静夜

神々しい日輪が空から落ち、代わりに天上へと上がるのは同じく眩い光の塊。しかし日の光とも異なる冷たい輝きを持ったその光は黒に塗りつぶされたはずの夜を淡く映し出す。
闇が薄れ、夜に青白い静の世界が浮かび上がった。
涼やかな風の中、聞こえる虫の音も僅かに過ぎない。

「よぉ、一杯やらねぇか」
静かな空間に突如放たれた言葉は顔に紫紺の布を巻いた男の口から放たれた。隠された左目の代わりに右目だけが目の前の相手をじっと見つめる。
「酒は好まぬ」
返された言葉は涼やかな風と同じように爽やかに響いた。
「ちゃんと茶も用意してあるぜ」
男の指先が傍に置かれた磁器を指差す。白い茶碗の表面には艶やかな花が描かれている。
月夜の下ではその色鮮やかさが薄れるがこれは相手の気に入りの茶器の一つであった。
「団子もな」
今宵は中秋の名月。つまりはお月見である。
名月が満月とは限らないが今宵は見事な満ち月であった。日輪の如く満たされた月輪は潤沢な光を放つ。
「随分と用意の良いことよ」
三宝の上に段々に積まれた団子を見て元就は呟いた。
「行事ごとは大切にするって決めてあるんだ」
「殊勝な事よ」
感心しているとも呆れているとも取れるような口調で言うとその体は元親と同じく縁側へと座した。
空を見上げるその顔を元親は横目に見る。
空から降る月の光を浴びるその姿は絵に描いた様に美しい。いや、描けないほどに美しいのか。
瞬く瞼が空の光を弾いたように見えた。
「何を呆けておる」
不意にこちらへと向き、言葉を放つ行動に元親の心臓が跳ねた。慌てた体が盃を取り落す。床に加え、その手と服に酒の匂いが染みた。
「阿呆か」
何よりも先に放たれたその言葉に思わずムッとしたが動揺した原因を思うと何も言い返せない。
器がいっぱいであったため、濡れ方は酷かった。仕方なく腰布を解いて身と床を拭こうと試みるがその前にその手は諌められた。
自身の手に乗ったもう一つの手を元親は驚いたように見る。視線を上げると同じように重ねられた手を見る相手の姿があった。
「毛利?」
怪訝に思い尋ねた瞬間、濡れた手が引かれる。
相手の顔に寄せられた手にそっとその唇が触れた。
「おい、何して……ッ」
さらに感じた生温かい感触に肩が跳ねる。濡れた手の上をゆっくりと舌が這っていた。
「不味い」
顔を顰め、心底嫌そうな声がしてその口が離れた。
「当たり前だろうが! つーか、なんてことしてくれてんだ!」
「害は無かろう」
口元を拭うその顔はまだ顰め面をしている。そんな顔をするくらいならば何故したのか。
元親の心臓はまだ激しい動悸を繰り返していた。
「いきなり何すんだよ。気でも狂ったか」
「さぁ、どうであろうな」
とぼけたような答えは本当のものかそれとも偽りのものであるか。どちらにせよ訳のわからぬ元親は歯がゆい気持ちを抱えた。
「やはり酒は合わぬ」
そう吐き捨てる相手の顔を見やるとその唇は拭われたものの艶やかな光沢を表していた。眩い月の光のせいであろうか。思わず釘付けになる。
「口直ししてやろうか」
そんな言葉が出たのは思いつきというよりは心の隅でずっとそのような機会を窺っていたからであろう。
その口が答えを返す前に手を伸ばし、体を寄せる。
抵抗が無いのが答え。
酒を好まず、茶を嗜むその唇は何かを思うほど味も無い。ただその感触だけがとても柔らかであった。
明るいはずの夜が闇を帯びる。
空に現れた雲が月を隠そうとしていた。青白い世界は黒く姿を変えていく。
光が薄れ行く中、並ぶ二つの影が重なり一つと化したように見えたがもはやそれを確かめることは叶わない。二つの身は障子の向こう側へと消えた。
闇に沈んだその身が何を想い、何を行うかは当人たちのみが知る秘事である。



9月の戦煌!3にて配布したチカナリプチのペーパー小話。
月夜がテーマでした。
夜の逢瀬とか密事とかいいですよね…。


[ 1/1 ]

[*prev] [next#]
[mokuji]
[しおりを挟む]



×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -