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思い立ったのは、突然だった。
 どうして、と理由を訊かれて答えられるものではない。ただ、自分の奥底で燻っているものが、無視できないほどに膨らんでしまった。それだけだ。
 「なにも自分からなんて、もう関わんなくてもいいべ」とやんわり、だが強く上司のトムに幾度となく止められた。トムは静雄にとって、気が置けない数少ない人間だ。普段ならトムの忠告を受け入れていただろう。
 だが、今回の件に関しては退くことはできなかった。
 アイツが生きているというのなら、どうしても行かなければならない。
「ほら、静雄よ。ヴァローナの気持ちに気づいてないわけじゃないんだろ?」
 誰がいるというわけでもないのにちらりと周囲を確認し、小声で静雄に耳打つ。
 トムの言葉に小さくため息をこぼす。ここ最近、この手の話に疲れていた。怒らせたかと慌てるトムの誤解を解く。
「いや、トムさんの言うようなもんじゃないっすよ。あれはなんつーか……俺のこと云々っていうより、俺の特異体質に用があるんだと思いますよ」
「そうかあ? 俺は純粋な好意だと思うけどなあ」
 手をひらひらと振り、適当に話を切り上げる。トムもそれ以上追求してはこなかった。
 ヴァローナはいいヤツだとは思う。後輩として。だがそれ以上になることがないのは、静雄が一番よくわかっていた。
 今になってようやく、その理由も。


 池袋の空が影に塗り尽くされた──静雄と臨也がはじめて本当の意味で対峙した──あの夜。静雄の知らぬ間に、臨也は池袋から姿を消した。
 ヴァローナが母国へと帰っていったのもその時期だ。
 ひとの回転のはやい街だ。いなくなったぶん、また新しい人間がやってくる。それが偶然、自分に近しい関係の人間だったというだけで、とりわけ何が変わるというわけでもない。
 ヴァローナについては、初めてできた後輩がいなくなるのは寂しいもんだな、それくらいにしか思っていなかったし、臨也に至っては、うぜえヤツが視界に映らなくなって清々するとすら思っていた。
 無性にタバコを吸いたくなり、火をつける。あいかわらず苦い。ふう、と煙を風に乗せる。
 思えば、ヴァローナがこの街に帰ってきてからだ。焼きつくような焦燥感が芽生えたのは。
 すっかり三人に慣れちまったよな、と過去を懐かしんだのもほんの数ヶ月という短い期間で、ヴァローナはなんの予告もなく池袋へと戻ってきた。
 どうやって探し出したのか、トムとの取り立て勤務中に突然ふたりの前に現れたのだ。静雄がぶん殴る前にムカつく滞納者の男が倒れ、呆然とするふたりを前に、ヴァローナは淡々と告げた。
「可能であれば、静雄先輩、トム先輩と再び勤労に励みたい所存です。受諾を希望します」
 異国にいるはずである後輩の登場に驚きはしたが、二つ返事で静雄もトムも歓迎した。社長も断る理由もないという結論で復社を承諾し、今に至る。
 確実に、限りなく以前に近い日常を、この街は取り戻し始めていた。
 しかし、そうなってくると以前はこの街にあったのに、今はもうこの街にないものへと目がいくようになった。まるでパズルの絵が完成に近づけば近づくほど、欠けているピースの存在が目立ってしまうかのように。
 それは呪いのごとく、静雄を苛んだ。
 臨也が池袋の街から消えて、もう三年が経つ。


 静雄が求めていた平和で穏やかな幸せが、確かにそこにはあった。
 未だカラーギャングに似たような連中が街のあちこちで隠れて小競り合いを起こしている、という噂を耳にしたこともあるが、少なくとも静雄にとって訳の分からない、きな臭さを感じる事件はぐんと減ったように思える。
 それなのに、満たされない。あれほどまでに平穏を望んでいたというのに。
 渇いているというより、飢えているといったほうが正しい。その原因がなんなのか考え抜いて、思い至ったのは欠けたパズルのピースだ。
 ──臨也の姿が見えないことにイライラしている? そんな、まさか。
 原因の正体にたどり着いたとき、静雄は絶望に近い感情を味わった。
 結局のところ、アイツがどこにいようが逃れられることなどできないのだと。
 確信を持ってからは早かった。
 自身に向けられる様々な好意と、臨也の存在なんて天秤にかけるまでもない。前者が大切に決まっている。それなのに静雄は後者を選んだ。
 他者からの制止の声を振り払って、静雄は自身の人生の中でもっとも長く勤めた会社に退職届を提出した。他でもない、折原臨也を探し出すためだ。
 アイツは生きている。静雄の、特に臨也に対する勘はそう外れない。
 突然の申し出に社長は驚いていたが、深くは尋ねず、規約通り一ヶ月後の退社を認めてくれた。
 トムは最後まで、事あるごとに「寂しくなるな」としきりに繰り返した。
 ヴァローナは静雄の退職についてほとんど触れなかったが、最終日の別れ際、「わたしの手で、静雄先輩を破壊することが不可能だった。それが唯一、無念です」と物騒なことを口にした。それを横で聞いていたトムが、「はあー、そうか。静雄の身体が目当てだったのな」と誤解を招きかねない発言をし、ヴァローナに鬼の形相で睨まれる。慌てて弁解するトムを見て、声を出して笑った。
 この時間もこれで最後だと思うと、トムのいう通りもの寂しさを感じる。辞めることが惜しいと思える、人生で初めて恵まれた職場だった。
 

 会社を辞めてすぐのことだ。
 無職の余韻に浸る暇など、与えてはもらえなかった。どこから手をつけようかと悩む時間すらなく、臨也の情報が自ら転がり込んできたのだ。
『折原臨也の行方を知りたいか』
 メールに書かれていた名前に心臓が跳ねる。
 ──誰かに見られている?
 辺りを窺うも、静雄に視線を向ける人間は周囲にいない。
 浮かんだ感情は苛立ちだった。コソコソと観察されて気分の良くなる人間は、そういないだろう。
 こういう手法をとる人間としてひとりの男の名前が頭にあがったが、静雄の勘がそれを否定する。臨也本人の悪ふざけではない。
 それにしても一体、なぜ。タイミングがよすぎる。
『手前だれだ』
 返信は間髪を入れずに来た。
『おや、最後まで本文を読んでいなかったのか? 九十九屋真一と署名したはずだが。もう一度訊くが、折原臨也の居場所を知りたいか?』
 訝しいことこの上ない。九十九屋真一という名前すら、胡散臭さを感じさせる。
 折原臨也という名前を他人の口から聞かされたこと。メールの差出人が目の前にいないから殴れないこと。
 苛立ちが募り、ケータイを握っていた手が小刻みに震える。心を落ち着けようと、ひとつ深呼吸をした。
『手前はなんだ、誰だ。なんで俺に臨也の情報を教えようとする』
『俺は“新宿のオリハラ”の同業者だ。深い意味はない、ただヤツをこの街に引っ張り戻してほしいだけさ。なんだかんだでアイツがいないと張り合いがなくてね。質問に回答がなかったが、勝手に伝えさせてもらう。折原臨也の住所だが──』



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