違えられた願い事

懐かしい――、そう告げるはずであった口は不意に言葉を失くした。
開いたままの唇に潮風が吹き抜ける。
荒ぶる潮風を受けながら元親は目の前の海を見据えていた。正確には海に浮かぶ安宅船に立つ人影を。
正面に見える人影は生きているはずなのに髪や服が風になびくのみで微動だにしない。
船の穂先に立つその者はかつての元親がよく見知った人であった。
けれどその姿は記憶の中のその人とは全く違っている。
いや、全くというには語弊があるだろう。
その髪の色と目の色はかつて見たものと同じであった。髪は短くなったが風貌も似ている。
けれどその瞳に宿る光はそれこそ見たことの無いものであった。
冷たく息も出来ないような深海を彷彿とさせる眼差し。
遠くにいるはずなのに肌で感じ取れる相手側の空気も真水のように冷たく、冷ややかだ。
何があの方を変えたのか。経ってしまった長い時のせいだというのだろうか。
胸の内で思わず昔の呼び方をしたことに気が付き、元親は頭を振った。
そうではない。
何故、奴はあんなにも変わってしまったのだろうか。
ここは国同士を隔てる海の上。そして向かい合うその相手こそこれから始まる戦の相手であった。
仮にも敵である相手に対し、元親はいたく親身的な想いを抱いていた。
それもそのはず。
相手と元親は短い時ではあったものの、友人として幼い頃を過ごしたのだから。
だが同盟も誓約さえも揺らぐ不確かな戦国の世では各々の関係性も情勢によって移ろいやすい。
長い時を経て相対した友は国を脅かす敵となっていた。
自らが敵となることを望んだわけではない。
けれど個人の意思と国の意志が同じになるとは限らない。
強くなっていく身近な存在に周囲が恐怖を抱くようになることも無理らしからぬことであった。
互いの国が強さを増し、国の様子が変わる度に様々な人の思いが渦巻くこととなる。
長曾我部家は土佐を守る主であり、元親はその当主となった。
しかしそれで国が完全に己の思い通りになるかと言えばそれは大きな誤りがある。
国とは多くの人によって成り立つものなのだ。たった一人の采配でどうにかなるものでは無い。
そしてそれはきっと相手にとっても同じであるに違いないとそう信じていた。
数日前の出来事がよみがえる。
和平を望んだ元親に対し、松寿丸――否、安芸の将である毛利元就は実に淡々としていた。
同盟は拒絶。危うい存在である長曾我部家と手は組めないと申して来たのだ。
こちらへやって来た使者は型通りの言葉を告げるのみで意見は翻さず、逆にこちらから送った使者が帰ってくることは無かった。それが何を意味するか。
それがわからない元親でも無い。
まさかの相手の所業にかつて見知った相手はもういないのだと己の心を解き伏せた。
それでも相手の国の事情もある。相手の直接の意志では無いとどこかで信じていた。
しかしその思いも冷たいあの眼差しに掻き消された。
ここまで来てようやく元親は己の願望を認めざるを得なかった。
あの目は葛藤など抱いていない。
自分のように戸惑う気持ちが相手にもあるはずだという自信はただの望みに過ぎなかった。
硬直状態の続く海の上で見据えるその顔は知っているはずなのに他人のようにしか思えない。

――あんなにも願ったのに。
まだ幼かった日のこと、弥三郎は松寿丸とこのまま共にいられるようにとある山の観音様に願った。
己の父親と松寿丸の父親との間柄が芳しくないものになりつつあると弥三郎は幼いながらに悟っていたからだ。
むろん松寿丸もわかっていたのだろう。互いに決して口には出さなかったけれど。
しかし段々と素気無く、距離を空けるようになった相手の態度からもそれはよくわかった。
自分たちはやがて敵となるかもしれないと。
それでも弥三郎は一度結んだ絆は切れるものではないと信じていた。
だからこそ強く山の神様に祈った。
硬くなった相手の心がいつか和らぎ、また仲の良い友となれるようにと。

冷たい風が吹き荒れる。
身に染みる潮風が元親にあの頃味わった山おろしを思い出させる。
あの時の自分は震える手で祈りを捧げていた。
いま受ける風はあの頃のように冷たい。いや、あの頃よりもさらに冷たくなっている。
冷えを通り越し、凍えるような風は元親の心の中にも吹いていた。
自分は願い方を間違えただろうか。そんなはずはない。
そんなはずはないけれどまるで元親の願いとは真逆のように吹き荒れる潮風が煩わしかった。
元親の送る視線の意味に気づいているだろうに相手の眉はピクリとも動かない。
否、もしかすると元親の視線すらあの瞳には届いていないのではないだろうか――。
どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
自問しても、後悔しても、何も始まらないし、終わらない。
わかるのは目の前の相手が完全に己との決別を決めてしまったということだけ。
引き返すことも目を逸らすことも出来ない。
すでに舞台へと立った相手は隙を見せたら元親の大切な者たちを全て台無しにしてしまうだろう。
それは避けねばならなかった。
相手の手が輝く日の輪に向けて高く上へと上げられる。
それが合図だとわかった。
元親もまた握り締めた碇槍を振り上げる。それと共に後ろから野郎共の声が湧き上がった。
戦が始まる。
相手の采配は一切の躊躇もなく、放たれる声も凛として曇り無かった。
奴の気持ちは、彼の人としての心はどこへ消えたのか――。
それを考えるのももはや仕舞いだ。
すでに元親の祈りは聞き流されているし、もう一度願う気も無い。
全ての決着は己の手、互いの手で――。
元親の握る碇槍が勢いよく波を裂いた。



素敵企画『BASARA×百人一首』様に提出させて頂きました。
74番の歌『憂かりける人を初瀬の山おろしよ激しかれとは祈らぬものを』について書きました。

元親→元就でしょうか。でも例え元就も元親の事を想ってたとしても隠すのは上手そう。
すれ違う歌の切ない感じに瀬戸内がよぎりました。


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