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新羅の家でシズちゃんと鉢合わせたのは高校以来のことだった。
 近くを通ったからという理由で、新羅の顔を拝んでやろうと部屋のチャイムを押した。モニターで俺の顔を確認したんだろう、チャイムの返答はなかったが、さほど待つことなく嫌な顔をした新羅がドアを開けた。その顔を見て、タイミングが悪かったことを知る。今日はセルティが家にいるらしい。
 新羅は俺を追い出したがったが、セルティに『コーヒーぐらい許してやれ』と書かれたPADを見せられれば、たちまち戦意喪失してとぼとぼとキッチンへ向かった。インスタントコーヒーのパックが開けられたのを見届けて、許可なくどっかとソファに腰掛ける。
 俺のことは好きじゃないくせに、セルティのそういう人間としての一般常識に染まった部分を見ていると面白い気分になる。コーヒーを勧めてきたとはいえ、長居されるのはセルティも願い下げのようで、俺がPADを覗き込める位置には近づいてこなかった。「冷たいなぁ」と、わざとらしく声に出すも、反応はない。
 キッチンから戻った新羅は、俺の視界を遮るようにして割り込んで、音を立てながらコーヒーをテーブルに置く。カップをぞんざいに扱った反動で、暗い液体がぐわんと円を描くように揺れた。差し出されたドリンクを真上から覗き込んで、不満げな声を漏らす。
「このコーヒー、だいぶ量少なくない?」
「早く帰れって意味だって察してくれると嬉しいんだけど」
 自称友達は、作り笑いすら浮かべないで言ってのける。こういう態度を取られると、俺も意地でも長居したくなってくる。
 しかし、その予定は早々に狂うこととなる。
 新羅から出されたコーヒーに手をつけるより早く、彼はやって来た。
「よぉ、鍵開いてたから勝手に入って来ちまったぞ。いくらセルティいるからって、ちゃんと鍵くらい……」
 そこで言葉は途切れた。首が俺のほうを向いて固定され、サングラスの奥の目が徐々に見開かれる。
 間の悪さに新羅が深いため息をついた。口の中でもごもごと得意の四字熟語を唱えているのが、まるで念仏のようだ。
「新羅、ここオートロックだったよね?」
「それがちょっと修理中でね。うっかりしてたよ」
 はぁ、と聞こえよがしにため息を吐く。新羅の思惑通りになるのは気乗りしないが、こうなったらさっさと退散するのが吉だ。
「やあシズちゃん。新羅の部屋で会うなんて来神ぶりかな? それにしても酷い格好だねぇ。普通の人間なら、ひとの家にあがるのを躊躇する格好だ」
 服が汚れ、破れているせいで派手に怪我しているように見えるが、彼の異常な体質を考えるとせいぜい擦過傷と打撲がいいところだろう。だとすると闇医者としての新羅を訪ねてきたというより、俺と同じように、この近辺を通りかかったから顔を見せに来ただけに違いない。
 シズちゃんは部屋に俺の存在を認めるや否や、ブゥンと勢いよく拳を振り上げた。遊んでやろうか迷ったが、横目にセルティが動くのが見えて、コートに潜らせかけた手を引き戻す。
 セルティに間に立たれ、シズちゃんは仕方なしに振り上げた拳をぶるぶるさせながら下ろした。完全にスイッチが入ってしまったようで、宥めるセルティ越しに、肩で息をしながら俺を睨みつけている。その必死な形相を鼻で笑ってやったら、シズちゃんはますますいきり立った。
「どうせさっきの連中も手前の仕業なんだろうが! どけセルティ、ぶん殴ってそこの川に沈めてやらないと気が済まねぇ!」
「さっきの連中? なんのこと? シズちゃん、ついに珍獣認定されて怪しい組織にでも追われちゃったりしてたりするの? そのまま捕まって解体されちゃえばいいのに」
「ちょっと臨也、そういうことなら真っ先に私が優先されるべきだよ! 静雄と出会った当初から再三再四、解剖の依頼をしているんだから」
『新羅! 頼むからお前は黙ってろ、余計にややこしくなる』
 茶番のような一連の流れに対し、肩のあたりに持ってきた両手をひらひら左右に振った。挑発されたシズちゃんの顔はどんどん赤くなっていく。今にもこめかみの血管がはち切れそうだ。
 事実、シズちゃんの言う『さっきの連中』とやらと俺は、なんの関係もない。その辺のチンピラが突発的にシズちゃんに絡んだのだろう。なんでもかんでも俺のせいにしないでもらいたい。
「残念だけど俺は無関係、新羅が言うところの清廉潔白ってやつさ。今日シズちゃんとこんなところで会うなんてまったくの想定外だったし、会うってわかってたらわざわざ新羅の家に顔出したりなんかしてないよ。ていうかさぁ、その全部自分と結びつけて考えるクセやめたら? 自意識過剰にもほどがある」
「ああ……全部終わりにしてやるよ、手前をぶっ殺してなぁ!」
 今度こそナイフの柄に手をかけたが、素早く伸ばされた影に手首を固定されてしまい攻撃を断念した。シズちゃんの腕には俺より念入りにセルティから伸びた影が巻かれている。
『落ち着け静雄! 臨也の挑発になんて乗ってやるな!』
「ひどいなぁ。まるで俺が悪いことしたみたいじゃないか」
 笑みを浮かべてはいるが、ひさびさの友人との談話を邪魔され、挙句一方的に傷の原因を押し付けられて、それなりに不機嫌だった。なにより、シズちゃんが俺の視界に映っているという事実が不愉快でならない。
『お前らは本当に……』
 セルティがうな垂れるように猫背になる。頭が痛い、とでも言いたげな仕草だ。
「よくわかった。君達に不足しているのは相互理解だよ」
 場にそぐわない明るいトーンで新羅が告げる。もれなく当人以外の全員が怪訝な様子を表したが、困惑した視線を受けてもなお、新羅はにこにこと笑顔を絶やさない。
「……あ? なんだって?」
「無理があるんじゃないかなぁ。人間が化け物のことを理解するなんてさ。まぁ逆も然りだけど。人間っていうのは自分と異なるものを本能的に避けるようにできているしね。ああ、この場合の化け物はセルティじゃなくてシズちゃんだから、気を悪くしないでよ」
 セルティは今更なにを、と影を揺らす。うんざりしているのだ。新羅ほどではないが、セルティの仕草からそれなりに感情を読み取ることはできる。
「こんなノミ蟲野郎のことなんざ、理解なんてしたくもねぇ」
「シズちゃんと一緒なんて吐き気がするけど、これには同感だね」
 新羅は俺たちの反応なんて気にせずがさごそと脇にあった鞄を漁って、取り出した何かをセルティに放った。
「セルティ、パス! 静雄くんに渡して」
 まるで背中に目でも生えているかのように、振り返りもしないまま正確に影で投擲物をキャッチした。そのまま手元に持っていき、投げられたものを確認する。
『……薬、か? なんだこれは?』
「鎮痛剤と抗生物質。ここに来たってことは多少なりとも痛みはあるんだろう? まだきちんと診てないからわからないけど、静雄くんの場合それくらいしかできることがなそうだからさ。その脇にある棚から勝手にコップ出していいから飲んじゃって。あ、ついでに傷口もざっと洗ってね」
『いやそんな適当な!』
「あー、いいんだセルティ。挨拶ついでに薬だけもらっとこうかなって寄っただけだしよ」
「それって人間用の薬でしょ? シズちゃんに効果あるの?」
 投げやりな調子で会話に混ざる。メキ、と音を立ててシズちゃんの手の中にあるアルミ製コップがありえない形にひしゃげた。もう見ていられない、とセルティが左右に首を振る。
「……静雄」
「……わりぃ。弁償する」
 罪悪感の感じ取れない無表情で謝罪する。怒りを噛み殺しているのが手に取るようにわかり、俺はさらに煽る言葉を投げつけた。
「弁償するお金なんてあるの? 街のあっちこっちで暴れ回ってるから借金まみれなんでしょ?」
「ああもう臨也、頼むからこれ以上事態を面倒にしないでくれ。静雄、壊したコップはそこに置いといて。新しいの出していいから、薬飲んじゃってよ。それでほら、臨也はコーヒー飲まないの? 冷めちゃうよ、せっかく淹れたのに」
 新羅が一触即発の空気をどうにかしようと話題を変える。普段なら一番空気を読まない男だが、自分の家を舞台に暴れられるのはさしもの新羅も勘弁なんだろう。
 シズちゃんはおとなしく指示に従い、浄水器の蛇口をひねって新しいコップに水を注ぎ、薬を飲み干した。こうもあっさりと他人の指示に従うシズちゃんは、なんだかすごくつまらない。
 新羅の言う通り、潮時のようだ。
「そんな気分じゃなくなっちゃったからすっかり忘れてた。飲むだけ飲んでおいとましようかな。コーヒー二分の一杯で何時間居座れるか試すのは、また今度にするよ」
「そうしてくれると助かる」
 新羅はあっさり皮肉を受け流し頷くと、コーヒーにミルクを混ぜて俺の手元に差し出す。一杯に満たないコーヒーにこのミルクの割合は大きすぎる気もしたが、何も言わずに受け取った。カップの縁をついっと撫でてからハンドルに指を添える。淹れてから時間が経ってしまったが、まだほんのり温かい。
 さっさとこの場から退散したかったから、湯気を吸い込み香りを堪能するだけにして、あとは一息に飲み干した。
 空になってとうとう冷めたカップをカランと鳴らし、テーブルに置く。ふと視線を上げると、意味ありげな微笑みを湛える新羅と目が合った。
「ふたりとも、間違いなく飲んだね?」
 嫌な予感がして表情が固まる。ごくんと喉仏が上下し、口内に残っていた最後の一口分が胃に落ちる。
 新羅がセルティ以外に対して真ににこやかな顔をするのは、大抵よくないことを考えているときだ。経験上、知っている。
「なにを盛った」
「うん、さすがに察しがいいね」
「質問に答えてもらおうか。なにを盛った?」
「そう怒らないでよ、ちゃんと話すから。そうだな、いまから数時間後に──まあ、試薬もいいところだから時間ぴったりっていうわけにはいかないだろうけど、それくらいに魔法みたいな効果が現れる奇々怪々な薬さ。せいぜいもって二十四時間っていう時間制限つきだけど」
 腕時計に目をやり、芝居がかった仕草でトントンと文字盤を指で弾く。新羅の言葉の意味を理解しきれず、テーブルに両手を叩きつけて立ち上がった。
「説明になってない。俺が聞きたいのは、お前が飲ませた薬がどんな作用のものかってことだ」
 もっと捲し立てて質問したかったが、ゆらゆらと立ち上がったシズちゃんが片手を挙げて、俺の言葉を中断させる。
「いや待て……新羅よぉ、俺はお前のことをいつか本気でぶん殴る日が来るんじゃねえかって思ってたが、思ってたより早くきたみてぇだなぁ……?」
 怒りの矛先は俺から新羅にシフトチェンジされらしい。俺も座ったままの新羅を見下ろし、睨みつける。さすがの新羅もシズちゃんの本気の怒りの前では澄ましたままでいられなかったようで、ポーカーフェイスに冷や汗が一筋伝っている。
 この構図に誰より焦ったのはセルティだった。
 ぼんっと首があるべき場所で揺蕩う影が爆発し、身振り手振りが慌ただしくなる。つかつかと新羅ににじり寄り、問い詰めるように肩を揺さぶった。
『新羅お前、一体なにをしたんだ!』
「そんなに焦ることじゃないよ、セルティ。さっき説明したように薬効は丸一日も経てばきちんと消えるし、副作用もいまのところは軽度の胃腸障害ぐらいしか報告されてない。研究段階とはいえ、安全な薬さ」
 焦燥して詰問するセルティに対し、肩を掴まれた新羅はいやに落ち着いていた。本当にたいしたことじゃないと思っているのが言葉の端々から伝わってくる。その飄々とした態度に苛立ったセルティは、新羅を揺さぶる動きを激化させた。
『そういう問題じゃないだろう! 友達に訳のわからない薬を飲ませたのが問題だって言ってるんだ!』
「訳わからなくなんかないって、ちょっと面白い薬ってだけで……うわぁ! セルティったら熱烈……うぐッ」
 つかつかと新羅の背後に回ったセルティは、ぐっと白衣から伸びた首を絞め上げた。この場でそれを止める者はいない。
「ごめ、ごめんって、冗談だよセルティ! ギブギブ! く、苦しい!」
 ばしばしとセルティの腕を叩いて限界を訴えて解放された新羅は、ぐぇ、だとか変な声を出して数度深呼吸する。あとちょっとセルティの制裁が遅ければ、シズちゃんの拳か俺の隠しナイフが飛んでいたところだ。
 セルティの実力行使によってようやくまともに取り合う気になったようで、新羅は胡散臭い笑みを顔から外した。仕方なさそうに首だけこちらに向けて、話を続ける。
「実を言うとね、ちょっと前からいざっていう時のために父さんに頼んでいた薬だったんだ。君たち、大人になっても喧嘩ばかりで、俺達もいつ巻き込まれてもおかしくないと危惧していたし、それに僕としても友達には仲良くしてもらいたいしさ。それでまぁ、今が“いざ”かなって」
 涼しげに言ってのける新羅に苛立ちが募る。シズちゃんはすでに身を乗り出し気味に凄んでいて、今にも飛びかかっていきそうだ。この場にセルティがいなければ、間違いなく新羅の身体は窓を突き破り空を飛んでいたことだろう。
「なにが“いざ”だ。部屋のものも、シズちゃんが勝手に握り潰したコップ以外は何ひとつ壊れてないし、新羅もセルティもかすり傷ひとつ負ってない。セルティは頼んでもいないのにお節介を焼いて仲裁に入ってきたけど、お前は止めるどころか、いつも通りただの傍観者だっただろ」
「そこの判断は僕がするところだよ。このまま君達を放っておいたら俺とセルティの愛の巣が木っ端微塵に荒らされかねなかったかもしれないし、飛んで来たものに当たって怪我をしていたかもしれない」
「そんな可能性の話──」
 反駁は片手ひとつで制された。
「まあ、もう飲んじゃったんだから諦めなよ。それとも今から胃洗浄でもしてみるかい? 吸収が早い薬だから効果はあまり期待できないと思うけど……ああ、もちろん私は引き受けないから、他の都合のつく医者を探してね」
 あまりの言い草に、すぐに言葉が出てこなかった。俺が憮然としている後ろで、いよいよシズちゃんが動き出した。堪忍袋の緒はとっくに切れているはずで、今まで堪えていたのは奇跡に近い。
 俺はシズちゃんより一歩前に進み出て、話の主導権を取り返す。新羅がひとの形をしている間に訊いておかなければならないことがある。
「……で? 俺たちに飲ませた薬っていうのは結局なんなんだ? これから数時間後に、なにがどうなる?」
「正確に言うと、臨也と静雄に飲ませた薬は別のものなんだけどね。なんてことはない、臨也は化け物に、静雄は化け物嫌いになるだけだよ」
「は……」
 言葉を咀嚼する思考は、バキッと背後で何かが壊れる音で中断された。振り返ると、シズちゃんの傍にあった椅子の背もたれがなくなっている。
「意味がわからねえ」
「同感だ。ひとが化け物になる薬だって? そんなものがあってたまるか」
「最初に言ったろ? 君達に不足しているのは相互理解だって。変わらないと思って生きてきた部分が強制的に入れ替われば、いやでも相手の気持ちを理解できるだろ?」
 シズちゃんの鼻息はどんどん荒くなっていく。この開き直った態度じゃ怒るのも当然だ。
 眼鏡の奥にある瞳を見つめながら考える。俺達を手っ取り早く追い払うための作り話だとは思えない。そういうことで嘘をつく男じゃないのは、付き合いの長さから知っている。
 これ以上追及しても、めぼしい情報は得られそうにもない。のらりくらりとした態度を見ると、まともに取り合う気もなさそうだ。それならここに留まる理由もない。
「くだらない。俺は帰る」
「あっそう? 今度会うとき、是非薬の感想を聞かせてね!」
 飛び跳ねるようにして懇願する新羅を無視をして、マンションを後にする。噴火寸前のシズちゃんを追い出すのに四苦八苦すればいいさ、と胸中で毒づいた。



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