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 あれからますます臨也は注意深くなった。まるで傷を負った獣だ、と静雄は思う。ビリビリと音が聞こえそうなほど警戒して、隙を見せまいと常に気を張っている。
 これまでは無関心を決め込んで静雄の好きにさせていたというのに、寝るときは端と端でなければ同じベッドで寝ない、などというくだらない条件を次々と付け足した。無視して臨也を抱えこもうとしたこともあるが、ナイフの雨が寝室中に降りそそぐはめとなりやむなく静雄は条件をのんだのだ。
 話があると呼び出されたあの日から、臨也の警戒心にはっきりとした怯えが混じるようになったのはすぐに嗅ぎわけた。だが静雄はそれがなにに対する怯えなのかまでは、いまだ掴めずにいる。
 これまでも臨也から怯えの類を感じることはあったが、それはおそらく静雄の裏切りに対するものであった。信頼を取り戻すのに時間がかかるのは承知の上であったから地道に信頼の回復に努めていたし、とくべつ変わった行動はしていないはずだから原因が静雄にあるとは考えにくい。大きな変化があったとすれば、新羅とセルティを呼びつけたことだろうか。
 やはりあのときになにか大事な話しをしていたに違いない。だが臨也はもちろん、新羅にしつこく尋ねても話の内容を明かそうとはしてくれなかった。八方ふさがりである。同じ空間に臨也がいるというのに、好きに触れないもどかしさがどんどん募っていく。だがストレスを感じているのは静雄だけではないようだった。
 先日、用を足すために目が覚めたこと夜のことだ。低反発だというやたらと柔らかなベッドから起き上がり、寝ぼけまなこを指の背で乱雑に擦る。何気なくベッドに目をやるも隣で眠っているはずの臨也の姿はなく、静雄の機嫌は急激に落下した。
 ーー逃げられた。
 静雄は臨也を探し出すためにトイレなどそっちのけで寝室を飛び出す。バン! と乱暴な音が背中で響く。ドアが外れたかもしれなかったが、そのような些細なことを確認する余裕などない。
 一刻もはやく臨也を見つけ出さなければ。臨也が本気で姿を眩まそうとすれば、きっと静雄は二度と臨也を見つけることができないということを本能で理解していた。
 が、意外にもあっさりと臨也は見つかった。外へ出るために降りていったリビングのソファに、こんもりと小山ができているのを見つけ、気配を悟られないように足音を消して近くまで忍び寄る。顔まですっぽりとブランケットをかぶってしまっているから顔は確認できなかったが、確かに臨也だった。臨也とほかのものや人間を間違えるわけがない。
 興奮していた静雄の頭にようやく冷静さが戻ってくる。つまり臨也は静雄の隣では眠れないから静雄が寝たのを確認したあと、こうしてここで眠っていたのだろう、という結論に達した。そうして静雄が目覚める前に気づかれぬよう隣に戻り、さも何事もなかったかのように過ごしていたというわけだ。
 しかし日中の様子からは静雄と別室のソファですら安心して眠れていないと思われる。ここ数日で、臨也の目元の隈はひどくなっていたわけがようやく判明した。朝に臨也が隣にいるだけよしとしようと納得して、無理に臨也を起こすことはせずに用を足して寝室へと戻る。
 もともと眠りの浅いやつだ。たぶん、静雄がリビングに来たことも気づいている。指摘したところで妙な意地を張らせるだけだとわかっていたから黙っていたが、当然このような生活で身体がもつわけもなく、すぐにガタがきた。
 いかにもいま目が覚めました、というふうを装い、ベッドから起き上がろうとした臨也の身体が大きくぐらつく。床に倒れこむ寸前で腕を掴み上げ、どうにか臨也の身体を引き戻した。あのまま倒れていたら頭からいっていた、と肝を冷やす。一回りちいさな薄い身体はすっぽりと腕のなかに収まった。
 静雄の胸に、ぴたりと隙間なくぺらぺらな背中がくっついている。ひさしぶりに嗅ぐ直接的な臭いに腹の底がぐらぐらと茹だった。
「なに……! 離せよ!」
「ばか、暴れんなって……! 俺が掴まなきゃ倒れてただろ! なあ臨也、今日は仕事休め」
「……シズちゃんに指図されるいわれはないね」
「手前こそそんなフラフラでなに言ってんだ。いいから休め。一日寝てろ」
 最後の一言で静雄が臨也の睡眠状況を知っていると確信したようで、臨也はギュッと悔しそうに顔を歪めた。臨也が身体から力を抜いたのを見て、静雄も拘束を緩める。しかしそんなにしおらしい性格の持ち主でない臨也は、その隙をついてするりと猫のように腕から抜け出してハンガーからいつものコートをひったくった。
「おいっ、てめ……! どこ行くつもりだ!」
「シズちゃんには関係ないだろ」
「おいって!」
 瞬時に引き留めようと臨也の腕を目がけて手を伸ばす。躱されると思っていたが、静雄の手はしっかりと臨也の手首を捕らえた。避けるだけの体力もなかった、というよりは逃走を諦めたように見える。
 振り向かせた顔はひどく疲れた表情をしていた。よくない顔だ。このまま離してはいけないと直感して、どうにかして臨也をとめなければと口をついて出た言葉は随分まぬけなものだった。
「ああ、ほら……手前の好きなスパゲッティ、作ってやるから」
「いらない」
「なんでだよ。この前はぜんぶ食ったじゃねえか」
 くい、と臨也の手を軽く引けば、数歩分の距離がもつれ足で縮まる。黒目だけ上に押し上げてまじろぎもせずこちらを見つめる臨也に、心臓がドクンと鳴った。
「なんで、そんなに俺のこと甘やかすの」
「なんでって……そりゃあ……」
「俺もう、いろいろ考えるの面倒でいやなんだけど」
 紅茶を煮詰めたような色の瞳が小刻みに震えている。小動物のような仕草にずくりと腹の底が疼いた。
「好きだから」
 途端、臨也は目を伏せてしまう。覗きこんだ臨也の表情は晴れるどころか、うつむいたせいで影がかかり曇って見える。
「好きだ。だから、その……」
 臨也はうつむきがちな姿勢のまま、そろそろとこちらをうかがっている。そのように見つめられてしまうと、静雄からは目をそらせなくなってしまう。
「だから?」
「だから……だから手前と一緒にいてえし、もっとこう、たくさんベタベタしたい」
 臨也はなにも答えない。しばらくのあいだひたすら静雄の目を睨むように見つめて、なにかを探っているようだった。やがて諦めた顔つきになり、うつむいただけかと思ってしまうくらい小さく頷ずく。たしかに臨也は首を縦に振った。
 これはいい返事として捉えていいんだよな。つまり、ベタベタしてもいいってことだよな。
 最後に臨也と致してから随分の月日が経っている。この数ヶ月、信頼を取り戻すためとはいえ、同じ空間にいて臨也を襲わなかった自分の忍耐力を褒めてやりたい。
 おもむろに臨也の手を取り、そっと自身に押しつける。白い頬にカァッと血がのぼるのがはっきりと目に見えた。
「……ッ!」
「わりい、俺、もう限界なんだけど」
 あんまり初々しい反応を見せるので、つい意地悪をしたくなってしまう。情事を思わせるように腰を数度擦りつけると、臨也は耳まで茹でダコより赤く染まる。
 すっかり固まってしまった臨也の服を脱がそうとするも、我に返った臨也に自分で脱げると手をはたかれてしまった。臨也は言葉通り腕をクロスにしてパーカーの裾を掴み、豪快に脱ぎ捨てた。
 どうやらシてもいい、と許可がおりたようだ。静雄も臨也を横目にさっさと脱衣を済ませる。裸になりベッドに腰かけてからも、臨也は黙ったままだった。はじめてした時より、ずっと緊張しているのがわかる。そういえばお互いすべての服を脱いでするのはこれがはじめてだ。
 臨也のむき出しの首筋に食らいついて早急に押し倒す。余裕がないことが伝わったのか、臨也の指先が怖がるようにぴくりと震えた。ベッドに押し倒された臨也は声を出すのも顔を見られるのも嫌なようで、タオルケットをたぐり寄せて顔をすっぽりと覆い隠してしまう。
「おいバカ、息できねえだろ」
 引き剥がそうとタオルケットを掴むも、がっちりと奥歯で噛んだまま離そうとしない。そういえば臨也はいつも声を噛み殺していて、喘ぎ声という声を聞いた記憶はなかった。
 力技は無理かと判断し、タオルケットを捲り上げて耳元にキスをする。不意をつかれて緩んだ口からすぐさまタオルケットを回収し、ベッドの下へと放り投げる。
 怯えて、警戒している目つきだ。隠そうとしているから、却って鮮明にしてしまっていることに臨也は気づいていない。
 首元に吸いつくと、近くなった距離を嫌がるように顔を反対側へ倒してしまう。キスがしたくて指で顎を持ち上げて顔を近づけるも、ガチッと鳴った歯に噛みちぎられそうになって断念する。
「っぶねえだろ!」
「いや、だ!」
「ああ? なんでだよ」
 思っていたよりずっと低い声が絞り出される。単純にキスを拒まれたことがショックだった。臨也にもそれが伝わったようで、バツが悪そうな顔をする。
「……べつに、キスなんてしなくたってできるだろ。ずっとそうだったのに、なんでいまさらになって……さっさと突っ込んじゃってよ」
「もう、ちげえだろ。ちゃんと、色々してえ」
「いい、いらない。しなくていい」
 臨也はこちらからふいと顔を背けて、今度はクッションに顔を押し付けようとする。往生際が悪いにもほどがある。
 臨也のわけのわからないわがままを聞いてやるつもりはなかった。やっとこの身体に触れられたんだ。好きにしてなにが悪い。
 顔を隠したことがあだとなって目の前に現れた耳に舌を尖らせて入れれば、臨也はちいさく息をのむ。そのままくちゅくちゅと縁や穴を舐ると、臨也の身体が小刻みに震えた。
 これまでよりずっと緊張しているが如実に伝わってくる。これ以上怖がらさせたくはなかったが、どうすれば臨也の身体から力が抜けるのかもわからなくて、考えるのをやめた。
 耳から唇を離して、口づけながらくっきりと筋の通った首に移動する。そのまま腰にかけてちゅっちゅと印をつけていくが、臨也は無反応を貫くことに必死で身体に赤が散りばめられていくことに気づいていない。あとで小言くらい言われてやろう。
 足の付け根の皮膚の薄いところに吸いつけば、臨也の腰がかすかに揺れる。すぐ側で、ゆるく勃ちあがっているそれを見て安心した。反応は薄いが、感じてはいるらしい。
 いたずらにフッと息を吹きかけると、目を見開いてシーツを蹴り、弾かれたように逃げ出したので近くにあった足首を掴んで引きとめる。足を取られた臨也は前のめりになって、ぼふんと勢いよくベッドに倒れ込んだ。ここまできて逃すわけがない。逃げられないと悟ったようで、腰を起こした臨也は静雄の髪を力任せに掴み、力ずくで引き剥がしにかかった。
「はな、せ! なに、なにしてんだよ! いままでそんなとこ、一度も触らなかっただろ……!?」
「ああ。もったいねえことしたと思ってる」
 嫌だ、やめろと喚き暴れる臨也を無視して、芯をもちはじめたそれを手で包む。眉を下げ、ひどくショックを受けたような顔に、腹の底の熱がぐらりと疼いた。
 自分でするときよりややゆっくり扱いて様子をうかがう。あっという間に呼吸が浅く短くなり、前かがみになっていた上半身がくたっと静雄の肩にもたれた。そのまま抱きついてくればいいのに、臨也は頑固にも両腕で静雄の肩を突っぱねて押し戻そうとする。頑なな臨也を尻目に、緩急をつけて絶えず静雄はそこを刺激し続けた。
「ねえ、そういうの、本当いいか……あッ!」
 前触れなしに、臨也の両膝がぱんと勢いよく静雄の身体を挟む。隠しきれないほど、そうとう感じ入っているようだった。よく見ればひっきりなしに腹やふくらはぎが痙攣しているし、そろそろ限界だろう。
 扱くスピードをはやめて追い込みをかければ、臨也は堪えるようにぎゅっと目を閉じて、喉をさらす。小振りな喉仏は噛みつきたくなるような白さを主張していたが、余計な緊張はさせたくなくてどうにか我慢した。
「ふッ……!」
 がり、と静雄の背中をひっかいたのは無意識だったらしい。ぱたぱたとぬめった液体が静雄の手のひらに吐き出された。出されたものを指先でつまみ、伸ばし、観察する。臨也もだいぶ溜まっていたようで、かなり濃い。
 はじめて、自分の手でイかせた。無性にたまらない気持ちがこみ上げてくる。
 射精の強張りが消え、くてんと力の抜けた身体を支えて耳元で名前を囁く。ぽうっと焦点の定まらなかった目が光りを取り戻し、ひどく狼狽したように視線をさまよわせる。脱力したままの両腕をたよりに後ずさり逃げようとするので、もう一度ぺたんと臨也の背中をシーツに倒した。
 自分で服を脱いだというのに、この期に及んでもあの手この手で逃れようとする。ここまでくるとなんだかかわいく思えてしまうほど、臨也は強情だった。静雄に中断する気などさらさらない。ふと目に入った脇のくぼみに舌を這わせばくすぐったようで、きゅっと子どものように脇をしめて身体を捩った。
「どっ、こ舐めて……!」
「わき」
「へんた……ッんん、ぅン……!」
 誘われるままにほんのり主張する乳首をピンと指先で弾けば、罵り声もみるみるうちに尻すぼみになっていく。素質があるのかもしれない。指の刺激で勃ち上がったそれを、すっぽりと口内に閉じ込めた。臨也は驚いて声を上げたが、静雄を叩く手の力はとても弱くみせかけの抵抗にすら思えてしまう。
 舌先でとんがりを飴でも舐めるかのように舐り、ときおり軽く歯を立てる。隣の胸の愛撫も忘れない。空いた手で耳の後ろをさすってやると、形のいい眉が切なげに垂れさがる。
 のぼせあがったように頬は上気し、目はとろんとしていて正体をなくしていた。赤く染まっていく臨也の身体をすこしも見逃すまいと観察する。
「ふぅ、ぁ、ん……んんッ……!」
 臨也は声を堪えるので精一杯のようで、どれだけ好きに身体を撫でまわしても、文句のひとつも投げつけてこなかった。伏し目がちに開いた瞳と目が合って、静雄が自分のことを見ていたと知ると臨也はバッと両手で顔を隠してしまう。
 これくらいは仕方がないかと咎めるつもりなどなかったのだが、顔を覆っている手がもぞもぞとおかしな動きをしていることに気づき、もしやと疑う。手を退かそうとして触れるも、すぐさま噛みつかれそうになって反射的に指先を引っ込めた。
 どうやらこいつは噛み癖があるらしい。手前のほうがよっぽど獣じみてるじゃねえか、と思ったが心のなかにしまいこんでおく。
 どうあっても自分から外しそうにないと読んで、やや強引に顔を覆い隠す手を頭上で一纏めにする。やだやだと首を振った弾みで、指の隙間からころりと白い玉がが臨也の頬を伝い落ちた。
「やっぱり手前、それ……」
「見るな!」
 鋭く拒絶の声をあげられ、思わず宙で手が止まる。とろりとした熱を帯びていた瞳は、ギラギラと敵意に似た光を放っている。
「もう、嫌だ。最悪だ。しない、終わりだ、離せ」
 臨也の顔に強張りがよみがえる。ふかく気にせずキスをしようとするも、近づけた唇をまたも噛みちぎられそうになって断念した。
「なんでまだ続けようとしてんの!? 嫌だってば! 真珠ならくれてやるから、もういいだろ!」
「手前もつくづく強情だよな」
 真珠になどもともと興味がないことを臨也は知らない。汗でぺったりと額に張りついてしまった前髪を払ってやり、ぽろぽろと断続的に歪んだ瞳からうまれる真珠を掬っては、そっとシーツにこぼしていく。濡れた髪を指で梳いてやれば、臨也の目から徐々に剣呑さが消えていった。
 このゆるやかな雰囲気を逃すまいと自身の指を唾液で濡らし、怖がらせないようそろそろと尻の割れ目に手を這わす。抵抗される前に指をなかに沈めようとしたが、臨也は癇癪を起こしたように暴れだした。こうして指を入れて慣らすなど以前はしなかったのだから、当然の反応ともいえた。
「暴れんな。怪我すんぞ」
「ふざけ、まじやめ、や、やあぁ……!」
 ゆっくりと指を押し入れ、腹の内側へクイと曲げれば不意をつかれたように背中を反り、反対する声が力なく濡れていく。はじめて耳にする感じ入った声だった。
 もっとあまい声を聞きたくて、記憶を頼りに同じところをグリグリと押せば臨也の身体が大きく跳ねる。すげえ、と思わず声が漏れたのに臨也は耳ざとく聞きとり睨みつける。
 冷たいだけの記憶しかない臨也の身体が、熱を帯びていることに興奮した。これまでとの顕著な違いを嬉しく思う。いやいやをするように頭を振る耳元で名前を呼んで、好きだと繰り返せば臨也のなかがきゅっとゆびを締めつける。露骨な反応についにやけてしまう。
「ぬけ、ぬけよッ……! や、やめ、だめだって……」
 静雄の指から逃れようと身体を捩るのを、うえから体重をかけて押さえつける。本気の抵抗だ、それなりに力を要した。逃げられないとわかれば、臨也は顔を横に倒して今度はのびたシーツを口に含む。食いしばる歯の隙間からひっきりなしに、フーッと獣じみた細い呼吸を繰り返す。
 んぅ、とか、くう、とか喉の奥から絞るようなあまい声がかすかに漏れている。だが、それだけでは足りない。もっと聞きたい。
 細すぎる身体はせわしない呼吸のたびに、薄っすらとあばらが浮き出ては沈んでいく。主張するような窪みに指を這わせば、臨也は驚いて目を見開いた。
「……あぅ、んッ!」
 力の抜けていた腕が素早く動き、自身の口を慌てて覆う。手の隙間から、真っ赤に染まった顔がのぞいていた。どのような顔をしているのか知りたくて、先ほどのように無理やり引き剥がそうとするが、手を止めざるを得なくなってしまう。
 手のひらから半分顔を出した臨也は、涙腺が壊れたようにボロボロと真珠をこぼしていてとどまることを知らない。指の隙間越しに目が合えば、さらにその勢いは増した。
「いやだ、やだ、やめろ、もういやだ!」
「おまっ……なに泣いてんだよ!」
「さっきから嫌だって言ってるだろ!? なのにこんな、なんで……! 」
「だから、なにが嫌なんだよ」
 臨也はひくっと喉を震わせて、押し黙る。言いたくないことを言わされるといった表情だ。このまま無理に続けてもいいことはないと判断し、なかに挿れたままの指をずるりと引き抜く。
 抜き方がまずかったのか、臨也はちいさく上擦り声をあげて身体を震わす。恨めしそうに目を伏せられ、ずくんと下半身に血が集まるのがわかった。興奮している臨也が落ち着くのを待って、もう一度同じ質問を繰り返す。
「臨也、なにが嫌なんだ」
「……これじゃ、まるでセックスみたいじゃないか」
「あ?」
 言っている意味がまるでわからず、目を眇める。臨也は静雄の動きが停止したことで調子を取り戻しかけたのか、声を潜めて言い聞かすように諭した。
「……いい? 俺は、気持ちよくなんてなりたくないんだよ。声も聞かれたくないし、顔も見られたくない」
「じゃあ、なにがしてえっていうんだよ」
「なにも」
 ぐっと低い声で問えば、同じくらい低い声で素っ気ない答えが返ってくる。嘘だな、と直感した。
「シズちゃんは俺の身体をつかって、いままで通り自慰に励めばいい。この非生産的な行為にそれ以上のことなんて、どこにも必要ない。いい? 必要ないんだよ」
 吐き出す声は散々いじめ抜いたせいで掠れ、震えており不安定だ。じっと臨也の目を見つめて真偽をはかる。厄介なことに、こちらは本心らしい。
 シたいけど、シたくない。臨也の言葉はいつも矛盾だらけだ。もうすこし考えて、これが女遊びに走る前なら、純粋に求められていたのか、というところまで思い至った。きっとそういうことなのだろう。
 君はタイミングを逃したんだよ、とでも言いたいのだろうか。だがもう、二度と手放すつもりもない。
 先ほどよりちょっとは落ち着きを取り戻した臨也の身体をゆっくりとうつ伏せにさせ、腰だけをひっぱり起こす。臨也が混乱し、嫌がって腰を引こうとするのを覆いかぶさってとめる。
「なに……!」
「顔が見えねえほうがいいんだろ」
 息とともに反駁の言葉を飲み込む。腰をしならせ、尻だけ突き出すようなポーズは絶景だ。ただひとつ、顔を見られないのは残念だが。
 短い後ろ髪を撫で上げ、日光に侵されていないうなじに口づけた。臨也は首をすくめて身を捩る。身体を動かすたびに強調される、なだらかな背骨のくぼみを下から上へとゆっくり撫であげた。臨也の身体が静雄のゆびに合わせて反り上がるのがかわいくて、何度か行ったり来たりを繰り返す。
「あ、そぶな……!」
「臨也、挿れてもいいか」
「ッ……!」
 振り返った臨也に頬ずりし、低い声で問う。イザヤは息をのんだだけで、いつまで経っても返事をしない。しびれを切らし耳元で「なあ」と催促すればびくりと肩が跳ねる。臨也はシーツに額を押しつけながら絞り出すような声で答えた。
「好きに……すればいいだろ」
「ちゃんと手前の口から聞きたい」
 臨也の顎をうしろから掬うように撫でてこちらに顔を向けさせる。近すぎる距離にある戸惑うように瞬きを繰り返し、きゅっと口を結んでしまった。甘くねだるような声で名前を呼べば、臨也はうろうろと視線をさまよわせ、きつく眉をよせて苦しそうな顔をする。
「もう、いいだろそんなの……」
「臨也」
 静雄の声に不安が混じる。
 あんなことをしたんだ、信じられないのも当然だろう。いつ静雄が手のひらを返すのかと気を張っていたのに、気づけないほど鈍くはない。
 だからなおさら、臨也の言葉で聞きたかった。ぐ、と腰を押しつけると臨也の顔が泣き出す寸前のように歪んだ。
「いいから……はやく」
 言いながら、臨也はシーツのしわを手の中にかき集める。もっと直接的な言葉が欲しかったが、これ以上は引き出せないだろうと妥協した。静雄ももう、我慢できそうにない。
 耳元で「挿れるぞ」と最終通告をする。わずかだが、確かに頷いたのを確認して、先端をねじ込んだ。
「んッ……く、はぅ……!」
「きっつ……!」
 いきなりすべてを収めるのは無理かと、慣らすように浅いところでゆるゆると抜き差しを繰り返す。それがちょうどいいところを掠めたようで、臨也の背がクンッとのけ反った。
 臨也の腕が動くの見逃さず、手で口を覆ってしまう前に両腕を背中側へと引っ張りあげる。少々苦しそうにもがいたが、無駄に柔らかい身体をしているから大丈夫だろうと勝手に解決し、腰を揺することに専念する。
「だめ、あっ、て、かえし……っふぁ! あうッ」
「はあ……やべえ……」
 閉じられない口からは、ひっきりなしに声があがる。以前は痛がる様子しかみせなかったこの中で気持ちよくなっているという事実が、どうにもグッときた。もっと感じさせたい。ぐずぐずと水気を含んだ声は静雄の加虐心に火をつけた。
「あっ! なっ、ん、やめ……! ひぁうっ、や、あ、あっ」
 男にしては細すぎる腕を左にひとつにまとめ、右手で臨也の前に触れた。ビクンと臨也の身体が揺れて、うしろの締めつけがこれでもかときつくなり、もっていかれないように腰に力を入れる。
 臨也がぶんぶんと激しくかぶりを振るたびに、湿った髪から汗が飛び散り静雄の肌を濡らす。もっとなかを味わっていたかったが、搾り取るような動きに耐えかねて静雄は奥へと熱いものを注いだ。
「く、そ……!」
「ぁ、あ……! あ、はあっ、はっ、はあ、はッ……」
 ゆるゆると腰の動きをとめて、目を閉じ余韻に浸る。気持ちよすぎてどうにかなってしまいそうだ。
 静雄は溜まった熱を吐き出せたが、ちらりと見えた臨也のそれはまだ勃ち上がったままである。イかせてやったほうがいいのだろうかとも悩んだが、あんまり呼吸が荒かったので落ち着くまで様子を見ることにした。
 もういいだろうと両腕を解放してやると、臨也は自身の顔の横でだらりと手を投げ出す。追うようにちいさな拳を静雄の手で包み込めば、きゅっと指を絡められて静雄の頬に血がのぼった。
 たまにこういうことをするから厄介なんだ。役目を終えたばかりのそれが、臨也のなかで再びおおきくなるのを感じた。
 いったん臨也のなかから抜け出そうとなるべく刺激しないように腰をひいたが、臨也のなかは過敏に反応して蠕くような動きをみせる。これ以上おおきくならないうちにと急いで引き抜けば、耐えかねた臨也が子犬のような声を上げた。いまの静雄にとってその声は、まるで劇薬だ。
 そっと絡み合った手を離してあおむけにするが、頭がぽうっとしているのか今度はさほど嫌がらない。向き合った臨也はとろんとまぶたが降りかかっていて、眠気に襲われているのが一目瞭然だった。
 本当なら、このまま寝かせてやるべきなのだろう。だが一度枷がはずれたいま、もう我慢もできそうにない。
「シズちゃ……?」
「臨也、もっかい頑張れるか」
「ん……」
 おそらく、この様子ではなにを問われているのかわかってはいないだろう。しかし許可を出したのはほかでもない臨也だ、付き合ってもらうことにしよう。自分勝手に解釈し、静雄はすっかり力の抜けた臨也の腰を引き寄せた。


 結局もう一回だけでは済まされず、臨也の意識が途絶えたことで仕方なく静雄は臨也から離れた。あとで散々ぐちぐち言われるのを想像しても頬が緩んでしまうほど、静雄は満たされていた。 
 それにしても、とベッドに目をやり思う。行為中は夢中になっていたからそれほど気にならなかったが、冷静になったいまこれを見るとなかなか途方もない光景である。
 以前は真珠の海であったが、今回はまるで金平糖の砂浜だ。そのなかにポツポツと白く光る真珠が埋もれている。カラフルなベッドの中央で臨也が背中を丸めて眠っている光景は、なんとも幻想的であった。
 ふと臨也のすぐ目元に一際大きな金平糖を見つけ、慎重な手つきで拾い上げた。金平糖だと思っていたそれは、見覚えのある深い緑をしている。以前、静雄が割ってしまったものと同じ宝石なのは一目でわかった。
「……なんか、前のよりでかくねえか」
 静雄の声で意識を取り戻したようで、臨也は「ううん」とひとつ唸り、寝返りをうってゆっくりと上体を起こした。
「げ……なにこれ。最悪だ……」
 いつもの澄んだ声が出ないようで、臨也はけほけほと数回咳払いをする。あれだけ声を出したんだ、それも仕方ない。パステルカラーに染められたベッドを一瞥し、瞬時に状況を理解したようで頭を抱えている。
 断りなく冷蔵庫から取り出したミネラルウォーターを、うんうん唸っている臨也に差し出す。こくこくと音を鳴らし上下する喉仏が色っぽい。
 なんだか小腹が空いているのを自覚し、そのあたりに散らばっている金平糖を適当につまんで口の中へ放り込んだ。それを見ていた臨也はよほど驚いたようで、ゴホゴホと激しくむせ返る。
「ちょっと!? 食べるなってば!」
「いいだろ別に……ん? なんか前よりあまくなってねえか?」
「知らないよ。ていうかよく俺の身体から出たってわかってて食べられるよな……」
「けっこうイケるぞ。手前も食うか?」
 臨也はゆっくりと首をふり、だるそうにベッドへ横になる。眠ってしまう前にと、手の中にしまっていたものを臨也に突き出す。
「ほら」
 差し出した手に乗せられたエメラルドを見て、臨也はビシリと凍りついた。臨也がなにを危惧しているのか即座に察し、「割らねえよ」と先回りをする。そのような気がないのを証明しようと臨也の手に持たせようとしたが、臨也は突っ返すように静雄の手を押しのけた。
「シズちゃんにあげる」
「あ?」
「だから、あげるってば。要らなくなったら捨てていいから」
 臨也は静雄の胸あたりを見ながら試すようにぼそぼそとつぶやいた。そんなことを言われてもどうすればいいのかわからず、手の中で光るエメラルドに困った目を向ける。
「これ、食えんのかな」
「食え……!? いくらシズちゃんでも、やめておいたほうが賢明だと思うけど」
「いや、なんかよ。食ったら金平糖みたいにいい感じにならねえかなって」
 具体的なことはさすがに恥ずかしくて言葉にできなかったが、臨也は静雄がぼかしたものを正確に理解したらしい。赤く染まる頬をみて、なんだかこちらまで照れてしまって、静雄の頬にも赤がうつる。
「自分で言っといて恥ずかしがるの、やめてくれないかな」
「うっせ。手前だって顔あけえじゃねえか」
「あのあと一回で終わらず散々されたからね、火照ってるんじゃない?」
 臨也は手のひらを団扇のようにしてぱたぱたと頬をあおぐ。このまま舌のまわりがよくなってしまっては都合が悪い。臨也を黙らせようと背中に手をまわし、星屑のなかへふたりで倒れこむ。腕の中でおとなしくしているこのあたたかさを、もう手放すつもりはなかった。



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