その目に映るモノ

「チィッ……!」
しくじった。
薄暗い路地裏で壁に背をつけて、キャスターは切れた口元を拭った。
まさか仲間を呼んでいたとは知らなかった。
口は痛いし、腹も痛い。錆びた鉄の味はクソほど不味かった。
手が疼く腹を抑える。鳩尾は避けたものの、殴られて痣のできた下腹部は吐き気がするほどの気持ち悪さだ。
いっそ、上手くやられて気絶でもしていればよかったかなと思うがそうなればもっと最悪な事態になることもわかっていた。
一人、二人なら楽な相手だ。だからこそ、舐めてかかった。
だが、気がついてみれば仲間が現れて、こちらが一に対して、相手は十二人。不意打ちを食らい、すでにこちらは怪我も負っている。
もちまえの頭の良さをフル回転しても状況は最悪だった。
まったく、これだからゴロツキって奴は嫌いなんだ。
そう心の中で愚痴ったキャスターの格好も十分にそのゴロツキに相応しい。
真っ青で悪目立ちする髪は腰に届いてしまうほど長く、耳には穴が開いており、そこには人差し指ほどの長さもある銀色のピアスがぶら下がっていた。当然高校の指定である制服も着崩して、前の開いた学ランの中には真っ青なTシャツを着ている。
風紀委員も真っ青な校則違反のオンパレードだ。
血の混じった唾を吐き捨て、キャスターはさてどうするかと考える。
一時的にこの路地に逃げ込んだものの、外に待ち構える輩はどうにも去る気配が無いようだ。それどころか辺りを見回し続け、徐々にキャスターがいる路地裏を目指している。
コツコツと響く足音が大きくなり、やがて数も増えていく。
自分を見つけた声がして、これまでかと息を吐いた。
せめて歩いて帰れるほどにして欲しいなとそんなことまで頭は考えた。
「なんだ、もう暴れる気力もないか」
微動だにしないキャスターに一人が下卑た笑いを放つ。
ニヤニヤと笑う周りの顔も醜かった。品性など欠片も有りやしない。こんな連中にそれを望むなど意味のないことだと知ってはいるが。
「……おい、何笑ってやがる」
思わずクツリと漏れた笑いにリーダーである男が青筋を浮かべる。
その余裕のなさにまた笑いが漏れた。負けが決まった相手の笑いなど気にしなければいいものを。
「いい態度じゃねぇか……!」
怒り狂った相手が襲い掛かってくる。余裕のない男はこれだから嫌いだ。
いまさら逃げるのも馬鹿馬鹿しくて、覚悟を決めて目をつむった。
「うっぐう……!!!」
苦悶に窮する汚い声が聞こえる。それが、自分のモノではなくてキャスターはそろりと閉じていた目を開けた。
「ああ?」
自分に殴りかかろうとしていた相手は今や向こう側の壁にのびて倒れている。
それどころか他の奴らも尋常じゃない事態に巻き込まれていた。
多勢を相手に、一人の男が戦っている。
足を蹴り上げ、身を翻し、拳を左から右へと流れるように叩き込む。
それはまさに踊るように鮮やかな身のこなしだった。
上半身に身に着けたパーカーのフードを被り、その顔はよくは見えない。けれど繰り出される拳は褐色をしていた。
一人、また一人と沈め、許しを乞い、逃げる相手すら逃さない。
最後の一人に強烈な手刀を食らわせて、男はようやく動きを止めた。
「……」
無言のままの男にキャスターは話しかける。
「その、助けてくれたのか?」
状況的に見てはそうに違いなかったが、なぜ見ず知らずの自分を助けたのかが気になった。
「……この人数差ではあまりに卑怯が過ぎる。その上、戦意のない相手に襲い掛かるなど愚劣の極みだ」
どうやら一部始終を見ていたらしい。男の意図もわかって、キャスターはホッと息を吐いた。
「悪い、いつもならここまでのドジは踏まねぇんだがちょいと油断したんだ」
「礼も無しか」
キャスターの言葉をバッサリと声が切り捨てる。
「あ、いや、悪い。そうだな、礼がまず先だよな。あんたのおかげで助かった。この通り、感謝してる」
そう言って、頭を深く下げるキャスターに男はふっと笑った。
「なんだ、きちんと礼儀を知っているじゃないか」
「オレはそこまで恩知らずじゃねぇよ」
皮肉めいた、馬鹿にするような口調に思わずぼやく。
「その割には随分と口調がふてぶてしいな」
恩人とは言え、挑発的な物言いをこのまま飲み込んでしまっていいものだろうか。
キャスターの口からまたつい、言葉が漏れる。
「そういうあんたは人と目も合わせないのか」
「ほう?私の顔が見たいのかね?」
「そりゃ、どんな奴に助けられたかぐらいは知りたいさ」
「ふむ」
男の手がフードの中にあるよく見えない顔に触れた。すり、とその手が考えるように顎を擦る。
「いいだろう。けれど、驚くなよ?」
何に、対してなのか。
俯いた男が路地の中央からコツコツと壁際にいるキャスターに歩み寄る。
よくわからない恐ろしさ。何か言ってはいけないことを口にしてしまったのか。
コツンと立ち止まった男はキャスターのすぐ目の前にいる。
「そら、こういう顔だ」
パサリ、とフードが落ちた。
どこかで見たことのある、思い出せば見慣れていた顔にキャスターは驚きの声を漏らした。
「あんたッ、アーチ……ぐうッ!!」
「……その呼び方は、今相応しくないな」
「んん――ッ!」
口を塞ぐ形で顔を片手で掴まれる。
壁に押さえつけられた頭はゴッと嫌な音を立てた。
「おっと、すまない」
「げほッ……!」
「加減を間違えた」
しれっとそう述べた相手をキャスターはもう一度よく見る。
白髪の短髪に、手の色の通りの褐色の肌。目は灰色をしており、左目には白い眼帯をつけている。こんな珍しい容姿、他にいるとは思えない。
目の前の相手をじっと睨み、キャスターは唇を噛んでいた。
「そんな目を向けるな、ただ助けただけだ」
「しかし、あんたは……」
「言ったろう?その呼称で、今の私を認識するな」
強い男の口調にキャスターは納得が入った。
「……そうか、そうだよな。――“センセイ”がこんなケンカ、いや暴力紛いのことをしたとばれちゃ大変か」
思わず挑発的な笑みを浮かべる。
「う゛っ!」
またも顔を掴まれる。近づいた顔はゼロ距離でキャスターを見る。
「君も不良くずれであるとは言え、強い者に逆らえばどうなるか分からないほど愚かじゃあるまい?威勢が良いのは良いことだがそれも時と場合による。そして、今は否だ。わかるだろう。君はとても……賢いはずだ」
丁寧で優しい声が言い聞かせるように耳元で囁く。
押さえつける手の強さと反する優しいその物言いが背筋を震わせた。
怒鳴りつけて脅すのではない、その目はお前などすぐにどうにでも出来ると示していた。
手の力が緩められる。見たこともない相手の表情にコクンと喉が動いた。

「……マジかよ」
男が去った路地裏でキャスターは座り込んだ。
あの男にやられた奴らはまだ目を覚まさない。生きてはいるし、大きな傷も見当たらない。一方的にやりつけているようで、的確に相手を気絶させることだけにその腕は振るわれていた。
「まさかあいつがなあ……」
思い出すのは男の顔。それは、キャスターもよく知る顔だった。
さぼりがちな学校。それでも教師の顔くらいは覚えているものだ。
物を教える立場ではなく、白衣を纏い、人の傷を癒すためにいる存在。
キャスターが通う高校の養護教諭で、その姿は間違いなかった。
優しくとも、物静か。可も不可もないという評価。影の薄い、その養護教諭は生徒から【影】というあだ名さえ、つけられていた。
起こったことがにわかには信じられず、だが顔には男に掴まれた感触がいまでもべったりと張り付いて、耳にはあの声がこびりついていた。
恐ろしい奴だ。
観察眼が人よりも鋭いと自負している自分すらその正体に今まで気がつかなかった。
呻く声が聞こえ、倒れている奴らが起きる気配を感じる。これ以上の長居は無用だった。
汚れたズボンを手で払い、キャスターは立ち上がる。
気になる事柄がひとつ増えた。



養護教諭キャスターと学生影弓なお話は割と見る気がするけど、逆も良いのではないかと考えた結果です。
何も始まってはいないし、先もとくに考えてない。
でも冒頭だけでもなんか書きたくなったのでぶん投げました。


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