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けたたましい電子音が夢の中から意識を引きずり戻す。
 携帯の着信音だ。
 いつもは就寝前にミュートモードにしておくのだが、倒れ込むように眠ってしまったせいで失念していた。
 カーテン越しに差し込んだ日差しのおかげで寝室は明るい。相当の時間、眠っていたらしい。
 着信音はまだ鳴り響いている。しつこい相手だ。
 どうしようか迷っていたら、隣の腕がスマホに伸びるのが見えた。
 寝ぼけているのか、うるさい音をどうにかしようとしたのか、シズちゃんは音源である俺のスマホを手に取り、耳に当てた。
 慌てるより前に電話口から聞き慣れた声が聞こえて、上げかけた腕をおろす。客ならまずいと思ったが、あいつなら別に電話を取り上げる必要もない。
『あ、もしもし臨也? いい加減電話の一本でも十本でもかかってきてもおかしくないなと思っていたのに、なんの連絡もないからこっちからかけちゃったんだけど……ってあれ、返事がないな。もしもし? 電波悪いのかな? もしもーし、聞こえてる?』
 そういえば、新羅に文句のひとつも言えていなかった。目を閉じたまま逡巡し、どこか遠くで聞こえる会話にぼんやりと耳を傾ける。
「あー……なんだ新羅か。ノミ蟲なら寝てんぞ」
『……え? ああ、へえ、そうなの。で、臨也はいま近くにいる?』
「ああ。隣で寝てる」
『なるほど、それはまた……。ああいや、そろそろ薬の効果が切れた頃だと思うんだけど、どうかな。詳細を聞きたいところだけど本人じゃないとわからないだろうし、とりあえずちゃんと元に戻ってるか確認してもらえるかい? 臨也のほうがはっきり出ただろうから』
 新羅の質問を耳にしたシズちゃんは、豪快に布団を捲りあげた。蓄えた暖かい空気は逃げ、冷たい風が堂々と侵入してきて背中を丸める。
 遠慮ない手つきで裸の背中に触れられ、うう、と唸る。布団の外に出していたのか、骨張った手は珍しく俺の体温よりずっと低かった。寝返りを打って背を向けると、却って触りやすくしてしまって執拗に背中を撫でられる。
 鏡に映したり、自分の手を使わなくてもわかった。つるりとした、人間として違和感のない背中。眠っている間に薬効が切れたらしい。
 次いでシズちゃんは、俺の口に指を突っ込んだ。驚いて喉が鳴るが、シズちゃんは気にせず何かを確認するように歯列をなぞる。なんのいたずらか、最後に舌を摘んでから指は出ていった。牙の有無を確認していたのだと気づいたのは、指が出て行った後だった。
 あとで覚えてろよ、と口にするだけの体力はまだなく、心の中だけで呪う。シズちゃんは悪びれもせず、しれっと電話口に向かって答えた。
「大丈夫そうだけど」
『そうか、ならよかった。その調子だと特に副作用もなさそうだね。君の体調は?』
「別に、なんともないよ。こいつみてぇに羽が生えたわけでもねえし。あ……でも」
 何かを思い出したように言葉が途切れる。
「俺じゃなくて、臨也のほうなんだけどよ。こいつ、なんつーか……普段と全然違くて。そういうもんなのか?」
『違ったって、どういうふうに?』
「うまく言えないけど、ぼうっとして、酔っ払ってるみたいな。ノミ蟲が酔ったところなんて見たことねぇからわかんないけど。俺も臨也のヤツに血ぃ吸われてから、なんかカァッてなったし」
 要領を得ない説明に触発されて醜態を思い出し、起きていることがバレないように布団に顔を押しつける。シズちゃんの血を口にした途端、気持ちが高揚したのは事実だ。穴があったら入りたい。
『うーんそれはまた、よほど相性がよかったんだろうね』
「相性?」
『静雄の血を飲んで、臨也は一種の興奮状態になって、静雄は臨也に血を飲まれて同じく興奮状態になった。実験用ラットでも同じような事例があったと聞いたよ。相性がいいケースに起こるんだって』
「相性……」
 一言つぶやいて、シズちゃんは何か考え込むように黙ってしまう。
 新羅の解説を聞いて、気が遠くなる思いがした。
 ──たしかに、今までのセックスと比べてよかったのは事実だけど。
 新羅の言葉が真実であれ虚言であれ、シズちゃんの様子だと鵜呑みにしたに違いない。
 ──今更相性がどうのなんて、あるわけないだろ。
 すべて忘れたふりをしよう。
 記者会見で問い詰められた政治家みたいに、知らぬ存ぜぬで押し切ることを決める。
『それでどうだい? 相互理解はできたかな?』
「ああ……できたぞぉ……そりゃもう、すげえできた」
『それはなによりだ! これで君達の関係が前進しなかったら、セルティになんて弁明しようと焦心苦慮していたところだよ!』
「だからよぉ、もっと相互理解っつーもんを深めてぇと思ってよ。つーわけで、薬、あるだけ寄越せ」
『え?』
「まだあるんだろ?」
『いや、あることにはあるけど……これは試薬で、そんな頻繁に使うようなものでもないし、その要望には応えかねるかな』
 背後でシズちゃんが舌を打ったのが聞こえた。闇医者とはいえ、医者として最低限の矜持は捨てていなかった新羅に胸を撫で下ろす。あんな薬を寄越せだなんて、ロクでもないことを考えているに違いない。
『ところで、なぜ臨也の電話に静雄が出てるのかな?』
 ひやりとしたものが額を伝う。ようやく自分の犯したミスに気がついて愕然とした。
 俺とシズちゃんが同じ部屋にいるなんて、あってはならないことだ。スマホの向こうで意地の悪い顔をしている新羅の顔が目に浮かぶ。
 俺は狸寝入りを続けながら脳みそをフル回転させて言い訳を考える。
 ──どうしよう。今すぐ電話を変わるべきか? それとも……。
 なのにシズちゃんはごく落ち着いていた。この状況がどんなに悪いか理解していないのかもしれない。
「じゃあもう一錠だけ寄こせよ。臨也にあげたほうのやつ」
『まあ……うん、それくらいなら。でも、それはまたどうして』
「血を吸われたぶん、吸い返してやらねえと気が済まねえ。あと、空飛んでみてぇなって」
 そこまで聞いて、反射的に飛び起きた。寝たふりがバレのなんて瑣末なことだ。
 全部忘れてなかったことにしようとか、そんな計画が吹っ飛んだ。
 受話器の向こうでむせるほど大笑いする新羅の声が聞こえる。
 このまま新羅が薬を渡したら、血を吸われた挙句、空中遊泳に付き合わされるかもしれない。
 そんなことは何があっても御免こうむる。
 荒唐無稽な計画を断固として阻止すべく、シズちゃんの手からスマホを奪い取った。



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