短め | ナノ

伝七からきちんと返事をもらってきてちょうだいね、とわたしたち子どもの事情なんてなにひとつ知らない伝七とわたしの両親の嫌ににやにやした顔が頭に浮かぶ。そんな急かすような文でもなかろうに、返信くらいゆっくりと書かせてやってもいいものを、どうしてわたしが返信を受け取らねばならないのか。そもそも伝七とはもう五年も顔を合わせていないのだ。この学園とやらに入学して以降奴は長期休暇に入ってもなかなか帰って来なかったし、帰って来たとしてもわたしと会うことは一度だってなかった。わたしの家への挨拶はわたしがいない隙を見払って行っていたようで、家の外でも鉢合せを避けられる徹底ぶり。仲の良い互いの両親の情報交換のおかげでそんな伝七の行動は全部わたしに筒抜けだというのに、まさか本人は気が付いてないとでも言うのだろうか。もっとも、どこか抜けている両親たちは ふたりはなかなか会えないわねぇなんて不思議がっていただけだったけど。

「伝七くんが応接室で待ってろって言ってますから、ご案内いたしますね〜!」
「いえ、ただ伝七の返信を受け取るだけなので…。きっと数分で済む用ですから、ここで結構です」

拾っておいた放り出された箒を差し出しながら言うと、お礼を言いながら慌てて箒を受け取った事務員の方は少し驚いた様子で目をぱちくりとさせた。その様子にさすがに自分勝手すぎたかもと ご迷惑でなければ、と付け足せば、いえいえ迷惑だなんて!じゃあ僕が伝七くんから文を預かってきますね〜、それまでこんなことろですがごゆっくりどうぞ!とそのまま別の方へ掃除をしに行ってしまった。よかった、案外話が分かる人だったようだ。応接室で待っていろだなんて、待っていたら伝七と会うことになってしまうじゃないか。あんなに自分からわたしを避けておいて、奴のやることは昔からどうしたって分からない。

『伝七なんかしらない』

それが、わたしたちふたりの最後の会話だ。色褪せてくれない記憶の中のあいつはその言葉に大きな目をさらに大きく見開いて、驚愕の表情を顔に張り付けわたしを見ていた。喧嘩の理由なんてもう忘れてしまったけれど、それでも確かにわたしはそう言い放ったのだ。精神的に大人になった今だから言えることだが、あいつの生来の無意識に人を見下す態度がわたしはあまり好きではない。…まぁ、小さいころのわたしは伝七に見下さる発言を言われ続けたのが原因で、自分は伝七が言うように出来ない人間なのだと思い込んでいた節があり、伝七に見下されているだなんて気付いてすらいなかったのだけど。洗脳もいいところだ。

しかしいつだったろうか、ふとした瞬間にそれが馬鹿にされているということを理解したわたしは伝七を目一杯拒絶した。どうしてそんな風に言うの、どうしてわたしを軽んじるの。今ならあれは言葉足らずな彼なりの表現方法だったのだと理解できるが、如何せんあの時のわたしたちは幼すぎた。幼さゆえに、自分の胸のうちを的確に表現するには言葉を知らなさ過ぎたのだ。昔のことを思い出す度によくもまぁあんなに馬鹿にされていたのに気付かなかったものだと逆に自分に感心してしまうけれど、わたしだって大人になった。いつも伝七の隣にいたのだ、奴が考えることなんて手に取るように分かる。あれは子ども故のしょうもないいさかいだったと、そう断言できる。伝七だってきっとそうだ。そもそもあんな人を苔にしたような発言を繰り返していたのは自分自身なのだから、あのころの心境だって自分が一番分かるはずだ。幼さゆえのくだらない喧嘩、もう時効だ。それなのになぜ、奴は今もまだわたしを避け続けるのだろう。どうしてわたしは奴に避けられるのだろう。謝りたい、今までのように仲良くしたいと思っているのに。

「…こんなところでなにしてるんですかぁ?お客さん?ですかぁ?」

いつから自分の置かれた状況を忘れてしまうほど考え込んでいたのだろう、急に耳に入って来た知らない人の声に、口からは声にならない声が飛び出した。「こら喜三太、驚かしちゃ悪いだろ」「はにゃあ、すみません、急に声かけちゃって」「っいえ、こちらこそ、ぼうっとしていて…!」急いで笠をはずして話しかけてきた深い群青の服を着た人に謝り、自分がどうしてここにいるのかの経緯を説明する。するとわたしが発した“伝七”という単語にぞろぞろと増えていく群青たちが反応を見せた。

「へー、伝七にしちゃあ可愛いのつかまえたなぁ」
「ちょっときりちゃん、その言い方は失礼でしょう」
「ねー、なめくじさんは好きですかー?」
「うおおおお可愛い!好みの男性はどんな感じですか!?」
「火縄銃を扱う男についてどう思いますかー!?」
「この着物の柄、すごく綺麗ですね!」
「いっ、伊助が女の子を口説いてる…!」
「どう解釈したらそうなるのむっつり金吾」
「あはは、分かりきってたことでしょ兵ちゃん」
「この飴美味しいよぉ、よければ食べる?」

      :
      :

「あぁもうみんな落ち着いて。彼女困ってるでしょ、土井先生じゃないんだからそんなに一斉に言って聞き取れるわけがないじゃないか。…それより君、伝七とはどういう関係なの?」

十を超える群青の群れに囲まれ、同時に四方からわたしに投げかけられる言葉たちに処理しきれないと頭が考えるのを止めてしまったようだ。辛うじて聞き取れたなめくじと火縄銃という単語は、さて、わたしがここにいることに対する疑問と直接関係があるのだろうか。そんな言葉の津波を止めたのは三角の眉毛をした精悍な顔つきの男の人で、その人の静止によって群青たちはやっと口の動きを止めた。息を吐く暇もないほどの勢いに完全に飲まれていたため、わたしはそこでようやくか細い息を吐き出す。…伝七と呼び捨てにしているくらいなのだから、彼らは伝七と同い年なのだろうか。それにしてはみんな、村にいるわたしの同い年の男の子よりもずっと大人びて見える。伝七もこんな風に成長しているのかなぁ、遠い記憶の中の伝七はもう何年も前の姿のままで年を取ってすらいないのだ、今現在の伝七なんて想像もつかない。そんなことを考えていると質問の答えを嬉々として求めるようなきらきらとした何対もの目と目が合ってしまったので、別に伝七との関係性を暴露したって特に支障はないだろう(大袈裟に暴露と言ったって、所詮はただの幼馴染みだ)と口を開いた、その瞬間。「なまえ!!」。

「僕は応接室で待ってろって言ったはずだぞ!」

―――日に当たって輝く赤みがかった長い髪の毛を高めに結って、切れ長の大きな目を怒りで釣り上げながらこちらまで走って来たその人は記憶の中の奴よりもずうっと大人になっていて、わたしの知る黒門伝七だと認識するのにだいぶん時間がかかった。群青の壁の間から見えるあの人が、本当に、伝七?なにやらきゃんきゃん喚いてはいるもののその言葉は右から左へと流れていってしまう。泣き顔、怒り顔、呆れ顔、笑い顔、いろんな表情の伝七が思い浮かぶけれど、あんなに端正な顔立ちの人、わたしは誰だか知らない。あぁそうだった、奴とは、もう五年もの期間会っていないのだった。幼い頃の思い出や記憶がものすごい速さで頭の中を駆け巡り、細かい記憶の断片が少しずつ合致してようやく“伝七だ”とじわりじわり浸透していく。あぁ、一丁前に大人になったんだなぁ、あの頃の幼いわたしがぽつりと呟いた。

「まぁまぁ伝七くん。遠い道中はるばるやって来てくれたんだからもっと労ってあげるべきなんじゃないの」
「っ、兵太夫には関係ないだろ!」
「えー、女の子ひとりで来たのに?こんなに可愛いのに?」
「三治郎にも関係ない!いいから離せよ!」
「!」

兵太夫と三治郎と呼ばれたふたりに挟まれていたわたしは、からかわれたことによる怒りで顔を赤くした伝七に手首を掴まれ、やっとのことで群青たちから解放された。なぜか小袖袴姿の彼に引っ張られるがままに出門表に署して門をくぐる。こっちは慣れない着物でうまく歩けないというのに、ありったけの力で引っ張られるから余計に歩きづらい。そう訴えるとこちらを見向きもせずに もう少し我慢しろと言われたので渋々ながらそれに従おうと思う。「なまえちゃん、君が噂の幼馴染みだったんだねぇ。伝七のことこれからもよろしくしてやって」ひょっこりと塀の上から姿を現した群青のうち、前髪が綺麗に切り揃えられた人にそんなことを言われた(おそらく兵太夫という人)。なんだか引っかかる言い方だと疑問に思ったけれど、無視するわけにもいかず小さくお辞儀を返せば 相手にしなくていい!未だ怒っているような声で注意を受けてしまった。塀の端まで綺麗に並んで微笑ましげに笑って手を振る群青に痺れを切らした伝七が一発吼えると、彼らはなんとも愉快そうな笑い声だけを残して去って行った。状況がつかめず困惑するわたしを他所に伝七はどんどん足を速めて、足がもつれそうになるのを用心しながらただただ歩き続けた。両の頬が、少しだけあつい。



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