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 エレベーターガールに階数を訊かれ、レストランとさほど変わりのない数字を答える。静雄がギョッとした目つきでこちらを二度見したのが視界の端に映るが、真正面を向いたまま澄ましたままでいた。聞いてねえぞ、と心の声でも聞こえてきそうな視線の強さだ。
 エレベーターを降りて、静雄がなにかを口走る前に自らの唇に人差し指を立てる。そんな興ざめなことはしないでくれ。にこりと微笑めば、静雄はひとつ舌を打つ。ずいぶん察しがよくなったものだ。
 ルームカードを翳してロックを解除する。先に入るように手で促せば、揃えて脱いだ靴を端にやり、ずかずかと廊下を歩いていく。静雄が中に入ったのを見届けて、しっかりと鍵をかけた。ここからはふたりの時間だ。誰にも邪魔はさせない。
 先に部屋へ数歩踏み入った静雄が、息をのんだのが背中の膨らみでわかった。それだけで、数ヶ月先まで予約がいっぱいであったこの部屋を、強引に予約した努力が報われた。
 宇宙に投げ込まれたかのように、部屋は夜と同化している。部屋全体が一面ガラス張りとなっており、夜景を独り占めできる構造だ。人工の星がちりばめられた夜の帳。華やかなレストランでは店内の明かりに相殺されてしまっていたが、照明を落としたこの部屋はまるでひとつの宝石箱だ。
「……臨也」
 切なげな表情で名前を呼ばれ、静雄の胸にとんと寄りかかる。背中に震える腕を回され、静雄の作った輪に閉じ込められた。
「シズちゃんはさ、田舎のほうがいいって口癖みたいに言ってたけど。こうして見れば都会も悪くないだろう?」
「……ああ」
 力強い抱擁に身を預ける。今はもう、このような抱きしめ方をされてもあの怪力を恐れることはない。静雄の胸に向かってつぶやく。
「君と、来たかったんだ。来れてよかった」
「手前もう、何も喋んな」
 一段と強く抱き寄せられ、静雄の鼓動を強く感じる。意図をもって顔を上げれば、静雄と目があった。どちらともなく触れるだけのキスを交わし、ゆるゆると腕を解いて身体を離す。このままベッドへ向かえば、最高のシチュエーションだ。
 しかし静雄がエスコートしたのは、背もたれが緩やかに波打っている、カウチタイプのデザイナーズソファだった。臨也を座らせ、腰に手を回し、甘えるような声ですり寄ってくる。
「臨也、なあ……」
「うん、わかってる。ちゃんと用意してあるから。……でも、シャワー浴びてゆっくりしてからでもいいだろう? 食事が終わる頃に、お湯を張っておくように頼んであるからさ。冷めないうちに入っちゃおうよ」
「そうか……それもそうだな」
 臨也の言い分に納得したようで、静雄はタオルなど必要なものを片手に抱え、あっという間にバスルームに消えていく。
 ホッとして胸を撫で下ろした矢先、風呂に入ったはずの静雄がドタバタと大きな音と共にこちらへ戻ってくる。その姿は何にも隠されていない状態で、いくら見慣れているとはいえ、明るいところでこうも大胆だと噎せてしまう。
「おい、臨也! すげえぞ! 風呂に花がたくさん浮いてる!」
「え? ……ああ、そうか」
 そういえば、そのようなサービスがあると知って数日前に頼んだ記憶がある。菓子作りに振り回されたせいで、すっかり忘れていた。無料サービス程度の量ではインパクトに欠けるからと、追加料金をかけてとにかくたくさん浮かせておいてくれと注文をした。
 静雄に続きバスルームの扉をくぐれば、むせ返るほどの甘ったるい香りが鼻孔を侵す。
 見れば確かに、水の面積の方が小さくなるほど色とりどりの花がちりばめられている。ローズ、プルメリア、ガーベラ、デンファレ、ブーゲンビリア。萼のない花弁だけのもの多く、種類を挙げだしたらキリがない。
 これでも足りなければ足してくれということなのか、浴槽の脇にはハワイアンな籠にこんもりと積まれた花達がバスルームを飾っていた。当然のように脱いで来いと言われ、断る理由も見つけられず素直に従った。
 臨也が支度をしている間にシャワーを済ませたようで、静雄の髪はべったりと頭皮に張り付いていてボリュームをなくしている。せっかく決まっていたから残念だ。どうせならあの髪型のままセックスをしたかったが、風呂を勧めたのは自分であることを思い出してひとり肩を落とす。
 静雄はいつものごとく臨也を股の間に座らせて、髪を梳かしたりうなじにキスをして風呂を、というよりは臨也を堪能する。臨也はそれをされるがまま受け入れる。
 浮かんでいた花を指でくるくると回して遊んでいれば、何気ない様子で静雄が赤みがかったプルメリアを手にした。何をするのかと首を捻らせれば、耳の上あたりに差し込むようにして飾られる。
「手前はやっぱり赤だな」
 満足げに頷く静雄に、風呂のせいだけでない理由で頬に朱が差す。これがどれだけ恥ずかしい行為なのか、誰か教えてやってほしい。
 やられっぱななしは好みでないので、近くに浮いていた真紅のブーゲンビリアをすくい、静雄に差し出す。臨也の手のひらからそれを摘みあげて、ううんと唸る。
「俺、赤って感じか?」
「そういうわけじゃないけど。たまにはいいじゃない」
 適当に笑ってはぐらかす。静雄はふーんと、大して興味もなさげに花を明かりに透かして見つめている。静雄の花言葉など知らないであろう朴念仁に感謝した。そのまま自分の頭に持って行くなどという恥ずかしいことはせず、臨也の髪にまた花が増えることとなったのだが。
 ふう、と満足げな嘆息がうなじをくすぐる。
「ちょっと、おっさん臭いよ」
「うるせえ。ああー、やっぱり日本人は風呂だよな」
「全く、ムードも何もあったもんじゃないね。温泉で言うならわからなくもないけどさ」
 臨也の軽口すら心地よさそうに聞き流して、手持ち無沙汰に静雄の手が平べったい腹を行ったり来たりしている。行き着いたのは下腹部の中心で、肩が跳ねれば小さな波が起こって浮かぶ花々が乱れた。
 深爪気味の爪先でカリカリと臍の穴を引っかいて遊ばれて、頬に血がのぼっていく。背を丸めてふ、ふ、と呼吸が浅くなるのを面白がって、静雄は執拗に臍をいじり続けた。
 危うくスイッチが入りかけて、まずい、と思ったが、思い出す。そもそもセックスをして菓子について忘れさせてしまおう、という作戦なのだから、これは好都合である。仕掛けてきたのは静雄だ。
 わざと静雄のそこが刺激されるように身を捩れば、乱れた息がうなじをくすぐる。期待通りの反応に気を良くした。一度欲情してしまえば、臨也の意向など無視して勝手におっぱじめる、獣のような男だ。こうなってしまえさえすれば、こちらのものである。しかし、土壇場に追い詰めても静雄は頑なだった。
 静雄は刺激を嫌がってやんわり臨也を前に押しやり、静かに立ち上がる。肌についた花を払って、そのまま湯船から出てしまう。
「じゃ、先に待ってるからよ」
「えっ、もうあがっちゃうの?」
「逆上せちまったら大変だろ。どうせまたまたあとで入るんだし」
「それは……そうだけど……」
 不服そうにする臨也を一瞥し、「後でな」と静雄は仕方なさそうに笑った。これではまるで、自分だけが欲情していたみたいではないか。ひとり残された湯に唇をつけて、ぶくぶくと不満を泡にする。
 いつまでも風呂に入っているわけにもいかず、湯に浸かるのもそこそこにシャワーを浴びた。そうすればあとは出て行くしかないわけで、憂鬱が胸を支配する。
 部屋に戻ればやはり、早速問題に直面した。化粧水を肌に叩き込んでいる間も、静雄の髪をタオルで拭いてやってる間も、静雄は露骨にそわそわしている。静雄がそれについて触れようとする度、のらりくらりと話を変えて凌いでいたが、限界はすぐにやってきた。
「なあ」
 静雄の声に不審がるような色が混じっている。このままではまずいと思い、咄嗟に静雄の唇を奪った。次いで頬にもキスをして、ついてこれていない様子の静雄をすとんとベッドへ押し倒す。最も単純かつ効果的な方法、のはずだった。
「手前、なんなんだよ。本当は用意してないんじゃねえのか」
 静雄はのしかかった臨也を押し戻し、上から睨みつける。本気で怒ったような顔に焦りを感じた。
「違う、本当に準備してある。さっき袋見せただろ」
 怒らせたいわけではない。ただ、ガッカリさせたくないだけだ。
 慌てて弁解の言葉を口にするも、静雄は強引だった。
「中までは見てねえ」
「あっ……!」
 臨也を押し退けて袋の置いてあるところまでずかずかと歩み寄り、形だけは立派な袋に手をかける。急いで制止の声を投げつけたが、間に合わなかった。
「なんだ、ちゃんとあるじゃねえか」
 持ち上げた重さに中身があると知り、嬉しそうな声をあげる。その表情が暗くなるのを予想して、静雄の後方の窓に反射した自身を睨みつけた。
 だって、その中に入っているのは、静雄の目当てのマカロンではない。
 案の定、袋を開けた静雄は、あれ、と戸惑ったような顔を見せた。きゅうっと喉の奥が締まる。それもそうだ。静雄が楽しみにしていたのは、上手に膨らんだ、色とりどりのマカロンだ。
「食べていいか?」
「……好きにすれば」
 それでも静雄は尚も嬉しそうに頬を緩ませている。そのような気遣いはいらない。不満があれば言えばいい。期待通りでなかったと、文句をつければいい。静雄が何も指摘してこないことで、臨也は却って冷え切っていた。
「うまい。これ、プリン?」
 静雄の問いかけに薄い笑顔を張り付けて、無言のまま頷く。おいしいおいしいとわざとらしく何度も繰り返して、パクパクと食べ進める。それはそうだろう。誰でも簡単においしく作れる、そういうレシピなんだから。
「なんで出さなかったんだよ」
「別に、理由なんてないよ」
 平坦な声で返せば臨也が不機嫌なことに気づいたのか、静雄は口端にクリームをつけたままスプーンを置く。とても、それを指で拭ってやろうという気にはなれなかった。
「手前、どうしたんだよ」
「なにが? おいしかったなら、よかった」
「嘘つけ。機嫌わりいだろ」
「なんでよ。おいしい料理でお腹いっぱいだし、ベッドもふかふか。お風呂も気持ちよかった。今日、俺が機嫌を損ねる理由なんてどこにもなかっただろ」
「でも手前、なんか怒ってるだろ」
 無遠慮な押し問答に苛立ちが募っていく。何もないで押し切ろうとしたものの、静雄は執拗に食い下がった。ついに苛立ちを隠しきれずに、肩にかかっていた静雄の手を振り払う。振り向いて見えた静雄は、戸惑い、悲しそうに眉を下げていた。ぎゅっと胸が締め付けられたように痛む。
 やってしまった。だから嫌だった。
 こんな顔をさせたかったわけではないのに。だが、一度火が点いてしまったら、もう止められなかった。
「だから! まずいわけないんだよ! そんな簡単なやつ、誰でも作れる!」
 ここまで言わせても臨也が怒っている理由に見当がつかないようで、静雄はさらに困惑の色を濃くした。その様子にますます苛立ちが膨らんでいく。
「シズちゃん、俺の料理食べたことないって言ったよね。君がどう思ってるかはなんとなく想像つくけど、料理上手じゃないんだよ、俺。でも期待されてるし、君に言われてどうにか手の凝ったおいしいものを食べさせてやろうって、この二週間近く必死に練習したけど、失敗失敗失敗! 結果、誰でも作れるそんなものが出来上がっちゃったってわけ」
 大袈裟な身振り手振りをつけるが、声の震えは誤魔化せない。察しの悪い静雄への怒りか、不甲斐ない自分への怒りか。だんだん足も笑ってきてしまって、臨也はばふんとベッドへダイブした。無駄に高い天井をキッと睨みつける。ああ、屈辱だ。
 下手に刺激しないように、音を立てずに横に腰を下ろされ、臨也は静雄に背を向けた。宥めるように腰に置かれた手を、素早く払い退ける。傷ついたように空気が震えたのが、背中でもわかった。行き場を失った手は、宙を彷徨って引っ込められる。
 そのような痛々しい反応をされるくらいなら、いつものようにキレてくれたほうがマシだった。誕生日の挽回をしようと思っていたのに、バレンタインも失敗してしまった。
「臨也、せっかくおいしいんだから、そんなこと言うな。誰でも作れるとかそんなの、どうでもいいんだよ。俺が手前の作ったもの食いてえって言ったんだから」
「だから、それじゃダメなんだって!」
 静雄に背を向けたまま、跳ね上がった感情任せに怒鳴る。静雄はそれでも、臨也のそばを離れようとしなかった。恐る恐る伸びてきた手が、まだ湿ったままの臨也の髪を撫でる。今度は振りはらわなかった。
「なあ、どうやって作ったんだ?」
「……なんでそんなこと訊くの」
「いいから」
 見ればわかるだろうに、折れそうにない静雄に深くため息をついて投げやりに答える。
「プリン蒸してビスケット焼いて、交互に詰めていっただけだよ」
「そうじゃなくてよ、もっとこう……ちゃんと知りたい」
 さらに詳細を求める静雄に、段々と呆れがやってくる。このようなことを聞いて、一体どうしたいというのだろうか。
「だから……卵に砂糖とか牛乳混ぜて、蒸して。そこにコーヒーとクリームチーズで味つけしていって……」
 別段珍しい工程でもないのに、静雄はうんうんと何度も頷く。静雄が止めないから、臨也はそのまま話し続ける。
「ビスケットはバターと薄力粉とコンスターチで生地作って、オーブンで焼いた。で、容器に詰めてココアパウダー振りかけて完成」
 そう、これだけだ。少しは洒落て見えるだろうかと最後に金箔を散らしてみたが、だからと言って味がよくなるわけでもない。凝ったことなど、何ひとつできなかった。
 全て聞き終えた静雄は、黙って臨也の隣で横になる。成人男性ふたりが寝そべっても軋まないのだから、一流メーカーの名前は伊達じゃない。後ろからそっと抱え込まれて、ビクッと身体が強張る。何を言われるのか想像もできなくて、息を止めた。
「臨也、ありがとう。すげえ嬉しい」
 カアッと血が奔流して、体温が上がった。言うことを聞かない目頭に力を込める。
「……あっそ」
 緩んだ空気を察して、ぐるんと身体を反転させられる。赤らんだ顔を見て、静雄はしてやったと顔を綻ばせた。

 ふたつあったプリンは時間をかけて綺麗に食べられ、あとにはカスタードのついたガラス容器だけが残された。
 どうやら、取り寄せたマカロンの出番はなさそうだ。波江にでもやろうかと考えたが、きっと静雄が知れば嫉妬する。それなら自分への褒美としてこっそり食べてしまおう。いや、静雄を餌付けするのも悪くはない。
 ご執心だった菓子を食べて満足したようで、静雄は備え付けのティーパックで淹れた紅茶を色気もなく一気飲みして、ぐんと伸びをする。
「おし、ヤるか。手前もヤる気満々みてえだしよ」
 言われて、今の自分の状態を改めて確認する。取っ組み合ったせいでバスローブははだけ、服としての役割を放棄していた。
「いや待って! 誤解だから! これはティラミスから気を逸らそうと…!」
「じゃあシねえの?」
「そ、れは……する、けど」
 悪い顔で微笑まれ臨也は不貞腐れるも、だが裏腹にあっさり投降した。

 脱がされたというよりは、ひん剥かれたと表現したほうが正しい。なにせ二週間ぶりのセックスだ。静雄はバスローブを脱ぐ間も惜しいらしく、前戯もそここに突っ込むことを優先する。
 臨也の両腕を後ろに引きながらバックでするのがお気に入りのようで、いつからか一回戦目は決まってこの体勢になってしまっていた。胸に全ての体重がかかるこの体位を臨也は好きではなかったが、臨也が苦しそうにすればするほど嬉しそうにするサド野郎だ。静雄がこの体勢にこだわるのも、そういうことなのだろう。
 浮かび上がる肩甲骨に噛みつかれ、ぶるりと尻が疼く。逃げるように腰をくねらせば、上から体重をかけられ、今度はうなじに食いつかれた。本能のままに貪る、獣のようなセックスだ。
「シズ、ちゃ、ッあ、ねえ……っ」
「ん、だよ……!」
 返しに棘がある。あからさまに余裕がない。セックスの、特に一回戦目は、静雄は無駄な会話をひどく嫌がる。
「なん、でチョコ……はっ、ン、もらわな、かったの」
「あ? 手前、見てたのかよ」
「アッ、ぅあっ! ちが、たまたま……ッん、ああ!」
 主語がなかったのに、珍しくも中身を察したらしい。もしかしたら、あの時、本当は臨也に気づいていたのかもしれない。
 確かめる前に、ぐんと奥を突かれて背中がしなる。眉間に力を込めて、額をシーツに擦り付けて耐えた。
「手前、もらったの知ったら、俺にくれなかっただろ」
「さ、あ……気分次第、じゃない」
 首を後ろに捻って、口角を引き上げる。静雄の無表情ぶりにゾクリとした。これが興奮しているせいだと気づいたのは、何度か回数を重ねてからだった。見透かしていたような物言いを鵜呑みにするのは、臨也のプライドが許さない。
「もういいだろ、集中しろ」
「だって、あ、ふぅッ、や!」
 徐々に手加減がなくなっていき、会話をする余裕もなくなる。欲のままに引かれる両腕が痛い。ガツガツと、相手を慮ることのない獣のような動き方だ。
 一回戦目は、たいてい静雄が満足するためにある。熱を吐き出すためだけに腰を打ちつける静雄は、臨也を気持ちよくさせるというところまで頭が回らないらしい。
 後ろだけでイけるほど慣れているわけでもないから、腕を振り払って自分で慰めるしかないのだが、今回はどれだけもがいても離す気はないらしい。こういう時がたまにある。自分だけ気持ちよくなりやがってと、非難がましい目を向ける。静雄は視線に気づかず目を伏せて、必死に快感だけを追いかけ、細切れな息を漏らしている。
 この荒々しさは嫌いではない。静雄が臨也だけをみて、必死で腰を振っているという事実は、臨也を高揚させ、自尊心をたっぷりと満たした。
 中で情欲が弾けて、背中の身体が弛緩する。重さに耐えきれず、臨也もろともベッドに倒れ伏した。余韻を味わうように数度中を擦られて、ずるりと肉が抜けていく。内臓を持って行かれる感覚に、歯の隙間から息が逃げた。膜がひくひくと、物足りなそうに出て行ったそれを手招くのがわかる。
 ようやく両手を解放され、深く息を吐いて身体を労った。前に持ってきた両手首には、くっきりと静雄の手形が残されている。休む間も与えられずに、油断していた身体をひっくり返されて、静雄と正面から向き合う。
 弾みでゴムをつけずに中に出されたものが、とろとろと太ももを伝った。自ら掬い取って、静雄に見せつけるように指先で弄ぶ。
「はは、濃いね……溜まってた?」
 べったりと白濁を静雄の頬に塗りつけて挑発する。静雄は低く唸るだけで何も答えない。代わりに殴りかかるような勢いで、臨也の手首を掴みベッドに押し戻した。嫌そうな目がたまらない。
「俺も……だから、はやく」
 ねっとりと淫情を滲ませた声で誘えば、静雄は非難がましく眉を寄せ、舌を打った。
 ようやく、待ちに待った二回戦目だ。
 一度熱を吐き出して多少の余裕がある静雄と、一切の余裕がない臨也。ねっとりとした愛撫に、声は簡単に堪えきれなくなった。咄嗟に両手を口元に運ぼうとしたが、咎めるように捕らえられ、頭上で縫い止められる。
「な、なん、あっ、あぅッ、はなせ、よ……!」
「つまらねえことすんな」
「ヤッ、あッ……あぁ! くそ……!」
 面白そうに笑いながら淡々と言い放たれて、ぎゅっと睨みつける。何に触発されたのか、はたと、静雄は思い出したように臨也を責める顔になった。
「なあ、手前こそ、どうなんだよ」
「あっ! ふ、ぅ……なに、なにが……!」
「チョコ。俺より、よっぽど貰ってそうじゃねえか」
 猜疑心を隠しきれない表情で区切り区切りに訊かれ、頬が緩む。静雄も、不安だったのだ。
「ははっ……シズちゃん、嫉妬ぶか、ひぅ!」
「答えろよ」
 静雄の指先が、くすぐるように臨也の胸で円を描く。偶然を装って乳首を掠められ、甲高い声が漏れた。
「あ、あッ、もら……てな、い!もらうわけ、んンッ」
「嘘じゃねえだろうな」
「うそじゃ、ぁッ、ね、ねえ、ちゃんと……!」
 先ほどから、臨也の期待する刺激は一向に与えられない。焦れて催促すれば、静雄は嬉しそうに笑った。趣味が悪い。
「臨也、キスして」
 自分ばかり、と思わなかったわけでもない。だが臨也に考えるだけの余裕はなかった。
 解放された両手を静雄の首裏に回し、近づいた唇に欲しいまま与えてやる。歯列をなぞり、上顎の柔らかな部分を突いて好きにしていたら、舌が絡めとられた。やけに甘いのは、一度にふたつも食べたティラミスのせいだろう。予告なく乳首を指で弾かれて、静雄の口内に声が消えていく。
 普段なら二回目だって、静雄が先に我慢がきかなくなって、がっついてくる。いつもの火急的なセックスとは違う。理性が溶かされるようなセックスだ。
 一通り中を舐めまわして気が済んだのか、糸を伸ばして静雄が唇から離れていく。あとを追うように軽く上体を起こすのと、悲鳴をあげたのはほぼ同時だった。
「やッ、なに……! なにしてんだよ! ヤッ、いやだ、やめろ!」
 身を捩り、足をばたつかせて抵抗するも、静雄はまるで意に介さない。
 今までこんなこと、しなかったのに。
 静雄の唇が臨也の足指をみ込み、一本一本丁寧に舐る。全身をゾワゾワとしたものが駆け上がって、背中が撓む。
「ひッ……あん!」
「あん、だって。誘ってんの?」
 弾かれたようにぶんぶんと首を振る。恥ずかしさに身が焼けそうだ。静雄は口角を上げるだけで、何も言わない。なおもちゅぱちゅぱといやらしい水音を立てて吸い付かれ、目元に水が溜まる。
 視覚的にも、これは、クる。不意に、上目遣いでこちらを見つめる静雄と視線がかち合う。ゾクッとした。
 なにこれ、ヤバイ。
 足の先で生まれた快感は、脊髄を経由してダイレクトに脳まで届く。しゃぶられている感覚がフェラを思いださせて、気を抜いたら喘いでしまいそうだ。奥歯に力を入れて、どうにか耐え忍ぶ。
 静雄がふ、と臨也の腰あたりに視線を落として笑った。腰をくねらせていたことに気づいて、首から上が燃えるように熱くなる。
 指がふやけてしわくちゃになって、ようやく静雄は口を離した。唾液を手の甲で拭い、自らの下でのぼせ上がった臨也を見て、片側の口端を持ち上げる。支配欲に塗れた目だ。静雄が離れたというのに舐められている感覚が消えなくて、足の指でシーツをひっかいた。
 静雄がもう一度足元に顔を近づいて、びくりと腰が跳ねる。息だけで笑い、今度は足の付け根、膝、好きなところにキスを落としていく。鼠径部の肉のない箇所に吸いつかれ、すぐ横のとっくに硬くなっているそれも吐息を感じて震えた。だがどれも、決定打には遠すぎる。
「シズちゃ、ねえ、ねえってば……!」
 自分でもわかるほど切羽詰まっていて、声に余裕がない。だってもう、二週間もご無沙汰だ。薄いバスローブの上からは、静雄も同じような状況であるのが一目でわかる。
 はやく、硬いそれを奥に突っ込んで欲しい。疼いて疼いて、中の肉がひくひくしている。それなのに、静雄はいっそ残酷なほど優しすぎる愛撫を施すだけだ。果ては尻の縁を何度もさすっては、いたずらにほんの少しだけ指を沈められる。もう限界だった。
 痺れを切らして、いつもは自分から脱ぐ静雄のバスローブの紐に手をかける。よほど物欲しい表情をしているのだろう、目があった静雄が喉で笑う。
 なに余裕ぶってるんだ。シズちゃんだって、こんなになっているくせに。我慢なんてらしくもない。
 興奮で指が震えるのをどうにか押さえつけて、丁寧にバスローブを脱がしていく。肌を隠す布を取り払われて露わになった静雄のそれは、準備万端である。無意識にごくりと喉が鳴った。
「シズちゃん……」
 静雄は静かに笑うだけだ。苦しくて、目のふちが重くなる。自分から跨ることなどできなくて、でも疼いて仕方なくて、臨也はついに思い切った。
 わきにあるローションを手に取り、静雄の指に垂らしていく。誘うように尻に手を持っていくが、依然として静雄は入り口で遊ぶだけだ。欲しいのは、もっと奥である。そのようなこと、言わなくとも静雄もよくわかっているはずなのに。あんまり焦らされすぎて、泣きたくなってきた。
 どうにか時間をかけて中に入り込んだ指は抜き差しを繰り返すだけで、臨也のために動いてはくれない。とうとう恨み言が漏れた。
「……今日のシズちゃん、意地悪だ」
「ああ? 聞こえねえなあ」
「ひッ、あああっ、く、ぅん!」
 前触れもなしに、いいところをまとめた指で擦られ、身体が引きつる。微かに視界が点滅した。
「……イけそうなんだけどな」
 思案するようにぼそぼそとつぶやかれたそれは、散らばった意識では拾いきれなかった。ぐいと両足を横に大きく広げられ、閉じかけていた瞼を押し上げる。
 ああ、ようやくだ。尻に熱いものを押しあてられて、期待に震えた。唾を飲めば、音を立てて喉仏が上下する。
 静雄は臨也と目を合わせたまま、ゆっくりと挿入を開始した。中が拡げられる感覚に眉が垂れる。
「あ、ああぁ、ふぁ、きもち、いぃ……」
「手前……」
 何かとんでもないことを口にしたのだろうか、静雄の顔が恨めしそうに歪む。無自覚で言葉が溢れてしまうほど、臨也の理性は溶けていた。散々焦らされた身体は火照り、どこもかしこも疼いている。
 挿入が進むほど、中に出された精液がじゅくじゅくと漏れ出て、居た堪れなくなった。全てが中に収まって、ふうと息を吐く。はやくいつものように擦って、突いてほしい。
 でも、静雄はそれだけだった。いつまで経っても動こうとはしない。黙って、臨也を見つめている。
 先に我慢ができなくなったのは臨也だった。息を荒くさせ、いいところに当たるように腰をくねらせて快感を貪る。だが、やはり足りない。腰の疼きをおさめようと必死に尻を振った。羞恥心などとっくに溶けていたはずなのに、ねっとりと張りつくような視線に再び頬に血が集まる。産毛が焼けそうだ。
「シズ……! うごいて、おねがっ」
 それでも静雄は笑うだけで、少しも動いてはくれない。まるで生殺しだ。玉のような汗がぽたっと、シーツにしみをつくる。耐えきれなくなって、前を慰めようとすれば咎めるようにシーツに縫い止められた。
「な、んで……!」
「なんだよ、もう我慢できねえの?」
「なッ……! しね、ほんと、しんで……!」
 そりゃ、自分は一度イってるからすっきりしているだろうけど。挿れてるだけで気持ちいのかもしれないけど。どうして。いつもなら、もっと気持ちよくしてくれるのに。臨也の気持ちも汲んでくれるのに。本当に泣きたくなってきてしまった。なにか、怒らせてしまったのだろうか。
「シ、ちゃ、なに、怒って……俺、なんか……」
「あ? 怒ってなんかねえよ」
「じゃあ、なん……ああぁッ!」
 会話の途中で、予兆なく静雄が動き出して、突然やってきた快感にきつく瞼を閉じる。理性の糸がプツンと切れた。
 静雄の動きに合わせて夢中で腰を揺する。あともうちょっとだというのに、やはり後ろの刺激だけではイけない。どうにか静雄の手を振り払おうとするも、たいした力も入らない。
「や、だぁ……! ひぅあ! あ、あ、あ!」
 ごりごりとしつこく前立腺に先端を押しつけられ、ひっきりなしにふくらはぎが痙攣する。身体がおかしい。頭の芯が痺れて、目から涙がとまらず、視界がぼやける。いや、水分だけの問題でなく、そもそもの目の焦点がずれている。
 怖くなって逃げるように身体をずり上げるも、腰を掴まれて簡単に引き戻されてしまう。拍子に奥に打ちつけられて、短く悲鳴をあげる。息ができなくなって、助けを求めるように静雄に爪を立ててしがみついた。
「ひッ……」
 目の裏で破裂した光が徐々に一点に収束していく。打ち上げられた魚のように跳ねた身体から強張りが解けて、数秒、意識が浮遊した。ひどい快感に声も出ない。
 腹の中で弾けた熱が、臨也をかろうじて現実に押し留めた。口から零れる意味もない声と、静雄の息遣いがうるさい。
「ーーッ……ぁ、あ……ん……」
「はっ……いざや……!」
 ガクンと身体を支える筋肉から力が抜けて、ベッドに倒れる。瞼をおろすこともできないほどの疲労感だ。
 目を開けたままどこかをぼんやり見つめる臨也に焦った静雄が、ぺちぺちと頬をたたく。ゆるい刺激にようやく目の焦点が揃い、のっそりと顔を上げる。臨也の瞳が静雄を映したとわかり、静雄はホッと肩を下げた。
 なんだか、やたらと体力を持って行かれるイき方だった。まだ快感が身体の中を好き放題に走り回ってるし、無性に胸の奥がきゅうっと切ない。
 静雄はなるべく、臨也に刺激を与えないよう慎重に中から抜け出す。それでも抜かれる感覚は臨也を堪らなくさせて、激しくかぶりを振る。静雄の手の中で指をもぞもぞとしていれば意図を汲んだようで、指を絡め、抱き締められた。
「中で、イったよな」
「る、さい……」
 確かめるようにごく近くで言われ、静雄の視線から逃れるために顔を横倒しにする。羞恥心がこみ上げて、いっそ死にたいほどだ。熱烈な静雄の視線を瞼で完全にシャットアウトする。目を開けているのも億劫だった。
 静雄が腕を伸ばすから、素直に甘えて胸に擦り寄れば、規則正しい心音が子守唄のように響く。そのまま朝まで眠るつもりだった。多分、後始末は静雄がしてくれる。どちらにせよもう少しも動く体力は残されていないから、自分で処理をするのは不可能だ。
 意識が萎みかけたというのに、突如背中がのけぞった。何が起こったのかわからずに目を見開くと、静雄が空いている方の手で萎えた前にそっと触れている。怯えが走った。
「や、ま、まって……! なにして……!」
「足りねえ」
「む、りだよ。俺、もう……」
 張り付いた喉で訴え、未だ震えが残る両腕をつっかえ棒のようにして静雄から離れようとする。当たり前だが、それくらいではびくともしない。静雄の目は熱情に浮かされ、ギラついていた。
「臨也、お願い」
 掠れた声で囁かれ、思考能力が奪われる。ああ、最悪だ。どんどん静雄は臨也に強請るのが上手くなっていくのに、臨也はどんどん断るのが下手になっていく。
 無言を肯定と受け取ったようで、静雄はさらけ出されている臨也の首筋にがぷりと噛み付いた。


 なにも纏わないままシーツに包まって、静雄の腕の中で眠るのが好きだった。特にそうしてと言ったわけではないのに毎回こうなるということは、静雄も気に入っているのだろう。だが、今回ばかりはそれを楽しむ余裕すらなかった。
 あのあと、静雄の「あと一回だけ」を何度となく繰り返された臨也の身体は、まるで人形のように脱力している。
 喘ぎ声がすすり泣く声に変わっても、静雄は臨也を解放しなかった。痛みすら伴う激しい快感にわけがわからなくなって、必死に赦しを乞うた。首を激しく振って、息も絶え絶えにしゃくりあげて終わりを懇願する。
 静雄の動きも鈍くなっていて、恐らくもう満足しているはずなのに、空いた右手はねちねちと執拗に臨也の前を嬲り続けた。後半の記憶はほとんどなく、いつ終わりを迎えたのかも曖昧だ。
 正直、何度か気を失いかけた。いや、覚えてはいないだけで実際とんでいてもおかしくはない。意識を保っていられたのが不思議なくらいだし、気絶してしまいたいと思うほどだった。
 尻が痛くて、むずむずして、少しでも和らげようと手で押さえる。静雄が飲んでいたミネラルウォーターを吹き出して「やめろ」と咎め、手を離された。
 色々と不満を口にしたいのに、舌を動かすこともできないほどの疲労感だ。ここまで酷いのはいつ以来だろうか。
 喉がカラカラに渇いていて水を飲みたいけど、腕どころか指すら思い通りにならない。静雄が喉を鳴らしてミネラルウォーターを胃に流し込むのを見つめていれば、視線に気づいたようで、目で訴えれば口から口へと水を注がれた。
 一度だけでは全然足りなくて、ぱかっと大きく口を開ける。水を流し込むのついでにべろりと舌を撫でられて痺れる。弱々しく頭を振れば、さすがにこれ以上はまずいと自覚しているようで、すぐに離れていった。
 身体中が汗やその他のもので汚れていて、ベタベタしている。シャワーを浴びなければならないのに、もうぴくりとも動ける気がしない。
 一方溜まっていた熱を好きなだけ吐き出した静雄はご満悦の様子で、臨也の髪を指に絡めてくるくると遊んでいる。眠い時によくする仕草だ。
「シズちゃ……身体、拭いて。お風呂連れてって……」
「ああ……そうだった。怠いんだろ、寝とけ。風呂は手前が寝たら入れといてやるから」
「それ、やだってば。そんな、人形みたいな……」
 嫌だと拒みはしたが、半ば諦めつつもあった。今までにも数回、激しさに耐えきれず臨也が意識を手放したことがある。
 はじめ、意識の無い身体を好きにされたと知った時は、ナイフを持ち出す騒ぎとなった。しかし繰り返されているうちに段々と慣れがきてしまい、怒るのも面倒になって、今はもう好きにさせることが多い。実際、自分ひとりで風呂に入れないのだから、眠っている間に全てが済まされているのは合理的ではある。
「あのさ」
「……ん?」
 沈んでいたいと喚く舌に鞭を打ち、ガラガラに掠れた声で切り出す。これだけ言って、眠りにつこう。
「来年は、もう少し、まともなの作るよ」
 さすがに真正面から言うのは気恥ずかしくて、静雄の胸あたりに視線を落とす。一息で言い切ってしまうつもりが、重たい舌ではろくに呂律も回らなかった。
 静雄が驚いたのを、息づかいで感じる。汗ばんだままの背中に腕が回され、頭の上に静雄の顎が乗っけられた。重いと言い返す気力もない。
「別に、俺は毎日手前の飯食ったって……」
 頭上で落とされた静雄の言葉は聞こえなかったことにした。口にした言葉の意味を、静雄はわかっているのだろうか。臨也は頬が火照っていたのは自分だけでないことに気づかなかった。
 わずかな隙間も許せなくて、静雄の身体にねじ込むようにして張り付き、ようやく瞼を下ろす。絡みつく手足の重みが心地よい。 臨也が眠るまで、静雄はぽんぽんと背中でリズムを刻んでいた。
 翌朝、立ち上がることもできず静雄に横抱きにされてホテルを出ることになることなど、この時の臨也は知る由もない。



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