――『二の国』、第一会議室にて。
「そうは言いましても、うちもかなりの痛手を負いましてねぇ」
「だからと言って、関税を上げる、と言うのは…」
「では、うちからの輸入品を増やしていただく。これでどうでしょう?」
にこり、と微笑むのは『西の国』の外交大臣だ。
推されているのは『二の国』の外交大臣。そこに口を挟まずただ眺めているのは、グレイとリールブッカーにとっては様子伺いだけのものだったが、ピュールにとっては余計な事を話さないための予防策だった。
正直、今にも噛みつきそうな形相ではあるが。
まぁそれくらいは仕方ないだろうと言う事で、グレイもリールブッカーも何も言わなかった。もちろん、咎めることもしない。
今回の会談と言う名の冷戦は、『西の国』がやはり有利なようだった。
『西の国』は富裕層と貧困層に分かれてはいるが、兵の数が多く、技術の進歩も目覚ましい。それが人体実験と言う名の非人道的な台の上に成り立っていることも承知の上で、だが、事実国力が強いのは間違いなかった。
ローゼリッテを見つけた後すぐに手を引いたグレイ達には与り知らぬことだが、恐らく、『二の国』は相当な劣勢を強いられたことだろう。
それを経ての和平交渉だ。当然、グレイの予想通り『西の国』の有利な交渉条件といった印象だった。――その割には、妙に大人しい印象もあったが。
「時に、若年の長よ」
不意に、グレイに向けて『西の国』の男が射抜くような視線を向けた。
「はい」とグレイが頭を垂れる。男は、ふむ、と一拍置いた後、にたりと口の端を釣り上げた。
「そちらへ逃げた家畜はもう使ったかね?」
――瞬間。
ちり、と場の空気が焼け付く匂いがした。
それはピュールか。あるいはリールブッカーか。――それとも、グレイか。
3人は口を開かない。『二の国』の男までもが一様に黙るその空気に、『西の国』の男はくくくと笑いを堪えるような声を零す。
「失礼。諸君らは肉は食べなんだか」
「……いえいえ。肉は好物ですが。時に大臣殿」
「何だね?」
「我が国は貴国から食料需給は受けておりません」
にこ、とグレイが口元に笑みを浮かべる。
その答えに、男はまた愉しそうな笑みを浮かべた。心底馬鹿にしているような、そんな声音で。
「これは失礼。…まぁ、これは独り言と思っていただいて構わないのだが」
「何でしょう?」
「失くした物を見つけた時、それが元の形であると思わないことだ」
「………」
「もし、処分に困ったものがあれば、いつでも頼るといい。…喜んで引き受けよう。どんなゴミでもね」
「あいにくですが」
男の言葉を遮って、グレイが声を上げる。
グレイの後ろに立つリールブッカーも、ピュールも、グレイを止めなかった。グレイは真っ直ぐに男を見据え、眉を吊り上げる。
「我が国に不要なものなど、何一つありません」
きっぱりとそう言い切るグレイに、男は「そうかね」とだけ言って、ガタリと席を立った。
その表情は見えない。笑っているのか、それともまた別の何かか。背を向ける男にべーっとピュールが舌を出す。
「また追って連絡させていただこう」
「…ありがとうございました」
男が出て行ったのを見送って、ふぅ、とグレイが深い息をつく。
数分の後、ピュールが耐えかねたように「あんのクソ野郎〜!!」とじだんだを踏み始めた。やれやれとグレイとリールブッカーが肩を竦める。
「しかし、当たり前だが気付かれていたか」
「まぁ、そりゃそうだろうねぇ…」
「ロゼッタは天使じゃボケェ!!」
ぎゃーぎゃーわめくピュールだが、ピュールが憤る理由も良く分かる。
家畜だのゴミだのと好きな人を批判されればそりゃあ腹も立つ。ぶん殴ってやりたかった。それをすれば、どうなるかも見えているから行動に移せないのもまた腹が立つ。
怒りの収まりきらないピュールを、リールブッカーは宥めるように額を小突いた。憤る気持ちも分かる。分かるが、それよりもやらなければならないことがあるからだ。
「移民の制限が必要だね。『二の国』でも、気をつけてください」
「あ!?…制限?」
「あの言い方だと、いずれ取り返しにくるよ」
「お前もそう思っていたか」
「当たり前でしょ。――完成した『生物兵器』を、誰がみすみす手放すか」
先日、発覚したローゼリッテの能力。
数キロ先の事故を見、車を持ち上げ、へしゃげた助手席のドアを外したと聞いたときは耳を疑った。
だが、証言者は多くいる。しかも見たのはヤマトだ。彼が嘘をつくとは思えないし、何よりここ最近の街の者たちの『ローゼリッテ信仰』は目に余るものがある。ちょっと入信したい気もするが。
となれば。
ローゼリッテは、ただのお人形や一兵ではなかった可能性の方が高い。
「…『西の国』と戦争した国の証言も聞きたいな」
「そうだな。その辺はピュール、お前に任せよう」
「んぇ!?お、俺!?」
「期待しているぞ。リールも、今までの記録を洗ってくれ」
「了解!」
こくりとふたりが頷いたのを見て、グレイも頷く。
時刻は、正午を回っていた。
☆
「いやー、ロゼが来てくれて仕事が捗るわー」
『どういたしまして』
今日のローゼリッテのお仕事はシュウとヤマトと一緒に倉庫整理のお手伝いだ。薄暗い部屋は少しだけ埃っぽいが、それでもあの国よりは随分と空気がきれいだとローゼリッテはこそりと思う。
ひょいひょいと指示通り荷物を動かすローゼリッテに、感心したようにシュウがパチパチと手を鳴らした。褒められると少しだけ嬉しいのはちょっとずつこの国に馴染んでいるからなのかもしれない。
「ちなみに、そのフリック何種類あんの?」
興味津々と言ったシュウに尋ねられ、ローゼリッテは傍らに置いた画用紙を何枚かペラペラと捲って見せる。
中には、『うん』『いや』の他に、先ほど出した『どういたしまして』や、『ありがとう』。そして何故か『さっさと仕事しろクズ野郎』と書かれたものもあった。
メロウと言う名の誰かに宛てて書いたものか分かる。ついでに言うならば作成者はザラとピュールだった。 話せないローゼリッテのためにふたりがあれこれ意見を出し合いながら作っていたのはシュウも知っていたが、アイツら遊びすぎなんじゃないか。ローゼリッテからフリックを受け取って、シュウは眉根を寄せる。
「しかも字ぃきったねーし」
「ロゼ…嫌だったら拒絶してもいいんだよ」
「あ、アイツら『ピュール大好き』とか『ザラ大好き』とか書いてやがる!…破いてやろ」
「シュウ…」
誰が安パイだよ…。
喉まで出かかった言葉を、ヤマトはあえて言わなかった。ローゼリッテも特に止めることなく、呆れ顔で作業に向き直る。
倉庫の中は、使われてなさそうな物品だけでなく、過去の膨大な資料も無造作に並べられていた。
それを日付順に並べ直しながら、テキパキと片付けていく。そうして書類の束を整理していると、ふいに、紙束の中から一枚の写真がひらりと落ちてきた。
あ、床に落ちる。
と思った時には、思わず、手に取っていた。
「うわ、なっつかし」
「コレ『二の国』の時のだ」
左右からひょこりと顔を出したシュウとヤマトが、懐かしむように感嘆の声を零す。
そこには。
「………」
見知った顔と、その、見知った顔に囲まれて笑っている。
自分の姿があった。
今より少し髪は短いが、同じ髪の色、同じ瞳の色。
周りの幹部たちは、今より少し若く見える。宴会でもしていたのか、少し頬を赤らめて笑い合っている人たちの中に。
自分がいる。
当たり前のように。まるではなから、そこが自分の場所であるかのように。
(本当に私がいる…)
昨日、町の人たちに「副隊長」と呼ばれていた、過去の自分が。
みんなが、「前のお前」と言う、失くした記憶の中の自分が。
望まれて、必死で、取り戻そうとされていた、……決して自分ではない、自分が。
「―――……」
気付けば、涙が頬を伝っていた。
突然ボロボロと泣き出すローゼリッテに驚いたのはシュウとヤマトだ。慌てて自分たちの持っていたモノを放り投げて、ヤマトが持っていたハンカチでローゼリッテの涙を拭い、シュウは宥めるように頭を撫でる。
「だ、大丈夫か!?」
「指でも切ったか!?」
違う。
ふるふると首を振って、否定の意を示す。
「つ、疲れたか!?あ、リドルのとこ行こうか!?」
「お兄ちゃんが連れてくから、な!?」
どうして泣いているのかが自分でも分からずにローゼリッテは立ちすくむ。
気が付けば、シュウとヤマトに連れられて医務室まで来ていた。心配そうに、不安そうに顔を覗かれ、ローゼリッテはもう一度小さく首を振った。
(…ごめんなさい)
そんなに心配される価値なんて、自分にはないのに。
崩れてしまったこの優しい人たちの毎日を、奪ってしまったのは私なのに。
(…私じゃなくて、ごめんなさい……)
声が出れば、謝れたのに。
声が出れば、期待させずに済んだかもしれないのに。
声が出れば。
――それでもここにいたいと請えたのに。
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