月の光を遮って、空を埋め尽くす。群れが物量を増して、闇が深く侵食する。

【―ィ―ノ――ンスを奪エ―】
【スカル――殺せ!!】
【殺セェェエ!!】

 折り重なって判別し辛い雑音が、辛うじて言葉になっているのだと分かる。怨唆に混じる名は、彼女を追ってきたものだと告げていた。

 ルイは呆然と集団を見上げている。――笑っていたように見えたのは、錯覚だったに違いない。

「……止め、ないと…」

 体が竦む、けれど、動かなくては死んでしまう。
 行かなくては、死なせてしまう。

 飛び出そうと踏み込む、目先に傍らから刀(鞘に入ったまま)が出された。反射的に仰け反らなければ顔面を強打していた。

「待て」
「…はぁ?」
「動くなと言っている。待機だ」
「…っまだそんな事言ってんですか!」

 眼前の刀を掴み、除けようとするが思った以上に力が強くぎぎぎぎぎ、とせめぎ合う。

「見えないんですか!?あんな数のアクマが、すぐそこまで来てるんですよ!?」
「元からそういう段取りだったはずだ」
「数が多過ぎます!だからこの作戦自体、無茶だって……」

 カッ!と、周囲が一瞬明るくなる。
 アクマは距離を縮めるのを待つことなく、無数の弾幕を撃ち出した。鼓膜を直接叩く爆音。

 エクソシストの全てが、アクマウィルスに対する抗体を持っているわけではない。見る限り、彼女は僕のような寄生型ではない。あんな数のアクマに集中攻撃されたら……一溜まりもない。
 見えてないはずがないのに、腰を上げもしないもう一人を、苛立ちと共に叱咤する。

「…神田!!」
「騒ぐな。中りゃしねぇよ」

 幾ら何でも、この関心の無さはなんだ?なんでこんな冷静で居られる?それでいて、彼の緊張にも似た警戒は一片も解かれてはいない。何を、警戒している……?

 制止を受け、ルイに狙いを定めた、雨のような砲弾が降り注ぐ瞬間を、ただ見守る他なかった。
 直後、着弾の衝撃に地が揺れ、一気に砕け蒸発した氷が舞い上がり、霧のように視界を覆う。
 撃ち続けたまま、アクマは急速に近づいてきた。銃弾は止まず、降り注ぐ。

(……こんな……)

 たまらず、目を瞑ってしまう。制止を振り切って、飛び込めば良かった?こんなの無理だって、端から止めておけば……

 ぐるぐると後悔が渦巻き、苛まれていると、不意に爆音が止んだ。
 終わって、しまったのか。恐る恐る、視線をそちらに向ける。濃い霧状になった氷が、爆風の余韻に流れていく。

 その中に――黒い団服がはためき、目を見張った。

 黒い扇を携えて屹立する、様子を見る限り服にもどこにも傷一つない。
 周囲に円を描いた弾痕は、瞬時に修復され、また大半が爆発さえしていなかった。あれほどの数の砲弾が、まるで彼女を避けたかのようだった。

「…本当に…あたってない、なんて……」
「ったりめえだ。そんなんで死ぬタマじゃねぇんだよ」

 ホッとする間もなく、再度砲弾が放たれる。
 が、髪や裾を煽るだけで、中らない。掠りもしない。一直線に彼女に向かうものも、軌道が逸れ、外れていく。着弾した湖面は直ぐに修復され、氷柱が立った。

 湖に着弾したものが、爆発しないのは、奇怪現象のイノセンスの作用であるらしい。軌道が逸れるのは、よくわからないが……

 ルイは軽く地を蹴り、危なげない足取りで氷上を駆け出した。
 痺れを切らしたように距離を縮めてきたアクマに、今度は氷柱が伸びる。広い湖面の至る所で、立て続けに何体ものアクマが湖に引きずり込まれていく。

 異様な光景だった。
 それでも、仲間意識の無い兵器は意に介する様子もなくルイに攻撃し続ける。飛ぶように駆ける彼女には掠りもせず、時折扇を翻し放つ空を斬る刃が、アクマ弾を撃ち落としていく。


 しかし……アクマの数は一向に減らない。
 ルイがアクマ弾に対策があり、素速いのもわかった。が、このままでは、数に圧されてしまうのも時間の問題だ。いつまでも逃げ回っていられるはずはない。

 左腕の具合を確認する。新しい形状に慣れていないし、不安はあるが……発動できないわけじゃない。
 大丈夫、戦える。言い聞かせるようにして、立ち上がり、隠れていた物蔭から出る。

「何のつもりだ」
「…このまま見てるだけなんて、僕にはできません」

 舌打ちが聴こえた。漸く腰を上げた神田は苛立ちを表すように六幻を軽く払い、一歩二歩と前へ出た。
 彼が振り返ると、正面から対峙する形になる。
 その背後で、彼女に向けられた攻撃が今も続いていた。

「君が止めようと、僕は戦いますよ」
「行かせねぇよ」

 六幻の刃を、その指がなぞる。
 立ち昇る、発動の光。剣先をはっきりと此方に向ける構えは、どう見ても本気で、

「その為に、俺が此処に居るんだからな」
「…っ…どうして!」

 どうして、そこまで頑なに、此処で僕を相手にしてるより、加勢して全員であたった方がまだ希望があるだろうに。

(何故……こんなことに、何の意味があるんだ…まさか本気で、彼女を見捨てる気なのか!?)

 力づくでも通ってやる、と構えた矢先。
 何かが、崩れるような音が。
 ガラガラバキバキと、辺り一帯に響き渡る。……なんだ?

 神田は切っ先を此方に向けたまま、視線だけで湖を見やり……フン、と鼻を鳴らした。

「意外と、呆気なかったな」

 その台詞が何を表しているのか、少し遅れて気付く。アクマを引きずり込んでいた氷柱が中途で砕け、絡め捕られたものも逃げ出していた。湖面も修復が追い付かなくなり、どころか、大きく裂け割れ始めている。

「湖が……」
「限界が来たんだろ。中のアクマも、直に這い出て来る……“始まるぞ”」
「…は…!?…がっ…ぅ…」

 問答無用で頭をひっつかまれ、地に叩きつけられる。文句を言う間もなく、身に覚えがある衝撃が、頭上を通り過ぎていった。

 ――戦慄。
 ビリビリとうなじが粟立ち、数拍後に重なる爆発音と熱。

 押さえつけていた手が放され、顔を上げると……周囲は様変わりしていた。

 僕等が身を隠し、鬱蒼と繁っていた一帯の木が切り倒されていた。それも不自然な半円状で、更に火が燃え移り、煙が上がっていた。

「……なっ…!…え……え!?」
「運が良かったな、新人……」

 うんざりしたような声音が、降ってくる。状況が呑み込めない僕は、きょろきょろと辺りを見回すだけで、やたらと見やすくなった視界のその先で、彼女の姿を認識した。

「…あーやだやだ、我慢とか…性に合わないんだよねぇ……」

 ゆらり、と。
 思いっきり腕を振り切ったような体勢から身を起こしたルイは、ゆったりと呟く。

 そして、今更ながら気付く。
 今のは、数時間前の飛来する刃と同質で、彼女の武器が放ったものだと。

 そして――たった一閃で、周囲の木もろとも何十体ものアクマを破壊した彼女は、その武器でバチン!と音を立てて掌を打った。発動の光に似た、燐光が揺らめく。

 ――ざわり、と。
 この感覚にも、覚えがある。殺気、だ。纏わりつくのではなく、真っ直ぐに突き刺さる、純粋な殺意。


「警戒を解くな。“奴”から目を離すな。……アクマなんかよりよっぽど質の悪い、“アレ”は、最後の一体を破壊するまで止まらない」


 どこか遠くに聴こえる神田の声に重なって、ざわざわと、神経がざわつくのがわかる。
 鼓動が早鐘を打ってうるさい。嫌な予感がした、本能的な、とんでもない間違いを犯してしまったような、取り返しのつかないことが起きているような。

 
「もう、いいよね?…手加減なしで、いいよね?」


 声量もないその呟きが、直接耳に届いた気がした。

 淡く発光した武器が体積を増し、更に同じ形状のものがもう一つ、現れる。その間にも、アクマの銃撃が襲うのに、やはり意に介する様子もなく、それらは逸れるばかりで傷を負わせることもない。
 神田は、目を逸らすことなく、固い声音で言い募った。


「無闇に突っ込むと……“まとめて”殺られるからな。隙を見せると、死ぬぜ」


 ――殺られる、誰に?
 ――隙を見せた瞬間、狩られるのは、誰?

 
 彼女は、微かに細い光で繋がる一対を両手に携え、漸く準備は整ったと言わんばかりに。
 扇を翻し、誘う。――舞台へと。


「さ、やろうか」


 まるで、ダンスに誘うかのような、軽快さと微笑み。

 やっと――やっと。

 アクマの声ではない。
 場違いな、歓喜に満ちた声が、聴こえた気がした。













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