七尾 莱様より*ジギタリスの愛を暴かせて2
いつも全校集会のような公の場で遠目から見ることはあれど、こんなに間近で雨竜を見たのは初めてのことだ。
なるほど。確かにそんじょそこらのモデルなんて目じゃないぐらいにカッコいい。これだけの容姿であれば、学園中の生徒たちがキャーキャーと騒ぎたてるのも頷ける。
それにしても、だ。わざわざ雨竜自らがこんな辺鄙なところに訪れたということは、疾風がここに来たことが既にバレているということだ。
流石生徒会というべきか。一体どこから掻き集めているのかは知らないが、情報収集であればお手の物ということか。
だとすれば下手に誤魔化すような真似をしてしまえば、逆にここで疾風を匿っているのではないかと怪しまれてしまうことだろう。
「来た。けど、残念だったな。ついさっき裏口から出て行ったぞ」
「……チッ、んだよ。無駄足だったか」
「あとちょっと早かったら鉢合わせになってただろうよ。まぁ、折角来たんだ。茶でも飲んでいくか?」
別に居座られたところで困ることはない。そう言うように、すぐに追い出そうとするんじゃなく、敢えて居座るように勧めてみせる。そうすれば俺の読み通り、察しの良い雨竜は本当にここに疾風がいないと思ったのだろう。
俺の誘いに対して「遠慮しておく」と一言断りを入れると同時に、重たいため息を零して後ろ首を掻いた。
そうしてそのまま踵を返し、保健室を後にしようとする雨竜の後ろ姿を見て、ふ、と過ぎった疑問を口にしてみる。
「なぁ、なんでお前、あいつのこと追いかけてんだ?」
疾風自身も追いかけられている理由をよく分かっていないらしい上に、雨竜の態度を見た限りでも、他の役員のように決して愛だの恋だのに現を抜かして疾風を追い掛け回しているのとは勝手が違うようにも見えた。
何か用事があって、疾風のことを探しているのであれば、それはそれで不憫だ。用件だけでも分かれば、疾風が起きた時に伝えることも出来る。そう思ったのだが、俺の問いかけに雨竜はその首を横に振った。
「……いや、別に、大したことじゃない。少し話があっただけだ」
「へぇ? 大したことでもないのに、わざわざ天下の生徒会長様が自ら動くとは到底思えないけどな」
特に最近はほかの役員が疾風に構って仕事を放棄しているせいで、生徒会長が一人ですべて生徒会の業務をこなしていると聞いている。そんな決して暇とは呼べない状況下に置かれている雨竜が、下らないことに時間を費やす余裕なんてどこにもないはずだ。
「……って言われてもな。本当に、大した用じゃねえんだよ」
俺の言いたいことをしっかりと察してくれた雨竜は、そう言って、再び言葉を続けた。
「ただ、ウチの役員どもが迷惑をかけたみたいだから、その侘びをしようと思っただけだ。部下の失態を上が詫びるのは当然のことだろ」
「…………お前、本当に学生か?」
「当然だろうが。つかあんた今すげえ失礼なこと考えてないか?」
いや、もう、高校生とは思えない振る舞いと責任感に、貫禄を感じただけで、別に失礼なことなんてこれっぽっちも考えてはない。
さすが大企業の跡を継ぐというだけあって、まだ子供だというにも関わらず俺のような庶民とは並ならぬ苦労を体験しているのだろう。
金持ちも案外大変なんだな。と、他人事のように思っただけだ。実際に他人事ではあるが。
だがしかし、他の役員たちの尻拭いをしている挙句に、仕事の時間を削って謝罪しようと思った相手から逃げられているだなんて、やはりというか、不憫にも程がある。
「そういうことなら、あいつがまたここに来た時にでも伝えておいてやるよ。流石の疾風もケツ狙われてないって分かったら、逃げたりしねぇだろうし」
「……疾風? ……ああ、そういやあんたが転入生の幼馴染なんだっけか」
少しでも雨竜の負担を減らしてやろうと思って吐き出した言葉に対して、なんてことないように返ってきたその内容に思わず顔がひきつった。
「……す、げぇな、生徒会。そんな情報まで知ってんのか」
「普通はンなことは調べねぇよ。ただ高坂の場合は季節外れの転入生だろ? あんな時期に転校してくるなんて、普通じゃありえねぇだろ。だから前の学校で前科持ちじゃないかどうかの確認のために色々と調べさせて貰ったってだけ」
「それって、」
疾風からは転校の理由は聞いていないが、もしかして以前の学校で何かあったんだろうか。
浮かび上がった疑問を否定するように、雨竜はその首を横へと振った。
「安心しろよ。別にやましいことがあって転校したわけじゃないみたいだからよ」
「じゃあ、一体なんで」
俺の問いかけに、雨竜は一瞬迷ったように顎に手を当てて天井を見上げた。そうして、ぽつりと一言。
「どっかの誰かさんを追いかけてきたんだと」
そう、零した。
「は?」
「随分可愛らしい理由だろ? ま、それだけのためにわざわざこんな偏差値の高いホモの巣窟にやってくるなんざ正気の沙汰じゃねぇとも思うけど」
熱烈だな。なんて、冗談めかして言葉を放った雨竜に、開いた口がふさがらない。
なんだって? 今なんていった? 追いかけてきたって、……一体誰を? なんで? なんのために?
頭の中を駆け回る、あんまりにも自分にとって都合のいい考え。
疾風が追いかけてきた相手は、もしかして自分ではないのか。もしも、そうだとしたら、その理由は―――
「正直役員の奴らが誰を構おうが、面倒臭ぇし暫くは放置していようと思ってたんだけどよ。好きなヤツ追いかけてきたってのに、好きでもない奴らからケツ狙われてるなんて可哀想じゃねぇか、なぁ?」
いまだに整理のつかない頭に追い打ちを掛けるように、雨竜はまるで揶揄するようにそう言った。
ハッキリと疾風の転校理由を『好きなヤツを追いかけてきた』と。そう、言ったのだ。
そうして動揺のあまり、目を見開いて固まる俺の反応に満足したらしい雨竜は、若干上げていた口角を落として、話を切り替える。
「っていうのは建前なんだけどよ。……まぁ、確かに同情したのは事実だけど。それ以上に、仕事してる最中にあのクソ風紀にこれ以上好き勝手ネチネチ言われんのは御免だったってだけだ」
「……ああ、そういえば、生徒会と風紀って仲悪ぃんだっけ?」
この学園で過ごしているうちに得た情報ではあるが、どういうわけか、昔からこの学園の風紀委員会と生徒会は仲が悪いらしい。特に各トップの仲の悪さは筋金入りで、今年の風紀委員長と生徒会長も当然例外ではないと聞く。
噂で聞いたことしかなかったが、いざ風紀の話題を出してみればあからさまに目の前にある麗しい顔がこれ以上なく歪んで、その表情に思わず「お」と声が上がる。
「……へえ。お前、いっつも無表情なのに風紀のこと話す時は年相応の顔出来んのな」
「なっ、」
いつだって無表情、それか皮肉気な笑みぐらいしか浮かべないと評判の男が顔を顰めている姿なんてなかなかレアなものじゃなかろうか。
だが、風紀の前で毎度こんな顔をしているのであれば、そこまでレアでもないのかもしれない。
そんなくだらないことを思って、顔を上げると、
「え?」
先ほどまでむっとしかめっ面をしていたその顔はどういうわけか耳まで真っ赤に染まっていた。
「え? なんだ、お前、風紀のこと好きなのか?」
「ス…!? ……な、なにきめぇこと言ってやがる! 100回死んでもありえねえよ!!」
「……あー、と。なんか、悪い」
まさかそんな可愛らしい反応が返ってくるなんて露にも思っていなかったんだ。とはいえ、ここまで分かりやすいといっそ清々しいとさえ思うのは俺だけだろうか。
一体誰だ、この男に冷徹な皇帝とか痛すぎるあだ名をつけた奴は。中々に年相応の顔も出来るじゃないか。
しばらく、赤く色づいた顔を手で覆っていた雨竜は、大きく深呼吸をしてから、息と一緒にゆっくりと言葉を吐き出した。
「……くそ、とりあえず、もし転入生がきたら生徒会の連中は俺の方でしばいておくから安心しろって伝えといてくれ」
「おー」
「あと、さっき見たこと誰にも言うんじゃねえぞ」
「……さっき見た事って、お前が風紀のこと」
「いちいち口に出さなくていい! いいから、絶対に言うんじゃねえ! 分かったな!」
プンプンと顔を真っ赤に染めたまま、雨竜はさながら悪役のように捨て台詞を吐くと、こちらの返事も聞かずに保健室を後にした。声は荒々しかったくせに、扉は静かに閉めるところに好感を覚えたのはここだけの話だ。