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「遠回りだったね」



 十月中旬のとある夜、私は彼に思わぬ形で再会してしまった。あんな別れ方だったから、彼からの連絡は当然のようにぱったりと途絶えたし、私の方からも連絡をすることはなかった。というか、そんな勇気など持ち合わせていなかった。
 彼のことを拒絶したかったわけじゃない。関係を終わらせたかったわけでもない。本当は、進みたかった。けれどそれを言うことはできなくて、言えないまま、彼の方から見切りを付けられるようなことを言われた。始まりも終わりも宙ぶらりん。私達らしいと言えばそうかもしれない。

 そんな感じだったから、まさか初めて会った時のように合コンの席で再会を果たすなんて思ってもみなかったのだ。それは相手も同じだったようで、私の目の前に座る彼は終始気まずそうだった。
 私が合コンに参加することになったのは、友達が「昔の恋を忘れるには新しい恋を始めるのが一番いい」とわざわざセッティングしてくれたのを断りきれなかったからであって、彼のことをすっかり忘れてしまったからではない。けれど、彼はもう私のことなんて綺麗さっぱり忘れて、次の出会いを求めてこの合コンに参加したのだろう。それならば、私とは極力関わらない方が良い。
 そう思って、彼の方には絶対に視線を向けなかった。彼の隣と、その隣の人とできるだけ普通に当たり障りのない会話をして「私はもう大丈夫です、何も気にしていません」というのをあからさまに態度で示す。そうしなければ、彼は楽しめないだろうから。そして私自身も、平静を保っていられなかったから。

 合コンは滞りなく終わった。きちんと見ていなかったから知らなかったけれど、彼はどうやらお酒を飲みすぎてしまったらしく、お店を出てふらふらと歩く足取りは非常に危なっかしい。彼の先輩達と意気投合したらしい私の友人達は次のお店に繰り出すらしいけれど、彼は帰ると聞いた。そして私も帰る予定。
 ここで話しかけるのは未練がましい女だろうか。嫌な顔をされるだろうか。考えて、すぐに答えは導き出された。彼はたとえどんなに私に興味がなくなっていたとしても、本当はもう二度と関わりたくないと思っていたとしても、こちらを不愉快にさせるような対応はしない。優しい人だから。
 そんな優しさに縋り付くように「家ってこっち?」「タクシー呼ぼうか?」などと無難な声をかけた私に、彼はやっぱり驚きこそ露わにして見せたけれど、嫌な顔はひとつもしなかった。それどころか、とんでもない発言をしてきたのである。

「タクシー呼ばなくていいから、俺と一緒に帰って」

 耳を疑った。けれど、思わず見つめてしまった彼の瞳は酔っ払いとは思えぬほど真剣で、今の発言が冗談ではないことを物語っていた。彼と一緒に帰ったら、どうなるのだろう。また初めて出会った日と同じように、だらだらとそういう展開にもつれ込んでしまうのだろうか。

「……や、だ」

 考えて、咄嗟に口から出てきていたのは、彼を拒絶するような一言。何度も言うように、私は彼のことを拒絶したいなんて思っていない。拒絶したいのは、有耶無耶な関係性だ。
 最初はぐだぐだした、名前のない関係でも良いと思っていた。それでお互いが満たされるなら構わないと割り切ることにしていた。けれど、彼は手を出してくれなかった。その代わり、まるで本当の恋人を相手にしているみたいに楽しい時間を与えてくれた。だから私は、名前のない関係では嫌だと思うようになってしまった。
 ここで彼と一緒に帰りまたあの時と同じ流れになったら、私はそれを拒絶できない。拒絶できるだけの理由がない。私は彼のことが好きだから。
 けれど、彼は私と同じ気持ちじゃない。それは嫌だった。我儘で自分勝手な女である。だから、同じ過ちを犯さないように予防線を張った。「やだ」という言葉は拒絶ではない。自分を守るための防御壁だ。
 そんな身を裂くような思いで言葉を吐き出したにもかかわらず、彼は言った。「これが最後になっても良いから」と、懇願するように。依然として真剣な光を携えたまま。掴まれた手は、痛くない代わりにひどく熱い。

 「最後になっても良いなんて言わないで」。そう言ったら、彼はどう思うだろう。今度こそ、未練がましい女だと嫌気がさすだろうか。そんなことを思う人じゃないと分かっていても、一度彼から離れておきながら都合よく擦り寄る女だとは絶対に思われたくなくて、言葉に詰まる。
 どうするのが良い女? 少しでも彼の記憶に残る女になるためにはどうしたら良い? コンマ数秒の間にただそれだけを考えた。そして私は、言葉を紡いだ。

「そんなこと言うなら、最後になっても良いからもう一回……して」
「……へ?」
「電気くん」

 最後になっても良いから。彼はそう言った。それならば私も、最後にもう一度彼に触れてもらいたいと思った。最後になんてしたくはないけれど、もしもこれが本当に最後になると言うのなら、私に彼を刻みつけてほしかった。
 彼がどういう理由でずっと私に手を出してくれなかったのかは分からない。初めて身体を重ねた時に相性が悪いと思われたからかもしれないし、単純に欲情しなかったからかもしれない。だからこのお願いは、本当に私の我儘だ。
 それでも彼はどこまでも優しいから、掴んでいた私の手を引っ張って歩き出してくれた。何も言わずに、ずんずんと。一ヶ月前と同じだ。怒っているわけではないけれどピリついた空気。私はまた間違えてしまったのかもしれない。優しい彼を困らせて、イラつかせて、不愉快な気持ちにさせてしまったのかもしれない。そう考えると、言わなければ良かったという後悔に苛まれた。
 けれども同時に、これが最後になるならもうどうでも良いかという気持ちにもなっていた。ここからどこへ行こうと、何を言われようと、何をされようと、全部思い出にしてしまえば良い。投げやりとはまた違う。開き直りというやつだ。

「俺、酔ってるように見える?」
「え? え、と……今はそうでもなさそう、かな」
「じゃあこれから言うこと、酔ってるからだって理由で信じないのはなしにして」

 私は彼の声のトーンが好きだ。朗らかで明るくて、その声を聞くだけで元気になれる。けれど、今の声はそれとは違った。
 静かで、落ち着いていて、いつもより大人びた音色。ほとんど聞いたことはないけれど、私はこの声のトーンを知っている。一ヶ月前、私だけを特別な女の子だと思っていると言ってくれた時と同じだ。
 ずんずんと歩くスピードは変わらない。こちらを振り返りもしない。ふらふら歩いていて危なっかしかったはずの彼に、私は今、引っ張られている。
 痛くはないけれど逃げることはできない絶妙な力加減で掴まれている手。その手が離されたのは、忘れもしない、私達の中途半端な関係の始まりであるホテルの前だった。
 彼が振り返り、私を射抜くように見つめる。逸らしたいのに逸らせない。逸らせてもらえない。彼の瞳には、それだけの力があった。

「なまえちゃんのこと、軽々しく抱きたくないと思ってた」
「どうして?」
「大事にしたかったから」
「そんなこと言うけど最初は、」
「分かってる。最初はあんなに簡単に流れに身を任せて抱いたくせに何を今更って感じなのは。だからずっと後悔してた。最初からちゃんと言うべきだったって」

 私が「何を?」と尋ねる前に、彼が私に一歩近付いた。視線はいまだに絡み合ったまま。どくりどくり。自分の心臓の音だけが、やけに大きく聞こえる。

「こんなとこで言うことじゃないかもしれないけど、初めて会った時からずっと、なまえちゃんのことが好きなんだ」

 ひゅっ、と。一瞬、呼吸が止まった。好き。電気くんが私のことを。その言葉を理解するのに時間を要す。
 思えば初めて身体を重ねた日、過ちを犯した日、彼は「あとで言う」と、私に何かを言おうとしていた。例えばそれが、今言った「好き」という言葉だったとしたら? 焦って私が逃げてしまったことで、彼を傷付けていたのだとしたら? 再会してからずっと健全なデートを重ねてきたのは、もう同じ過ちを犯さないように慎重になっていただけなのだとしたら?
 酔っ払いの戯言かもしれない。明日になったら「そんなこと言ったっけ?」ととぼけられるかもしれない。けれども彼はさっき言った。「酔ってるからだって理由で信じないのはなしにして」と。じゃあ私にできることは、一つしかないじゃないか。

「電気くん」
「エッチしたいから言ってるとかじゃなくて、俺はほんとに、」
「私も好き」
「……え」
「だから、私は電気くんとエッチしたい」

 はしたない女だ。セックスしたいと自分から強請る女なんて、好きでいてもらえる方がおかしいと思う。でも、仕方ない。私はずっと彼に触れてもらいたかったんだもの。
 私のセリフを聞いて目をこれでもかと大きく見開いた彼は、口元に手を当てて項垂れ、私に顔を見られないようにするためかそっぽを向いた。先ほどまでの勢いはどこへやら。完全に動揺しきっている。すっかりいつもの電気くんだ。それを喜ぶべきか嘆くべきか。ホテルの前で右往左往している私達は、傍から見ればさぞかし滑稽なカップルだろう。

「いや?」
「なわけないじゃん……」
「じゃあ入ろ?」
「〜っ……じゃあ先に謝っとく」
「何を?」
「今、優しくできる自信ない」

 顔を上げて私に向けてきた彼の瞳には、先ほどまでの光が戻ってきていた。


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