その笑顔は、優しさや暖かさとは無縁だった。
張り付けたような笑みとは全く質の異なるもの。心から溢れるような、愉しくて愉しくて堪らない、といった表情。こんな顔が出来る人間は、幸福に違いない。
――此処が、戦場でさえ、なければ。
花火が夜空を飾るが如く、乱発する爆音。風を切る音、唸る大気。
チカチカと不定期な明滅に照らされて、不格好なシルエットが浮かび上がる。
【バカだなーアイツら、闇雲に突っ込んだって《屍》相手に敵うわけねーのに】
【レベル1は頭悪いからなァ】
【オレらは忠実に、与えられた任務をこなしましょー】
不気味な体躯、不可思議な声。三者三様に歪な形状をしたアクマは、それぞれレベル2に成長し自我を持っていた為、爆発の最中にある一団とは別の役割を与えられていた。
凄絶な戦いに巻き込まれない絶妙な距離を測りながら浮遊し、あるものを捜している。
【なんだってんだよこの湖は…】
【だーからー、イノセンスがある証拠だろ?】
【取ってこいって、言われてもなァ】
どこにあんだよー、と抑揚のない声が両手(のような部分)を広げてみせる。
大して、もう一体、やたらと甲高い声がキーキー喚き立てる。
【どー考えてもこの中っショ!!】
【湖の中?】
【あんまあっち近づきたくねェしサー、いやまぁやるケド…】
《屍》が交戦している辺りを向き、改めて距離を確認しながら、自らの感覚を研ぎ澄ませる。
ダークマターはイノセンスと対極の存在である為、存在をある程度認識できる。特に、この個体の能力は探索に優れているため、回収の役割があてられているのだった。
レーダーに似た頭上のアンテナをクルクル回しながら、唸りつつそこらを飛び回る。この辺に間違いないのだから、すぐに見つかりそうなものだが。
【あそこ、光ってる!あれじゃん!?】
割れた湖の、深い部分。ぼんやりと光を発する氷の塊があった。
にょーん、と伸ばした手を隙間から突っ込み、バキバキ氷を破壊しながら引き上げてくる。
【おー!それだ!このイヤ〜な感じ!】
【え!?オレが持つの!?】
【そのデケー両手は飾りか】
【デカさ関係ねぇじゃん!イタいじゃん!】
「ご苦労だったな」
【これで、伯爵様に】
【…うん?今、誰が喋った?】
達成感に浸っていたところ、不意に自身の影が、変な形に歪む。
細長いシルエット――人型が、闇から現れる。
「渡して貰おうか、レベル2?」
(((え、えええエクソシストぉおお!??《屍》以外に居たの!!?)))
実際に叫ぶ間も与えられず、せっかく苦労して手に入れたものは呆気なく強奪されることになる。
神田は、言いたいだけ言った後、いつの間にか消えていた。元より、そういう作戦だったのを忘れていた。
湖の現象を止めるために、アクマを呼び寄せ。変化があり次第、イノセンスの捜索を始める。
湖の氷が砕けたから、すぐに行動を起こしたのは理解できる。
ぼんやりと(そう、本当にぼんやりと、)暢気に考えながら――目の前で起こっている現象を、見ていた。
現象、と言って憚らない。現実味のない光景。
信じ難い光景だった。
アクマが絶えず銃弾を降らせる、その直中に、躊躇もせず飛び込んでいく。かわす事も、防ぐ事もせず、時間の無駄だと言わんばかりに。一直線に距離を詰め、片っ端から斬り倒し、薙ぎ倒していく。
両手に携えた扇――今は閉じられているが――を巧みに操り、それこそ弾丸のような威力で突っ込み、斬り、次へ、また次へ。囲まれれば扇を開き、飛ぶ斬撃で一閃する。
武器も相まって、ただアクマの中心で舞っているようですらあった。
(…――すご、い)
漸く、彼等が口にした『見ていろ』という指示の真意を知った。
『見ている』ことしか、出来ないのだ。
頬に熱気が吹き付ける程の距離にいるのに、何もできずにいる。自分が無力であるから、に他ならないのだが、そんな後ろ向きな理由だけではない。
素人目で見ても、『必要がない』ことが明らかだったからだ。
(戦える、なんてもんじゃない。――圧倒的、だ……)
見ているしかない。見ているだけでいい――手を出す隙が、ない。
まるで、師匠の戦いを見ているような感覚。
とは言え師匠はああいう性格だから、戦い方はまるで違うしあんな規模の群れを相手にしたこともない。
時折攻撃の余波が此方にも飛んでくる為、気を抜く余裕はないが……確かに先程まであった絶望感が、霧散していた。
まだアクマの数は多い、予断を許さない状況は変わっていない、はずなのに。
戦いに身を投じる彼女は。
とてもとても――楽しそうに、笑うから。
こんな戦い方をするエクソシストが、彼女の他に、存在するのだろうか?
こんな風に、笑って、剣を振るうエクソシストが居るのだろうか?
(……なんだろう、何か――)
得体の知れなかった何かが、やっと、形を成してきそうな……
バキンッ!
湖面を砕きながら着地したルイは、手を払って得物の片割れを消した。
残った扇の『本体』が再度発光し、軌跡を描く。
「…第2解放、」
見る見るそれは巨大化し、身の丈以上のサイズに変化する。
「――《型・扇鷲》」
重さを感じさせずに、勢いをつけて彼女は投擲した。ブーメランのように回転しながら軌道に居るアクマを薙ぎ倒していく。
群れの中にはレベル2も混じっているのだが、ほぼ抵抗を許さず破壊し、霧散させている。見た目だけでなく、重量も相応にあるらしい。
そんな使い方もできるのか、
「……ってこっちきたぁぁあ!?」
とっさに頭を下げ地に這い蹲ってやり過ごした。危うく首から上持ってかれるところだった……
間一髪にぜーはー言ってると、ルイが此方を見て、笑った気がした。
(…えっ……)
一瞬後には、またアクマへと向いている。
気のせい、だったのか…?
その質量を受けるにはあまりにも軽く、戻ってきた武器を受け止め、再度投げる。
確かに、威力は甚大なのだが……投擲して戻ってくるまで、彼女は武器を手にしていないことになる。
つまり、そこを狙われてしまうのは必然なわけで。
投げた直後の背後に、アクマが奇襲をかける。
「…ルイ!危な……っ」
【もらったぁぁ、ア゛】
「――武器を、放り出すのは、」
神速の一閃、脳天から一気に六幻を突き刺し、アクマを破壊する。
爆風に煽られたコートを翻し、どこからともなく戦闘の中心に現れた神田は、ついでと言わんばかりに戻ってきたルイの武器も弾き飛ばした。
「後ろガラ空きになるからヤメロって何度も何度も」
「…やれやれ。文句ばっかりだな、相変わらず」
余計な行為を咎めることもなく、すっと片手を上げると。あらぬ方の地面に突き刺さってしまったはずの扇が霧散し、気付けば彼女の手中に通常のサイズで納まっていた。
「回収は?」
「とっくに終わってる」
「そ。それは上々」
バチン!と閉じた扇が一振りで剣へと換わる。
慣れた様子で背中合わせに構える神田は、先のブーメラン攻撃で大きく数が減った――もはや十体程度しか残っていない――アクマを見据えた。
それらは、彼女の豪快な攻撃を、少なくとも凌いだ手強いアクマ。能力を有するレベル2だった。
「手、出すぞ」
「え〜…当たっても知らないよ?」
「少しは気ィ遣え、馬鹿力」
【調子に乗ンじゃねェヨ、エクソシスト共オオオオオオオ!!!!】
咆哮が、攻撃となって2人を襲う。
――湖に集まったアクマの一団。
総ての殲滅にかかった時間は、精々1時間。
この任務でアレンは結局一度も、発動することはなかった。
→
∴