熱は、3日で下がった。
足はまだ治りきっていない。それでも、可笑しなくらい回復速度の速いからだはもうほとんど戦争を始める前と変わりない。
それでもベッドに縛り付けられているのは、どうも心配をされているようで。確かに怪我の後遺症か、声が出なくなったのは不便だが肉体自体はもうほとんど治癒している。
前にいた国では、こんな何日もベッドにいるなんてことあり得なかったのに。

動きたい。暇だ。何もしないから、大人しくしてるから、少しだけ身体を動かしたい。

そう視線で訴えてみれば、はぁ、と軍医はため息をついて誰かに電話をかけ始めた。

――その後。

またあの時のように大勢に詰め寄られ、ローゼリッテが目を白黒させたのはつい先ほどの話。







この国は、『unknown』――名前のない国だと言う。
「我々の国」とみんなが言うので、『名のない国』と覚えることにした。変な名前だが、誰も彼が口を揃えてそう言うのだからローゼリッテもそう受け入れることにしたのだ。別に、名前があったってなくったって何も変わらないし、構わないから。

人質、性処理道具、スパイ、――それともただのきまぐれか。

まるで客人のように手厚く扱われ、食事も摂らせてくれ、衣服も新しいものを揃えてくれた。
怪我の手当ても丁寧にしてくれたので足もほとんど痛くない。さすがに走ると軋むような痛みを訴える時があるが、この国の人間たちはまず走らせてくれなかった。ダメだよと優しく諭され、抱き上げられて移動する羽目になったのでそれきりローゼリッテも大人しく歩いている。

――国に帰っても末路は碌な物じゃない。

だったら、もう少し、放り出されるまで。……許されている間は、ここにいよう、と決めたのだ。





「俺の担当は食糧管理だよ」

医務室でどのようなやり取りが交わされていたのかローゼリッテの知るところではないが、ヤマトと言う男が初手を勝ち取ったらしい。
ヤマトは簡単な自己紹介を告げると、部下らしき人たちに指示を与えながらローゼリッテを案内してくれた。
案内された場所は城のはずれにある農場で、小麦や芋、それと外壁沿いに豚や鳥を飼っているようだった。
どうやら几帳面な性格らしく、キッチリと小麦、芋、そして花、と区分されている。動物にも名前をつけているようだった。家畜に名をつけるとあとが大変そうだとは思ったが、口をきけないローゼリッテは親し気に豚に話しかけるヤマトをじっと見守る。

そういえば。

ふと、思った。あの国で、私は名前を呼ばれたことはなかったな、と。
ただの番号だった。記号の羅列だった。少なくとも、後に処分されることが分かっていても、名のない自分は家畜以下なのではないかと思う。

「ロゼ?」

不意に、ヤマトがローゼリッテの髪に触れた。
どくりと心臓が脈打つ。不安げにローゼリッテがヤマトを見上げると、ヤマトは穏やかに微笑んでおいで、と再びローゼリッテの手を引いて歩き出した。

「せっかくだから、一緒に仕事しよう」
「………」
「その方が気、紛れるだろ?」

尋ねられ、こくりとローゼリッテは頷く。確かに、身体を動かしていると余計なことを考えなくてすむかもしれない。
今までの代償か、口のきけない身体は不便で仕方ないが、ヤマトは気にせず、ローゼリッテの反応を見ながらゆっくりと説明をしてくれる。

「お、仕事してるじゃん」

小麦を前にして屈んでいると、ぽすりと頭の上に大きな手が降ってきた。
顔を上げると、確か、ザラと言う亜麻色の髪の男が人懐こい笑みでローゼリッテの頭をくしゃりと撫でた。

「…早くね?」
「そんなことねぇよ。ロゼ、俺とデートしよう」

デート、とは。

ぽかんとザラを見上げていると、今度は、城の中から「ロゼッター!」と大きな声が響き渡った。

「ロゼッター!ろぉぜったぁぁー!!」
「うるせぇ、ピュール!」
「お、いたいた!ロゼッタ、俺が呼んでるぜ!」

がらりと勢いよく開け放たれた窓から身を乗り出して、明るい笑顔で金髪の男が手を伸ばす。
先日、ローゼリッテが思い切り噛んだ男、ピュールはローゼリッテが寝込んでいた時も賑やかしく話をしてくれたうちの一人だ。ローゼリッテが困り顔で3人を見比べていると、ヤマトがふーと肩を竦めてザラをしっしっと手で追いやった。

「ザラ、お前まだ仕事残ってるだろ」
「えっ」
「グレイが呼んでた。行って来いよ。なぁ、ピュール?」

急に話を振られたピュールは「え、え」と戸惑っていたが、ギロリとヤマトに睨まれぽんと両手を打った。

「そ、そうだそうだ!てことで行こうぜ、ロゼッタ!」
「じゃあ俺も行く!」
「ザラは俺とグレイんとこ」

ぎゅううと耳を引っ張られ、ザラがヤマトに農場の入口へ連れて行かれる。
ローゼリッテはぽかんとしていたが、いつの間にか窓から出て来ていたピュールに手を引かれ、はっと我を取り戻した。よく分からないが、ヤマトがいなくなってしまったのだからここにいたって仕方がない。

「行こう、ロゼッタ」

にかりと微笑んで、ピュールが歩き出す。
ローゼリッテは小さく頷くと、ピュールに合わせて小走りで後を追いかけた。





「俺は外交と国内管理だ!とは言ってもほとんど挨拶回りだけどな!」

元気いっぱいにここの区域はこうでー、商業地区はああでー、と身振り手振りで教えてくれるピュールの手には、すっかり噛み後はなくなっている。
現在、ローゼリッテたちがいるのは1階の中庭だ。大きな噴水が設置されている場所で、噴水を囲むようにして設置されたベンチのひとつにふたりは座っている。
ふんふんと聞いていれば、気を良くしたのか楽しそうにピュールがにんまりと笑った。次はこの国の何たるかの話をしようとしていた時に、今度はシュウと言う男がピュールの後ろからひょっこりと現れた。

「時間切れだよ。ピュール」
「早くない!?」
「バァーカ。きっちり1時間だよ。ロゼ、今度はこっち」

あぁ、なるほど。
どうやら、時間を区切って説明してくれているらしい。

あのタイミングでザラやピュールが現れた意味が分かった。忙しない。が、よほど自慢の国なんだろう。
新参者の私に自慢したくて仕方ないんだな。きっと。
それだけ、この国は居心地がいいと言う事だ。それは何となく理解できた。最初から。だって、そうじゃなかったら、こんなに楽しそうに自国の話をするだろうか。
――私は、きっと出来ない。

「俺は国民への情報提供。まぁ国の顔ってやつだね」

階段を上がってすぐ右隣りの部屋へ案内されると、そこはマイクや見たことのない機械が置かれている変わった部屋だった。
部屋に入った真正面に、大きなスクリーンがある。今は真っ黒で何も映してはいないが、映写機の類のようだ。まじまじ眺めていると、シュウは眉を上げて嬉しそうに手を広げた。

「ロゼもコレに興味あるか!?」

興味、と聞かれてこくりとローゼリッテは頷いた。
シュウは興奮気味にくるくると指を回してスクリーンの右下、いくつかのデッキが重なった場所を指さして説明を始める。

「まずコイツから音声と映像を取り込んで、街の各家に映像を飛ばすんだ。あ、こっちの機体は取り込んだ映像を編集することもできるよ!色んな写真を重ねて動かしたり、それに……」
「ロゼッタ、話半分くらいでいいぞ」
「げ、何でピュールまで付いて来てんだよ」

シュウは気付いていなかったようだが、ピュールは分かれた段階からすでに付いて来ていた。
仲間内だと警戒心も緩むものなのかもしれないが、ローゼリッテは少し心配になった。ちらとピュールを見上げれば、にかっと歯を見せられローゼリッテはぱちくりと瞬きする。

「アイツな、機械オタクがたたって成長しなかったんだよ」
「な、う、うるさい!お前だって子犬って言われてるくせに!」
「もうりっぱな成犬じゃ!」

そういう問題じゃないような。

ぎゃいぎゃいと言い合いを始めるふたりを止めようか迷っていたが、ふたりがケンカをしながらもどこか楽しそうに見えて、ローゼリッテは上げかけていた手をすっと下した。
この前だって、そうだ。いつだって、この人たちは言い合いをしながらも楽しそうで、その言葉の端々に呪いはかけられていない。
ローゼリッテが、自国でかけられていた言葉は呪いだった。『そうしなければ』『そうでなければ』その思考が、ぐるぐると胸中に渦巻いて吐きそうになるほど。

「あ、そうだ。ロゼ、犬は放っといてコレ見なよ。今までの俺の成果」
「俺も出てたんだぜ!」
「うるせぇ」

突然ずいと一冊のファイルを渡され、はっとローゼリッテは目を見開いた。
その途端、飛び込んでくる情報に、脳が急速に動き出す。

(あ………)

シュウが見せてくれたのは、今まで彼が国民に提供してきた内実の数々だった。

挙げた成果。得たもの。失ったもの。利益。損失。記憶と、記録の膨大な情報。

まるで癖のように頭に叩き込んでいく脳を止めるように、ローゼリッテはぶんぶんと頭を振った。別に、覚えたって持って帰る場所もないんだから必要ない。必要ないのに、“使えるんじゃないか”と、導きだす思考が片隅にある。

「シュウちゃん、そろそろ交代…」
「は?帰れ」
「引き籠ってろ」
「何でふたりとも僕にひどいん!?」

くらくらと眩暈がしそうなローゼリッテの脳内に、また、新しい声が聴こえてきた。
振り返ると、黒髪の…確かメロウと言った男が両手いっぱいに書類を抱えて中へ入ってくる。ちらと見えた書類の文字が『西の国対策』と書かれたもので、ローゼリッテはがつんと頭を殴られたような衝撃を受けた。
段々と蒼くなっていくローゼリッテに気付いたのか、ピュールがそっと肩に触れる。シュウとメロウも同じようにして覗きこんでくるから、ローゼリッテはふるふると勢い良く首を振った。

「ロゼッタ、疲れたか?」
「メロウが来るから……」
「僕が何をしたって言うん!?」

ガーン、と分かりやすくショックを受けるメロウ。ピュールとシュウはそれを無視してローゼリッテを宥めると、「帰ろうか」と提案した。

どこへ?

と。
尋ねなかったのは、口をきけなかったお陰だと思いたい。
ローゼリッテが俯いて黙っていると、メロウは少し考え込んだ後、「あ」とぽんと両手を打った。

「大丈夫やで。前みたいにお前に苦労かけへんからな!」
「え、何本能レベルでロゼの中にお前の面倒くささが刻み込まれてるの?」
「可哀想に、それはしんどいなぁロゼッタ」
「ふたりとも、ひどい!」
「―――…」

まえ、って何。

知らない。分からない。……覚えて、ない。

そう言えば、みんな、そうだ。
最初から、そうだった。

「………」

でも、私は、知らない。
どれだけ記憶を振り返ったって、思い出せない。



――ここは、私の居場所じゃ、ない。



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