雨恋の歌

緑の匂いが濃くなる夏の入り。
お天道さんの光を燦々とその身に受け、作物は光り輝いている。頭上は青一色で彩られていた。
「今年は空梅雨だべかな……」
青空を見上げ、いつきは呟いた。
その首筋からは汗が流れ落ちている。にこにこと笑うお日様の恵みもありがたいが、そろそろ雨が恋しい。
雑草を抜く手を止めて、いつきは土の乾いた畑を見渡した。
すくすくと苗は育っているが中には日の恵みが強すぎてうなだれている物もある。あまりにも日照りが続けば駄目になってしまうかもしれない。
田畑には水路が整備されている場所もあるがそれも全てではない。その水路さえも日照りが続けば枯れてしまうこともある。
時には川から水を汲んで運ぶこともあるが、それにも労力と時間を要する。広い田畑を潤してくれる雨が必要だった。
「雨降らねぇかな」
青々しい空をいつきはもう一度見上げた。雲一つない空は雨の気配など欠片も無い。
真っ青な空を見つめ、いつきはおもむろに両腕を広げ、歌い出した。
乾く空気の中、紡がれたその歌は雨の歌。雨が恋しいと天に呼びかける雨乞いの歌であった。
小さな唇が空に呼びかける。
晴れ晴れとした大空に歌声は響けども雨は降らない。
それはそうだ。
この歌は単なる祈りの歌で、いつきにも雨を呼ぶ力など無いのだから。
けれどそれでも構わずに歌い続けた。
天の恵みはそう簡単に与えられるものではない。信じて願う気持ちが大事なのだ。
それに大声で歌うと気持ちがよかった。
歌の止んだ空はやはり綺麗に青いまま。
雨はいつ頃降るのだろうか。
真っ青な空を見つめていつきは想像を広げた。
雨、風、雲、雷……。
そういえば雷を操るお侍は今頃どうしているのだろうか。
田畑の世話に忙しい自分のように政務に忙しいのだろうか。
会っていない時の長さを感じて少し寂しくなる。
雨が降れば水やりの手間も要らないし、田畑で出来る作業も限られてくる。以前も雨が降った日に会いに行った。
また雨が降ったら会いに行ってみようか。
いつになるかわからないけれども。
青い空を見上げていつきはまた雨の歌を歌い始めた。



障子で塞がれた部屋の中で声がする。
少し拙い雨の歌。
それは田畑の広がる大地で、いつきが空を見上げて歌っていたものと同じだった。
「――降る気配はなしか」
不意に歌が止み、言葉が聞こえる。
つまらなそうに言葉を口にしたのは政宗であった。
墨のついた筆が文机に転がり、置いてある和紙の端を黒く濡らしていた。
続く政務に飽きたのだろう。
その手は畳の上に放り出され、目も机から離れて何もない障子を見つめている。
外の気配を伺っているのだろう。
閉ざされた障子は主の意識が散らないようにと小十郎が閉めたものだった。差し入れられた茶もすでに冷めている。
政宗はごろりとその身を畳の上に横たえた。
障子が眩しい日の光を透かしている。庭木の影が障子に映り、ゆらゆらと揺れていた。
そういえば、庭の紫陽花はもう咲いていたか。
今朝方、見た風景を政宗はぼんやりと思い出す。
雨の時期に咲く花はすでに見ごろを迎えていた。
長く降らない雨に、気まぐれで口ずさんだ雨乞いの歌。
花にも口があれば歌っていただろうか。降らない雨にその喉はさぞ乾いていることだろう。
雨が降らないと言えば、あいつの姿ももうずいぶんと見ていない。
脳裏に銀髪の少女を思い浮かべて政宗は思った。
前にいつきが訪ねて来た時には雨が降っていた。それも雷の轟くような雨の日だ。
そんな日に出歩くなど危ないと注意したが来る途中はそこまで天気は悪くなかったと言い訳されて、その日はそのまま屋敷に泊めてやった。遠慮はされたが小さな子供をひどい雨の中、放り出すわけにもいかない。
もちろん他の意図もなかったと言えば嘘になるが。
雨の日は田畑の世話が思う様にいかないから遊びにきたと笑っていた。
つまり自分は田畑の二の次か。
大人気なく心の中でむくれたことを思い出す。別にないがしろにされていたわけでもないというのに。農民ならば田畑が大事なのは当たり前のことだ。
ざあっと木々が揺れる音がする。強風に煽られたのだろうか。障子もカタカタと揺れている。まるで夕立のような音だった。
政宗の口がまた歌を口ずさむ。
雨が降ればまた訪ねてくるだろうか。
相変わらず障子越しの日は眩しくて雨の気配はない。
外の世界は真夏の光に溢れているのだろう。日の熱が障子越しからも伝わってくる。
暑い日差しに参ってはいないだろうか。
田畑の世話に追われて疲れてはいないだろうか。
雨を呼びながら想う。
一人分の歌声が余計に部屋の静けさを感じさせた。うるさい雨と共に訪れた童女のにぎやかさが懐かしくなる。
歌が終わり、部屋はいっそう静かになった。
歌が止んでも昼の日差しは変わらない。
雷を呼べる竜といえども、やはり雨までは思い通りにならないようだ。変わらない外の気配が少し恨めしい。
「失礼致します、政宗様。新しく茶をお持ちしました」
どうやらさぼりはここまでのようだ。
声が掛けられたかと思うと、新しく入れた茶と茶菓子を持って来た小十郎が障子を開けた。
思った通り外では燦々とした日が降り注ぎ、明るい日差しが目を刺激する。遠くには彩ある紫陽花も見えた。
「怒るなよ。いまやるところだ」
その口から小言が出る前に投げ出された筆を手に取る。
筆先はとうに乾き切っていた。再び墨汁で筆先を整えて、文字の続きを綴っていく。
まるで真白い紙の大地に黒い雨が流れていくようだ。
手は動けども心はまだ雨を待つ。
「今日は一段と暑いな」
開け放たれた障子の向こうには青い空。雨雲が訪れるのはまだ先のことだろう。


『雨よ、こいこい 雨よ、こい
乾いた大地がまっている

雨よ、こいこい 雨よ、こい
飢えた木々も、作物も、
雨よ、お前をまっている
 
雨よ、こいこい 雨よ、こい
私もお前をまっている』


雨が待ち遠しいと天に呼びかける雨乞いの歌。
日照りが続くと自然と子供たちが歌いはじめる。
天を見上げ、大きく口を開き、空を抱かんとするように手を伸ばして、一生懸命に呼びかけるのだ。
その歌声が天に届き、大地が雨で濡れるまで何度も、何度でも。
恋しい人に呼びかけるように、雨恋しいと歌う。
「――恋しいな」
天に呼びかける子供たちの合唱。そのうちの一つが消えて、ぽつりと言葉が落ちた。
浮かない顔をした少女が赤く眩しい空を見上げる。
「そうだな、こう降らねぇと困るだな」
まさか相槌を打たれるとは思っていなかったのだろう。返って来た返事にいつきは驚きの表情を見せた。
その表情に声をかけた童もまた驚く。
「いつきちゃん、どうしたんだか?」
「ううん。なんでもねぇべ」
「そっか?」
「ほら、もういっぺん歌ってみるべ」
乾いた大地に早く雨が降りますように。
そう願いながらまた歌を紡ぐ。
日照りの続いた田畑では日暮れに水撒きが行われていた。
女、子供も手伝い、水の届かない田畑が枯れてしまわないように世話を焼く。
一降りでも雨が来ればみんなも休むことが出来るだろうに。
この気持ちは果たして天に届いているのだろうか。
収穫の迫る作物を眺め、いつきはため息を吐いた。
あの男は今頃どうしているだろうか。
そんなことをぼんやりと思う。
早く雨が降ればいいのに――。
願う気持ちは強まるばかり。
「恋しいべ」
雨を乞う口がまたぽつりと呟いた。



鮮やかな紫が陽を受けて輝いている。
紫陽花という名に相応しい景色。それに物足りなさを感じるのはやはり雨の花という印象があるからだろう。
今日も空は眩しく輝いている。
一人で庭に佇んで、政宗は空を見上げていた。
忙しい政務もようやく一段落ついた。
身は軽くなったがそれでも心は重いまま。
晴れ渡る空はそんな政宗の気など知らずに焼けつくような日差しを浴びせていた。
むせかえすような暑さの中、雨が降ることを願う。
「雨よ、こいこい 雨よ、こい」
その口がまたそっと歌をくちずさむ。額に滲んだ汗を拭い、それでも日陰には入らず日の照る庭で政宗は歌を歌っていた。
きっとあの娘も焼けるような太陽の下、懸命に働いているのだろう。もしかしたら自分と同じように、雨を呼んでいるかもしれない。
そう思うと少し楽しかった。
熱した空気に歌声が溶けていく。
「雨よ、こいこい 雨よ、こい」
歌声はまだまだ続く。
暑い空気の中、不意に冷たく湿った風が流れた。
『私もお前をまっている』
歌声が重なった。
一人で紡いでいたはずの歌が突如、斉唱に変わる。
同じ歌を誰かがまた歌っていた。その声はひどく懐かしい。
「政宗も雨を呼んでただか?」
 明るく笑う声。目を凝らせば、庭に咲いた紫陽花の横に小さな童女が立っていた。
「やっと会えただ」
そういうと小さな体は駆け出した。真っ直ぐに向かってくる体を受け止めて、政宗は声をかけた。
「お前、田畑の方はいいのか?」
 会えて嬉しいが、この娘のことをよく知るからこその言葉だった。
「うん。もう大丈夫だ!」
 妙に自信ありげな声が答える。
「村のみんなに任せて来たし、雨も降るしな」
「雨なんてまだ……」
いつきの言葉に政宗は怪訝な顔をした。
頭上ではずっと太陽が強い日差しを与えている。空もまだ青空に包まれているはずだ。
「感じねぇだか? この匂いを」
「匂い?」
何もない宙を指差していつきは悪戯っぽく囁いた。
その仕草と言葉に政宗はすうっと鼻から息を吸った。
自分は鼻が利く方だ。しかしそれは戦場におけることであり、嗅覚とはまた違う。それでも夏独特の緑の匂いに混じって、わずかに湿っぽい空気の匂いを感じた。
心なしか肌に触れる空気の熱も和らいでいる気がする。
「ほら、雨だ!」
政宗が確かめるように空を見上げた時、いつきの嬉しそうな声が響いた。
あんなにも青かった空がいつの間にか灰色に染まっている。パラパラと落ちて来るのは雨粒に他ならない。
冷たい雨の滴は空を見上げる政宗の頬にも落ちてきた。
「ほらな、おらの言った通りだベ?」
無邪気に笑う顔に口元を緩めたのも束の間、政宗はハッとした表情を浮かべ、その腕を掴んで走り出した。
「早く中に入るぞ!」
その瞬間、パラパラと降っていた雨粒が大雨に変わる。まるで桶の水をひっくり返したような雨が地面を打った。
「あはは、濡れちまっただな」
「笑っている場合か」
早すぎる天気の流れに気づくのが遅れた。庭から縁側まであと三歩というところで二人は大雨に降られた。その体は池に落っこちた様にずぶ濡れだ。
「早く着替えねぇと……風呂にも入るか?」
風邪をひかせてはいけないと、濡れた体のまま部屋へと入り、適当な布を取っていつきに与える。返答を受け取る前に誰かを呼びにいこうとする政宗を小さな手が引きとめた。
「政宗も雨を呼んでただか?」
またあの問いかけだ。
政宗も、ということは相手も同じだったのだろう。
いつきも同じように歌っていたと知って、政宗は嬉しくなった。
「雨が降らねぇと田畑は困るだろう」
「うん。大変だったべ」
作物に水を与えるため、みんなで努力したことを伝える。子供たちと共に何度も雨を呼んでいたことも。
「村でも雨が降る気配を感じただ」
毎日のように外で働いているため、いつきは天候の動きには敏感だった。雨の匂いも、雲の動きも、空気の流れも、全身でよく理解していた。
「来る途中は濡れなかったのか?」
村で雨が降っていたのなら名残があってもいいだろうに、来た時のいつきの体は濡れていなかったどころか雨具すら身に付けてはいなかった。
「来るときには雨は降っていなかっただよ」
その言葉に政宗は首を傾げた。
「雨が降るとわかったら、早く会いたくなっちまったんだ」
やがて雨が降るとわかった時にはその体は走り出していた。足早に村のみんなに事実を告げ、身支度もそこそこに馬へとまたがり、訪れる雨よりも早くいつきは政宗のところへやって来たのだ。
「政宗?」
思いがけない言葉に政宗は黙り込んだ。嬉しさを噛み締めていたと言ってもいい。
「とにかく風呂だ。風をひく」
「別に着替えるだけでいいだよ」
「いいから入っておけ」
そういうと政宗は声を張り上げて人を呼んだ。
実のところ、濡れた体を見せられて落ち着かなかったのだ。まだ幼いとはいえ、その体は柔らかい女の作りをしている。
それに風邪をひかせたくないのも本当だ。冷たい雨にあたったのだからきちんと体を温めた方が良い。
激しく降っていた雨はだんだんと弱まり、それでもまだ多くの雨粒を地面に降らせていた。
「綺麗だなぁ」
感嘆する声が聞こえて、政宗が思わず振り返る。
そこには庭を見つめる少女の姿。見つめる先には雨に打たれる紫陽花があった。
「帰る時に持っていくか?」
政宗が訪ねるといつきは首を横に振った。
「ここで咲いているのが一番だ」
そう言ってまた紫陽花を眺める。
雨に打たれる紫陽花は心なしか明るい日に晒されていた時よりも鮮やかで、美しく見える。雨で周囲が灰色だからだろうか。いや、もしかすると花も雨を待ち望んでいたのかもしれない。
風呂へと向かったいつきを見送り、着替えだけ済ませると政宗は縁側に座り込んだ。
そのままじっと雨の降る庭を見つめる。地面には水たまりが出来ていた。〈雨よ、こいこい 雨よ、こい〉
心の中で何度も歌った歌を繰り返す。雨を待ち望む雨乞いの歌。
少々遅くはあったがそれは望み通りにやってきた。
あれだけ暑かった空気は雨ですっかり冷やされ、周囲には緑よりも水の匂いが広がっていた。
〈雨よ、こいこい 雨よ、こい〉
穏やかになった雨音は耳に心地が良い。屋根から水たまりへと落ちる滴もまるで政宗に合わせ、歌っているようだ。
〈私もお前をまっている〉
待っていたのは雨ばかりではない。
歌いながらその頭はずっと一人を思い描いていた。
大地を潤す雨のようにその笑顔は人の心を満たす。
会いに訪れた時の笑った顔を思い出して、政宗は自然と微笑んだ。自分と早く会いたかったという相手の言葉はとても嬉しかった。
「政宗―!」
パタパタという足音が雨音に重なる。解けた髪を揺らしながらいつきが駆けてきた。
風呂上りで温まった体は頬っぺたが真っ赤になっている。
「座れ。髪を拭いてやる」
まだ濡れた髪を見てそう言えば、その体は胡坐をかいた膝の上にちょこんと収まった。触れる足の熱が温かい。
「ふふふ」
髪を弄っていると、急に小さな笑い声が漏れた。
「どうした?」
「なんでもねぇだ」
なんでもないと言う割にはその顔は楽しそうに笑っている。
「こんだけ雨が降れば田畑も安心だべ。またおらんとこの野菜さ食ってけろ」
「そりゃあ、楽しみだ」
弱くなりながらも雨はまだ降り続いていた。
二人して静かに雨音に聞き入る。まるでこの空間だけぽっかりと切り離されたように、耳には雨音と互いの呼吸しか入らなかった。
やがてその静かな空間に微かな鼻歌が混じ入る。
政宗の足に収まった体が小さく揺れていた。機嫌良さそうに、その口は節を刻んでいる。
その可愛らしい鼻歌と降りつづける雨音に、政宗は静かに目を閉じて耳を澄ませた。
降りつづける雨はきっと明日まで続くだろう。
出来るだけ長く、また多く、雨が降ることをそっと願う。胸の中であの歌を歌いながら。


 
青空に雨恋しいと歌うは雨乞いの歌。
されど恋しいものは雨だけにあらず。
雨とともに待ち望むは恋しい人の影。
待ち望むもののために、何度も歌い、何度でも呼びかける。
それは甘い恋の歌――。



7月の戦煌!6にて配布した伊達いつ本です。
雨の日には田畑の世話もあまり出来そうにないので、筆頭のところに遊びに行ったりしているんじゃなかろうかなと思ったもの。
東北の梅雨事情がよくわかっていないので、違っていてもご愛嬌ということで。
ちなみにお互いに相手を好いているし、好意を持たれているのもわかっているけれど、まだ関係がはっきりとはしていない頃です。
伊達さんは保護者な気持ちと本能的な欲求のはざまでグラグラしてればいいんじゃないかな


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