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 薄暗い廃ビルにふたりきり。今朝降った雨の名残だろうか、ぽたぽたとどこからか落ちてきた水滴が床に打ちつけられてシミをつくっている。
「シズちゃんのことが好きなんだ」
 打ち明けた声は、罪悪感に塗れていた。静雄の表情は変わらない。
 一生、明かすつもりなどなかった。人生最大の汚点として、墓場まで持って行くはずであった。しかし先に耐えきれなくなったのは心より身体のほうだった。

 心と身体は密接に繋がっている。あちこちで目にするありきたりなフレーズだが、殊更新羅にはよく聞かされた。それを否定するわけではなかったが、ある時点までは軽んじていたと言われてしまえば、その通りなのかもしれない。
 いつからだろう。静雄の情報をチェックするたびに、隣に誰かがいるのが当たり前になりはじめたのは。周囲に人間が増えるにつれて、静雄は穏やかな表情でいることが多くなった。比例して、臨也の苛立ちは募っていく。
 化け物が人間のふりをして、人間に囲まれていていいわけがない。平和島静雄は、生涯孤独でいるべきだ。
 そうして静雄の周りにぽつぽつと人が増えていくことを恨めしく思う機会が増えた。たぶんはじめこそは、単純な憎しみだったのだ。化け物が人間の真似事をして、ひとを誑かしていることが許せなかった。
 つぎにやってきたのは嫉妬と歪んだ正義感。化け物のくせに人間に好かれるなんて図々しい。はやくまわりの人間の目を覚まさせてやらねばと、臨也は躍起になった。
 それでも人間たちが静雄から離れないとわかると、いつまでも纏わりついてきたちいさな不安をついに臨也は無視できなくなる。静雄だけはいつでも孤独だと思っていたのに。裏切られたとすら感じた。
 臨也が自分の感情に疑問を抱きはじめたのはこのあたりからだ。そして皮肉にも、疑惑はまぎれもない現実となる。最後に残ったのは、疎外感と胸の痛みだった。

 それでも、静雄は臨也から離れることなどできないという根拠のない自信は存在した。それがたとえ憎悪という形であったとしても。長きに渡り降り積もり、雁字搦めになった因縁だけは、そう簡単に切り離すことなどできるわけがない。
 ふらりと池袋を訪れたその日も、静雄はお馴染みと化した仕事仲間と一緒にいた。胸の奥が引っかかれたように痛むのを知らん振りして、偶然を装い静雄の前に立つ。いつものように適当な煽り文句とともにナイフを向けた。憎悪の目を向けられ、ゾクッとしたものが込み上げる。
 やはり、この因縁からは逃れられないのだ。続く静雄の暴力は臨也を安心させるはずだった。
 静雄がぐうんと腕を振りかぶって、殴りかかってくる。臨也はさらに挑発しすぐさま後ろに跳ねた。しかし静雄はぶるぶると怒りに震えた拳をきつくきつく握りしめ、そのまま静かに宙から降ろし、腰のあたりで拳をほどく。
 「すんません、行きましょう」だとか、そのような言葉だったはずだ。曖昧にしか思い出せないほど軽い言葉で、しかしはっきりと、静雄は臨也を相手にする気がないと表明した。身をひるがえし、巻き込まれない程度に離れていたトムとヴァローナのもとへ小走りで向かっていく。まるで、見えていないかのように、臨也の横をするりと通り過ぎて。
 愕然、その言葉がぴったりだった。あとから、これはなんだろう、虚無感だろうか。月並みな表現になってしまうが、心にぽっかりと穴が空いたようだった。臨也が立ち向かうことをやめさえしなければ、あの目は独占できるのだと信じて疑わなかった。が、現実は違った。
 静雄は怒りを抑え込む術を身につけ、臨也に簡単に背を向けた。そしてまるで帰る場所を見つけたかのように、別の人間たちのもとへ戻っていったのだ。静雄がその場から立ち去っても、臨也はナイフをしまうこともできず誰もいない空に突き出し続けた。


 その夜、臨也ははじめて静雄を思って涙した。絡み合った感情は複雑すぎて、どうして流れた涙なのかまでは臨也にはまだわからなかったのだが、ひとつだけ確かなことがある。この時から、臨也の身体に異変が表れはじめたのだ。
 一切の明かりを取りのぞいた薄暗い部屋で、臨也はさらに布団のなかへと潜り込んで外界を遮断した。悔しくて、寂しくて、悲しくて、怒りで。よく覚えてはいないけど、たくさん泣いたのだと思う。泣き疲れて眠るという、子どものようなことをした。
 夢から覚めて、臨也は即座に目を疑った。まだ夢のなかなのでは、とすら思ったほどである。臨也を取り囲むようにして、ベッドに大量の真珠が散らばっていたのだ。
 誰かのいたずらを疑って家中を調べたが、ひとが入り込んだ形跡はない。もしくはとセルティのような異形の類の可能性を考えて詳細を述べずに真珠を新羅にみせてみたが、新羅の判断は臨也と変わらず、正真正銘の真珠、という見解であった。
 害がないなら放っておいていい、と考えるほど臨也は楽観的な思考の持ち主でもない。その日から毎日のように起きるその現象に、薄気味悪さを抱いていた。
 こうも奇妙な現象が続いては満足に眠ることも難しく、もともとと浅い睡眠がさらに浅くなっていく。ベッドに横になりながらも意識を張り詰めていた臨也はコト、と微かな物音で跳ね起きた。今日こそその正体を突き止めてやる。
 しかしわずかに遅かったようで、すでに真珠はばら撒かれた後だった。どうやら先ほどの物音は真珠がベッドから落ちた音だったらしい。注意深く暗闇を見渡すも、そこには臨也以外の姿はないし、だれかが潜んでいる気配もない。
 またもや取り逃がしてしまったと知り、チッと舌を打つ。このまま眠りにつく気になれるほど、臨也の神経は図太くできていない。
 意味など成さないだろうが、念のために家の見回りでもしようと上半身を起こす。瞬間、なんとも言えない違和感を頬に感じた。ぽとぽとっと、上のほうから真珠が二、三、転げ落ちてくる。天井を見上げるも、違和感を感じたのはもっとした、自身の目元であった。そっと頬に触れた手の中には、ちいさな丸い粒が収まっている。
 咄嗟に明かりをつけて、クローゼットを勢いよく開け放ち内側に取りつけられた鏡の前に立つ。鏡には、臨也の瞳からぽろぽろと真珠が落ちていく様子がはっきりと映されていた。

 認めたくはなかったが、こうもありありと目にしてしまえば否定などできなかった。涙が別の物質に変わることなど科学的にあり得るはずもないのだが、身の回りの不思議な存在のことを思えば、ありえないという考えはすぐに消し飛んだ。
 物心ついてから涙を流した記憶などないに等しいが、覚えていないだけでごくちいさな頃は臨也も普通の子どものように泣いていたはず。特に騒がれた記憶も、両親から報告を受けた覚えもない。ここにきての突然変異だろうと結論づけた。   
 新羅に診てもらおうかと考えなかったわけではない。だが前回、真珠を見せた場にはセルティもいた。あの首なしが反応しなかったということは、つまりはそういうことなのだろう。明かさないほうが賢明だ。どのような反応をされるか手に取るようにわかる。
 繰り返すうちに、だんだんと真珠を作り出すのには一定の条件があることに気づいてしまった。意図的に涙を流したり、生理的な涙では変わりない、ただの塩水のままだ。信じたくなどなかったが、どうやら静雄を思って流した涙だけが姿を変えるらしい。なんとも頭のいたい現象だ。
 あくまで客観的な立場で現在の状況を考えてみる。新羅なら恐らく、臨也の心が耐えきれなくなれば涙の代わりに真珠が溢れ、精神の安定を保っているのでは、などと馬鹿げた仮説を立てたであろう。愛の奇跡だとまでのたまうかもしれない。 なるほど、さっぱり意味がわからなかった。
 すくなくとも明かさなかったことは正解であったと、脳内の新羅をシッシッと追い出す。大好きな四字熟語を並べ立てて冷やかされるのが目に見えている。
 なんとなく捨てることもできなくて、毎朝ガラス瓶に真珠を貯めていくのが日課になりつつある。三つ目の瓶が一杯になったところで、限界を感じた。打ち明けて、こっぴどく振られてしまおう。そう思っていた。


「シズちゃん、ちょっといい?」
 ひとりで池袋の街をふらついていた静雄を自身のネットワークを駆使して探し出し、声をかける。近づいていたことには気づいていたのだろうが、まさか呼び止められるとは思っていなかったらしい。サングラスの奥の目がわずかに揺らぐ。
 静雄は憎々しげに顔を歪めたが、すぐにパーツをもとに戻す。興味がない、というのをはっきりと示されて、身体の芯がピキリとひび割れた気がした。
 なにも答えなかったが、静雄は黙って臨也のあとを着いてきた。決して連れだと思われない距離を保って、目的地を目指して歩き続ける。
 静雄の気配を背中に感じるのを確かめて、使われなくなってから年数経つ廃ビルに入り込んだ。念のために、階段を用いて適当な階までのぼっていく。横槍が入るのは避けたい。
 ここまでくれば、誰にも邪魔をされないだろう。三階にあったやたらと灰色ばかりの部屋の中央辺りまできて、静雄に向き直る。警戒しているのか、静雄はなかに入ろうとはせず、入り口だったであろう場所でこちらを窺っている。
「もっとこっちにおいでよ。別にとって食ったりしないさ」
 促せば、静雄は数歩だけ臨也に近づく。ふたりの間にはかなりの距離があるが、このように静かに向き合っているのが不思議だった。
 これを逃せばもう機会はないだろう。意を決して、臨也は耐えきれなくなった感情を口にした。


 突然の告白に、サングラスの奥の瞳がほんの少しだけ驚いた気がした。だがどれだけ目を凝らしても、それ以外の変化は見られずじまいである。
 ーーああ、これは振られるどころか、そもそも相手にされていないな。
 返事も待たず、臨也は早々に切り上げることにした。これ以上傷つくことは耐え難い。
「それだけ、言いたかったんだ。じゃあ」
「待てよ」
 静雄の隣を通り過ぎようとしたところで、向けた背中がずっしりと重くなる。静雄の匂いが濃い。前にまわされた腕を見て、抱きしめられているのだと理解する。ビシリと脳と筋肉が停止した。
「それで、手前はどうしたいんだ」
「えっ……」
「臨也」
 耳裏で名前を囁かれ、足元から熱が奔流する。泣き出してしまいたかったのを、必死で堪えた。
「……付き合いたい。君と、一緒に生きたい」
 誰もが聞いてもわかるほど、露骨に声が震えていた。なんて情けないザマだ。静雄は固まった臨也を腕の中でひっくり返し、仕方なさそうに微笑んで、唇に触れるだけのキスをした。

 その夜、臨也ははじめて喜びやしあわせから涙を流した。人間は本当に嬉しくても泣くのだな、ということを身をもって体験ししみじみ思う。
 瞳から流れ落ちたのは、いつもの真珠ではなく翠玉、エメラルドがひとつ。あとからポロポロと金平糖が続いた。



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