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「ベッドいくぞ」
 まぶたを押し上げると、すぐ近くに静雄の顔があった。もはや何度目かわからないので、この程度では動揺しない。
 ふいに目をやると、テーブルにあるはずの食器が消えていた。臨也が朦朧としているうちに片づけたらしい。つくづく、死ねばいいと思う。それも惨たらしく。
 臨也を横抱きにした静雄は、勝手知ったる様子で二階にある寝室へと向かう。ゆらゆらと揺られながら、これから起こるべきことを回らぬ頭で想像した。ベッドに行くというのは、つまり、そういうことだろうか。
「あ、ふ……んぁ……」
 静雄が歩くたびに振動が伝わり肉が揺れ、服が擦れる。快感を溜め込んだ器はわずかな刺激でその中身を吐き出すだろう。
 ようやく解放される。もう犯されようが嬲られようが、この熱を吐き出せるなら構わない。化け物相手に身体を許してしまえるほど、臨也は追い詰められていた。
 そっと、とろみのあるものを垂らすようにベッドへおろされる。上質なマットレスは臨也を包み込むように受けとめた。だが背中で縛られた手首に体重がかかり、ギリギリと血管を圧迫する。静雄と目が合うと熱がギュッと凝縮され、鳩尾に落ちた。鼓動が加速する。
 ぷつん、ぷつんと静雄は上から三つほどワイシャツのボタンを外していく。徐々に露わになるしなやかな筋肉に、ごくりと唾を飲んだ。もどかしさで身が焦がれる。シャツを引きちぎってしまいたい。
「はや……はやく……」
「そう急かすなって」
 静雄は臨也の上をまたぐように、ナイトテーブルに置かれたリモコンを調節する。部屋が仄暗さに包まれた。無意識のうちに身体が期待で震える。
「ほら、寝るぞ」
「……えっ」
 静雄は言葉通り臨也の横から布団に入り込み、柔らかなそれを脇まで引き上げる。そうして臨也を正面から抱きしめた。
「し、しないの」
「なにを?」
「え……あ……」
 カアッと頬が熱くなる。臨也が眉を八の字にすると、静雄は口角をするすると上げた。まるで獣だ。
「ああ……しないって、手前、俺に犯されたかったのか」
 耳元でくつくつと笑われ、くしゃくしゃに顔を歪めた。どうしようもなくなって、臨也は静雄のシャツを跡が残るほど強く握る。追い縋るような目で切願するも、静雄は悪い笑みを浮かべるだけだ。
「でも俺はさっき手前で抜いてきたから溜まってねえしなあ。一気にDVDみて疲れたし」
「そんっ……ずるい……おれ……!」
 確かに静雄は臨也をここへ運ぶ前にトイレへ行っていた。本来であればオカズにされたことにショックを受けるべきであろうが、いまの臨也は冷静さなどとっくに失ってしまっている。静雄だけ熱を解放したという事実が羨ましくてならなかった。臨也はどうにか静雄をその気にさせようと、硬いそれを静雄のものに押しつけ、擦り合わせる。
「やめろ。寝るっつってんだろ」
 静雄は臨也の身体を接触しない程度に離し、両手で腰をがっしりと固定する。これでは腰を揺らして熱を逃がすこともできない。
「ふ……ひっく……ひ、ひど……!」
「ああ……たまんねえ」
 静雄はうっとりとした吐息まじりの声を吐く。臨也がぐずぐずとしゃくりあげて赦しを乞うても、静雄の意思は揺るがない。それどころか臨也の懺悔の言葉を子守唄にして微睡みはじめてしまう。臨也の口から溢れる中身が懺悔から怨嗟へと変わっても、静雄は心地好さそうに目を閉じている。
 しばるくすると、すうすうと小気味のいい寝息が聞こえた。本当に眠ってしまったらしい。
 静雄はきっと臨也の期待をわかっていながら、何もするつもりなどないのにあえてベッドへ連れてきた。恥辱に冷たい指先が震える。無防備な状態で静雄が目の前にいるというのに、臨也はその寝顔を睨むことしかできないのだ。
 だが、今なら逃げ出せるかもしれない。希望を抱いたのはほんの僅かな時で、静雄は眠っているというのにその膂力に変化はなく、全く身動きが取れない。もちろん縛られた両腕が自然と解けることもなかった。
 動かせるのは縛られていない両足くらいだが、下手に静雄を刺激させてしまったら状況が暗転するのは目に見えている。臨也は熱にさらされ、ただただそれを堪え忍ぶことしか許されていないのだ。
 臨也が苦しめば苦しむほど、静雄は楽しそうな顔をした。だからと言って体裁を取り繕う余裕などあるわけもない。
 普段気にしたことのないあちこちの筋肉が引きつって、もう楽になりたいと叫んでいる。

 はじめは確か、路地裏だった。
 日差しにやられくらくらとしていたところを運悪く静雄に発見され、薄汚い路地裏へと追い詰められた。胸ぐらを掴まれ、壁に叩きつけられる。そこまではいつも通りだ。さて、どう挑発しようかと気取られぬようにナイフに手を伸ばすも、静雄はすぐにそれをはたき落とす。どうも調子が悪い。
 静雄は一瞬考えるような素振りを見せて、ごつごつとした手を胸ぐらから首へと持っていった。静雄の表情に色はない。不穏な予感を感じ取る。そして予感は正確に現実となった。
 静雄は徐々に臨也の首にかけた手に力を加えていく。酸素が足りなくなって、臨也は苦悶した。静雄の腕に両手をかけるも、力が弱まる気配はない。
 ふっと意識が遠のく。ああ、ついに殺されるのだなと、薄らぐ意識のなか思った。どく、どく、と脈が不気味なほど大きく、ゆっくり響く。なんてあっけないのだろうと、ふわり目を閉じる。苦しさが消えて意識がさらわれる直前で、静雄がパッと手を離す。支えを失った臨也の身体は、地面へと崩れ落ちた。
 大量の酸素が肺へなだれ込み、むせ返りながらもどうにか顔を上げる。そして、はじめて静雄を怖いと感じた。
 恐怖が血管に流れ込み、急速に身体が冷えていく。静雄に浴びせようとしていた侮蔑の言葉が喉に引っ込む。
 静雄は、幸せそうな顔をしていた。
 顔の筋肉がだらしなく緩み、頬を染めて口元はゆるいカーブを描いている。猫にまたたびを与えたような、蕩けた表情だ。
 静雄がこのような性癖の持ち主であることなど、知る由もなかった。静雄はたしかに、臨也が苦しみに悶える姿にこれ以上なく興奮していたのだ。
 その顔が脳裏に焼きついてしまって、今でも夢に見る。
 それから静雄はすぐに臨也のマンションに忍び込むことを覚えた。一体どこにそのような素質を隠していたのだろうか。まさか静雄が直球以外の手段に出るとは思ってもみなかった。
 もう一ヶ月前の話だ。取引先から帰宅した臨也は、ひとまず汗ばむ顔を洗おうと洗面台へ向かった。
 電気をつけようと壁に手を這わしたつもりが、何者かにその手を取り上げられる。気配など微塵も感じなかった。あっというまに締め上げられ、それが静雄だと認識する間もなく、臨也は水が張られた洗面台に顔を押しつけられる。
 なにが起こったのか理解が追いつかず、がむしゃらに暴れた。酸素が奪われ唯一自由であった足をばたつかせるも、たいした抵抗にはならない。ごぼごぼと口から漏れ出る空気が顔を叩く。鼻に水が入り、喉の奥がツンとした。息が続かなくなって身体の力が抜ける。
 もう無理だと諦めかけたところで、水面から顔を引き剥がされる。臨也は夢中で酸素を貪った。しかし静雄は臨也の呼吸が整うのを待たずに、再び水面へと臨也の顔を押しつける。その繰り返しだ。何度も何度も、気を失う寸前まで続けられた。
 びしゃびしゃの床に倒れこんだ臨也の視界に、静雄の恍惚とした表情がうつる。やはり静雄かと、それだけだった。
 もうこうして忍びこまれるのも何度目かわからない。ある意味で静雄は、類稀なる才能を発揮して臨也の心身を圧迫していた。
 静雄は濡れて張りついた臨也の髪を柔和な手つきで耳にかけ、頬を撫でる。そして意識が揺らぐ臨也の隣で、どれだけ臨也の苦しむ顔が魅力的なのか慇懃丁寧に語ったのだ。
 こいつは普通でない。化け物だ。ビリビリと全細胞が静雄の存在を危険だと訴えている。
 このようなことをされたら誰だってトラウマになるだろう。臨也も例外ではなく、かくして顔を水に浸けることができなくなってしまった。

 他にもーーいや、やめておこう。挙げだしたらキリがない。ともかくここ数ヶ月でとみに静雄への苦手意識が高まり、トラウマが積み上げられていったのはまごうことなき事実である。
 それにしても、今回は特に悪辣だ。
 このように身体も精神もじわじわ甚振られるくらいならば、単純に犯されたほうがずっとマシであった。
 あと何時間で夜が明けるのだろう。呼吸が、声が、心音が、何もかもがうるさい。
 筋肉がひっきりなしに痙攣を起こしている。舌も例外ではない。舌も筋肉であるということが、今ならはっきりとわかる。どこにそんな水分があったのか、汗も涙もさっぱり枯れない。喉が渇いて舌が張りつく。
 臨也を苦しめているのは静雄だが、臨也を助けられるのもまた静雄だけである。とんだ皮肉だ。そして静雄に助ける気は一切ない。
「しねば、いいよ……」
 静雄を呪う言葉すら甘ったるい。
 ああ、吐き気がする。


 寝室は分厚いカーテンで閉め切られているが、それでも部屋が薄っすらと明るんで日が昇ったのがわかる。意外にも繊細な瞼をもっていた静雄は日の出の気配を感じ取り、すんなり目を覚ました。
「ノミ蟲……まあ起きてるよな」
「ふあ……!ぅ、ふうッ……」
「朝から喘ぐなよ、鬱陶しい」
 静雄がいきなり体勢を変えたのが臨也の腰に響く。静雄の顔だけを見ると真に鬱陶しがっているが、分厚い涙の膜越しでも瞳の奥が爛々とした輝きを放っているのがわかる。もうまともな言葉すら発せそうにない。
「ううぅ……ふ、あ……あ、ぁ……」
「おい、目ぇ見えてっか?」
「ひやぁっ……や、あ……?」
 顔の前で静雄の手が往復する。ぼんやりとそれを目で追うと「意識はあるのか」とつぶやいた。意識があるから、つらいのだ。
「それにしても薬ってこええな。あの臨也がこんなになっちまうんだからよ……って、おい!」
 あの、と嘲るように目前に指を突きつけられ、臨也は夢中でしゃぶりついた。静雄が驚いたような声をあげる。ざまあみろ。いまは少しの刺激も惜しい。
「んあ……むう、ふう……んむう……」
 静雄の指は一向に自分から動こうとしない。甘噛みしては舌を巻きつけて、臨也は一心不乱に骨張った指に吸いつく。
 注意して見ていないとわからないくらいに、静雄の目が微かに細められる。すぐに指は引き抜かれてしまう。口寂しくなって、臨也は物欲しそうな目で静雄を見つめた。
「手前にはもう少し、恥じらいってもんが必要みてえだな」
 静雄がごそごそとカバンを漁るのをぼんやりと目で追う。取り出されたのは携帯だ。静雄はおもむろに携帯をこちらに向けて、画面越しに臨也を見つめる。
「ーーッ!」
 光に驚いて身を竦めた。カシャっと安っぽいシャッター音が鳴り響く。写真を撮られたと気づいたのは、随分あとになってからであった。取り返そうと前のめりになると、再びシャッターが切られる。
「やっ……!」
「いまネットってすげえんだってな。写真一枚で身元とか特定できるって」
 サアッと血の気が引いていくのがわかった。火照った顔が青ざめる。そのようなことをされてしまったら、さすがの臨也でも人の目に触れる前に全ての写真を抹消するのは至難の技だ。
「や、うそ、やめッ……それだけは……!」
「へえ……」
 回らぬ舌で懇望するも、静雄は上機嫌に舌なめずりをする。捕食者の色をした瞳に、臨也はどたどたと鈍い音を立てて無様に後ずさった。静雄はごくゆっくりと臨也との距離を詰めていく。
「こないで……やだ、くるなよ……ッ」
 静雄は簡単に臨也のすぐそばにまで近づいた。怯える臨也をあやすように、黒髪をやんわりと混ぜる。臨也の震えが目立たなくなると、静雄は縛りあげた背中の両腕に触れた。
「解いてやるよ」
「やっ……まって……!」
「なんだよ、解いてほしかったんだろ」
 解いて欲しかった。だが、いま解かれてしまったら。
 臨也の気持ちなど一顧だにせず、静雄はロープに手をかける。しゅるしゅると臨也の背中で摩擦音がうなる。
「ほら、好きにしろよ」
 長時間にわたり拘束され続けていたから、解かれた両腕が勝手に後ろへと持っていかれる。だがそれでも、自由になったことは確かだ。今なら待ち望んだ快感を手ずから与えることができる。唾液が喉仏を上下させた。
 とにかく寝室から出なくては。力の入らない身体を叱咤して、ベッドから足をおろす。
 静雄の手には携帯が握られたままだ。静雄の前で醜態を晒してしまったら、取り返しのつかないことになるのは回らぬ頭でもよくわかる。
 しかし臨也がベッドから腕を離し、いよいよ立ち上がろうとしたところで、静雄は再び臨也をベッドの中心へと押し戻した。
「いっ、や、……なにす……!」
「俺の前以外は許さねえ」
 ひゅっと息をのむ。静雄の目は微塵も冗談の可能性を感じさせなかった。
「今まで通り我慢するか、ここで恥を晒すかのどっちかしかねえってわけだ」
「そんっ……もう、十分だろ……!?」
 カシャっと携帯が冷淡な音を立てる。臨也の顔は涙と唾液でぐしゃぐしゃだ。このような顔、浅ましい姿がばら撒かれたら。最悪の結末を想像して臨也が顔を歪めると、もう一度シャッターが切られた。
「服が擦れておかしくなりそうだろ」
 耳元で低い声に囁かれ、ビクッと身体が跳ねる。そうだ。このままでは、本当におかしくなってしまう。
「脱いだら楽になれる」
「らく、に……」
 その甘い響きはまるで麻薬だ。抗えるわけもなかった。ようやく、楽になれる。
 臨也は静雄から視線を離し、シャツへと手をかけた。脇腹が見えたところでフラッシュがたかれ、手がとまる。震える手からシャツが落ちていった。
「ほら、はやく」
 扇ぐように急き立てられ、臨也は再度シャツの裾を手にする。何かを考えてしまったら身体がとまってしまう。後戻りはできない。臨也はただ脱ぐことに専念した。
 それなのに静雄は、臨也の決意を嗤うかのようにシャッターを切る。嫌がって眉を顰めると、静雄はさも面白げに薄い唇を三日月型へ変えた。
「あっ……ふ、う……」
「ははっ、服脱いで感じるやつなんて手前くらいじゃねえの」
 聞きたくない。聞いたら、挫けてしまう。
 だがいま脱がなければ、きっと静雄はさらに非情な仕打ちをするだろう。汗か涙かが、ぽたっとベージュのシーツに落ちる。
 臨也がシャツをまくりあげ、露出する肌の面積が広くなるたびに、静雄はシャッターを切った。その破裂音にすら感じてしまう始末だ。変態、淫乱と、露骨な言葉を投げられる。違うと心のなかで反駁するも、それすら弱々しい。いっそ何も考えられなければよかったのに、静雄はそうさせない。
「はうっ……はあ、あ……ふーっ……」
「ん?」
 出し抜けに静雄が間合いを詰める。顎のすぐ下に静雄の顔が近づいて、ギクッと仰け反った。
「な、なにッ……」
「いや、乳首はれてんなあって。普段いじってんの?」
「そんなわけ……!」
「ああ、そのまんまな」
 静雄はついと臨也から距離をとり、シャッターボタンを押す。そこで自ら服をたくし上げて、胸部を強調していたことに気づく。臨也が嫌がって顔を背けると、静雄はしつこく正面に回り込む。
 別に恥ずかしいことではない。女じゃあるまいし、男が人前で服を脱いだからといったって、どうってことはない。
 そうはわかっていても、どうしても思い切ることができない。はやく楽になりたいのに、臨也自身がそれを許さない。
「脱がねえの?」
「えっ……だって……うう……」
 どうにか首元にまでもってきたが、皮膚の薄いところにシャツが触れて、それ以上さきに進めない。油断すると敏感な首筋や耳に引っかかり、倒れてしまいそうになる。ちょっとでも気を抜けばまた一からやり直しだ。
 服を脱ぐだけで、ここまで神経を削られたことはこれまで一度もない。臨也は身悶えながらかなりの時間をかけ、やっとの思いでシャツをベッドに落とす。
 すると待っていたとばかりにシャッターが切られ、視界が揺れた。上半身の制限がなくなったというのに、呼吸がはやい。
「ほら、あとは下だろ」
 臨也の手の甲に静雄の手が覆いかぶさり、ズボンの裾へと誘導させる。腰が揺れるのを隠すこともできない。そこは今か今かと、狭い布の中から解放されるのを待ち焦がれている。テントを張ったようになっている付け根を静雄は見逃さず、携帯を近づけた。
 なるべく携帯を意識しないようにするも、静雄は無視できぬようにあえて臨也の視界を占領する。今すぐに勢いよくズボンも下着も取り払い、思う存分主張するそれを慰めてやりたい。だが捨てきれない理性が両腕にセーブをかける。
「臨也」
 どこか冷たさを孕んだ声で、宥めるように名前を呼ばれる。暗にはやくしろと言っているのがわかった。静雄と恐怖をイコールで結びつけてしまった身体に、逆らうことなどできるわけもない。
「んっんっ、んあぅ……!」
 躊躇ってはいけないと、ズボンと下着を一掴みにする。ガッと勢いよくひざ下までおろすと、静雄はつまらなそうに目を眇めた。もっと恥ずかしがることを期待していたのだろう。
 腹いせのように静雄は角度を変えて執拗にシャッターを切るも、目をつむって耐える。ばちばちとした刺激になかばやけになりながら、残りを足首にくぐした。薄眼を開くと静雄がそれに気づき、にっこりと微笑む。
「あとで見せてやるからな。手前がどんだけいい顔してんのか」
 静雄はうっとりと携帯に見入っていて、画面に指を滑らせる。ふるふると首を横に振るも「遠慮するなよ」と慈悲深い顔をして笑みを深めた。
 手を伸ばせば、触れられる。ずっと、これを待ち望んでいた。
 理性と本能の狭間をメトロノームのように行ったり来たりする。手の中のシーツを握っては緩めた。臨也がひとり遊びする瞬間を逃すまいと、静雄は携帯をこちらに向けつづけている。
 数分、そうしていた。理性が本能の前にひれ伏し、臨也はそろそろと手を伸ばす。臨也の手が太ももにかかったところで、静雄は「ああー」と苛立った声をあげた。
「いつまでかかんだよ。扱かないならいらねえな」
「ひっ!……やだ、や、やだ……いま、するから……!」
 いよいよ待ち望んでいた刺激を与えられるというときになって、静雄は両手を取り上げた。片手で臨也の両手首を押さえ、見返り哀願する濡れた顔を器用に携帯へと残す。
「裸にロープっていうのも乙なもんだな」
「や、やだっ……いきた、いきたい……あッ痛っ! やめ……も、いや……!」
 静雄は臨也の意見などに頓着せず、再び背後で腕をまとめてしまう。白と赤のコントラストを、静雄はしきりに褒めた。
 臨也のそれは支えずとも屹立しており、痛々しさすら感じる。静雄が煽るように性器の近くまで顔を寄せた。ひくんと喉が震える。
「かわいいサイズってやつか。よくこれで今まで女が満足してきたな」
 羞恥か、屈辱でか、頬を熱いものが伝う。水膜越しに静雄を睨むと、静雄は「なってねえ」と冷ややかにつぶやいた。恐怖で背筋が凍る。まずいことをしたと、すぐに後悔をした。
「ご、ごめ……やめっ! やだ、やだっや、やだあ……!」
「さっさと抜かなかった手前がわるい」
 慌てて謝罪の言葉を述べるも、遅かった。カバンから取り出されたものが性器に近づけられ、臨也は暴れた。むだな肉のついていない足が空を切る。
 どれほど嫌だと、やめてほしいと訴えても静雄は冷酷だ。静雄は両腕を縛っているものより更に細い紐で、臨也の根元をくくる。仕上げにキュッとリボン結びにして、指で軽く飾りつけた性器を弾いた。
 凄まじい衝撃が駆けめぐり視界が点滅する。先走りが増し、てらてらと真っ赤なリボンを濡らした。臨也の痙攣がおさまると、静雄はズームで性器を撮影し、写真を臨也の目の先に突きつける。人間としての尊厳をズタズタにされ、臨也は子どものように声をあげて泣いた。
「うくっ、ひっく、もう、ひどっ……!」
「ああ……だから手前は最高なんだよ」
 静雄はすっかり陶酔しきった顔をして、画面の中の臨也を愛しそうに撫でる。解放される見込みのない状況に、臨也は途方にくれた。
「なあ、前は触ってやらねえけど、こっちなら考えてやってもいいぞ」
 前触れなくそろりと肛門の縁をなでられ、つま先をギュッと丸める。言い逃れのできない、よがり声があがった。
「なんだ、素質あるじゃねえか。それともこっちも経験あんのか?」
 力なく首を振る。あるわけがない。そうは見えねえけどなと、静雄は臨也を蔑み軽んじた。あけすけに馬鹿にされて悔しくてたまらないのに、それもまた熱へと変換されてしまう。ショックだった。臨也の心を見抜いたかのようなタイミングで、静雄は「インラン」と嘲笑う。なおも静雄はするすると臨也を煽るように、粘膜の入り口をさすり続けた。
「で、どうすんだ?」
「あっ……うしろ……さ、さわって……」
「触ってんだろ」
「……ッ! いれ、て……なか……!」
 そうか、と静雄はわかりやすく破顔する。なんということを口走ってしまったのだと後悔し、臨也は羞恥に涙した。
 携帯を枕元に放り投げ、静雄はてきぱきとベッドの下に置いてあったカバンからローションを取り出し、準備を進める。初めからこのつもりであったらしい。
「怖がんな、きっちり慣らしてやる」
「んあぅッ! あ、あ、あっ……」
 臨也をうつ伏せにして、ローションをたっぷりと絡めた指を躊躇いなく中に挿入する。痛みをまったく感じなかったことに驚いた。それどころか、奥が疼いてしかたない。薬のせいで筋肉が弛緩しているからだと言い聞かせる。男に掘られて喜ぶ趣味などない。
「うそっだめ、や、あア、あ……!」
「あっちい……うねうねしてる」
 感嘆の呼気がうなじをくすぐる。ゾワゾワとしたものが腰から脳天へと伝染した。気持ちよくて、だめになりそうだ。脳みそに直接手を入れられ、かき混ぜられているような錯覚を覚える。
 もう十分だと叫びたいのに、口からあふれるのは嬌声ばかりだ。静雄は中をいじりながら、ローションを臨也の全身へと塗りたくる。どくどくと腹が脈打つ。中と外からの刺激に臨也は泣き叫んだ。
「ヤ、あっ、ゃう……っひん!」
「気持ちいいだろ。このローションも特製だからな」
「へ……あア! ぅあ、あッ、やう!」
 臨也に反駁する間など与えられない。中で指をバラバラに動かされて、ぎゅっと身を縮こめた。いつ指の数が増えていたのか、臨也にはわからない。そのうちのひとつがある一点を掠め、臨也は大きく身体を仰け反らした。
「ああッ、ふあっ、あ、アっひ、あン!」
 入念に中を解され、ときどき偶然を装って先ほどの一点を刺激される。声も出なかった。ロープがぎしぎしと嫌な音を立てる。痛いくらいの快感を、ただただ受けとめるしかなかった。
 急速に腰へと熱が集まる。割れてしまいそうに張り詰めているのが、見ずともわかった。出したい。イきたい。
「しうっひゃ、あ! いきた、まえ、まえ……っ」
「ああ……悪かったな。随分よさそうだから忘れてた」
 性器に手を伸ばされ、臨也はホッと安堵し肩をなでおろした。しかし静雄は紐を解かぬまま、その上から鬱血した性器を扱く。臨也は声にならない声をあげ、頭をちぎれんばかりに振り乱す。
 また、騙された。臨也は静雄を信じた自分を呪った。
 荒々しく扱かれ、刺すような熱は溜まっていく一方だ。こうなった快感の逃がし方を、臨也は知らない。
「あっ、あひ、ああッ、や、ちがっ、まえぇ……!」
「んだよ、いじってやってんだろ」
 違う、そうではない。そのようなことなど静雄もわかっているだろうに、どうして。これではイけない。苦しい。
 ヤダヤダと繰り返す臨也に、業を煮やした静雄の指の動きが激しさを増した。様子見のように先端を爪で軽くこすられる。嫌な予感がした。
「あ、う! や、まっ……ぅあああア!」
 ガクンガクンと身体がゴム毬のように弾む。溜まった熱が体内で爆発したのに、臨也の望んだものは訪れない。
「ひ、あ、と、とまんなっ……!やう! あっこわ、や、ああッ!」
 いつまでも尾を引く絶頂に、臨也は身を震わせる。確かに絶頂だった。それなのに紐に阻まれて、熱を吐き出すことは許されない。気が狂いそうだ。
「たす、けて! しうちゃ、たすけっ……ヤ! こわ、い、たすっ……け……!」
 終わらない快感に、頭の中心が痺れていく。怒涛の快感から逃れようと、なにを言っているのか理解しないまま静雄に泣きつく。本当だったら、あらん限りの力でしがみついてしまいたい。だが縛られた腕ではそれもかなわない。
 耳に膜がかかってぼわんぼわんと耳障りな音が響く。これが気を失う予兆のひとつであることを、臨也は知っていた。目の前が白に染まっていく。
 突如ぐるんと身体をひっくり返され、静雄に尻を向けるかたちとなる。
 あと三日は虐めたかったんだけどな。そのような恐ろしいセリフを意識の対岸で聞いた気がした。
「あっ! は、ぁ……ぁああああ!」
「きっつ……!」
 ズンと一気に昂ったものを押しこまれ、内壁が限界まで伸ばされる。白ばんだ視界が明滅し、意識を無理やり引き戻された。
 静雄が身を引けば内壁を抉られ、打ちつけると中を押し拡げられる。おぞましさすら感じる快感に臨也は背を反り、顎を上げた。
「ああっひ、ぁ、アぁ、あ! ひん!」
 背後から胸に手を回され乳首を摘み上げられる。チリチリと焼けるような電流にきゅうっと背中を丸めた。反っても屈んでもつきまとう快感に中がしまって、静雄の形をありありと伝える。あれほど揶揄の言葉を絶やさなかった静雄がひとつ長い息を吐いて、押し黙った。
「あっや、あ、まえ、まえっ……ほどい、ぁっ、あン!」
 どれほど哀訴しようが、静雄が紐を解くことはない。なのに静雄は絶頂を目指して臨也の中で暴れる。息ができない。理不尽な快感に臨也は泣きじゃくった。
 静雄は中に挿れたまま、またも乱暴に臨也を反転させる。ぐるりと満遍なく中をかき混ぜられ、悲鳴をあげた。縛られた両腕では何にもしがみつくことができず、されるがまま仰向けとなる。
 ゆるゆると見上げると、静雄も余裕がないのか口で息を吐き出していた。薄く開いた唇からは、喫煙者とは思えない白い犬歯が見え隠れする。ギラつく瞳と目が合い酸素が奪われ、臨也ははくはくと口を開閉させた。やはり静雄は化け物だ。
 静雄は軽々と臨也の両足を肩に担いで、薄っぺらい腰を掴み引き寄せる。より密着した体位に興奮したのか、静雄のものが一際大きくなった。
 数秒、時が止まったように互いの瞳をのぞき合う。
 何がスイッチになったのか、静雄は鋭く舌を打ち、臨也の腰を乱暴に揺すった。弱いところに静雄の性器があたるたび息を詰め、臨也はがむしゃらに頭を振った。
「ッひ、ぁーーあアッ」
 絶頂を迎えたと同時、前のロープを解かれる。ようやく楽になれると安心したのも束の間、どうして、そこから臨也の望んだものが放たれることはなかった。
「あッでな、ぁ、なんっや、イったの、にっ」
 楽になるどころか、溢れ出した器に快感が上乗せされてしまう。これ以上は受け止めきれない。身体が自分のものでないようにガクガクと跳ねる。これは本当に死ぬかもしれないと、臨也は漠然と死を覚悟した。
「やめ、っいま……! ああああッ!あっあっア……!」
 静雄が腰をぶつける度、脳がめちゃくちゃに撹拌される。あれだけ懇願しても触られることのなかった性器を、静雄は容赦なく責め立てた。痛みすら伴う強すぎる快感に、臨也の身体は雷に打たれたように激しくバウンドする。
「ヤッも、やっ、いあっ、ぁあうッ」
 いわゆるイきっぱなしという状態であった。暴風雨のような快感を叩きつけられ、イってもイっても次の絶頂が押し寄せる。終わらぬ絶頂に、臨也は泣きじゃくった。
 こわい。壊れてしまう。
「ふぇ、もっ、ぁっ……ぅぐっ……アッ、いら……な……!」
「イきたいっつったのは手前だろ」
「ぁひッ、んあっ……ふぁ、んあああ!」
 耳に声を吹きこまれ、神経が割れた。静雄の声が擦れている。何を言われたのかは理解できなかったが、臨也を笑っているのはわかった。全身が性器のようだ。もうどこも、すこしも、触ってほしくない。
 いつまでそれが続けられたのか、正確なところはわからない。時間の感覚はとっくに狂っていた。身体の内で爆弾のように破裂する快感に、吐き気すら感じるようになった頃だ。
 一際大きなものが頭の奥で弾け、臨也の意識はすうっとそこへ吸い込まれていく。コンセントを抜かれたように全身の力を強制的にシャットダウンさせられ、臨也は闇に落ちた。


 翌日、臨也は丸一日ベッドから起き上がることができなかった。死の疑似体験をしたようなものなのだから、それも当然だ。ありとあらゆる筋肉が軋んでいる。四肢はもちろん、鎖骨の下にある普段は意識しない筋肉ですら存在を主張していた。
 意識を取り戻したときにはすでに、静雄はこの事務所にいなかった。臨也の苦しむ顔とやらを見て満足したのだろう。
 べたべたの身体を不快に思ったのは一瞬だった。
 あることを思い出し、臨也は自らの意思でベッドから転げ落ち、這うようにしてパソコンを目指した。いまだ小刻みに痙攣を続けている足よりは、縛られ続け変に痛む腕のほうがまだ使える。
 腰の高さほどのデスクが異様に大きく見えた。よじ登るようにして椅子に腰掛けるも、まともに座っていることもできずクッションを敷き詰める。それでも腰が引けた状態だ。
 スリープモードになっていたパソコンをたたき起こす。普段なら確実に電源を落とすのだが、あの状況下では仕方がなかった。様々な掲示板やその可能性があるサイトを開いては閉じて、開いては閉じていく。
 可能性をしらみ潰しに確かめて、かたんとマウスを置いた。安堵から深く息を吸いあげる。足りていなかった酸素が肺に供給された。今のところではあるが、静雄の撮った写真がネットにばら撒かれている様子はない。緊張が解けると、どろどろと腹の底から怒りがにじみ出ててくる。
 見境なく静雄に近しい人間を傷つけてやろうかとも思ったが、あのデータが静雄の手にある限り、迂闊手出しするわけにもいかなかった。
 ともかくこの事務所は捨てる。対処はそれからだ。
 無体を強いられた身体はひどく発熱している。だからといってこの身体で医者に駆け込むなど、ましてや新羅など呼べるはずもない。常備薬でやり過ごすしかなかった。
 ある程度身体の自由が利くようになったのは、それから二日後のことである。臨也は早速行動にうつした。
「もしもし波江さん? 時間がないから用件だけ述べるけど、いつも使ってる事務所、閉鎖することにしたからもう来ないで。次の本拠地が決まり次第また連絡するから」
「あら、奇遇ね。わたしもたった今、あなたに電話しようとしてたところよ」
「ーーなにかあったか?」
 緊張が張り詰める。波江から臨也に連絡を寄越すのは、たいてい不測の事態に遭遇した時のみだ。今回はそのような状況に陥る仕事はさせていない。
「『情報屋イザヤのストリップショー……羞恥に燃える涙』『二十四時間!媚薬を盛られ放置プレイ……許してと叫んでも終わらない責め苦』『はじめてなのにッ! 強姦生ハメ!?……ドライでイっちゃう! 稀代の美青年』」
「……は?」
 波江は機械のような無感情さで何かを読み上げる。あまりに淡々としているものだから、臨也はそれがどのようなものであるか想像するのに時間がかかった。
「ザッと目を通したけれど、どうやらあなたのストリップ写真集とアダルトビデオのようね」
 さらりとその正体を明かされ、思考が停止した。よくよく耳を澄ませば、受話器の向こう側から男の喘ぎ声が聞こえる。
「あなた、平和島静雄に犯されたの?」
 長い沈黙。怒りがある一点を超えると冷たさに変わるというのは、真実であったらしい。身体中が怒りで震え、歯がカチカチと音を立てる。
「跡形もなく燃やして捨てろ。今すぐだ」
「あら、せっかくの主演男優なんだから一度観てみたらどう?」
「波江!!」
 ふっと軽いため息が聞こえる。肩をすくめたのがわかった。
「わたしが預かっておくわ。あなたばかりこちらの弱みを握っているのも、どうかと思っていたところだから」
「まて、波江、おい! ーーくそ!!」
 一方的に電話を切られ、臨也は携帯をソファに叩きつける。前もって寝室にカメラが仕込まれていたなど、あの状態で気づけるわけがなかった。
 ああ。殺してしまいたい。
 いつものファーコートを無造作に羽織る。ここから波江のいる事務所まで、タクシーをとばして一時間半。波江ならそれだけあれば、ダビングをしてDVDをどこかへ隠すことなど容易だろう。どうにか最悪の事態を防ごうと、波江の愛する弟から連絡がいくように仕向け、タクシーへと飛び乗る。
 はやる気持ちを抑えドライバーに的確な指示を出し、臨也は事務所へと急いだ。その甲斐あって予定より二十分はやく事務所へ着くも、波江の姿はそこにはなかった。どうやら細工がうまくいったらしい。
 まだ昼前だというのに、部屋はやけに幽々としていた。カーテンは閉められ、電気も消されている。波江なりの出かける際の配慮だろうか。
 取り込み中と表示されているノートパソコンのデータを削除し、あられもないパッケージの一冊と一枚を回収する。だが、もう一枚足りない。波江が読み上げたタイトルは全部で三つだったはずだ。
「よくできてるだろ? こういうの苦手だから苦労したんだぜ」
 背後から声をかけられ、ゾクッと足元から恐怖が這い上がる。身体が強張り、膝が笑う。どこに潜んでいたのか、やはり全く気配を感じなかった。
 反射的に身を翻すも、万全でない身体ではあっという間に追いつかれてしまう。
「逃げんなよ、さすがに今日はなんもしねえって。たまには一緒にビデオ鑑賞するのもいいと思ってな」
 静雄はあの時と同じようにテレビ正面のソファに座って、足の間に臨也を無理やり閉じ込める。抜け出そうとナイフを振り回すも、あっさりと弾き落とされてしまう。がっちりと両脇に腕を通されては逃れることなどできない。ロープなど比ではない頑丈さであることは、臨也が一番よく知っている。
 薄暗い部屋に、ふたりきり。静雄はリモコンを操作して、再生ボタンを押した。




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