この国へ来てから約一週間ほどが経ち、怪我はすっかり治った。
もう足は痛くない。夜、ふいに訪れる不快感以外は、概ね身体は健康優良児そのものだ。
声は相変わらず出ないが、二週間も過ごせばさすがに慣れてくる。別に出なくても困らないし、向こうだって困っていないようだったし、何より無駄に過保護にされていることを除けば、この国は居心地が良かった。
温暖な気候に、清潔な衣服に、温かい食事。
手持無沙汰だが、最近は幹部の人間たちの手伝いも許可されている。

至極平和な、穏やかな日々。

そんな日々に少しずつ慣れてきた頃。ヤマトの農場を手伝っていると、急にピュールがやってきてある提案をもちかけてきた。

「ロゼッタ!ちょっと街へ行かないか!?」

明るく元気な声は、ローゼリッテの好奇心をしっかり刺激したようで。
すぐにこくりと頷くローゼリッテに、「よっしゃー!」とピュールが満面の笑顔で喜んだ。







「何でヤマトも来んだよ、聞いてないぞ」
「勝手に許可されてない密輸品が売り出されてたら困るじゃん。あとそれと、お前と二人きりとかマジでない」
「それが本音か…」

昼下がり、ピュールとヤマトに手を繋がれ、ローゼリッテは城下町を歩いていた。
城下町、と言うよりも商店街に近い街並みは朝から人がせわしなく動き回っている。荷物を運ぶ者、声を掛け合う者。そのどれもがきっとごくありふれた街の風景で、ローゼリッテにとってはまるで別世界を見ているような物珍しさがあった。
実のところローゼリッテはふたりに手を繋がれるのを最後まで渋っていたのだが、結局、どちらも離してくれなさそうなので諦めた。小さな子どもじゃないんだから。そんなことは言えないけど。
街へ出てくる途中、リドルに「美味しいお菓子買って来てー」と言われ、シュウに「何か変わったのあったら買って来て」と言われ、多めのお小遣いも持たされたのも不服だ。別に欲しいものはないし、何かをせがんだ覚えもないのに。確かにお金は持っていなかったが、感謝よりも戸惑いの方が大きいのが本音だった。
正直、甘やかされるのは苦手なのだ。
手を引かれるのも。施しを受けるのも。その見返りを求めるような人たちではないと分かっているが、やはり、長年身についた𠮟責の跡は胸の中に燻っている。
イエスと答えても、身体に毒を塗りたくられるような環境だった。それを不幸とは思わないけれど、今なら、人がいた環境ではなかったと理解できる。

「お、ピュールさん、ヤマトさんと…」

ふいに、誰かから自分たちに向けて声がかけられたのが分かって顔を上げた。
声をかけてきたのは若い男だ。ローゼリッテがきょとりとしていると、男は、あんぐりと大口を開けてその場に固まってしまう。

「ふ、――副隊長!!」

いきなり大声をあげられ、びくりとローゼリッテは肩を震わせた。
その声を引き金にするように、あちらこちらから大勢の人が集まってくる。その多くは男で、時折、涙ぐむような声も聴こえて来てローゼリッテはオロオロとピュールとヤマトを見上げる。

「あー、しまったな。ヤマト」
「そうだね…」

『ローゼリッテの人気っぷりを忘れてた』

はー、とふたりがため息をつく間もなく、ローゼリッテが人だかりの中に飲まれていく。
ローゼリッテは目を回していた。記憶がない、分からない、と言いたくても声は出ない。矢継ぎ早に色々な質問をされ、ややあって、ピュールとヤマトがひょいっとローゼリッテを救出した。

「おいおい、お前らシュウが言ってただろ」
「聞きましたけど…!声も出ない、記憶も奪われるなんて…」
「しかもこんなに小さくなって…」

小さくはなっていない。確かにまともな食事を摂っていなかったので痩せたが、断じて言うが小さくはなっていない。

「確かに、こんな小さかったっけって感じはあるけど…」
「やっぱり…!副隊長、これ食べてください!」
「うちのクレープも!」
「これうちの野菜です!」
「最近入って来たお菓子も!」

今度は質問の代わりに、ぐいぐいと物を押し付けられてしまった。
こんなに食べれないし、頂けない。そう言って返したくても、声の出ないローゼリッテには首を横に振るのが精いっぱいで。

「幹部の人たちは遠慮なんてしないのに遠慮するなんて…」
「天使!」
「大天使ローゼリッテ様!!」

そして悪化した。

その上、謎の宗教団体(ファンクラブ)が結成したのは、ローゼリッテのあずかり知らないところである。





元部下から激烈な歓迎を受けたローゼリッテは、街のはずれにある公園でクレープをもさもさと食べながら据え目でベンチに腰かけていた。

疲れた。

本気で疲れた。人に揉まれるのはある意味戦場よりも辛いかもしれない。身体的にも精神的にも疲弊したローゼリッテに、ヤマトが買って来てくれたらしい水を差しだしてくれる。

「お疲れ、ロゼ」
「……」

こくりと頷くと、ヤマトはよしよしと頭を撫でてきた。
苦手な子ども扱いだが、今は甘んじて受け入れる。目を細めているローゼリッテに無言でヤマトが悶えているが、よくある光景なのでピュールは突っ込まなかった。

「いやー、買い物どころじゃなかったな!」
「視察どころでもなかったね」
「まぁ、俺らの国民に悪い奴はいないけどな!」

にかっと笑うピュールに、ローゼリッテは少し逡巡したあと、再び頷いた。
そして、「い・い・ひ・と・ば・か・り」と唇を動かす。それが伝わったのかは分からないが、ピュールが照れたように頬を赤らめるので、言って良かったとローゼリッテは胸を撫で下ろす。

「まぁほとんどみんな元々は軍人だしね」
「よく商売始めようと思ったよなぁ、アイツら」
「国民の中には先輩もいるしね」

そのみんなが、ほとんどが、ローゼリッテのために『二の国』を抜けたことを、ピュールもヤマトもあえて言わなかった。
記憶のないローゼリッテに、どこまで話しても大丈夫なのか未だ掴めずにいる。話せば戻ってきれくれるだろうか。――その保証もないのに。もし戻らなければ、今のローゼリッテの重荷になってしまう気がして。

ザラは、もう記憶が戻らなくてもいいと言い切った。

またやり直せばいいと。一から作り上げればいいと。

そんなの、言われなくたって分かっている。

でも、嫌だと思ってしまうのも事実だ。またあの時みたいになりたいと。好きな気持ちは変わらないのに、別人に恋をしているような違和感は拭えない。

「…ロゼッタ」

それでも。

俺、あの時すげぇ怖かったよ。

でも、矛盾している。お前が殺される相手を指名したのが俺で良かったとも思ってる。いや殺させないけど。好きだから、好きな分、守りたいけど。
けど、あの時手を掴めなかった俺だから。
守れなかった俺だから。

今度は、もう、離してやるもんかと心に誓った。

「俺な――」
「………!」
「え」

ピュールが想いを伝えようと口を開いた瞬間、ローゼリッテが、突然地面を蹴って走り出した。
その余りの速さに、ピュールだけでなくヤマトも置いて行かれる。先に反応したのはヤマトだった。慌ててピュールが立ち上がると、もう、既にローゼリッテの姿は見えなくなっていた。

「…お前昔は足遅かったじゃねぇかよ!!」

声を上げても周りには誰もいない。
抜け駆け禁止令のことを思い出しながら、少しだけ言わなくて良かったとも思いながら、やっぱり言えなかったむしゃくしゃをかき消すようにピュールも公園から抜け出した。



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