くるしい、と声を上げた。

でも、喉元に添えられた手は外されることはなかった。

怒鳴りつけられて、脳髄から痛みを引きずり出される度、死んでいくような気がした。逃れられないと。それは呪いだと。――それは薬だと。

勝って帰れば、ご褒美がある。

でも、それは、本当に。

“ご褒美?”





「――っ!」

がばりと体を起こすと、どくどくと、心臓が早鐘を打っているのがやけに鼓膜に響いた。
目の奥が、チカチカと光を放っている。そして、熱い。焼けるように、体が熱くてたまらない。

「……あ、」

負けた。
負けたら、ご褒美は貰えない。当たり前のことだ。今まで、自分だって見てきた。負けた人間の末路を。そうならないために、どうすればいいのかを叩き込まれてきた。

ずるずると、這うようにしてベッドから降りる。

足が、痛い。でも片足は動く。帰りたい。でも帰ったら棄てられるだけ。
褒美をもらわないと。そのためには戦果をあげないと。殺さないと。殺さなきゃ。誰を。――ねぇ、誰を殺せばいいの。

バラバラな思考が、身体までバラバラに引き裂こうとしている。

怖い。初めて思った。違う、ずっと怖かった。負けて帰ったら、いらないものになるんだ。棄てられて、きっと、……誰も帰って来なかったのはそういうことだろう?
どうなるのかなんて、考えないようにしてきた。無様でも、媚びてでも、そう生きるのが当たり前だと思っていたから。

なのに、ここの人間たちは。

楽しそうなんだ。笑ってるんだ。仲が良くて、軽口を叩きあえて、――頭を撫でてくれて。

生きていてもいいよって。

そう、言い合っているように思えたんだ。そんなこと、ひとことも言い合ってないのに。

「――ロゼ?」

……そういえば、名前、私、あったんだなぁ。

なぁ、何で名前知ってるの。何で名前呼んでくれるの。
私、自国では『No.45』だったよ。

ずっとずっと、ただの“お人形”だったんだよ。

「お、おい!ヤマト!ロゼが倒れてる!」
「やっぱ巡回してて正解だったなぁ。もー。貸してみろ、運んでやっから」
「は?俺が運ぶけど」
「じゃあ何で呼んだんだよ」
「総統に報告して来いよ」

頭上で交わされる会話を、朦朧とした意識で聴きながら少女はゆっくりと手を伸ばす。
その先。名前を呼んでくれる誰かの肌にひたりと触れると、温かくて。それが何だか、ひどく安心した。そのまま意識を失う少女を抱えて、ザラは慌てて立ち上がる。

「とりあえず医務室だな」
「オッケー、すぐ向かうわ」

時刻は、深夜2時。
いつもなら、固いベッドに幾人かの仲間と共に眠って。



くすりがからだをまわるじかん。





離脱症状、と軍医が下した病状は、あながち間違いでもないようだった。
要するに麻薬だ。快楽漬けにして、戦いで放出するアドレナリンを利用して、身体を塗り替えていく。

「39.9℃…」

軍医リドルが体温計の数字を読み上げると、ぐ、とシュウが唇を噛みしめた。

「全然気付かなかった…。やっぱ一緒に寝るべきだったかな…」
「それは俺が許さないけど…」
「オイ、ザラ。この期に及んで何言ってんだよ」

ついでに言うなら、シュウは自分が一番の安パイだと自負している。仲間には全く信じてもらえてないが。

「やっぱベッドの下に潜っとくべきだったかー」
「オイザラヤメロ」
「お前ら、病人の前で静かにするって選択肢はないんだな」

呆れ顔でリドルが言うと、2人は口を揃えて「だって心配なんだもーん」と合唱した。
深夜の医務室は総勢7人の幹部が集っているが、シュウとザラを除く幹部勢は口を噤んで少女の安否を静かに見守っている。
その中でも、やけに静かなのが総統サマとピュールだ。ふたりともじっとベッドの横に座って、少女の寝顔を眺めている。

そりゃまぁ、無理ないか。

――4年前、ローゼリッテが捕らえられた戦線にいたのが、このふたりだし。

その後すぐ、現総統様――グレイが国に黙ってこの場所を作った。今や独立国家だが、最初はただただ『ローゼリッテを取り戻すため』だけに作られた少数部隊だった。

必死で探している間に薬漬けにされて、あまつさえ自分たちの事も忘れ去られて。

そりゃまぁ自分だって好きだが。想い人が壊されてしんどいんだろなぁと気持ちを推し量ることは出来ても適当な慰めも言えず、そもそも、自分だって腹が立っているのだ。出来ることなら、その国もろとも消し炭にしてしまいたいくらいには。

「………」
「っ!ロゼッタ!」
「起きたか…!」

ふいに、ピュールとグレイが同時に声を上げた。
リドルたちもベッドに近づく。しかし、ようやく目を覚ました少女はどこを見ているのか。全く焦点が合っておらず、ぼんやりと、ただただ天井を眺めていた。

「ろ、ロゼッタ…?」

ピュールが戸惑ったように声をかける。
すると、少女は呼びかける声に気付いたのか、むくりと体を起こすとゆっくりとピュールに手を伸ばした。
自身が噛んだ跡の残る手に触れると、少女は、その手を自分の首筋へと持って行く。
慌てて、ピュールが手を引いた。血の気が引いていくのを感じる。言いたいことが分かるから、分かったからこそ、ピュールはもう一度強く彼女の名前を呼んだ。

「ロゼッタ!」
「……い」
「な、何だ!何だよ、なぁ!」
「ピュール、落ち着け」
「だって…!」
「……しに、たい」

その声は、掠れていて。

「にんげん、の、うちに、…ころして」

それでも、ハッキリと、何を言っているのかが分かって。
思わず、グレイは、ローゼリッテの体を抱き締めた。

「…すまん」
「………や、」
「すまん。…殺してやれない。楽にしてやれない。苦しんでくれ。……お願いだから」

生きて。

ここが地獄でも。それが結果、傷を残すことになっても。

「俺たちと、生きてくれよ…」

――ひどい、言葉だと、思った。

それでも、それが本心だった。何だっていいんだと。

壊れたらまた治すから。
失くしたものはまた探せばいいから。
消されたものはまた作り直せばいいから。

でも、生きていなきゃなにも出来ない。治すことも、探すことも、作り直すこともできない。

生きて欲しい。

側にいて欲しい。

「後悔はさせないから…」

両手で頬を包んで、こつん、と額を合わせる。
子どものころ、よくやったおまじないだ。思えばその頃からずっと好きだった。どうしようもなく。きっと、それは他の奴も同じだ。

「――そうだよ!猛獣どもが怖かったら俺がいるし!」
「俺、めっちゃ仕事できるようになってんで!安心してここおれや!」
「平和ボケがいやだったら俺が相手になるし!」
「怪我の治療もちゃんとするから!」
「何かあったら俺が守ってやるから!」
「当たり前だろ!死なせるか!」

グレイを押しのけて、シュウが、メロウが、ザラが、リドルが、ヤマトが、ピュールが、どどっとベッドに詰め寄ってくる。
潰されたグレイが地の底のような呻き声をあげているが、他の奴らは聞こえているのだろうか。…いや、たぶん、聞こえてないな。

「………」

あまりのことに思考がぶっ飛んだローゼリッテが、決して道具を、ゴミを見るような目でもないその瞳の数に、少しだけ後退して。

「……?」

それでも良く分からず首を傾げていると、なぁ、と全員がほぼ同時に口を揃えて言った。

『お前のことが好きなんだよ!』

――なんて。

そんな御伽噺みたいなことを言うから。

微かにともった胸の灯りが、一気に涙となって溢れてきたのは。

あぁ、ようやく帰る場所を見つけられたからだと信じたかった。

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