タリム医学校の受付窓口は、外来患者用と学生用で分かれている。更に事務室はその奥にあり、エリアスは起き抜けの頭を一つ振って、その扉を叩いた。


「こんにちはー。住所変更の紙、貰いにきました」

「あら、エリアス・ベインくんね。話は聞いているわ、少し待っていて」


 にこりと、眼鏡をかけた妙齢の女性職員に手招かれて、そろりと事務室に入る。
 色の濃い銀髪で、校内ではあまり見かけない人だった。目鼻立ちがすっきりとしていて、失礼ながら、化粧で損をしているように見える。不自然ではないけれど、元々の顔つきとは違って見えている気もした。女性の化粧テクニックは恐ろしい。
 けれどやっぱり、こんな人いたっけなぁ。そう首を傾げたところで、半年近く隣に座り続けていた同級生の顔も覚えていなかったと、自分の頭の頼りなさに少し反省した。


「今はどこに泊まっているの?」

「同い年の友達ができて、彼の部屋に居候してるんです」

「ああ、あの有名なジュード・マティスくん」


 相槌と共に差し出された書類を受け取る。ちらりとネームプレートを覗くと、ミサリア、と書かれていた。
 事務員のミサリアさん。あまり事務室に来ないとはいえ、やっぱり見かけた覚えがない。俺やジュードは元々目立つポジションだし、特に俺は、家事の一件でしばらく悪目立ちをしているけれど、事務員さんとは生徒名まで覚えているのだろうか。


「すみません、ありがとうございました」

「いいえ。あなたたち、これから実習が始まる学年でしょう? 頑張ってね」


 にこりと静かに笑む彼女は、やっぱり美人だ。お化粧、少し薄くしたほうが似合うと思うんだけどな。濃いというより、なんだか違和感があるのだ。
 とはいえ、隠したいコンプレックスくらい誰にでもあるだろうし。少し談笑を交わして、挨拶をして普通に退出した。



 そしたら。


「あれ、エリアス?」

「お。お疲れジュード」


 もうすっかり馴染んだ顔に手を振ってみる。両手いっぱいの紙束と参考書を抱え、医学校の制服に身を包んだジュードが、きょとりと瞬いた。


「おつかれさま。エリアス、事務室に行ってきたの?」

「そ、コレ貰ってきた。ジュードはこれから研究室?」

「あ、うん。ちょっと確認したいことがあって」

「そういえば、実習来週からだもんな」


 実習は、所属研究室の教授の元で行われるから、ジュードの場合はハウス教授だ。教授は最近何やら大変な発見をして、研究に忙しいと聞く。ジュードはハウス教授を心から尊敬しているし、研究の助手にも尽力するのだろう。そして彼自身、将来は立派な医療従事者に成長する。
 同い年で、それほど優秀な人間が近くにいて、感化されないわけが無い。エリアスには切実な願いがあって、がむしゃらに医学校へ入学した。勉強するうちに、切迫していた気持ちが、叶えたい夢に変わりつつあって、とても落ち着かない気分になるのだ。


「そうだ。ジュードは、卒業したらどうするんだ? 実家に帰るのか?」

「僕は……漠然と、医者になりたいってだけ思ってただけで……。はっきりとした将来なんて、考えたことないんだ」


 情けない話、だよね。コツンコツンと廊下を歩きながら、ジュードはふと、顔に影を落とした。そうなんだ、と相槌を打ちながらも、エリアスは少し意外だと思う。
 てっきり、ジュードの真面目で直向きな姿は、確固たる夢に基づいた原動力があるからだと思っていた。エリアスだって、夢があったから頑張らねばと奮起したし、いつだって夢が背中を押していた。だから勝手に、みなそうであると思っていた。


「……じゃあさ。実習の間に、何か掴めるといいな」

「え?」


 きょとりと瞬く蜂蜜色の瞳は、今にも発光樹の光に溶けてしまいそうだった。
 すごいな、と素直に思った。夢がなくてもここまで自分の力でこれたのなら、いつか彼が夢を見つけた時、果たしてどれほどの勢いで突き進んでいくのだろう。


「そりゃ、最初から夢があったら、迷わず真っ直ぐ進めるかもしれないけどさ。せっかく医師の仕事に触れる機会なんだから、たっぷり考えさせてもらえばいいんだよ」

「……そうだね。うん、そうしてみる」


 少し照れくさそうにはにかむ少年は、きっと将来いろんな人をたらしこみそうな柔らかさだった。おそらく立派なマダムキラーに成長するだろう。自分の気恥ずかしさをごまかすように、ジュードの背中をぽんと叩く。


「ありがとう、エリアス」

「どういたしまして? そう大したことは言ってないけどさ」

「ううん。僕、すごく嬉しかったから」

「そっか」

 顔を付き合わせて、思わずにやりと笑ってしまった。あまり自分の気持ちや考えを表に出さないジュードから、ありがとうと言われるだけで、エリアスは認められたような気がして密かに嬉しかったから。
 友達でいたいと思う相手と対等でいれるという安心感と、相手の中に自分の存在がある確信。混ざり合った二つは、言葉にし難い温かさで、胸を満たしていく。


「じゃあ、また後でね、エリアス」


 ひらりと振られる手は、想像よりも大きかった。俺には良い友達ができたんだぞ、と、誰にでもなくにやりと笑った。




'140618
(ミサリア=ミンクさんです。ミサリアという名前は捏造です。)

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