―――遠くで、誰かの声がする。



優しい歌が聴こえる。
遠い遠い記憶。それが誰のものかも、果たして自分のものかすらよく分からない漂う水面のような感覚が、瞼の奥をゆらゆらと揺らす。
静かな世界。
穏やかだった。やんわりと真綿に包まれているような。まるで母の腕に抱かれているような、そんな記憶は一切ないはずなのだけれど。
だけど、とても優しくて。
どうしようもなく、温かかった。
それがいったい何なのか、少女には思い出せない。霞がかった記憶。懐かしいような、楽しかったような、悲しかったような。
曖昧な追想。
けれど、ふと、目が開いた時にはそれが幸せなものだったと言う事だけは分かった。

「ん……」

光が少女の緋色の瞳に飛び込んでくる前に、固く冷たい感触が身体全体に伝わる。
コンクリート、のようだった。ひんやりとした、どこか無機質な手触りは寝心地がいいとはとても言えない。
次に、感じた感覚は痛みだった。
足に、焼けるような痛みを感じる。その鋭い痛みのせいで朧気だった脳がようやく晴れていき、今、自分がどこでどうなっているのかを理解する。

――今まで、自分がいた場所は戦場だった。

赤だった。視界いっぱいの赤。飛び散る赤。自分の手が、仲間の手が、敵の手が、――身体が、赤に染まっていく世界。
しかし、どうだ。今の世界は灰色と、薄暗い灯りで満たされている。
あれが夢だったとは到底思えないほど、瞳に映った景色は残酷で現実だった。こんな色のない、こんな静かな場所なんかじゃあ。

(捕まった……?)

脳が、ひとつ、結論を出した。
なるほど。負けたのか。そりゃあ仕方ないな。捕虜になってしまったか。
それなりに頑張っていたつもりだったが、負けて捕まってしまっては仕方がない。
よく見てみれば、服だってボロボロだ。たとえおあつらえ向きでも着ていた防弾チョッキは脱がされ、今は薄いキャミソールドレス一枚になっている。
このまま拷問されるか、殺されるか、…ダメだな。この二択しか出てこない。そもそも、私だったらきっとそうする。敵さんの軍勢はそう多くなかったはずだが、きっと、実力不足だったんだろう。何かが足りなかった。その、何かはよく分からないけれど。
戦場を追おうとすればずきりと痛む脳内をおさえながら、少女は形の良い眉を顰める。

思い出せない。

何も。何があったのかすら。戦場にいた、と言う事は分かった。そこで自分が何をしていたのかも。けれど、肝心な“何”があって、“何故”ここにいるのかがよく分からない。
ただ、負けたことを理解できたのは、幸運だった。

――よし、死ぬか。

敵に情報を与えるくらいなら、敵に蹂躙されるのなら。
そう、少女は教え込まれてきた。だって自分は兵器だから。人ではないから。舌を噛み切って本当に死ぬのかなぁとか考えながらさっそく行動に移そうとしていたら、ドアの外の方から、何やら騒がしい声がいくつか聴こえてきた。

「――だぁから、何でアイツひとりにすんの!」
「いやだって、起きそうやったし呼びに行くやろ!?」
「だったら大声で呼べよ!俺たちが行く前に死んでたらどうすんだよ!」
「どゆこと?」
「アイツだったら自決しかねない――って、うわぁぁ起きてる!!」

ガチャリ、とドアが開くと、3人ほどの男が中に入って来た。
知らない、顔だ。そりゃあ敵国なんだから当然か。
それでも関係ない。思い切り舌に歯をたてる。口の中いっぱいに広がる血の味。でも、まだ切れてない。
もう一度、と冷静に脳が行動を導き出すより先に、雪崩れ込むようにして入って来た男の1人が舌に噛みつこうとしていた少女の口に勢いよく手を突っ込んだ。

がぶり。

あ。

と、

思うより前に、手を突っ込んできた金髪の男が「いってええぇぇ!!」と絶叫を上げた。

「だ、大丈夫かピュール!」
「おおおおおぅ!その前に、おい、ロゼッタお前!バカ!早まるな!」
「大惨事じゃねぇか」

……え、何この状況。

何で敵国の人に怒られてるの。私。
少女がぼんやりと3人を見上げていたら、噛んだ男と同じく金髪の男が少女の前に片膝を立ててしゃがみ込んだ。

「俺の命令なしに勝手に死ぬんじゃない」

……いや、だから何言ってんのこの人。

自分と同じ赤い瞳で真っ直ぐに見つめられ、少女は怪訝そうに眉を顰める。

私は敵。だってお前の仲間殺したし、撃ったよ。大打撃だっただろ?

そう言ってやりたいのに、今更噛んだ舌が痛み出してきて口を開けない。もう一度、とは思うが、口を閉じたまま舌を噛み切ることも出来ず、どうしたものかと固まっていたら金髪に顎を持ち上げられていきなりキスをされた。

「……っ!」

ぐり、と傷口を舌で押し潰されて、思わず肩が撥ねる。
口の中いっぱいに広がっていた血の味が、重なった唾液のせいで少しずつ薄れていくのを感じる。足も痛くて、状況も分からなくて、動けなくて固まっていたら、キスをかましていた金髪がもうひとりの金髪と黒髪にべりっと引き剥がされた。

「おい、それはアカンぞ」
「総統さまぁ〜ん?見つけた時に言ったよな、みんなで可愛がろうって」
「チッ」

相変わらず読めない会話だが、何となく、少女はこの3人の言っていることが理解できてしまった。
いわゆる、慰安婦というやつか。なぜ敵国の私にとか、この国にはそう言う役割はいないのかとか、色々と思うところはあったがそういうことならすぐに殺されなかったのも納得できる。
あぁ、でもそうだったら舌を噛んだのは失敗だったな。喋れなくなった。喘ぎ声っていうのは結構使えるからな。その間に寝首を刈っても、バレないと聞いたことがある。
いっそ今3人を殺すことも考えたが、どうやら足が折れているらしく使い物にならない。話を聞く限りおえらいさんだろうし、もうちょっと泳がせた後で殺してもいいかもな。
向こうに殺す気がないのなら。
これは使える。内心ほくそ笑みながら少女が俯いていると、急に、目の前にうるさい方の金髪が現れて目を見開いた。

「大丈夫かー?まだぼんやりしてる?」

くしゃり、と前髪をかき上げられて、思わず目を細めると金髪はにこりと太陽みたいに微笑んだ。
その笑顔に、どこか、誰かの面影があるような気がして。
口を噤んでしまったのは、痛みのせいだけだと思いたかった。





その後、「お前らに任せられるか!!」とえらい剣幕で怒り散らしたシュウと言う男が少女の体の汚れを落とし、肩を貸してもらってあてがわれた部屋へとやってきた。
その後間髪入れずにザラと言う男とヤマトと言う男が入って来たが、武器も何も持っていなかったようなので少女はひとまず肩を落とす。
あてがわれた部屋も、柔らかな薄赤色のベッドに衣装棚、それに作業机まで備え付けられている。まるでお客様を通すような部屋だ。ただの慰み者にそこまでするこの国はよほど豊かなのか、それとも、ただの阿呆なのか。
少女にはよく分からなかった。だって、湯浴びから上がって用意されていたのは鎖や手錠なんかじゃなく、手触りの良いハウスドレスだったのだから。

「いやー、久しぶりだなぁ。髪伸びたくらいか?変わってないなー」
「足、痛そうだな。明日先生に見てもらおうな」
「ベタベタさわんな!」

ザラに頭を撫でられ、ヤマトに足を撫でられ、どう反応すべきか迷っているとシュウがふたりを威嚇しながら文字通り蹴散らした。

「大体、お前らここに来ること総統に言ったのかよ」
「言ったら止められるだろ。何言ってんだ」
「右に同じく」
「お前ら、自分が安パイだと勘違いするのやめろよ」

むしろ常時警戒態勢だよ、と自分を庇うシュウに、少女はただただ不思議そうに首を傾げる。
ここの人間は本当に意味が分からない。わざわざ名を名乗る意味も、壊れ物を扱うかのように優しく撫でるのも。
固まっていると、またザラによしよしと頭を撫でられて何だか胸の奥がこそばゆいような感じがして視線を濁した。

「なぁ、ちょっと抱きしめてもいいか?」
「殺すぞ」
「俺も殺す。諦めろ。ザラ」
「こんな大人しいロゼ珍しいのに!」

――まただ。

おかしい。ここの人間は時々、何故か自分を知っているような言い方をする。
その意味が、意図が分からず、自分は首を傾げるばかりだ。そして、その言葉を嫌ではないと。…むしろ、少し嬉しいような気がしている自分にも意味が分からなくて。

「………」

いや、ちがう。

自分はただの道具として生かされてるだけだ。いつもと同じ。変わらない。ただの消耗品。
人をまるで虫けらのように殺してきたことも、感情を殺して過ごすことも、それが正しいのだと叩き込まれてきたんだから。

やることは変わらない。

だって、自分の帰る国はあそこしかない。

そう、思い込んでいる自分にも気付いて、喉の奥がきゅっと絞められたようだった。



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