※アニクダさんが狼、夢主が兎。
※
この設定を微妙に引きずってます。
※十五夜ネタです。
※ぬるい流血表現があります。
「いい?今晩は絶対僕の部屋には入っちゃいけないし、誰がドアをコンコンしても開けちゃいけないよ」
「絶対?」
「うん。絶対」
「…一人でおやすみしなくちゃいけないの?」
「できるかな?」
「……うん」
「ナマエはえらいね」
「っ!うん!ナマエ、おねえさんだもん!」
目をきらきらと輝かせて頷く子兎への慈しみから自然と頭を撫でようと伸びた手を、一瞬の逡巡の後に黙って降ろした。体調がすこぶる悪かったし、まだ昼間とはいえ油断はできないからだ。幸い僕に撫でられなかったことについて子兎から不満の声はあがらなかった。
目線を合わせるためについていた膝を伸ばし腰を上げる。窓から見える空は抜けるような青だ。僕の気持ちは反比例するようにどろどろと沈んでいる。
ナマエは僕の一言にふわりと喜んで、ぴょんぴょん跳ね回った。「こら、家の中で走り回らない。危ないよ」「おねえさんだもん!」ああもう、この兎は。奔放で幼くて、どこまでも無垢だ。…僕が、僕が守らなくちゃ。
まだ大丈夫。くらくらと痛む頭を押さえて、大きく息を吐いた。「クダリ…?」僕が怒っていると思ったのかナマエはぴたりと動きを止めて僕の顔を覗き込んだ。まだ、大丈夫。
「ほら、晩ご飯の準備をしよう」
「えー?まだお昼だよ?」
「僕は今日は早く寝るから先に作っちゃおう」
「今日はなに?」
「今日はシチュー。ナマエおねえさん、手伝ってくれるかい?」
「手伝う!」
ナマエは僕がお願いした食べ物を戸棚から持ってきた。キッチンに立つには少し背が足りない。しばらく流しに向かう僕の周りをちょろちょろとうろついて、左足にひっついて落ち着いたらしい。「にんじんいれてね、にんじんいれてね」「はいはい」軽く足を揺さぶりながらねだる子兎のお願いを聞きながら、にんじんの皮をむく。
今夜は、十五夜だ。
綺麗な満月。
もちろん満月なんて年に12、3回ある。別にどうってことない。
でもそれはただの満月だった場合の話。この日の、十五夜の満月は僕らにとって重要な意味を持っていた。
十五夜の美しい満月は、月の巡りは、僕らの種族を酷く惑わせる。魅惑して、惹き込んで、狂わせる。普通の満月の日なら、食肉の欲の特別薄い僕は他の仲間と違って難なく平静を保って一夜を過ごすことができるけれど、十五夜となれば話は違った。…普段は生き血を飲めない僕も、この日に限れば狩りをして動物を喰い殺すことができる。できる、と言うよりかは、してしまう。身体を突き動かす抗い難い力に、理性が追いつかない。
今夜ばかりは、ナマエを視界に入れればどうなるのか、僕自身にもわからない。だからといってこの小さな兎を外に出すことも、ここに一人きりで置いておくこともできない。狂暴な狼が、ここにはたくさんいるのだ。…例えば彼女の親を喰い殺したような。
あの日も確か満月の日だった。咽せるような血の匂いに目をやった先には、月の明かりに浮かび上がる赤と、茂みの間で小さな身体をさらに縮めている子兎。
…彼女が僕の仲間の手で親を奪われたのは一目瞭然だった。運がよかったのか悪かったのか、子兎は一人生き延びて、草陰でふるふる小刻みに震えている。
僕はなぜか彼女を家に連れて帰った。抱き上げてもなお僕の腕の中で抵抗することなく震える兎。放っておけなかったのだ。回復するまで世話をして、離してやればいいと思った。
それからすぐに元気になったナマエの面倒をなあなあに見続けて、ぐんぐん成長して。赤ん坊だった兎は今ではすっかりおてんばでいたずら好きの子兎だ。兎の成長って早い。
一つだけわかっているのは、僕がナマエにどうか無事でいてほしいと、どうしてか心底思ってしまっていることだった。
「よし、できた」
「見たい!見せて!」
ぱしぱしと僕の足を叩くナマエを抱き上げて鍋の中身を見せる。「ふあー!もくもく!」夕飯は一緒に食べられるかな。だめそうだったら取り分けて置いといてあげよう。冷めてしまうけれど、仕方ない。
◇「ふっ、はぁッ、うぐ、」
口の端から零れる涎も荒い息も、止めることはできない。カーテンを締め切ってうつぶせに机に突っ伏しているけれど、それでもまぶたの裏にありありと美しい円い月が浮かんでいる。苦しい苦しい苦しい欲しい。結局ナマエと一緒に食べたシチューは、僕の胃袋で全く存在感を放っていない。欲しい。全身が渇いて疼く。
用意していた兄さんに貰った肉を少しずつ口に含むけれど、気持ちばかりの効果もなかった。死肉や干し肉ではこの渇きを潤せない。
熱い。何度も時間を確認するけれど、その度一刻だって過ぎてはいなかった。早く終わってくれ。苦しい。目と目の間のあたりに意識を集中して気を紛らわす。
きしり、
「来るなッ!」
「ひっ」
ナマエの小さな悲鳴がドアの向こうから聞こえた。床が軋む音。…それと一緒に、微かな兎の匂い。
「っナマエ、お願いだから、大人しく寝ていてくれないかな」
「違うの、クダリ、あのね」
必死に声を落ち着けて諭す。限界が近い。僕の頭が警鐘を鳴らす。これ以上はまずいと。僕の怒声に怯えたらしいナマエはおどおどと言葉を繋いだ。
「コンコンじゃないの。ドンドンなの。それに今晩のお客様はドアじゃなくて私のお部屋の壁から入ってくるつもりみたいなの、怖い…」
しまった。匂いと渇きに神経を集中するあまり、音に気がいかなかった。耳を澄ますと…確かに壁を揺らす音が、近い、これ、ナマエの部屋じゃない
「きゃあっ!!」
「ナマエっ!」
飛び起きてドアを破るように開ける。目の前には壊れた壁。兎に飛びかかる狼。目を見開いて動かない兎。反射的に首根っこに牙を剥く。「がァア!」怯んだ狼は飛び退いた。滴った血が、一時僕の喉を潤す。
「…鼻が、利くんだね」
微かな兎の匂いを頼りにここにたどり着いたのだろう。ナマエのことを知っているのはノボリ兄さんくらいだ。狼は荒々しい呼吸を繰り返す。
「これ以上痛い目を見たくなかったら、出て行ってくれないかな」
「お、前!!うぐッ、仲間、だろ!独り占めするのか!」
「…ここは僕の家だ」
血が、弱った狼の喉元を流れ落ちる。ぽたり。床を染める。赤い。美味しそう。おいしそう。
オイシイ。
「クダリっ!!」
狼の喉に飛びつく僕の横腹を小さな身体が突き飛ばした。一歩、届かなかった。狼はキャンキャン吠えながら逃げていく。血の匂いも遠ざかる。喉が渇いた。それに従って、兎の匂いが、濃くなる。
「……ナマエ、いいから、逃げて。僕の部屋。入って、鍵閉めて」
「いや!」
「早くッ!」
腰のあたりでびくりと僕の声に合わせて震える塊。じんわりと暖かさが染みる。柔らかくて、ふわふわしたそれはそれでも僕に必死にしがみついている。僕は床に爪を立てて、歯を食いしばる。
「見た、だろう!っ僕は君の両親を殺したのと同じ、獣だ!」
「違うもん!」
「違わない、お願いだから、ナマエ」
「違う、クダリはまたわたしを助けてくれたもん…」
「…あれが美味そうな肉だったから、だよ。ナマエ」
「だったらわたしを食べたらいい」
目を見張る。ナマエはもぞもぞと僕の体を這い上がって、胸に手をついて跨った。
「ナマエ…ナマエは自分が何を言ってるのかわかってないんだ」
「わかってるよ。わたし、おいしそうなんでしょ?」
ぴったりと目があう。壊れた壁から入る月明かりを反射して、ナマエの潤んだ瞳にも月が浮かんでいた。苦しい。ナマエはもう知っていたのだ。僕が親を喰い殺したものと同じ獣であることを。うるうると揺れる瞳の中心を、揺れることのない強い意志が貫いている。この小さな兎は、ずっとそう心に決めていたのだろうか。
心臓が壊れるほど激しく脈打つ。ピクピクと全身の筋肉が痙攣する。やめてくれ。お願いだから。君を、食べたくなんてないんだ。
「クダリに助けてもらえなかったら、元々なかったいのちだもん。クダリにだったら食べられてもいいの。クダリ以外に、食べられたくない」
「ッが、はァア゛あああ!!」
「…クダリ、苦いの…?痛い?いいよ、」
ナマエはそっと上体を倒して、僕を押し倒したような格好で、僕の首筋に額を埋めた。あったかいいい匂いが鼻をくすぐる。
もうだめだ。僕には押し返せない
ぽた、
生暖かい雫が僕の首筋ではじけた。
湿った吐息が肌を撫でる。すん、鼻をすする音が耳にこびりつく。ナマエはやっぱり小刻みに震えだした。とめどなく僕の首を濡らす水滴。
…ああもう、この兎は。強がって、背伸びして、怖いのに無理をして。
はぁー、全身の力が抜ける。床板をはがしかけていた両手を慎重にナマエの背中に回した。びくん、大げさに跳ねた肩を撫でて、体を起こす。
「く、くだり…?」
「…なんかもうお腹いっぱいになったみたい」
「そうなの?」
「うん」
あからさまに安堵の色を浮かべた顔を引き寄せる。反射的にぎゅっとつぶられた目から落ちた涙に誘われて、べろ、と頬を舐めあげた。「ひゃ」おいしい。反対側も舐めとる。「クダリ、くすぐったいよ」美味しい。
僕にはわからないことだらけだ。ナマエの涙は僕の渇きをひどく潤してくれる、らしい。「一緒に寝てあげよっか」僕にしがみついたままいたずらっぽく笑うナマエをそのまま抱き上げる。壁の修理は明日にしよう。自分の部屋に入る。「お願いしようかな」「今晩は絶対にだめなんじゃないの?」「だって食べられてもいいんでしょ?」「たべられちゃうの?」にわかに緊張した子兎の頭をゆっくり撫でて、後ろ手にドアの鍵を閉めた。
月の鏡に映る兎の影は狼と仲良く寄り添っているらしい「クダリ!ナマエと床を共にしたとは本当ですか!」
「ぶーッ!誰に聞いたの?!」
「クダリ、ずっとぎゅうぎゅうしてぺろぺろするからわたし全然寝られなかった」
「ナマエっ!!ちょ、っと待って、その話は二人の時にしようね!」
「二人の時…」
「兄さん、誤解だから。ゴミを見る目で弟を見ないで」
「ロリコンの弟を持つ兄の気持ちがわかりますか」
「ろっり、こんじゃないから!違うから!ナマエだけ、ってそういう意味じゃなくて!!ああ待って、誤解だってば!!」