生に抱擁を、死にくちづけを - asteroid | ナノ

03




 晩ご飯の支度を終え、家族みんなで食卓を囲む。夕方まで帰ってこない父と兄と共に食事ができるこの時間が、私は一日の中で一番好きな時間だった。
 父たちが採ったキノコをふんだんに入れたキッシュに、とろっとしたポタージュスープ。それらに村で採れた新鮮な野菜をザク切りにした付け合せのサラダを添えた、いつものメニュー。
 いつもの、幸福な時間。
 他愛のない雑談を交わしながら、いつもの時間をいつもの食事にふりかけて、いつものように飲み込んでいつものように消化する。すべて食べ終わって、はふ、とお腹の上あたりをさすっていると、今度は”いつもの”ではない、特別な甘い香りが漂ってきた。
 食後のデザート、シャルロさんのケーキだ。
 でも私は昼間食べたしみんなで食べたらいいかな、……と思っていたけれど、そんなことは露知らず、母はきっかり四人分切り分けていた。いらないと言おうかと思ったけれど、あの時間は三人だけの秘密なのだ。私だけ変に遠慮するのはおかしい。仕方なしに、また有り難くもらうことにした。
 時間が経ってもシャルロさんのケーキはおいしい。今日食べるのは二度目なのに飽きないし。うーん、やっぱりすごい。
「やっぱりシャルロさんのお菓子ってマネできないわねえ。なんでこんなに柔らかい甘さになるのかしら」
 母がケーキを口に運びながらそう呟く。黙々と、そして少しずつケーキを味わっていた兄も、うんうんと小さく同意している。
 確かにシャルロさんが作ったお菓子は、母が作ったお菓子とは全く違う味がする。母が作るものも美味しいが、シャルロさんのものに比べると大味だ。

 でも、私は昔一度だけ聞いたことがある。
 ウォラスさんとお付き合いする前のシャルロさんは、料理がすごく苦手だったらしい。家庭料理も大雑把に作りすぎていつも失敗していたのに、お菓子作りなんて到底できるわけないほどの腕だったと。それが変わったのは、そんなシャルロさんの料理も文句一つ言わず食べてくれるウォラスさんの存在だった。そんな彼のために苦手だった料理に対して本気で取り組みはじめ、やがて甘い物が好きな彼のためにお菓子作りを学び始めたという。
 彼女が作る料理は、愛情から始まっている。だからこんなに優しい味がするのだろう。私はそう思っている。
 でもこの話は、シャルロさんからは「ナイショ」と言われている。きっと恥ずかしいんだろう。だからこれは、ウォラスさんさえも知らない、2人の秘密なのだ。
 ああ、また秘密の味がしてきた。でも、昼間のそれには敵わない。

「オレは母さんのもんも好きだぞ。甘いしな」
 私が人知れず悶々としていると、珍しく父がケーキを大口で頬張りつつそんなことを口にした。母も一瞬きょとんとして顔で父を見つめたが、すぐにフっと笑う。
「あんまりわかってないでしょう、あんた。ふふ」
 口では小言を言いながらも嬉しさが隠しきれないという母は、ふやけた表情のまままた一口、ケーキを口に運ぶ。二人してケーキを味わっているその姿があんまりにも一緒で、それをぼんやり眺めていた私は、ふとそのことを思い出したのだ。
「そういえばお母さんたち、明後日結婚記念日じゃない?」
 二人が結婚して、もう何度目かの記念日。何度目なのかは多分二人の方が知っている。私が確かに覚えているのは、その日付だけだ。
 私がそう言うと、二人はまた同じように目を少しばかり丸くして、意外そうに私を見つめた。
「そういえば……そうだわ。明後日、ねえ?」
 母が隣の父に問いかけるも、父はもごもごと口ごもっている。きっと覚えてないんだ、そういうこと気にする人じゃないから。
「……いや、オレはあんまり覚えてな「明後日なのよ。ハルベラ、よく覚えてたわね?」
 うーん、こういうときのお母さんは強い。そんなやり取りを尻目に、私はちょっとだけ胸を張って答える。
「私こういうの覚えるの得意だから!」
「何か用意してないのか、父さん」
 私が少し得意げになっているところに、こういう話にはあまり入ってこない兄が、珍しく口を挟んだ。今日はなんだか珍しい続きだ。父は相変わらずバツの悪そうな顔をして視線を逸している。
「ほら、まだ1日あるだろ。明日用意すりゃ間に合うだろ、明日」
「いいのよ、私もまだ用意なんてしてないわ。まあ、夕飯はちょっと豪華になるかもね?」
 期待を持たせる母の口ぶりに、現金な私たち兄妹はやった、と目を合わせて喜んだ。父も傍らで罰が許された子供のような表情をしている。母はそれを、大切そうに眺めていた。
 やがて父と母は同時にケーキを食べ終え、器を片付けに流しへ消えていった。兄はまた無言で黙々と甘味を堪能する作業に戻っていて、私もまだ少しだけ残っている。
 明後日が楽しみだな。そう胸の内を膨らませながら、”特別”が詰まったケーキをまた一口、噛み締めた。



 完全に眠りに就いた外の景色。夜もすっかり更けて、やさしそうな月とハツラツとした星たちだけが、暗闇をかき分ける希望であるかのように、美しく光り輝いている。そんな静かな活気に満ちた空を、私は兄と互いにあくびをぽこぽこと零しながら、ぼんやり眺めていた。
 ううんと伸びをした私に、兄がもう寝るぞと声をかけてくる。だけれど私は、待ったをかけるように問いかけた。
「お母さんとお父さんって、昔から仲良かった?」
 兄は不思議そうな顔をして私の方を振り返ったが、それでいてはっきりと、こう答えてくれた。
「昔からああだったよ。お前が生まれる前から」
 兄は再び空に向き直る。きっと彼は今、あの無数の星々の中から、たった一つだけを見据えているのだろう。その星は私には見つけられないけど、私にとっても特別なものに違いない。
 同じように空を見ながら、私は何となしにつぶやいた。
「……私もいつかあんな風になれるかな」
「……父さんと母さん?」
 うん、と小さく頷いて続けた。
「二人ともすごく自然なの。二人のまま隣にいて、二人のまま愛し合ってる感じ。たまにね、いいなって思うんだよね」
 兄は私の話を黙って聞いている。言葉も少なければ大げさな反応も返ってこないけれど、私は兄のそういう聞き役に徹してくれるところが好きだった。真っ黒い空にすうっと吸い込まれていく私の言葉を、ただじっと見送ってくれているような気がして。
 そう思ったから、きっとこんなことを言ったのだろう。
「兄ちゃんなら結婚してもいいのになぁ」
 ……言えば、さっきより一層ヘンテコな顔をされた。こんな顔は初めて見たかもしれない。
「なんでだよ……」
「だって一番私のまんまで居られるし。私好きだよ?」
「……お前ならもっと良い奴と結婚できるさ。だからあんまりヘンなこと言うな」
「そうかな」
 私を窘める兄は、困ったように小さくため息を吐いている。せっかくの告白をあっさり受け流すなんてとちょっぴりムッとしたが――直後、何でもないようにこう続けた兄の言葉で、そんな気持ちも消えてしまった。
「別に良い奴じゃなくたっていい。でも本当に底の底から好きだと思う相手を選びなよ。お前が後悔するのだけは見たくないからな」
 首の後ろをゆるく掻きながらそう言ったその横顔は、紛れもなく“妹”である私に向けた“兄”の表情そのままで、私はただ満たされた気持ちで、うん、と頷いた。
 ほら寝るぞ、と仕切り直すかのように、兄は再度私を自室へ連れ戻そうと踵を返す。夜風がフっと、一瞬だけ私たちを撫で上げた。

 瞬間――私の心臓は、何かの予感を掠めたかのように、脈打った。きゅっと小さく、指先が無意識にぴくりと動くくらい。

 たったひとつ瞬きをする間、私はこの世界から外れて、どこかに浮かんでいたような気さえした。一体、何だったんだろう。目覚めた後の夢のように朧げで、でも、決して無視もできない。
 何か、爪痕を残さなければならない。ただそう思って、私は咄嗟に手を伸ばし、お腹から喉へと声を捻り出した。
「ね、」
 夜の闇と共に消えてしまいそうな兄の手を、私は再度待ったと言わんばかりにぎゅっと掴んだ。
「久しぶりに一緒に寝てよ」
「もうそんな年じゃないだろ?」
 兄は困ったように少しだけ笑った。それだけで、私の不透明な焦りは幾分か鎮まった気がする。でもそれと同時に、この幸福を余計手放しづらくなった。
「大人だって甘える時は甘えるもーん。いいじゃない、ね?」
 好機とばかりに掴んだ手をぶんぶん振り倒す。左手を良いようにされたのに参ったのか、兄は、わかったから、とあっさり折れてくれた。私は途端に顔をにやけさせながら、上機嫌で逆に兄を寝室へと引っ張っていく。
「でっかい子供だな……」
 何年ぶりかなぁと喜ぶ私を見て、兄もまた嬉しさを負け惜しみの言葉と共に呟いてくれるのだった。


 
 この日の寝床は、いつもよりずっと優しいかおをしていた。
 灯りを落とした暗い部屋の中で見えるのは、ただ眼の前に寝る兄の姿だけ。二人して狭苦しく毛布に包まって、互いの体温を分け合っている。呼吸を聴き合っている。血の通うからだを、認識し在っている。
 それだけで、格別に良い夜だ。
 私は毛布をゆっくりと上下させる兄をぼうっと眺めながら、無防備にこちらへ投げ出された指の端を、そっと手に取った。
 自分とは違う、節くれ立った傷だらけの大きな手。
 真っ暗闇の中、薄っすらとした輪郭だけを浮かばせるその手をただただ愛おしく思いながら、やがて私も深い眠りに落ちていった。



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