなのはきっと桜の木の下には死体が埋まっていて、それを養分として成長し、きれいな花を咲かせているのではないか。そういう考えなんだろう。僕自身、その小説を読んだことがないので詳細は分からないが、「桜の樹の下には屍体が埋まっている!」という一文はかなり有名な部類に入るだろう。だって、本を読まない僕ですら知っているのだから。そして、僕の推測を踏まえて言うなら、僕の大好きな桜の下には何も埋まっていない。


 桜の木の精。そういうものを僕は見たことがある。何年も前、小学校低学年ほどの年の頃だったか。近所にある神社の境内に大きな桜の樹がある。今ではかろうじて立っているような枯れ木だ。その桜がまだ元気だった頃、満開の桜の下で僕は見たこともないやつと出会った。そいつは驚くほど綺麗な顔をしていて、まるで桜のように華やかながらも儚い、透明感のある美しいやつだった。十年近くたった今でも覚えている。桜色の着物を着て、白にも近い、薄い桃色の髪をしたそいつは新緑のような緑色の瞳で弧を描き、「こんにちは」と僕に声をかけた。「お坊ちゃん、一緒に遊びましょ。」と笑うそいつは人間ではないと思わせるほどの何かがあり、まるで、世界に僕とそいつしかいない感覚がした。当時引っ越してきたばかりで友達の一人もいなかった僕は、そいつの誘いに頷いて、一緒に遊んだ。木登りだとか、追いかけっこだとか、おはじきだとか、同年代の子供がしないような遊びの内容だったが、何をしても楽しくて、毎日そいつに会いに行った。近づくとそいつから漂う花の香りに似た匂いが好きだった。

 桜が散る頃。いつも通りそいつに会いに行ったときの帰りに、そいつは初めて出会った時の笑顔で「もう時期みたい。今日で最後になってしまいそう。また来年、桜が咲く頃にまた会いましょうね。」といい、ゆびきりをして約束した。「また来年会おうね」って。でも、その来年はこなかった。その年から桜が咲かなくなってしまったから。
 あいつに会いたくて、桜の蕾が大きくなってきた頃に、桜の下へ行った。桜は元気がなくて、一つも蕾がついていなかった。ただの枯れ木だった。あの満開の桜は夢だったのだろうか、と思うほどの変貌ぶりだった。神社の神主のおじさんに、「今年は咲かないの?」って聞いたら、「この木はずっと枯れ木だよ」って返された。あの時の衝撃は今でも覚えている。騙された。化かされた。馬鹿にされた。桜、咲かないじゃないか。「でも咲いてたよ」「約束したんだ」「嘘じゃないの?」って聞いたけど、神主さんは笑って「そりゃ化かされたんだろ」と言った。「桜に魅入られちまったんだろう。子供のうちはよくあることさ。あの桜は昔から伝わる化かし桜だからね。」と言っていた。化かし桜。僕は桜に化かされたのだ。じゃあ、あの綺麗な満開の桜も、あいつも、全部嘘だったのかよ。

 これが僕の初恋の記憶であり、失恋の記憶。それ以来、僕はあいつに会うことは叶わなかったから。


 今年も桜を見に行った。相変わらず枯れ木としてそこに立っている。ここに来るのも十回目だろうか。あいつは今年も現れない。桜も咲いていない。ぽつんと巨大な枯れ木がそこに立っているだけだ。木の幹に手を触れ、あいつに向けて語り掛ける。
「今年も来てやったぞ。いい加減咲けよ、お前。」
 返事はなかった。


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