「――疲れたー、」


 一限後から何かと呼ばれて、フルに動き回っていたら、案の定足が痛むこと。
 学生食堂の椅子にどっかりと腰かけて、前方に足を投げ出す。焼けずに済んだ鞄も今は乱雑に放っていた。教授に呼び出されるわ、研究室の掃除を手伝わされるわ、友人に課題を持っていかれるわ、いきなり濃い二時間だった。おかげで昼食の混雑時間からずれて、ゆっくり陣取ることができるけど。

 長期休暇明けの第一週は、どのコマも確実に出席をとられる。余裕を持って学び舎に戻っている者、ぎりぎりながらきちんと欠席した者、だらけて一週目を切った者、すでに単位を諦めた者。学生としての自由度が最高値である上級学校だからこそ顕著だ。
 ここ二日で、帰省から戻った友人たちにも大体会えた。たち、と言っても両手の指に収まるくらいだし、同年代なんていないけれど。
 居住宅地が全焼したことと、ジュード・マティスの家に転がり込んだことを報告すれば、前者など無かったように後者の方だけ取り立てられた。学生みな噂好きだ。


「噂の秀才二人の共同生活って、ほんと、あれだよな。こう。お泊りを兼ねた勉強会」


 勉強会て。しかもそれ順序逆じゃあ……。
 いや確かに、成人前後の人間が中心な学校では、俺たちの年齢は珍しいけど。その例え方はよく解らない。訳が分からないと肩を竦めたら、生温く和やかな、笑いを堪えるような目で頭を撫でられる。何だかいろいろ複雑だった。この先輩のシャーペン全部から芯が消失すればいいと思う。

 けど、そうだな。
 友人たちも、ゼミの先輩も、すれ違う人たちも、きっとほとんどが知らないことを俺は知っているのだ。ジュードの料理の美味さも、部屋から見えるイル・ファンの美しさも、彼が意外と朝に弱いことも。
 それは何となく優越感を生み、ほんの少しの靄を生んだ。





「エリアスっ」

「うわっ!?」


 それは背後から襲来した。
 鼓膜への不意打ちと首筋への絶対零度。思わず誇大表現をするくらいにはびっくりした。がばりと振り返ると、むしろ俺の反応の大きさに驚いた犯人がきょとんとしていた。指先を俺の首元に向けながら。


「び、びっくりした……」

「そりゃこっちの台詞だよ……お疲れ、お昼?」

「ううん、ちょっと作業、かな」


 俺の正面、テーブルを挟んで向かい側に回ったジュードは、結構な量の紙束を抱えていた。向きを変えて十字に重ねられた紙の束。
 霊力野関連の内容らしい。霊力野はいくつかの分野に分かれているが、内容を見る限り、今日の一限が関係しているものらしい。にしては見覚えのないデータ群に、机に体を傾けながら首を傾ける。


「それ、研究室の資料?」

「ううん、今日の一限の。来週の抗議で配る資料みたい。準教授が忙しいみたいだったから、レジュメを作る手伝いをしてるんだ」


 霊力野についての知識は、どの学部の生徒でもある程度身に着けておくべきとされている。特に今期の各旬5日目にあるコマは必修科目だ。一回生のほとんどは受講し、上級生もそれなりに受けている。そんな大規模の抗議デモ、映像ではなくわざわざレジュメを用意してくれる準教授にはありがたいのだが、まさか毎回この量を一人で捌いているのだろうか。
 向かい側の苦い表情に気付いたジュードが「いつもはゼミ生が手伝ってるみたいだよ」と小さく笑った。そりゃそうかと、ホチキスをジュードに渡して、七種類の資料を一セットにまとめる作業を交代する。きょとんとホチキスを見つめたジュードが、少し頬に朱を刷って、ありがとうとまた笑った。


「あ、そうだ。エリアス、僕の鞄開けてみて」

「んー?」


 ふと思いついたように、ジュードが彼の指した。単調な作業を黙々と続けていた俺は、半ばぼんやりとした意識を引きずりつつ、指示に従って鞄を覗く。
 すると、机上に寝かしたままの鞄から、ころりと二つの飴玉が転がってきた。細い棒つきで、透明のセロハンが被さった、どこか懐かしい飴だ。


「手伝ってくれたお礼にって、準教授からもらったんだ。エリアスもよかったら食べなよ」

「あ、いいの?」


 ホチキスでレジュメの隅を止めながら、ジュード少年は頷いた。喜んで両手に飴を持ち、まろやかな黄色と透明感のある水色を見比べる。色的にバナナとサイダーだろうか。セロハンの隅に味の名前を見つけて、エリアスは黙って両方をジュードに差し出した。


「ジュード、どっちがいい?」

「えっと……じゃあ、こっち」


 ジュードが指差したのは青い方。セロハンを剥いでから渡すと、ジュードと俺は同時に口に含んだ。

 そして同時に眉を寄せた。


「……エリアス、これ……」

「俺のがクリームコロッケパフェ味で、そっちがサイダー飯味」

「えええ……どこで売ってるんだろ、こんなの……」


 そしてどうしてそんな味を買ったのか。広場の商店辺りかなと見当をつけつつ、バターだかコンソメだかのまろやかな風味と、アイスクリームの甘みが混ざって、何だか舌がむずむずした。
 なんというか。不味くはないんだけど、こう……不思議な味だよなぁ……。


「カラハ・シャールでもこんなの見なかったよ」

「エリアスは、カラハ・シャールの出身なの?」

「そ。カラハ・シャールの市場はすごいよ。領主のシャール家が自由を重んじてるから、貿易が盛んでいろんなものや人が集まる」


 港が無くとも商業の中心を担っているのは、とてもすごいことではないだろうか。若き現領主のクレイン・K・シャールも大変気さくな人柄で、よく気軽にケーキを買い求めている姿が目撃される。日夜流動するカラハ・シャールの市場は、いつ立ち寄っても飽きないだろう。


「ジュードの故郷は?」

「ル・ロンドだよ。孤島の小さな町だし、カラハ・シャールみたいな、人を惹きつけるスポットは無いなあ……」


 そう、肩をすくめて苦笑するジュード。ル・ロンドもかつては鉱山の町として栄えていたが、今は二か所とも廃坑になっていて、すっかり静かになっているらしい。けど、あの島で、あの座標でしか見れないものが沢山あるに違いない。穏やかな土地を気に入って移住する人も多いと聞いている。


「ル・ロンドは夜域の終わりにあるんだよな。ル・ロンドの空ってどんな感じ?」

「えっと、夜と青空で二分されてる感じ、かな。藍色のグラデーションが見えるよ」

「へえ、すごいきれいなんだろうな……!」


 イル・ファンの夜域も、その街並みと合わせてとても美しいが、空の境目もきっと驚嘆するほど綺麗なんだろう。すると、数年暮らしたハ・ミルの暁域も、この国の人々にとっては憧憬に値する光景なんだろうなと、少し得した気分になった。
 人と話し、外の世界を知る。傭兵や商人は機会を手にすることも多いだろうが、学生である俺たちや、拠点を築いた医者にとっては遠い話だ。ル・ロンド、カラハ・シャール、イル・ファン、そしてア・ジュール国。世界にはまだまだ知らない顔がある。旅医者を夢見たことが無いわけではない。けれど自分にははっきりとした目的意識があったし、身を守る術も、旅の知識もない。ただ旅人に羨望の眼差しを向けるだけだ。


「――っと。おーわりっ!」

「お疲れさま、エリアス。僕が引き受けたことだったのに、手伝ってくれてありがとう」

「いいって。時間あったし、ジュードと話せて楽しかったし。報酬も貰っちゃったしな」


 くわえたままの飴を指差し、にやりと口角を上げれば、ジュードも小さく笑った。
 いつもの癖で、まだ大きい飴をがりりとかみ砕く。残った棒をごみ箱に捨てる俺と違い、ジュードは最後まで舐めきるタイプらしい。ジュードの癖その……何個目だっけ?

 俺との相違点というか仕種というか、知らない一面を垣間見るのはやはり嬉しかった。誰かの存在が自分の中で確立していく感覚は、同時に安心感と似たものを生む。妙なもどかしさも、きれいに消してくれる。
 ……ああ、そっか。これって全部、今の俺の立ち位置だからこそ分かることなんだ。俺にもジュードにもいろんな人との繋がりがあって、それぞれに思い出として残っていく。友達と過ごす時間を積み重ねていく。ちゃんと俺の中にはジュードがいるし、きっとジュードも俺を覚えていてくれる。
 うん。それでいいんだ。


「どうかした?」

「んーと、秘密?」


 僕に聞かれても困ると、眉を寄せるジュード。ごまかすように紙束を持ち上げて駆け出す。慌てたジュードの声に何かをぶつけた音が続いて、ちょっと笑った。思考にかかっていた靄は、もうとっくに晴れていた。





'120327
ちょっと欲張りになるはなし。ハ・ミルの暁域、イル・ファンの夜域とありますが、カラハ・シャールは何域に当たるんでしょうか…。
日付設定を整理するとこんな感じです↓
2の日→01・02 / 3の日→03 / 4の日→04 / 5の日→05・06


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