▼ 11/11/08 (00:04)

 あの頃の日々はラムネ瓶の中のビー玉みたいに思い出すと僕の中できらきらと光るけれど、大切に引き出しにしまったはずのビー玉のがどこにいってしまったのかわからないのとおんなじで、高校生になった僕が想いを馳せることはもうほとんどなくなっていた。

 たくさん集めていたはずだけれど。一体どこにいってしまったんだろう。

 ポケットに入れて持ち歩いて。ぎゅっと手のひらで暖めて。お日様にかざして光らせて。覗き込んでまるい世界に視界を閉じ込めて。家に帰って泥だらけの手のひらと一緒に洗って、せっけんでぬるんだ手から飛び出したビー玉が排水溝に落ちてしまうそうになるのを必死で拾い上げて。水滴を拭き取ったビー玉は確か引き出しにしまっていたはずなのに、今僕の家の机にはビー玉はおろかあの頃持っていたものはひとつとして入ってはいない。

 それが寂しいことなのか、悲しいことなのか、僕にはよくわからないけれど。
 仕方のないことだとそう思うし、そう思うことが強いて言えば悲しいのだろう。

 ポケットに手を入れると、ティッシュとハンカチだけが出て来た。部活中にはメモ帳やメモした紙切れが入ることもある。つまらないポケットだった。といっても、今ポケットにビー玉やら変わった形の石やらおかしやらが入っていても困るだけなのだけれど。だからきっと、これでいいんだ。

 昼休みの終わる15分前。食堂お昼ごはんも食べ終えて、僕は何をするでもなく廊下を歩いていた。新聞部室に用事があって、食事をしていたクラスメイトと別れたのだけれど、用事はあっけなく終わってしまったのだった。食堂へ戻ってもクラスメイトはもういないだろうし、図書室へ行くには時間が半端だ。かといって教室に戻るのはなんだか勿体ない。目的のない僕は選択を選びかねてただ廊下を歩きながら、壁に貼られたポスターやプリントや擦れ違う人達のことをぼんやりと見ていた。ガヤガヤと喧噪。服装に関する注意喚起。きゃあきゃあと楽しそうに笑う女の子たち。何かの係なのかクラス全員分のものと思われるノートを抱えて歩く男子生徒。前方に、どこかで見たことのある背丈の三年生。

「あ」

 誰なのかすぐにわかったけれど、誰といえばいいのか少し悩む。声をかけるかどうか、も悩んでしまう。かけないのは失礼だけれど、かける必要もないかもしれない。話すことがきっと、ない。このまま歩調を早めず後ろを歩いていれば気づかれないし、僕も気づかなかったことに出来る。けれどそう思ったのも束の間で、前方の背中は立ち止まってしまう。誰かと話をし始めたようだ。ならば軽く会釈をして通り過ぎよう。数歩歩いてその選択肢はどうやら選べないようだということを悟る。誰かも知っている人だった。背を向けていないその人の方が僕に気づき「よぉ」と軽く片手をあげた。急ぎでもなければ通り過ぎる理由がない僕は足を止めて「こんにちは」とお辞儀をした。

「なんだ、誰かと思ったら坂上君か」
「なんだって……」

 振り向いたその人に苦笑いを浮かべていると、「新堂には挨拶して僕にはなしかい?」などと言われたので、二人に向けてだったんだけどなと思いつつも口では大人しく、

「こんにちは、風間さん」

 と言っておく。部で開いた七不思議の会合で語り部として話をしてくれた先輩達だ。敬語で話すのが自然だろう。

「ふむ、言えるじゃないか。じゃあ今度はこう言ってみなさい、風間さんは素晴らしい。さん、はい」
「……何言ってんだお前」

 言ったのは僕ではなく、新堂さんである。でも内心は僕もおんなじだ。何言ってるんだこの人は。思い切り顔を顰める新堂さんに風間さんが向き直る。

「まともに挨拶も出来ないような可哀想な後輩に、常識を教えてあげようとしてるだけだよ」

 そんな世界の常識なんて絶対にいらないと思う。というか風間さんに可哀想なんていわれたくはないし、そもそも挨拶をしていないのは風間さんの方だ。認識している常識が違う以上、僕と風間さんは異なる別の世界でいきているのだろう。僕がそれを知ることはない。

「お前のどこが常識人なんだよ! ……まあいいや、常識人ならわかるだろ、風間。さっさと俺の百円を返せよ」

 新堂さんが開いた大きな手を、風間さんはじっと見つめて、

「……君、生命線の割に結婚線とか寂しいことになってるね」
「殴るぞ」
「あーやだやだ、感情線が上向きだ。男で感情的ってどうなのって痛い、新堂痛いよ君」

 再度風間さんの頭に拳を落とそうと腕を振り上げた新堂さんを流石に止める。新堂さんの気持ちがそれこそ痛いほどわかるけれど、人も多い廊下で殴り合いの喧嘩になっても困ってしまう。

「大体なんだい、俺の百円って。僕が持っているのは僕の百円だけだよ」
「嘘つけ。一昨日自販機の前で財布忘れたって言ってたお前に百円貸してやっただろ。その百円でコーヒー牛乳買ったはずだろ」

 構内にある自販機は紙パックの自販機が主で、それらはほとんどのジュースが百円になっている。

「覚えてないなぁ、もし仮に僕が君から百円を借りていたとしてもさ。今さっき殴られた慰謝料はそれ以上になると思うよ? そう考えたら安」

「い」まで言わず再び殴られそうになる風間さんは、怯えもせずにやにやとしていて僕は新堂さんの腕を慌てて掴んで止める。風間さんの怪我よりも新堂さんの財布の方が心配だ。

「駄目ですよ! イチャモン慰謝料が更に増えちゃいますよ!」
「く……っ、坂上、お前だってこないだの集会の時こいつに金とられてただろ、あれ返してもらってねぇんじゃないか?」

 そういえば。
 怖い話を話す前に五百円を出せと言われて出したっけ。てっきり五百円にまつわる怖い話か、もしくは小道具として使用するのだと思ったのだけれどそんなことは全くなく、ただ風間さんの懐に入れられてしまっただけだった。ただの余談だが、本当に文字通り懐に入れられたのでなんだか回収する気が削がれたのだった。思い出すとなんだかふつふつとした気持ちがあふれて来た。

「そうですよ、風間さん。僕から奪った五百円と新堂さんから借りた百円、どちらも返してください。同じものじゃなくていいですから」

 手のひらを出そうとして、手相を見られそうでやめておく。手相なんか別に気にならないし、風間さんに占われても仕方がない。駅前なんかで路上で手相占いなんかをやっている人達がいるけれど、あれって以外と高いお金をとられるらしい。風間さんのインチキ占いはそれより安いものなのかもしれないけれど、だからと言って望んで見てもらう訳ではないのでマイナスの支出にしかならないだろう。

「奪っただなんて、とんでもないことを言う奴だな。僕はちゃんと話をしてあげたっていうのに。君はそれに見合う対価を支払っただけだろう? とんだクレーマーだな」
「とんでもないことを言ったり話したりしてるのは風間さんの方です。僕がクレーマーなら風間さんは宇宙人かなんかですよ」

 何言ってるんだ僕は。風間さんもそう思ったのだろう、一瞬目を丸くした風間さんはすぐにまたにやにやとした笑みを浮かべて僕を見下ろしていた。ば、馬鹿にされた。

「いいから返せよ、風間」
「うるさいなぁ、細かい男は嫌われるよ?」
「お前より人に好かれる自信あるっての」
「え、ちょっと何それ聞き捨てならないんだけど」

 下らないことで言い争う二人の姿は、初めて見るものに違いないけれど、同時にどうしようもなく懐かしいものだった。かわってないんだなぁと思う。かわったこともたくさんあるけれど。僕はどうなのだろうか。こうして二人の会話に割って入ることが出来ないことが、かわっていないことだといえるのだろうか。

 昼休み、あと5分だよ。

 すぐ近くを歩いていた女の子達のうち、一人が時計を見てそう言った。それを受けてその子達は足早に教室へ向かい歩いて行く。その声を聞いた何人かもつられるように足を速めて、新堂さんと風間さんも顔を見合わせた。三年の教室まで、ここは少し距離がある。

「あー……そろそろ、戻らないとな」
「お、確か次は科学室まで移動しないと行けないんだった。僕はそろそろ失礼するよ」

 ひらひらと手を振りながら風間さんが僕と新堂さんに背を向けて歩き出した。新堂さんが風間さんの名前を呼ぶけれど知らんぷりだった。ちっ、と新堂さんが舌打ちをする。

「ああいう奴なんだよなぁ……すぐには無理かもしんねぇけど、坂上の分も絶対取り返してみせるからさ」

 新堂さんが僕の分も回収する必要はないのに。そう思うけれど、僕はその心遣いが嬉しくて頷いた。あ、そうだ。風間さんの声だった。

「坂上君、ほら」

 ポケットから取り出した何かを、僕にむかって、ぽいっとぞんざいに投げた。弧を描いて落ちて行くそれを僕は両手で慌てて受け取った。落とさなかったことにふぅと息をつき、両の手を開く。コーラか何かの、王冠だった。


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風間さんを書くのが楽しくておわらない。

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