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「#エロ」のBL小説を読む
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 目が覚めるとそこに臨也の姿はなかった。間違いなくタオルで臨也の腕を拘束していたはずだが、どうやら静雄が眠っている間に解いたらしい。迂闊であった。
「ーーくそ!」
 苛立ちのままに布団を殴る。むわっと立ち込めた臭いが、先ほどまで臨也がここにいたことを傍証していた。
 ようやく臨也を手に入れた。もう逃さないつもりであったのに、のうのうと寝ていた自分に腹が立って仕方がない。
 明るかったはずの室内が薄紫色に染まっている。いったいどれだけの時間眠っていたのだろう。これだけ深い眠りについたのは久しぶりであった。先ほどまで心地よい疲労感と臨也の内側を暴いた充足感で満たされていたのが嘘のように、ここには何もない。
 今だけだとか、もう十分だだとか、臨也の言動はどこかおかしかった。自分を犯した静雄に抱きつき、あまつさえ胸板に擦り寄って甘えるような臨也にすっかり油断していたのだ。
 そして錯覚してしまった。もしかすると臨也も、静雄のことが好きなのではないだろうかと。起きたら無体を強いたことを詫びて問い質すつもりであった。
 どうすることもできなくて、いつもの癖で煙草に手を伸ばす。メントールの清涼感が肺を一時的に満たしたが、残ったのは虚しさだけだった。灰皿にまだ長さのある煙草を押し付けようとテーブルに手を伸ばし、手のひらに無機質な紙が触れた。臨也に渡した万札と、滅多に使わないが念のためにと電話の横に常備してあるメモ用紙だ。
 メモの存在の意味を理解して勢いよく取り上げる。隣に並んでいた諭吉がはらはらと落ちていった。外からの明かりだけでは頼りなく、電気をつける。
「ああ……!?」
 メモ用紙に書かれた内容は、臨也を買った金の代わりに静雄のバーテン服をもらっていくというものであった。文末のコミカルな顔文字が静雄を馬鹿にしているようで、メモは役目を果たすとすぐに静雄の手の中で紙くずへと化す。
 妙に丸っこい字で書かれていることが本当かどうかを確認するためクローゼットを開く。一番端にかけてあったはずの使い古したバーテン服が一式、靴下からタイまでなくなっている。
 なぜ自分の服を着て行かなかったと床に散乱する臨也の服を摘み上げると、それはもはや服とは言えない代物になっていた。そこでようやく思い出す。臨也の服は静雄がぼろぼろに破いたため、服としての役割を果たせるわけがなかったのだ。辛うじて原型を留めているズボンでさえどちらのともつかぬ体液で汚れてしまって、これで外には出られないだろう。そこで苦渋の選択として、臨也は静雄のバーテン服を着て出て行ったというわけだ。
 不思議なことに弟のくれた服を勝手に持っていかれたというという怒りは一切湧き起こらなかった。それよりも臨也が静雄の服を着用したという事実に、なんとも表現し難い感情がぐるぐると胸で渦巻く。
 よりにもよってなぜそのバーテン服を選んだのだろうか。まだ開けられていないバーテン服があることに、臨也なら気づいたはずだ。臨也が静雄の新しいバーテン服を開封することに申し訳なく思う心の持ち主でないことは知っている。様々なピースを繋ぎ合わせ、都合よく解釈してしまう頭が苦々しい。
 静雄の右手は無意識のうちに二本目の煙草を取り出していた。


 いま思えば、出会ったその時から臨也のことが気になっていたのだろう。はじめて臨也と対峙した時の静雄を見定める深いガーネットの瞳に、ゾクゾクとしたものが込み上げたのを覚えている。しかしそれが何であるか理解するのには、静雄は自身の感情を知らなすぎた。脳と筋肉が直結しているこの口は、初対面の臨也から嗅ぎ取ったうさん臭さをそのまま言葉にして吐き捨てたのだ。
 「気にくわない」と、確かそのような言葉であったと思う。まともな感情を保有している人間なら誰でも傷つく言葉だ。あの臨也でさえ、一瞬目を丸くした。あれが数少ない臨也の素の表情であったことが今ならわかる。
 のちにことが収まり冷静になると、後悔が波のように静雄の胸へ押し寄せた。もちろん、すぐに謝るつもりだった。それなのに臨也は次から次へと訳のわからない連中をけしかけたり、度の過ぎた嫌がらせばかりを仕掛けてくる。目先の事柄にとらわれやすい静雄の脳からは、臨也に謝罪しなければならないという案件が跡形もなく削除されてしまう。臨也に謝るタイミングは失われ、当然好意を伝えるようなことになるわけがなかった。それなのに臨也への好意はますます加速していく。
 人間の域を超えた膂力の全貌を知ってなお静雄を恐れなかった臨也の存在は、揺るぎようのないポジションで静雄の心に居座ることとなった。皮肉にも臨也は大嫌いだと豪語する化け物を孤独から引っ張り上げたのだ。
 そうして高校を卒業し、静雄がようやく取り立て屋というひとつの職業で稼ぎを得ることができるようになってからもその関係性は未だ変わらず、顔を合わせば一触即発。一部からは池袋の戦争コンビと呼ばれるまでになってしまっていた。
 そろそろこの関係に終止符を打とうと考えていたそんな時だ。臨也が身体を売って情報を得ているなどという噂を耳にしたのである。
 はじめは毛ほども信じなかった。いや、信じたくなかったのだ。プライドの高い臨也がそのようなことをするはずがないと、下卑た顔で噂を口にする者達を片っ端から殴り飛ばしては怒りを鎮火させた。
 しかし静雄はすぐにその者達の言葉が正しかったことを知ることとなる。
 いつもより仕事が長引いて帰りが遅くなってしまった日のことだ。時間はかかってしまったがその日の集金率は上々で、静雄はいつになく機嫌がよかった。節約中であったが今日くらい許されるだろうと、好物である甘いものを求めて普段利用しない裏手のコンビニへ向かう。
 そこで見てしまったのだ。 愛想笑いを浮かべた臨也が金髪の男とホテルに入っていく瞬間を。
 足元からさあっと血の気が引いていく。真っ先に目を疑った。しかし何度目を擦ろうが、あれが臨也でなくなるわけでもない。なによりホテルからあの甘ったるい独特の臭いがする。
 その光景は静雄にとって裏切りに等しかった。臨也は静雄を裏切ったのだ。
 ホテルに踏み込む勇気などなく、すぐさま静雄はその場をあとにする。当初の目的であるコンビニなど寄れるはずもない。
 あらゆる絵の具をぐちゃぐちゃに混ぜたような感情が静雄の中でうねり、あと少しでもそこに留まっていたら比喩でなくホテルを破壊してしまいそうだった。よく何も壊さずに家へたどり着いたと自身を賛美する。短気のレッテルをカミサマとやらに返上してやりたいくらいだ。
 臨也が男とホテルに入っていくのを目撃したからといって、静雄の生活に特別な変化があるわけでもなかった。むしろ煮えたぎる怒りを奥底に閉じ込めたことによって、以前より淡々と仕事をこなしていたくらいだ。
 しかしだからといって臨也を諦めたというわけではない。ホテルに入っていったとはいえ、実際に性行為をしているとも限らない。臨也の性格上、あのホテルの一室でよからぬことを企んでいたという可能性も大いにありうる。
 静雄は限りある金と時間を極限まで削り、数少ない情報網を駆使して臨也の潔白を証明しようとした。だがそれは静雄の思いに反して、臨也が身体を売っていることを裏づけるものとなってしまう。
 静雄が手に入れたのは臨也がおよそ三万から五万の間で身体を差し出しているという疑いようがない情報だった。断られた男も少なくないということから誰でもいいというわけではなさそうであったが、静雄からしてみれば見知らぬ男に足を開いていることに大差はない。
 集まった情報の中には、平和島静雄が折原臨也を抱いているというとんでもないものまで混じっていた。たまたま持っていたペットボトルがひしゃげたのは言うまでもない。複雑な感情が暴風雨のように静雄に襲いかかる。少なからずとも、この噂が静雄の計画を助長したのは確かである。
 臨也が身体を売っているとわかったなら、あとはどうするかはすでに決めていた。
 臨也を捕まえ、家に引きずり込んで、犯す。静雄は躊躇なくそれを実行したのだ。
 体調でも崩していたのか、臨也の動きはいつもの数倍鈍かった。体調が悪かろうが、そのようなことは静雄には関係がない。とにかく臨也を捕まえるのは簡単であった。
 臨也を静雄の自宅に連れ込みベッドへ投げ飛ばす。逆毛を立てて警戒心をむき出しにする臨也の上に覆いかぶさると、はじめてでもないのにその痩躯はわずかに震えていた。たぶん、怖かったのだと思う。普段から向けられている静雄の視線が獰猛なものへと落ちたその瞬間、臨也は一際大きく震えた。静雄がそのような目で臨也を見ていたなど知る余地もなかっただろう。
 がむしゃらに暴れる臨也を押さえつけて両手を頭上で固定しシャツを破く。こじ開けるようなキスをするとどこか慣れていないような気配を感じ、そのようなことを考えた自分を苦々しく思った。
 静雄の愛撫に反応を返す臨也は、ただかわいいの一言に尽きる。だからこそ、そのような姿を他の男にも見せたという事実がどうしても許せなかった。感じやすい身体が達し、まって、まってと懇願する臨也の中に強引に突き立てる。もう、十年待ったのだ。
 達したばかりの臨也の中はうねうねと蠕動し、ろくに慣らさずとも静雄を受け入れた。慣らさなくとも熱を受容した理由など考えたくもない。心臓を内側から引っかき回されるような感覚を紛らわすために、臨也を何度も揺さぶった。
 かぶりを振って拒絶を表す臨也に怒りとも悲しみともつかない感情がせり上がる。他の男は受け入れるというのに、静雄のことは拒絶するのか。ふつんと静雄の理性が焼き切れる。あとはひたすら無我夢中で目の前の身体を貪った。
 ずっと抱きたいと思っていた身体だ。何度夢に見たかわからない。夢想したそれはこのような乱暴なものでなく、優しくキスをして、丁寧に解し、愛を確かめ合うようなものであったはずだ。
 しかし、現実は凄惨なものになってしまった。いや、してしまったのだ。だが臨也を犯したことを後悔しているかと問われると、それもまた否であった。
 臨也には逃げられてしまったが、この曖昧な関係のまま終わらせるつもりはない。白黒つけなければ気が済まないのが静雄の性分だ。次に街で臨也を見かけたら追いかけまわして再び取っ捕まえてやると息巻くも、臨也を見つけられぬまますでにあの日から二週間が経過した。
 正直なところ、臨也を捕まえてどうしたいのかは静雄自身よくわかっていないというのが本音である。あのタイミングであれば臨也の気持ちを聞き出すことができたかもしれないが、これだけ時間が経ってしまった。何日も何日も熟考するがやはり答えは出ない。決まって最後にたどり着くのは、臨也を自分のものにしたいという執着を内包した欲望だ。
 なんにせよ臨也を捕まえなければ話が進まない。臨也にだけ特別反応する静雄の身体のどこだかにあるレーダーを極限まで研ぎ澄ますも、池袋でその姿を見つけることはついに一ヶ月なかった。
 静雄は今もことあるごとにあの日のことを思い出し臨也の熱を忘れられずにいるというのに、臨也は忘れたのだろうか。それともなかったことにしようとしているのだろうか。それでは不公平だ。
 忍耐に忍耐を重ねたがとうとう我慢の限界を迎えた静雄は、新宿にある臨也の事務所を訪ねることに決めた。
 口実は探すまでもない。臨也が着て行った、弟からもらった大切なバーテン服を返してもらう。どこからどう見ても正当な理由だ。
 マンションのすぐ目の前まで来て最初の関門であるオートロックに悩まされたが、たまたま通りかかった住人の後ろに不自然さを感じさせない流れで続く。住人は怪しげに静雄を一瞥したが特に気に留めなかったのか、ことを荒立てるのを避けたのか声をかけられることはなかった。どうやら今日はツイているらしい。
 ほとんど衝動的にここまで来てしまったが、臨也の部屋が近づくたびにベニヤ板を打ちつけ即興で補強した意志がぐらぐらと揺れる。もし臨也が静雄を他の男と同枠に放り込んでいたら。いや、それならまだいい。問答無用でナイフを取り出し拒絶を貫かれ、何もなかったことにされたら。いや、臨也とて何も感じていないわけではないだろう。ここ一ヶ月、池袋に顔を出さなかったのが何よりの証拠だ。ぶくぶくと湧き上がっては破裂するネガティヴな思考を強引に補正する。
 いかにも高級そうなフロアを突き進み、無駄に上階にある臨也の部屋へおもむく手段として迷うことなくエレベーターを選択した。この階数を自力で登るのはさすがの静雄も骨が折れる。
 数字が減少し、チンと軽やかな音を立ててドアが開く。箱の中には澄ました顔の女がひとり乗っていた。艶やかな黒髪を腰まで伸ばしており、目つきはキツいが間違いなく美人に分類されるタイプだろう。女は静雄を見て驚いたように目を瞠る。新宿にまで名前が知れてしまったのかとそれだけなら気にも留めなかったが、すれ違う間際、その女から臨也の臭いが漂った。女は関わり合いを避けるように自然な動作で身体をひねり、静雄の横を通り過ぎる。
 まさか、いまの女が臨也の。
 ふつふつと怒りにも似た嫉妬が湧き起こる。あの女は誰だ。臨也のマンションを自由に出入りできるなど、一体どのような関係なのだろうか。臨也と女の香水の臭いで満たされた狭い空間が静雄の嫉妬をエスカレートさせる。
 ぶち壊すつもりでいたが、臨也の家の鍵は不用心なことに開いていた。先ほどすれ違った女がかけ忘れたのだろう。やはり今日はツイていると静雄はひとりほくそ笑む。
 玄関の棚には臨也の趣味でないであろう香りの強い花が生けられている。あの女の趣味だろうか。丁寧に靴を脱ぎ、そろえて端に寄せることでどうにか心拍数を落ち着ける。
 静かな廊下にカタカタとパソコンのキーボードを叩く音だけが響く。このドアの向こうに、臨也がいる。
「あれ、波江? 忘れもの?」
 ひさしぶりに聞いた臨也の声はひどくのんびりとしたものだった。臨也は部屋に入り込んだ人物を確認することなく作業に没頭している。よほどあの女を信頼しているらしい。しばらくその白い指が小気味のよい音を鳴らしていたが、返事のないことにようやく疑問を持った臨也が顔をあげる。
 部屋にいる人物が波江という女ではなく静雄だということを認めた臨也は、大きな目が眼窩から溢れるのではないかというくらいに見開いた。
「なん、で」
 ガタッと椅子を倒して立ち上がった臨也は、一目でわかるほどに筋肉が落ちていた。池袋に来て身体を動かさなかったというのもあるだろうが、単に食べていなかったのだろう。ろくに陽に当たっていなかったのか、元から白かったその肌はいっそ青白く感じる。 今の臨也の状態があの一件のせいであるのかは静雄にはわからない。
 急に立ち上がったために貧血でも起こしたのか、臨也の身体が大きく傾く。倒れる寸前のところで机に手をつきどうにか身体を支えた。
「波江って女ならさっきすれ違ったぜ」
 臨也はちらりと携帯を一瞥する。その表情から察するに何の連絡もきていないのだろう。静雄と臨也の関係を知って連絡しなかったというなら、随分薄情な女だ。臨也は自らの迂闊さを呪うようにくそっと悪態をつく。
「ーーくるな!」
 話をしようと近づくと臨也はリビングにいくつもあるドアのうち、もっとも近くにあった一つに逃げ込んだ。
 池袋でのチェイスを思い出す。アルコールがはいったような高揚感が懐かしい。走って追いかけなくとも、臨也がここから逃げられないという確信があった。足音など気にせずズカズカとした歩調で臨也が消えていった部屋へ続くと、ひとりで使うのには大きすぎるベッドが堂々と静雄を迎え入れる。
 珍しく墓穴を掘ったようで、臨也はベッドの上で横付けの窓とにらみ合っていた。この高さと何もつかむところがない壁では、パルクールとやらもできないのだろう。そもそもそのようなふらふらの状態で何ができるとも思えない。ゆっくりと着実に臨也との距離を詰めていく。
 臨也は静雄が部屋に入り込んだのを見て勢いよく窓を開ける。まさかと思ったがそのまさかで、一か八かでマンションから飛び降りようと窓枠に手をかけ身を乗り出した。静雄でも落ちたら助かるかどうかわからない高さだ。
「ばっか……!」
 慌てて間合いを詰めて臨也をベッドに押し倒す。ひゅうと風が裂けてカーテンがはためく。間一髪であった。ほうっと安堵の息を吐き出す。
 強く打ちつけすぎたのか、臨也の顔は苦痛に歪んでいた。あの日と同じ構図に頭の芯が痺れる。ただ違うのは、ここが臨也の家であるということだ。
「手前、なんで池袋にこねえんだよ」
 静雄の発言が普段のものと矛盾しているのは承知の上だ。
 臨也は何か答えようと口を開きかけて、やめた。諦めたような態度に腹が立つ。しばらくのあいだ無言で見下ろしていると逃げられないと悟ったのか、臨也はややに口を開いた。
「なにしにきたのさ。いくら鍵が開いていたとはいえ、立派な不法侵入だよ」
 全てをはねつけるような声だった。前回のあれが随分堪えたらしい。臨也の態度に心が痛んだ半面、加虐心を揺さぶられた自分は相当だ。
 この質問のために建前として事前に準備しておいた台詞を並べる。
「なにって手前、幽からもらった服はどうした。とっとと返せ」
「ああ、なるほど……そうだよね。あんなのとっくに捨てたに決まってるだろ」
 臨也は何かを一方的に納得し、まぶたを半分伏せる。長いまつ毛が目元に影をつくった。このような表情を憂いを帯びたと表現するのだろうなとぼんやり思う。あんなのと馬鹿にしたように鼻で笑われたのにはカチンときたが、そこはぐっと堪えた。
「どうして金、受け取らなかった」
「どうして? どうしてだって? あれを受け取ったら合意したと同じだろ。俺はあんなの認めてない」
「でもなかったことにはしてねえみてえだな」
 臨也はしまったというふうに口をつぐむ。相手の得意分野で攻めにまわれるというのは気分がいい。
「どうしたら認めるんだよ」
「認めるって、なにを?」
「なにって……」
 今度は静雄が言葉に詰まる番であった。静雄は臨也に何を認めさせたいのだろう。静雄に犯されたという事実だろうか。無論それも含むであろうが、それだけではない。
「俺が君のことで認めてるとしたら、それは人外の化け物だっていうことくらいだ。ああ、なんだったら強姦魔っていう称号も与えようか。おめでとう、レッテルが増えて嬉しいだろ?」
「……ちげえ」
「なにが違うっていうわけ。力でねじ伏せて、相手の意思や人権を無視して無理やり自分の思うままにする。ねえ、どんな気分だった? 気持ちよかった? 楽しかった? そうしてそこに喜びを見出してさあ、ほら見ろよ。心も身体も立派な化け物だ」
「最後は手前から抱きついてきたじゃねえか」
 大袈裟な身振り手振りをまじえて話す臨也を見ていると劇の一部分であるかのような錯覚を覚えるも、静雄の一言で臨也の温度が急速にさがり徐々に現実味が増していく。いまの臨也は氷よりずっと冷たい。
「記憶にないね」
 絶対零度の声と表情からは臨也が何を考えているのかわからないが、それでも臨也の嘘はわかりやすい。なんの根拠もないが、これが嘘であることは静雄にとって明白であった。
「ああそうか。なら思い出させてやるよ」
 やおら頬を撫でると臨也の身体が瞬時に強張る。顕著な反応に口元が緩んだ。
 話し合いなどはじめから成り立つわけがなかった。なぜ臨也の煩わしい口達者を忘れていたのだろうか。なぜそれに静雄が我慢できると思ったのだろうか。ああ、こちらのほうがよっぽど自分達らしいと安心感すら覚える。
 静雄が上体を起こすと臨也はびくりと身を縮こめた。静雄の一挙一動に怯えている。表情だけはどうにか取り繕っていたが、虚勢を張っているのがまるわかりだ。いっそかわいそうなくらいに怯えてる。握りしめた静雄より小さなこぶしは震えていた。
 さて、それではどうしようか。静雄がキョロキョロと辺りを見回している理由を察したのだろう。臨也はどうにか静雄のしたから抜け出そうともがくも、動くのは足首と腰だけだ。
「また、縛るつもり」
「縛んねえと手前逃げるだろ。縛っても逃げたけどよ」
 その前に面倒なものを剥いてしまおうと、臨也の着ている黒ずくめの服を前回に同じく適当に破る。臨也は表情一つ変えない。だが指先の震えは確かに増していた。
 破かれた服から以前見た時よりさらに細くなった上半身が露わになる。呼吸するたびに肋骨が薄っすらと浮かび上がり、静雄のオスを刺激した。ごくりと唾を飲むと臨也の呼吸がさらに浅くなる。
「ねえ、こんなことしても意味なんてなにもない。君の探してる服はもうここにはないし、なんにもならない」
 臨也の説得に耳を傾けることなく目だけで縛るものを探し続けると、サイドテーブルに置かれたネクタイが飛び込んでくる。ネクタイを締めるような格好もするのだなとどうでもいい感想を抱いた。
 長年腐れ縁として関わり合ってきたとはいえ、静雄は臨也のことを何も知らない。そしてそのような臨也の恰好を見たことのある、ここにはいない人物に嫉妬した。
 あの黒髪の女は見たことがあるのだろうか。
「さっきまで女とイチャイチャしてたってのに、いまは男に引き敷かれてちゃざまあねえな」
「女……? なにを勘違いしてるのか知らないけど、波江とはそんなんじゃない。ただの雇い主と秘書だ」
「じゃあなんであの女から手前の臭いがしたんだよ」
「知るわけないだろ……!」
 普段ならもっと整えた答えを用意するのに、その余裕もないくらいに臨也は切羽詰まっている。
 すんすんと臨也の首元に鼻を近づけると嫌がるように頭を反対側へ倒した。確かに臨也の臭いしかしない。石けんの人工的な香りもない。どうやら臨也の臭いが充満していた部屋にいたため、それがあの女に移っただけのようだ。だが女が臨也の家に出入りしているのもまごうことなき事実である。
 嫉妬心のおもむくままに浮き出た首筋に噛みつくと、臨也は苦しげに喘いだ。痛みにも感じるタチらしい。
「ねえまって、波江との仲を誤解してるならちゃんと話すから、だからどけろって。彼女がタイプなら紹介してやったっていい。こんなんじゃ話もできないだろ」
「うるせえ」
「え?」
「波江波江うるせえんだよ」
 自分でもゾッとするような地割れした低い声であった。ひゅっと気管を鳴らして、臨也はそれきり押し黙る。
 手首を頭上で縛られている最中も臨也は借りてきた猫のようにおとなしかった。抵抗しても無駄だと学んだのだろう。臨也はじっと静雄を見つめている。あいかわらず何を考えているのか読めない表情だ。
 本当ならベッドに括りつけたいところだったが、ポールのあるタイプのベッドでなかったので諦めた。それでも邪魔な抵抗を減らし、逃げようとした時の時間稼ぎくらいにはなるだろう。
 力の差が歴然としている相手に抵抗すら許されず犯されるのは、どのような気分なのだろう。静雄は知らない。
「……ねえ、俺憎さの嫌がらせにしては度が過ぎてる。一回目は衝動的な怒りの爆発で言い訳がつくけど、二回目ともなれば別だ」
 さきに沈黙に根をあげたのは臨也であった。静雄はなにも答えない。臨也は知らないのだ、一度目からすでに衝動などという瞬間的な感情で臨也を犯したわけでないということを。
 びゅううと風が唸る。そういえば窓が開いたままであった。さすがに声が漏れたらまずいかと閉め直す。
「……欲を吐き出したいだけなら俺じゃなくたっていいだろ!? なんで、こんな!」
 悲鳴のような声が叩きつけられる。馬鹿にするなと頬の筋肉が凍った。臨也と違って静雄は誰でもいいわけではない。
 そうだ、臨也は誰でもいいのだった。
 服の上から臨也の前を揉むとひっと息を詰める。静雄を睨みつける目が、するならさっさと終わらせればいいだろうと訴えていた。構わず射精を促すように扱き続けると、きつく目を閉じて刺激に耐える。自分がこれから誰に犯されるのか、思い知ればいい。
「目ぇみろよ。こっち向け」
「ふ、ざけ……しね、しねしね、しっ……ぅン!」
 苦しそうに閉じられた目が静雄を映すことはない。それならとべろりと薄いまぶたを舐めあげた。驚きで赤茶の瞳が見開いて咄嗟に唇を噛んだ。臨也の喉がひくひくとひきつる。いつもはよく回る舌なのに、それはなにも喋らない。
 シズちゃんと、いつものあだ名が聞きたかった。ここまでして声を堪えようとする臨也を見ていると悲しみがこみ上げてくる。静雄はこんなにも臨也のことが好きだというのに、臨也は全身で静雄を拒絶する。
「……ッ……ふ……はっ……」
 屈辱だろう。臨也だけ無理やり熱を高められて、静雄は息も乱していないのだから。ぐにぐにと弄ぶテンポをはやめると歯の間から熱い息がもれる。噛みすぎた内唇からは血が流れていた。
「噛むな。口開けろ」
「ん、ン! うぐ……!」
 熱に浮かされた臨也の声をもう一度聞きたい。前回と同じように唇を割って口に指を差し込む。容赦無く歯を突き立てられたのは想定内だ。これくらいで静雄が動じることはない。
「……うッ…………ぁ……」
 指と唇の隙間からとろけた声が遁走する。しかしこれではない。まだ足りない。
 ぴちっとしたズボンでは隠しようがないくらいに臨也のそこは反応を示している。揉みを大胆にすると手に湿り気を感じた。この中がどうなっているのかは容易に想像できる。
「ふ……ははっ……はは、ははは……あっ……」
 突然、なんの前触れもなく壊れたように笑いだした臨也に驚き顔をあげた。泣いている。あの臨也がだ。
 そんなに嫌かと指を引き抜き、次々と溢れる涙を拭う。臨也の口元には二人分の血が滲んでる。
「……泣くなよ」
「ッ……う、ふは……ははっ、君って本当に、最っ高に最低だよ」
 静雄を嘲笑するビロードのような声は震えていた。燃え盛る瞳からは涙がとまらない。
「泣くな。手前が泣くと変な感じがする」
 べろりと舌で目玉を直接舐め上げる。きらきらと光りを取り込んで見る角度によって色を変えるそれは、まるで飴玉のようだと思っていた。
「っヤ!」
 生理的な恐怖に臨也は反射で悲鳴をあげる。食われると思ったのか、もう縮むこともないだろうに、それでも臨也はギュっと身を縮こめた。
 繊細なところを舐められる恐怖から、臨也の身体はガチガチに強張っている。視覚的にも大変な恐ろしさと生々しさであろう。傷つけないよう慎重に舌を這わせ続けると、臨也の全身が跳ねては沈んだ。粘膜は性感帯になりやすいというのは本当らしい。
「ヒッ……ゃ、や……」
 この瞳の味を知っているのはきっと静雄だけのはずだ。舌を細やかに動かすと、臨也は首をすくめてシーツに波をつくる。下手に動くほうが危ないことを本能的にわかっているようで、首を振ったりすることはない。涙がとまったのを感じて静雄はゆるりと唇を離す。片側の瞳だけがてろんとしていた。
 舐められている感覚が消えないのか、臨也は自身の肩口にごしごしと瞳を擦りつける。まるで猫の毛づくろいだ。圧倒的な恐怖から解放され一気に筋肉が緩んだせいか、臨也の全身は奇妙なほどに脱力していた。
 面倒なバックルを手順を踏んで緩めると臨也の顔に焦りが浮かぶ。
「ま、まって……!」
 臨也の制止など一顧だにせずにズボンと下着を一緒くたに引き下ろす。臨也の股の付け根からとっぷりと糸がのびてなんとも扇情的だ。案の定臨也のそれは手で支えずとも屹立していた。へえ、と意地悪く感嘆すると、臨也は茹でられたように顔を赤くする。
「いッ……!」
 これだけ力が抜けていれば問題ないだろうと一気に二本後ろに挿れようとするも、おかしい、全く指が進まない。前回は無理にとはいえ慣らさずとも静雄のものが入ったはずだ。もしや、あれから誰にも抱かれていなかったのではと都合のいい憶測が静雄の脳内で飛び交う。
 何か濡らすものと辺りを見回すもさすがに見つからず、臨也の唾液で湿り気を帯びている指を自身の口に含んだ。臨也の味がする。これなら入るだろうと、唾液でたっぷりと濡らした指を再び臨也のうしろへ挿入した。
「う、うう……や……」
 すんなりとはいかないが、どうにか二本とも中に収まる。臨也の口からこぼれる声は苦痛に満ちていた。
「へた、くそ……」
「悪いな、俺は手前と違って男の経験は手前以外ねえからよ」
 かき集めて生まれた小さな気遣いは、臨也のその一言で崩れ去った。誰と比べて下手くそなのだと、やり場のない嫉妬に苛まれる。
 不意をつかれ、臨也は傷ついたような顔をしてみせた。なぜそのような顔をするのだろうか。傷ついたのは静雄のほうだ。
「あっ……ん、んンっ」
 前回の記憶を頼りに臨也の弱いところを撫でると、媚びるような声があがる。臨也は慌てて唇を噛んで声を殺した。静雄も意地になって執拗にそこばかりを責め続けると、だんだんと唇の合わせが解けていく。
「やだ!……いや、やめろ……!やだ、いやだ! や、アッ……」
 ヤダ、イヤと拒絶の言葉を繰り返すわりに、快楽に弱い身体はゆらゆらと腰を揺らす。熱情の隙間からすうっと冷気が忍び込んで、静雄を残酷な気持ちにさせた。
「手前は誰でも感じるビッチだもんな」
 ことさら優しく、ゆっくりとささやく。臨也はほとんど反射的に、カッとまなじり決して縛られた両手で静雄に殴りかかった。たいした威力もないが暴れられても面倒だと、小さな頭をボールのように掴みベッドに埋める。ウッとくぐもった声がもれた。
「なにムキになってんだよ。本当のことだろ」
 静雄を睨みつける瞳はどろどろとマグマが溶け出したようだ。臨也の呼吸は尋常でないほどに荒く、激昂の深さが知れる。
「……君だって」
 ぼそぼそとした臨也の言葉が静雄に届くことはなかった。
「そんだけ元気があれば大丈夫だな」
 カチャカチャとあえて音が響くようにベルトを外す。窮屈だった前が解放されて静雄のそこは喜んだ。静雄の次の行動を察した臨也の表情筋がギョッと硬直する。身体をよじってベッドの上部に逃げたのを引き戻し、熱を溜めたものを強引に押し挿れた。
「いッ……!く、は……!」
 またたく間に臨也の身体にぎっしりと脂汗が浮かぶ。眉間にしわを寄せて痛みに耐える臨也に、どうしようもない愛しさが込み上げる。前髪を払ってやると焦点の合わない目でこちらを一瞥し、顔をくしゃっとさせた。
「は……う、くるし……」
 全てを挿れ終えるも、臨也はまともに呼吸すらできていないようだった。息を吸わせるために、ぽんと軽く肩甲骨の浮き出た背中を叩く。
「臨也、息」
「はあっ、はっ……あ……くるし、い……」
 壊れたように苦しい苦しいと紡ぐ臨也に顔をしかめる。臨也はぼんやりと静雄を見つめて眉を下げた。恐怖で一度とまった涙が再びポロポロとこぼれだす。
 それが痛みからくる苦しさでないのは直感した。伝染されたように静雄の心臓がぎゅっとすり潰される。
「う、く……ふ……」
 聞きたいのはそのような声ではないと、臨也を激しく揺さぶった。それでもその口から溢れるのは、嬌声というよりうめき声だ。強引に挿入したせいか前ほど体温もあがらない。どうしたら気持ちよくなるのだと、静雄は乱暴にしていた律動を緩め臨也の身体をあちこちを愛撫した。
「ひっう……!」
「息、吐けって」
 嫌だという意味でか、できないという意味でか、臨也は首を横に振る。汗が散って静雄の肌に弾けた。
「……そんなに嫌なのかよ」
 うっすらと熱を孕みはじめた視線が絡み合う。これが他の男なら、臨也はここまで我を通さずに適当なところで流されていたのだろう。他の男には身体を開くというのに、それが静雄となればここまで徹底的に拒絶する。静雄のことを嫌いというなら、あのような期待させるまねなどしてほしくなかった。
「なあ、臨也」
「なに、いってんの……」
 静雄にうっそりと目をやる臨也は誘っているようにしか見えない。もっと近くで顔を見たい。
 誰も知らない顔を引き出したくて、繋がった状態のまま臨也を抱え起こし太ももの上に座らせる。いわゆる対面座位と呼ばれる体位だ。体勢が変わったことで中の当たる位置も変わったのだろう、臨也は息をつめて静雄の胸にへたり込んだ。締めつけが強くなり静雄は眉間にしわを寄せる。
「……や、ち、ちか……なんでこんな……!」
 座位がはじめてであることを匂わす発言に荒んだ心が凪いでいく。縛った腕が邪魔になり、静雄は臨也の両腕の輪をくぐって上半身に通す。まるで自ら静雄を抱きしめるような恰好に、臨也はたちまち引き抜こうと腕をあげた。
「アッ……!」
 咎めるように臨也の薄い腰を掴み揺すると、臨也は堪らず静雄の思惑通りにしがみつく。静雄に抱きついていることに気づいた臨也が慌てて離れようとするも、激しい突き上げにますますしがみつくかたちとなった。
 どうせ臨也の意思でないのだから、ただ両腕を引けばいい。
「やッ、あ、これやめ……はな、せ……!……あア!」
 快感に煽られては腕を離すのは困難だと判断したようで、臨也は少しでも楽な態勢をとろうと静雄の肩に頭を乗せる。まるで恋人だと思ってはいけないことが頭をよぎった。
「臨也……」
 吐息まじりに耳元で名前をささやくと、きゅうと中が締まる。無意識にこういった反応を返す臨也もいけないのだと切なくなって苦笑した。臨也が頭を振るたびに黒い猫っ毛が頬を打ってくすぐったい。
「んっ……や、あ……あっ……ふあぁ……」
 声を抑えるところまで意識が及ばなくなったのか、甘ったるい声がひっきりなしに臨也の鼻を抜けていく。弱いところを抉るように突くと、臨也は声にならない声をあげた。
「手前、キスはあんま経験ないだろ」
「へ……ッんう!」
 臨也の頭を固定してこちらへ向ける。過度に整った顔が涙や唾液でぐしゃぐしゃになっているのを見て、ずくんと下半身に熱が集まる。腰をゆるゆると揺らしながら臨也の赤い唇に噛みついた。
「ぅン……ふ、あ、あ……ん……」
 臨也の舌に静雄の舌を潜らせて柔らかい奥をこちょこちょとくすぐる。舌が逃げるので上顎を這うように舐めると、臨也の爪が静雄の背をひっかく。
「んんー!……んッ……んう……ん、ふ、んぅ、あっ、ふぁ……!」
 臨也の呼吸がか細くなり、静雄の身体に巻きついた腕の力が弱まる。そろそろ限界だろうかと、酸欠になられても面倒なので一度唇を離す。
「ふはっ、は、っはあ……あ、はあ、ぅん……」
「息吸えって……そう、舌絡めて」
 幼子に聞かすような調子で言うと、臨也は何がなんだかわからぬままキスに応える。必死に静雄についてこようとする臨也は控えめに言ってもとてもかわいい。抱きつぶしてしまいたいくらいにはかわいい。
 キスが好きなのか面白いくらいに中が蠢いて、きゅっきゅっと静雄を締めつける。そろりと手を忍ばせて臨也の性器に触れると、わかりやすく肩が跳ねあがった。
「ん、ふはぁっ、だ、だめ、ア、やめ、おねが、むり……!」
 無理と言われようが、静雄ももう限界だ。前に触れてから臨也の中は静雄を食いちぎる勢いで絡みついてくる。この様子であれば、もしかすると臨也も一緒にイけるのではないだろうか。前を扱くスピードをはやめ首筋に吸いつくと、臨也は顎を反って喉仏を強調する。
「だめ、だめ、ン、きちゃ……ほん、と、やだあ……!」
 子どものように駄々をこねる臨也を無視して敏感なところばかりを狙って突く。限界が近い臨也の中はぐねぐねとうねり、静雄のものを搾り取るように締めつける。少しでも気を抜いたらもっていかれそうだ。反発するように抽送を続けると、臨也はカクカクと必要最低限の筋肉しかついていないふくらはぎを痙攣させた。
「あ、だめ、い、あっ……ぅあアッ!」
「くッ……!」
 タイミングをみて臨也の先端をひっかくと、臨也は一際高い声をあげて限界をむかえる。強すぎる締めつけに逆らうことなく身をまかせ、思惑どおり静雄もほとんど同時に達した。
 静雄の腹に臨也の精液が卑猥な模様を描く。ガクガクと余韻に浸る臨也が落ちないように抱きとめる。
 妙な達成感が満たされ、ふうっと感嘆のため息をつく。だが満足したわけではない。
 熱い呼気を臨也の耳に吹きかけると、クンっと弓なりに背筋をたわませた。この反応ならまだいけそうだ。
「や、うそ、なんっ……ふあ! まって、もうむり、ヤ、だ……!」
 中に出したものをかき混ぜるように腰を動かすと、臨也は静雄から逃れようと身をよじる。それが偶然にもいいところに当たってしまったようで、臨也は悲鳴をあげて自ら静雄に抱きつき肌の隙間を埋めた。こぽこぽと結合部からいやらしい水音が響く。
「うぅ……ううー……」
 自分から当たりにいったというのに、臨也は恨めしそうな声で静雄を詰る。様子を見るようにゆるゆると腰を揺すると、臨也はどうにか快感を逃がそうと静雄にしがみつき、すでにゼロである距離をさらに縮めようとする。
 そのようなことをされて歯止めがきくわけもなく、静雄は臨也がへばるまでひたすらいじめ抜いた。


 臨也のあらゆる関節がぐにゃんぐにゃんに溶けたようになって、静雄はようやく臨也を解放した。縛りあげた手首を背中越しに解くと、支えを失った臨也は静雄の太ももにずり落ちる。身体に響かないようそっと太ももから臨也の頭を降ろしてベッドに寝かせた。静雄も横になりたかったが、前回と同じ轍は踏まない。
「なあ、ノミ蟲」
 臨也は鬱陶しそうに背中を揺らした。突然押しかけてきた化け物と呼ぶ人間に無理やり足を開かされたのだ、機嫌が悪いどころの話ではないだろう。なだらかなウエストのラインが膨らんでは縮む間隔が大きくなる。
 臨也は突如なにかを思い立ったように上体を起こし、一糸纏わぬ姿のままぎこちない動作でベッドから立ち上がる。裸で室内をうろつく臨也に今更ながら頬が熱をもった。
「おい、無茶すんなって」
 何度も崩れ落ちそうになりながらも、臨也はどうにか目的だと思われるクローゼットに手をかける。臨也が動く度に中に出した白い粘着質な液体が股を伝った。罪悪感と征服感が込み上げ、独占欲が満たされる。
 クローゼットの奥の奥から取り出されたのは、あの日臨也が静雄の家から持ち去ったバーテン服であった。臨也は無言のままハンガーごとそれを静雄に押しつける。柔軟剤の香りがふわんと鼻腔を撫でた。服全体に丁寧なアイロンがかけられていて、しわひとつすら見当たらない。やはり持っていたのでないかとは言えなかった。これでここに来る口実もなくなってしまう。
「臨也」
 おかしな光景だった。話しかけ続ける静雄と黙り続ける臨也。いつもとは正反対である。何度名前を呼んでも臨也は言葉をなくしたように黙りこくり、冷ややかな瞳でベッドに腰掛ける静雄を見下ろす。口も利きたくないのだろう。
 どうしてこのようなことをしたのかとか、いつもの罵声とか、そういうものがあればよかった。疲れ切った臨也を見ていると、自責の念で静雄の心もどんどん重くなっていく。
 先に絡んだ視線を切ったのは臨也であった。くるりと静雄に背を向け再びクローゼットへ向かい、臨也はロングコートのポケットにしまわれていたナイフを取り出す。切っ先はもちろん静雄に向けられた。
「……用は全部済んだはずだ。とっとと出ていけ」
 パサパサに乾いた声が喉に張り付き、臨也は数回咳払いをする。表面こそは疲労で濁っているが、奥ではぐつぐつと怒りを煮えたぎらせた瞳が静雄を見上げた。色のない表情に悪寒に似たものが静雄の背を駆ける。ひさしぶりの感覚だ。
 静雄は臨也が切り裂くより素早くナイフをはたき落とす。まさかこの状態で静雄を殺せると思っていたわけではあるまい。
「手。はなせ」
 端的に言い放つ声に潤いはなく、なおもひび割れている。他でもない、静雄のせいだ。
「もうほっといてくれよ。池袋にも踏み込まない。君とも二度と関わらない。それでも足りないなら今すぐにこの街から出てってもいい」
「……手前、そんなに俺のことが嫌いなのかよ」
「愚問だね。答えるまでもない」
 返す言葉もなく、静雄は臨也から手を離す。臨也は静雄から解放され、重力で垂れた自身の手首を見つめた。ネクタイで縛られていた部分が鬱血している。臨也の目に険が宿った。
「用があったものは返しただろ。もう出てってくれ。君の顔なんてあと一秒も見ていたくない」
 自嘲気味に吐き出された言葉は静雄でなく磨きぬかれた床に落とされた。いばらで締めつけられたように胸が痛む。そう言われて当たり前のことをした。
 立っているのもやっとなのだろう、臨也は眉間を押さえクローゼットのしきりに腕を乗せ体重を預けている。顔色が悪い。今にも倒れてしまいそうだ。だがそれだけのせいでなく、臨也の目はどこか危うい。
「臨也、こっち見ろ。手前どんだけ自分がひどい顔してるかわかってんのか」
「そりゃあ、あれだけずこばこ好き勝手された後じゃあね」
「そういうこと言ってんじゃねえ。こっち見ろって」
 ぐいと腕を引くと、ついに倒れかけた臨也をすんでのところで支える。臨也はキッと睨み静雄を振り払おうとするも、子猫がじゃれるような勢いにしかならない。
 どこもかしこもくたっと力が抜けている。それもそのはずだ。何回無理に射精させ、その奥に吐き出したのかわからない。それでも静雄の手など借りるまいともがく臨也は強情であったが、当然の行動であった。
「……君がどれだけ俺を憎んでるのか、よくわかった。だからもういい」
「……あ?」
 それではまるで、静雄が乱暴したからでなく、静雄が臨也を嫌っているからというふうに聞こえる。抱きとめたままの臨也の腰を引いてベッドに座らせるつもりが、もつれてふたり共々ベッドに倒れ込む。
 偶然にもベッドへと雪崩れた臨也は静雄に背を向ける状態となる。顔が見たいと、やや強引に身体をひっくり返しても抗わない。あれだけ手酷くしたあとなのに臨也の身体は冷え切っている。冷たい細腰を抱きしめて二つの身体を覆うように掛け布団をかけると、臨也は今まで大人しかったのが嘘のように暴れ出した。
「おい、暴れんなって」
「はは……なにこれ、笑えない。さっきから何がしたいわけ」
「なにって手前が冷えから。……なあ、前みたいに抱きつかねえの」
 そのようなつもりはなかったが、からかわれたと感じた臨也は一層静雄の腕から抜け出そうとする。しかしいまの臨也はそのあたりの華奢な女より力が弱い。息をするように簡単に押さえ込んでみせると、臨也は足掻いても無駄に体力を消耗することを悟って抵抗をやめた。
 臨也がおとなしく静雄の腕に収まり、そういえばと臨也と会ってから今日一日ひっかかっていたことを口にする。
「手前、今日一回も俺の名前呼んでねえよな」
「それがなに」
「呼べよ」
「……なんで好き好んで君のこと呼ばなきゃいけないの」
「なんでもいいから呼べ」
 相手にするのが面倒だと、臨也は露骨なため息をつく。本当なら今すぐにでも意識を手放してしまいたいのだろう。瞬きしてから開くまでの時間が若干長い。
「呼ばない」
「呼べって言ってんだろ」
「しつこいなあ。もう二度と呼ばない、呼びたくない」
「……なんだよ、それ」
 臨也は静雄の視線から逃れるように瞳を閉じる。
「なんでもだ。早く出てってよ、少し横になりたい」
「返事になってねえ。横にならなってんじゃねえか」
「君の前でおちおち眠れるわけがないだろ。頼むから出てってくれ」
 両腕をつっぱって静雄を押しのけようとする臨也を、受けとめるように抱きしめた。抗う体力も残されていないようで、だからといって無理に抜けだそうともしない。
「あったかい」
 それは無意識にこぼれでた譫言のようだった。体温を求めて擦り寄った臨也がやはり、どうしても甘えているように見えて無性に愛しさが込み上げてくる。喉を焼かれるような切なさは無視をした。
「臨也」
 汗で湿り、まさにカラスの濡れ羽色となった髪を梳いて額にキスを落とす。そのまま唇へと移ろうとしたところで、臨也は嫌がるように顔を逸らした。
「そういうの、いいから」
「俺は」
 臨也を大事にしたいと続くはずだったが、あのような勝手をしたあとにそのような言葉を言ったところで説得力の欠片もないのは静雄にもよくわかった。
「欲を吐き出してすっきりした、服も戻ってきた。ねえ、君がここに留まる理由なんてもうないだろ?」
 今にも眠りに落ちそうなゆったりとした声で静雄を諭す。静雄は自分のなかで渦巻く感情を言葉に整理できるまで、とにかく臨也の注意を引きつけておこうと話を振り続ける。
「名前呼べよ。そしたら考えてやる」
「あのさあ……話が噛み合わないんだけど」
「いつもは嫌味みてえに呼ぶのに、なんで今日は呼ばねえんだよ」
 閉ざされたまぶたにキスを落とすと、煩わしそうにううんと唸って臨也は静雄の胸板に顔をうずめる。どことなく猫を連想させた。こういうところがいけない。また期待してしまう。
「なあ、さっきの俺が憎んでるからって、あれどういうことだよ」
「なにが……」
 回転のいい臨也の頭が怠さと眠気でにぶっている。臨也の頭が回るようになってしまったら、異常によく回る舌に丸め込まれるのは目に見えていた。今しかないと静雄は思い切る。
「手前が、俺のこと好きみたいに聞こえた」
「……そう」
「どうなんだよ」
 否定も肯定もしない臨也に焦れる。臨也に触れる手に力がこもった。
「嫌いにきまってる」
 臨也の顔を見るとなにかに堪えるように歪んでいる。その瞬間、静雄は全てを悟った。
「わるかった」
「ーー離せ! ふざけんな!」
 静雄が謝罪した途端、理性の糸が切れたように再び臨也が暴れ出す。火事場の馬鹿力といやつだろう、今度はそう簡単に押さえ込むことができない。
「なに怒ってんだよ! 謝ってんだろ!」
「こんな、一言で……全部なかったことにするつもりかよ! ふざけんな、しね! だから君なんて大嫌いなんだ!」
「まて、臨也! 最後まで聞けって!」
「いやだ、離せ! 聞きたくない! 君が出て行かないなら俺が出ていく!」
 なぜだか興奮してしまった臨也を必死に押さえ込む。まずは誤解を解かねばならないが、いくら静雄の力が強いとはいえリミットの外れた成人男性に本気で暴れられるのは面倒だ。臨也は癇癪を起こしたかのようにめちゃくちゃに手足を振り回し、静雄の顔や腹を殴打する。さすがに我慢の限界がきて、静雄は声を荒げた。
「臨也!」
 強い調子で名前を呼ぶと、ビクッと大きく臨也の肩が跳ねる。みるみる風船がしぼむように勢いをなくし嘘みたいにおとなしくなった。
「君が……」
「あ?」
 耳をそばだてなければ聞こえないような、かすかな声だった。
「君が、俺を犯したとき。無理やりでも、少し……なのに」
 臨也の声は水気を帯びている。肝心なところは掠れて意味を成さなかったが、それでも言わんとしたことは正確に静雄に伝わった。
 まさかと現実を疑う感情と、やはりとこれまでの期待を肯定する感情がない交ぜになり、呆気にとられているうちに臨也は静雄の腕から逃れ手早く服をまとっていた。あの時、もっと別の手順を、正しい手順を踏んでいたらこうはならなかったというのだろうか。
「じゃあね、化け物」
「おい!」
 部屋から出て行こうとする臨也を引き止める。コートを羽織り臨也はすっかり体裁を整えたつもりでいるが、内ももは小刻みに痙攣しているし、落ち着いたとはいえまだまだ呼吸も浅い。シャツは汗ばんだ肌にピタリと隙間なく吸いついている。顔つきや臭いで察しのいい人間は一目でわかるだろう。
 こんな様を晒させるわけにはいかないと臨也のコートを引っ張った。思いのほか力が加わってしまい、バランスを崩した臨也が静雄の胸に転がり込んでくる。
 今の予想しない衝撃で完全に力が抜けたようで、静雄の胸からずり落ちていく臨也を慌てて抱え上げた。脱力し、身体が人形状態になった臨也をもう一度ベッドに座らせる。抵抗できないのをいいことに、静雄はあぐらをかいた足の間に臨也を閉じ込め、正面から強く抱きしめた。臨也の息が静雄の肩にかかる。意識してしまうと触れるところが一々熱くなってしかたない。
「行くなよ」
 臨也は整えられた爪を静雄の脇腹に突き立てて、そのままひっかく。離せと無言の抗議をしているのだろうが、離すつもりはない。
「行くな」
「なんでそんなこと言われなきゃいけないの」
 臨也は静雄の身勝手な言動にいっそ呆れているようだった。至極まともに返されしどろもどろになる。あー、ああー、と意味を成さない言葉を繰り返し発し続けると、臨也の瞳は不審なものを見るような色に変わる。
「そんな恰好で外でれるわけねえだろ」
 とりあえずはと無難な台詞を選出する。しかしこの選択は失敗だったようで、臨也は一気に興味を失って平坦な声で答えた。
「君には関係ない」
「関係あるから言ってんだ」
 臨也ははっきりと断言した静雄を訝しむ。こういった言葉のかけひきは静雄の苦手とするところだ。相手が臨也ならなおさら分が悪い。臨也が反駁しようと口を開く前に先手を打つ。
「好きだ」
 もっとたくさんの言葉を付け加えるつもりであったが、口にできたのは結局それだけであった。はじめて聞く言葉のように臨也はぽかんと口を開ける。何を言われたのか全く理解していないようだ。もう一度好きだと繰り返すと、臨也は顔から表情を消した。真偽を確かめるようにまじまじと静雄を見つめる。
「……俺のこと、好き、なの?」
「ああ」
「……本当に?」
「ああ」
 真剣であることが伝わるように目を見てしっかり頷く。臨也は溜め込んだ息を薄く吐き出しながら俯いて、ふるふると震えだす。臨也の顔を追って覗き込むと、赤味の増した瞳には涙が浮かんでいた。
「手前、なんで泣いて……!」
「泣いてない!」
 こぼれ落ちこそはしていないが、大きな瞳には分厚い膜が張っている。一回でも瞬きをすればふっくらとした滴がこぼれてしまうだろう。臨也はきらきらと涙を湛えたまま静雄に噛みつく。
「なんでそんなこと言うんだよ! 俺は君の大嫌いになりたいっていうのに!」
「……はあ!? 手前の言うことは毎度毎度意味わからねえことばかりだが今回はマジでわけわかんねえ!」
「わけわかんないのはこっちのセリフだ! 俺のこと好きならなんでこんなことしたんだよ!」
「手前が誰でもかれでも抱かれるから!」
 臨也は見知らぬ誰かに突然撃たれたような顔をし、次の言葉を飲み込む。興奮して昂ぶっていた声はぐっとトーンを落とした。
「なんだよ、それ……俺のせいって言うわけ」
「……いや。俺が悪かった」
 臨也にも全く非がないわけではないと 思いもしたが、比率でいうと悪いのは九割がた静雄だろう。ここで折れなければまた拗れてしまうと謝罪の言葉を述べるも、部屋には気まずい空気が流れた。どちらにしても最低だと臨也が口の中でつぶやく。いつのまにか臨也の冷え切っていた身体は熱を取り戻していた。
「なあ」
「なに」
「手前も俺のこと好きだろ」
「ーー自意識過剰にもほどがあるんじゃない!」
 臨也は弩にでも弾かれたように大きな声をあげ、静雄の胸を両腕でつっぱねた。早すぎる否定は肯定と同じようなものである。なによりギャンギャンと喚くものの、臨也は静雄の腕からこれ以上逃げようとはしない。臨也との間に適度な距離が生じて、近すぎて見えなかった表情がはっきりと静雄の目に映る。目を合わせると臨也はぽぽっとわかりやすく頬を染めた。臨也がここまで感情的になるのを見たのははじめてである。ヤったあとだから表情にでやすくなっているのだろうかと、頭に浮かんだ無粋なことは口には出さない。
「それやるからよ」
 それ、と顎でバーテン服を示す。
「今度代わりの服買いに行くの付き合えよ」
「いやだよ。なんで俺がそんな面倒なこと引き受けなきゃいけないわけ。そもそもこんなボロボロでサイズも合わない服なんていらないし」
 口では拒むのに、きゅっとバーテン服の裾を握りしめる臨也の行動はちぐはぐである。臨也の気持ちを確信した途端、今まで腹が立っていたはずの天邪鬼さですら愛しく思えるから不思議だ。
 衝動のまま臨也の頭に手を乗せる。汗で湿っているが不快ではなかった。汗で束になった髪を解すように頭を撫で続けると、臨也の呼吸が深くなっていく。
「……ノミ蟲、ねみいの?」
 こくんと頷く。素直すぎる仕草にドキッとさせられる。ほとんどこちら側に意識が残っていないようだ。怒って、泣いて、眠る。まるで赤ん坊だと頬が綻ぶ。
「横になるか?」
 かろうじて何を問われているのかはわかっているようで、臨也はもう一度こくんと頷く。
「あ、でもその前によ、服ベタベタだろ。脱がすからな」
 こくん。どうやら臨也は眠いとき限定で素直になるようだ。今ならもしやと、臨也の耳元に唇を寄せる。
「臨也、俺のこと好きか」
 ぴくりと身体を揺らし、注意して見なければわからないほどかすかに、臨也はこくんと頷いた。ふてくされたように唇をへの字にしている。
 素直になったかわいい生き物をぎゅうぎゅうと腕の中に閉じ込める。「シズちゃん、苦しい」とつぶやいたのが確かに静雄の耳に届いた。




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