ひより | ナノ
繁華街へのおつかいは一人で行くはずだった。
それなのに…
「オレが護衛でついて行くことになったから」
どうしてこうなってしまったのだろう。
「行こっか」
「え、ちょ、待ってくださいカカシさん!私はカカシさんが一緒だなんて聞いていません」
「ま、昨日決まったことだしね」
「なんでこんな急に。……もしかして、父に頼まれたんですか?」
ふと、父の顔が思い浮かぶ。昨日まで自分が行くだの忍を雇うだの言っていたのに、今朝行く時は普通に送り出された。もし、父がカカシさんに頼んでいたのだとしたら、今朝の落ち着きようにも納得がいく。
「親父さん、ひよりちゃんが一人で行くことにとても心配されていたよ」
「……」
私が代わりに行くと言った時の、心配そうな父の顔が思い浮かぶ。
「それともひよりちゃんはオレじゃ不安?これでも結構腕が立つんだけどなー」
「そんなっ…不安だなんてとんでもないです!」
わざと戯けたように言うカカシさんを慌てて否定した。カカシさんがいてくださるならこちらとしても心強いけど本当にいいんだろうか。
カカシさんの顔を窺うと、彼は私の返事を待っている。父とカカシさんの間で決まったことなら、今更私が何を言ったところで、この人は上手いこと言いくるめてついて来る気なのだろう。
私が観念して「宜しくお願いします」と頭を下げると、カカシさんは満足気に笑った。
里を出てしばらくは平坦な森が続いていた。
里と変わり映えのない景色だけれど、風に揺れる葉音も小鳥のさえずりも、どこまでも続いている緑の門も、その隙間から道を誘導するよう差し込む陽射しも、外の世界というだけで何もかもが新鮮に映る。一人だったら不安でいっぱいで、こんな風に景色を楽しむ余裕もなかったに違いない。
ぼんやり景色を眺めながら歩いていると、ツンっと何かに躓いた。ぐらりと体が前に傾いて、このままでは転んでしまうと頭ではわかっているのに、咄嗟のことで体が動かない。
来るべき衝撃に備えてぎゅっと目を閉じると、腰に回された強い力に抱き寄せられた。
「大丈夫?」
恐る恐る目を開けると、目の前には地面と自分の足が映っている。
地面と衝突しなかったことに安堵して横を見ると、カカシさんが私を抱き留めていた。
「……っ、あ…あの!」
カカシさんと密着していることに気付いてどうしていいかわからずにいると、カカシさんの手は何事もなかったかのように離れていった。
あれ?なんだろう、今
「不安定な所があるから気を付けて」
「は、はい!ありがとうございます」
一瞬呼吸が止まったような気がした。
再び歩き出してからも、隣のカカシさんのことが気になって落ち着かない。考えてみれば、カカシさんとは今まで店の中のカウンター越しに話をしていることが多かったから、こうして肩を並べて歩くのは初めてかもしれない。
並んでみると猫背だけど背が高いことや、ゆらゆらと風に揺れる銀髪は硬そうにみえて意外と柔らかいこと、抱きとめてくれた腕は布越しでもわかるくらい逞しいこと、店にいるだけではきっと気づけなかった。
「あの……いきなり襲われるなんてことはあるのでしょうか」
「一般人の護衛で敵襲に合うことは滅多にないよ」
「そうなんですね…よかった」
「隠れていても気配はわかるから、ひよりちゃんは心配いらないよ」
「姿が見えなくても居場所がわかるんですか?」
「一定の範囲内ならね」
「へえー」
私が「すごく忍っぽいですね」と感嘆の声を漏らすと、カカシさんは「ぽいじゃなくて本物だからね」とくすくすと笑った。あ、今の顔初めて見る顔だ。笑った顔は何度か見たことがあるけど、今みたいに無邪気な少年みたいに笑うカカシさんはとても可愛かった。
もっとカカシさんの新しい一面が知りたい。
今日一日であと何回新しいカカシさんに会えるだろうかと、期待に胸を膨らませた。
森を歩いているうちに陽はすっかり高いところに昇っていて、里を出る時は羽織り物が一枚欲しいくらい肌寒かったのに、今は汗ばむくらいに気温は上がっていた。
かれこれ一時間近くは森の中を歩いている。普段こんなに歩き回ることはないから流石に疲れてきた。
「そろそろ休憩にしよっか」
「そうですね」
カカシさんは息ひとつ乱れていない。流石忍だなあ。
近くに休めそうな岩場があったのでそこで一休みすることになった。岩場に腰をかけると、カカシさんは私の傍らで立ったままでいるので不思議に思い声をかける。
「カカシさんも座って休んでください」
「オレは疲れてないからこのままで平気だよ」
カカシさんはにっこり笑って、また周囲に目を配りはじめる。
任務中だから仕方がないのかも知れないけど、時々カカシさんとすごく距離を感じる時がある。というよりも、それ以上踏み込ませないように距離を置かれる時があるのだ。カカシさんは忍で私が一般人だから、当然といえば当然なんだけど、私はそれが少し寂しい。
今だって任務中だろうが休んで貰っても全然構わないのに、笑顔で牽制されたらそれ以上何も言えなくなる。
せめて少しでも休んで貰おうと、水筒に入れて持ってきたお茶を備えつけのコップに入れて渡すと「疲れたでしょ?先に飲みなよ」と言われてしまった。口では敵わないことはもうわかっているので、さっさと先に飲んでカカシさんに渡すとようやく受け取って貰えた。
カカシさんが当然のように顔を背けるのを見ながらふと思う。
これって……間接キスなのでは?
ど、どうしようコップの縁拭わないまま渡してしまった。私はここで飲んだのでカカシさんはこっちで飲んでくださいって言った方がよかった?でもそれだと変に意識しているみたいだし……。
「ん?どうかした?」
「いえ、何も」
カカシさんは気にしている様子はまったくない。一人で意識している自分が恥ずかしい。
まともに顔が見られず何気なく視線を足元に落とすと、クローバー畑が広がっていた。葉を一つ一つ掻き分けて四つ葉のクローバーがないか探していく。クローバー畑を見ると四つ葉がないかつい探してしまうのはもはや人間の習性だと思う。珍しいものだからそう簡単には見つからないけど……。もし見つけられたら、カカシさんにあげようと思ったのに。
……そうだカカシさん!
四つ葉探しに夢中になっていてすっかりカカシさんの存在を忘れていた。
ハッとして顔を上げると、すごく優しい表情をしたカカシさんと目が合って、思わず息を飲む。
「見つかった?」
「……っ、いえ……」
ほら、まただ。
目を合わせた瞬間、呼吸が止まりそうになる。
「そろそろ出発しようか」
「そうですね」
距離を置いて突き放すかと思えば、今度は優しい目を向けてくる。カカシさんの行動はよくわからないや。
カカシさん曰く、もう半分以上は来ているらしい。
なだらかだった道は起伏が激しくなり、休憩したばかりだというのにもう息が上がってしまう。
「大丈夫?」
「はい……なんとか……」
石を積み上げたようなごつごつとした斜面にさしかかって、足場が不安定で気を抜けば転んでしまいそうになる。慎重に、ゆっくりと、恐る恐る歩いていると、スッと手が差し伸べられた。
「掴まって」
「ありがとうございます」
ふた回りも大きな手に手をそえると、力強く握り返された。
カカシさんに初めて出会った時、立ち上がる為手を引いて貰ったことはある。あの時は一瞬でよくわからなかったけど、今は繋いだ手の大きさや体温、力強さがしっかりと伝わってきて、心臓がいつもより忙しない。カカシさんはあくまで任務だからこうして手を貸してくれているだけなのに、私の心臓は大きな勘違いをしているらしい。
道が平坦になると、繋いだ手はあっさりと解かれた。私とカカシさんの関係を考えれば当然のことなのに、寂しいと感じてしまうのも、心が勘違いしているせいに違いない。
しばらく歩き続けると、大きな街が見えて来た。
「着いたよ」
「わあ…大きい街ですね」
繁華街というだけあって木ノ葉の里以上に人通りも盛んでかなり賑わっている。生鮮食品や飲食店に雑貨屋さん、見たことのないお店もあってどれも気になってしまう。きょろきょろしながら歩いているとカカシさんが小さく笑って「おつかいってなんなの?」と訊いてきた。どうやらおつかいの内容までは知らなかったらしい。
「この繁華街に味噌を買い付けているお店があるんです」
「へー、親父さんはいつもここまで来てるの?」
「いつもはお店の方が里まで来てくださるんですけど、今回は腰を痛めて来られないらしくて」
「なるほど。それでこっちから出向くことになったわけか」
「そういうことです」
父から預かったメモに描かれた地図を頼りに、味噌屋さんを目指す。この地図が正しければ此処から少し歩くようだ。
八百屋さんや魚屋さん、木の葉でもよく目にするお店を通り過ぎると、キラキラした物が目に留まって、思わず店の前で足が止まる。その店は天然石を使ったアクセサリーを売っている木ノ葉では見かけない珍しいお店だった。
最初に目に留まった桃色の石がついたブレスレットをかわいいなあと思い見ていると、お店の人がにこやかに話しかけてきた。
「気になるものがあれば試しにどうぞ」
「ありがとうございます」
「お姉さんにはこういうのが似合うと思いますよ」
お店の方が薦めてきたのは幅の太いブレスレットに派手な色の石をあしらったものだった。正直そういうのは趣味ではない為やんわり断ろうとすると、「こちらなんかどうですか?」とやたらと押しが強い。困ったなあと思っていると、横からスッと手が伸びてきた。それが誰のものなのか気づいて、声に出すより早く、その手は私が気になっていた桃色の石がついたブレスレットを取った。
「そんなニセモノ彼女には全然似合わないよ」
「カカシさん…!」
「ひよりちゃんにはこういう華奢な方が似合うと思うけど……これもニセモノだね」
こんなに綺麗なのに偽物なの?目を凝らして見ても全然わからない。
「なんだよあんた!」
突然のカカシさんの登場に、お店の人は先程までのにこやかな表情とは打って変わって怪訝そうに眉を顰めた。
「いやー護衛としては困るんですよねえ。大切な預かり物である彼女にこんなパチモン売り付けられちゃ」
「勝手なこと言うな!」
「勝手かどうかはお宅の方がよくわかってるんじゃない?今回は見逃してやるから彼女を解放しろ」
店の人の態度にカカシさんは動じることなく毅然とした態度で言い放った。店の人は怒りなのか図星だったのか、顔を赤くして押し黙ってしまった。
訳がわからないままその様子を見守っていると、カカシさんは私に向かってにこりと微笑んで、促されるようにその場を後にした。
カカシさんの後ろを黙ってついて行く。
どうしよう…カカシさんさっきから全然こっちを見ない。勝手に寄り道したから怒ってるのかも。ちゃんと謝らなきゃと思うのに、なかなか言葉が出てこない。
「ひよりちゃん」
「す、すみません!気になって寄り道してしまいました」
怒られると思い身を固くしていると、頭上から降ってきたのは想像していたよりもずっと優しい声だった。
「こっちこそ嫌な思いさせちゃってごめんね。でもあの店で売られてるのニセモノだから」
「私には全然わかりませんでした」
「こういう大きい街には悪いこと考える人もいるから、なるべくそばを離れないでね」
「……はい」
今までこんな詐欺まがいな事は自分とはかけ離れた出来事だと思っていた。まさか自分がまんまと騙されそうになるなんて。
自分の世間知らずっぷりに情けなくなって肩を落としていると、カカシさんは困ったように笑って「気になる店があるなら一緒に行くよ」と言ってくださった。
「でも味噌が……」
「重いし一番最後に回ればいいんじゃない?」
「カカシさんのお時間は大丈夫ですか?」
「大丈夫も何も、オレの時間を君に使う為にオレはここにいるんだけど?」
……どうしよう。カカシさんが私のそばにいてくれるのは任務だからだってわかってるのに、すごく嬉しい。
「で、どこから回ろうか?」
ついさっきまで犯罪に巻き込まれかけていたのが嘘みたいに、不安なんて微塵もない。
「あそこの雑貨屋さんが見たいです」
そばにいてくれる理由が任務だからだとしても、今だけはこの夢のような時間を楽しもう。
幸せと隣り合わせの旅
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