ブチャラティの家に居候させてもらうことになってかれこれ2週間が過ぎた。
その間に私は風邪を完治させ、今は普段あまり家に居ない彼の変わりに掃除や洗濯をする……まるで家政婦のようなことをしていた。

いつものように今日も掃除をしていればふと壁にかけられたカレンダーに目がいった。
特徴的な字体で書かれたその数字は2000を指している。

『…たしか、原作が2002年だったよね。』

ブチャラティと出会ったことで自分が置かれた境遇に私は気づいていた。
一体どうしてなのかは理解できないが、異世界――それも、あの有名な漫画とそっくりな世界にだ――来てしまったようだ。
この世界が漫画の世界だと考えれば奇妙なことの全てに、納得することが出来た。

例えば……髪色も肌の色も明らかな西洋人なのに、町の者全てが日本語を話していること。
ゴミ箱やベンチなどといった公共の場所に備え付けられたものは勿論。本や新聞などの全てには何故か日本語で文字が書かれていること等…
そういったこと全てに始めは疑問を感じていたのだが、ここは漫画の世界なのだと認識すればそれらにも納得することができたのだ。


ガチャリ
鍵の開く音が聞こえた。振り向けばブチャラティがいた。
おかえりなさい、と声をかける。
ただいま、と彼は言った。



『ナオ、レストランで働く気はないか?』

帰ってきたかと思えば、急に彼はそんなことを私に問いかけてきた。どう意味だと問えば、そのままの意味だという答えが返ってくる。
働く気も何も、このまま一生彼の家に居候するわけにもいかない私は"Yes"と答えるという選択肢しか残されていない。
だがら私は素直に"Yes"と答えた。
彼は小さな声で『そうか』と答えると『出かけるぞ。』と言った。いってらっしゃい、と私が言えば『お前も一緒だ』と彼は言う。
思わず目を見開かせれば手を引かれ、何かを言うよりも先にドアを潜り抜けていた。

そして手を引かれるがままについていった先はどこかのレストラン。
扉を開ければパスタのソースなのだろうか。トマトや野菜を煮込んでいるようなとても良い香りが鼻腔に届く。

『おや、今日はお二人なのですね。』

ドアのすぐ傍にいた給仕係と思われる男性が珍しいとでも言うかのような表情でそんなことを言った。
そして同時に彼は私とブチャラティをどこかの席へ案内してくれる。

――あれ、此処、見たことある?
ふと、そんな言葉がよぎる。
目の前に広がる白い布がかけられたテーブルや、適度に装飾された椅子。
それらがほんの一コマだけ漫画に映ったのを、私は見た記憶があった。


『1人、アルバイトを募集していましたよね?』

コップに冷えた水を入れて差し出してきた給仕係の男にブチャラティは静かに問いかけた。男はにこやかな笑みと共に『えぇ、募集していますよ』と答える。

『彼女を、雇ってはもらえないだろうか。』
『え、』
『こちらの方…ですか。』

ブチャラティの言葉と共に給仕係がこちらを見てくる。思わず変な声を出したが、そこは気づいていないようだ。
『年齢は?』と問われて咄嗟に2歳鯖を読んで『18です』と答える。
飲食店で働いた経験はあるか、と問われて3度ほどあると答えれば男は『では、店長に伝えますね。』と言い残してテーブルから去った。

男が差し出した水を飲みながら私はブチャラティに『どうしてそこまでしてくれるの?』と二週間前にも問いかけたことをまた聞いてみた。
今度は答えてくれた。

『いつまでも、俺と一緒にいてはいけない。金が無いのなら働けるところを探して、金を貯めてさっさと出て行ったほうがいい。』

ブチャラティは静かにそう言った。

暫くして給仕係が料理と共に戻ってくる。
差し出された温かな料理に『一体何時の間に頼んだのだろう』と私が疑問に思っていれば、不意に給仕係が彼女に小さな紙切れを差し出す。
紙切れには『翌日の10:30にこの場所に来ること』と(何故か日本語で)書かれていた。

思わず給仕係の顔を見れば彼はまたにこやかな笑顔を浮かべて『採用、だそうです』と静かな声で言った。


これがご都合主義ってやつですか
(なんて甘い、世界なのだろう。)




 
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