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「#エロ」のBL小説を読む
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「……なにしにきたの」
「なにって、先週みたDVDが途中だったろ」
 むしろそれ以外に何があるのだとでも言いたげに、静雄は不思議そうな顔をする。念のために言っておくが、臨也と静雄は付き合っているわけでも、ましてや仲直りを、否。仲直りというのは仲がよかった者たちの間に適用される言葉であるから、これは自分たちには当てはまらない。語弊があった。ともかく以前からの天敵という関係性を改めたわけではない。
 臨也は静雄のことが嫌いだ。静雄もほぼ間違いなく、同じような感想を臨也に対して抱いているはずだ。はずなのだが、ここ半年ほど前から執念の延長線である腐れ縁が歪曲しつつある。
 率直に言おう。静雄は臨也のストーカーへと変貌を遂げたのだ。それも相当タチの悪いストーカーだ。
 静雄が何を目的にこのようなことをしているのかというと、それは一点に集約される。本人曰く「臨也の苦しむ顔に興奮する」のだそうだ。臨也からしてみればこの上なく迷惑甚だしい話である。おかげでこれまで静雄にされてきた嫌がらせを思い出だすだけで、悪寒が走る有様だ。
 静雄が臨也に対する見解を改めてから、臨也の中での静雄の認識にも変化が生じていた。結論から言うと、静雄と恐怖という単語がイコールで結ばれたのだ。
 静雄を嫌いであるという点において変わりはないが、とにかく関わり合いになりたくなくなった。以前はこちらからチンピラを仕向けたり、何らかの事件に巻き込ませて罪をかぶせてみたりと間接的にちょっかいをかけていたのだが、今はそれすらしようと思えない。くどく聞こえるだろうが、とにかく、静雄と関わりたくないのだ。
 できることなら、静雄の記憶から臨也に関するものをごっそり抜き取ってしまいたい。そうすればこちらから関わることさえしなければ、一生交わらずに生きていけるだろう。とても無理な話ではあるが。
 静雄が臨也の事務所ごとターゲットにしてからは危険性を考慮して、新しく用意した別の事務所で波江に仕事をさせている。一度、静雄対策と称し丸ごと事務所を変えたことがあったが、結局は凄まじい嗅覚で居場所を突き止められてしまったのだ。
 それならどこでも変わりないだろうと、臨也だけは元の事務所に戻ることにした。ここには馴染みの客もいる。おいそれと手放すわけにもいかなかった。
「不法侵入について何回説明させれば気が済むわけ? じゃ、さよなら」
 サッと踵を返す。こういう場合はなにも言わずに立ち去るに限る。ここ数ヶ月で、静雄を下手に追い払うほうが危険であるととくと学んだ。言うまでもなくここは臨也の事務所だが、そのようなことは自分の命と比べたら些細なことである。
「まてよ」
 静雄に捕まる前に駆け出そうとするも、静雄のほうが早かった。簡単に腕を掴まれ、舌を打つ。臨也の動きを予想していたのだろう。こういった限りある空間では臨也のほうが不利だ。
「今日はとっておきばかりなんだからよ」
 静雄はひどく優しい笑みを浮かべた。


 あれから宣言通り、静雄はソファでDVD鑑賞を決め込んでいる。この映画ですでに二本目だ。
「まさか手前が幽の映画をもってるとはな」
 まるで自分のために用意されたと言わんばかりの口ぶりだが、そのようなことは当然ない。前のクライアントと話を合わせるために購入しただけだ。
 静雄だけ切り抜いてみれば、微笑ましさすら感じるただの映画鑑賞だろう。だが少し視野を広げると、その光景は途端に異様なものへと姿を変える。
「はーっ……は、はあっ……ふうッ……」
 静雄の足元にイモムシ状態の臨也が転がっていた。臨也の呼吸は荒く、吐き出された息が床に転がっては消えていく。
 明らかに普通の様子でないが、静雄は臨也などまるで気にせず画面に集中している。時どき足まで組みかえる余裕さだ。カーペットから静雄をヘビのように睨みつけるも、まるで意に介さない。
 ああ。本当に、最悪だ。


 臨也の腕をつかみ勝利を確信した静雄の油断を突こうと、注意の糸を限界まで張り巡らせる。しかし静雄の上半身ばかりに気を取られていた臨也は不覚にも足を払われ、ぼすんとその場に倒れこんだ。
 静雄はうつ伏せになった臨也の上に飛び乗ってまたがり、肺を圧迫する。うっとくぐもった声が漏れた。そしてどこで覚えたのか、素早く、かつそう簡単に解けぬよう、臨也の手足をそれぞれ赤いロープで縛りあげる。
「っにすんだよ! ほどけ! ふざけ……んぐ!」
 静雄は臨也の顎をすくい、喉を強制的に開かせて鼻をつまむ。抵抗する間もなかった。静雄はいつのまにか栄養ドリンクほどの大きさの、見るからに怪しいビンを手にしている。まずいと思ったがどうしようもできず、静雄はビンを傾けて臨也の口内に液体を注ぎ込む。
 飲み干さなければければ窒息、飲めばさらに悪い結果が待っている。しかし臨也に選択肢はなかった。
 喉の動きから臨也が完全に液体を嚥下したのを確認して、静雄はすうっと手を離す。
「……っかは! げほ、けほっ……はあッ……なに、のませた……!」
「別にたいしたもんじゃねえよ。めちゃくちゃヤバいらしいけどな」
 支離滅裂なセリフにどちらだと突っ込む気にもなれない。
 なんだ。なにを飲まされた。
 危険な薬品名が次々と浮かぶ。妙に甘ったるく粘り気のある液体が、いまだ口の中に残っている。唾とともに張りついた残りを静雄のズボンへ吐き出すと、鬼のような形相で凄まれた。
 遅延性なのだろうか、今のところ身体に大きな異変は見られない。静雄は臨也をカーペットに転がしたまま、テレビの脇にある棚を漁る。取り出したDVD数枚のうちひとつをレコーダーにセットし、我が物顔でソファに腰かけた。
「っと……どうやんだっけ。人んちのテレビってよくわかんねえよな」
 静雄はかちゃかちゃと耳障りな音を立てながらリモコンをいじる。どうにかしてロープを解こうと試みたときだ。ドクンと心臓が跳ねた。呼吸が乱れる。呼吸困難を引き起こす毒薬だろうか。しかしそれにしては変化が薄い。
 もっと別の何かを考えるが、身体の痺れも悪心もない。変化といえば、体温の上昇が著しいくらいだろうか。血管という血管が拡張されているようだ。
「本当になに飲ませたわけ」
「まだわかんねえの? 結構いい顔になってきたってのに」
「どういう……」
 そこで全くの選択外であった答えが頭をよぎった。臨也の表情が凍りついたのを見て、静雄がニヤリと口角を上げる。
「俺のこと見て興奮するって、性的にって意味だったのかよ。ゲイなの? 心底気持ちわるいんだけど」
 臨也が侮蔑を込めた視線を送るも、静雄は楽しそうにするだけである。ビンの中身は臨也が想像したもので間違いなさそうだ。
 幸いなことに、臨也は性に関して淡白だという自覚があった。倦怠感や熱っぽさを感じるが、耐えられない範囲ではない。下手なドラッグでなかったことを喜ぶべきだろうか。
 だからといって下劣な行為が許されるわけでもない。まして、このようなものを盛るなど。
「シズちゃんのくせにやってくれたね。でもまさか、俺にこんなことをして無事でいられると思ってるわけじゃないだろ? ……シズちゃんになにを言っても無駄だっていうのが、ここ数ヶ月でよくわかった。ああ、本当に残念だよ。愛しい人間には手を出したくなかったけど、ここまでくると話は別だ」
「へえ……言ってみろよ」
「シズちゃんが慕ってる上司の田中トムや大好きな弟くんーーふふ、目の色が変わったね。そう、君の親しい人間を死んだほうがマシな目に遭わせることだってできる。それも君のせいで。わかるだろ? すべては君の心がけ次第ってわけだ」
 静雄のこめかみがひくつく。勝ったと思った。静雄自身が孤独に近いぶん、慕ってくれている人間を無碍にできないことは熟知しいる。ここで静雄がロープを解かなくとも、普段のように激昂して暴れさえしたらこちらのものだ。感情の昂ったやつの隙をつくのは簡単である。
 しかしどうしてか、静雄の目で揺れる不気味な気配が消えることはない。静雄はおかしそうに声をあげて笑い、その不気味な瞳を臨也に向けた。
「わかってねえのは手前だ。死んだほうがマシだっつう目には手前がこれから遭うんだろ。これが終わってそれでもまだ同じこと言えたんなら、その時はその細え首をどうにかしてくびり殺してやるよ」
 臨也はぶわっと総毛立てて、火がついたごとく色をなす。視線で射殺さんばかりに静雄を睨めつけた。
「……殺してやる……!」
「ああ……」
 恍惚とした表情で臨也の頬をなで、顎をすくう。
「いい目だ」
「なに……シズちゃんマゾなわけ?」
 臨也が睨みを鋭くすればするほど、静雄は喜んだ。だんだんと呼吸の乱れが増していくのに気づかないふりをするも、静雄は臨也の身体の変化を正確に感じ取っている。チイッと舌を打つ。
「ハッ……こんなことしてなにが楽しいんだよ。悪趣味にもほどがあるんじゃない!?」
「手前ならわかるだろ」
「なにを……!」
「普段澄ました顔して人のこと弄んでるやつがわかんねえのかよ。一緒だろ?」
「君の変態的な嗜好と同じにしないでほしいね。死ねよ」
 静雄はしばらく喚く臨也を見つめ、飽きたとでもいうふうにテレビに視線を戻した。怒りで唇がわななく。イモムシのごとく身体を折り曲げて静雄の足に噛みついてやろうと思ったが、いつの間にかろくな力も入らなくなっている。
 騒ぎすぎたせいか、薬のまわりがはやい。視界がぐにゃぐにゃと撓む。腰の疼きを精神力だけで抑え込んだ。
 静雄は急におとなしくなった臨也をこちらも見ずに鼻で笑う。明確な異変を感じ取った身体が、これ以上はまずいと訴えている。
「シズちゃ、これほどいて……ねえ……」
 吐き出す息が熱い。クーラーの効いた部屋だというのに、汗がにじむ。全力疾走したあとのように脈がはやい。薬が正しく作用している何よりの証拠だ。
「きこえてるだろ……!なんで、こんな……!」
 静雄は臨也などこの場にいないかのように、一切の反応を示さない。暗澹たる状況だ。臨也が下手にでようが関係ない。静雄は最初からこうして遊ぶつもりであったのだと、今になって気がついた。
「は……はっ……はあっ……」
 息が苦しい。湯船に浸かると呼吸が苦しくなる、あの感覚と似ていた。心臓が骨の檻から出たいと騒いでいる。症状はみるみるうちに悪化し、数分後、臨也の息はテレビの音量に紛れぬほど乱れたものになっていた。
「はあ……ッ、フーッ……!」
 熱をためぬように積極的に呼気として吐き出す。しかしそれにも限度がある。筋肉がゆるみ閉じることすらできなくなった口から、恐ろしい声が出ないようにするのが精一杯だ。楽な体勢を求めて身体を横倒しにしようとする。それがいけなかった。
「ひっ……あ……んン!」
 知らない声が、自分の口から逃げていく。女のそれみたいに高くて、気持ちの悪い声だ。ゆるんだ顎では唇を噛むこともできず、無理に喉をふさいで声を殺す。静雄と視線がぶつかり、臨也は慌てて床に目を落とした。聞かれただろうか。だが音量の大きいシーンであった。たまたま目が合っただけだと言い聞かせる。
 しかしそれでスイッチが入ってしまったようで、同じ体勢を強いられ痛む身体をどうにかしようとよじるたび、隠しようもない甘い声が上がるようになってしまう。
「……っふぁ……ぅん……はあっ……」
 呼吸とともに甘い声が鼻から抜けていく。もう限界だ。
 イきたい。どうにか押し隠していた欲情が、誤魔化せないほど大きくなってしまった。内ももを擦り合わせて少しでも快感を得ようとするも、決定的な刺激には繋がらない。
「ぁう……あつ、い……ほんと、しねよ……」
 敏感になった肌は服が擦れるだけで快感をうむ。だが足りない。むしろこれならないほうがいい。小さな快感が腰の奥に溜まって臨也を焦らす。欲しいのはもっと、直接的な刺激だ。
 眠ってやり過ごそうと思っていたが、この微弱な快感がそれを許さない。気が狂ってしまいそうだ。快感から逃れようと慎重に身体を動かすも、どうしても服が肌に触れてしまう。するとびくびくと勝手に筋肉が収縮して、服がまた皮膚を掠める。キリがなかった。
「……はぁっ……もう、くそっ……なんで解けないんだよ……!」
 もがけばもがくほど絞まる、特殊な縛り方だ。身体は熱いのに、血の流れが遮断された指先は冷たく痺れている。普段であれば身じろぎを最低限にして、どうにか抜け出す手段を探し出しただろうが、その冷静さはいまの臨也にはない。
「あっ……ふーッ……くそ、ばけものっ……しね、しね、んっ……」
 臨也がどのような罵声を浴びせようが、静雄は徹底的に無視を決め込む。
もう誤魔化せないくらいに熱は溜まっている。下着はすでにぐっしょりと濡れていて、離れようとしない。耳鳴りがした。頭の奥が焦げる。
 ーーすこし、だけなら。
 躊躇いがちに、ほとんど自由の効かない内ももをカーペットにすり合わせる。それだけでゾクゾクとしたものが背骨の中を走った。はう、とあえかな声がもれる。待ち望んでいた刺激だ。
 どうしよう、やめられない。
 いつしか快感から逃れるためにもがいていたのが、快感を得るためへの動きへと変わっていた。
 恥も外聞もかなぐり捨てて、腰を揺らしカーペットに熱を移すように擦りつける。快感に声が鼻から抜けるも、気に留める余裕はなくなっていた。刺激を求め、たちまち腰の動きが大胆になる。
「ふう、ん……ん、ンン……」
 足りない。まだ足りない。全然足りない。
 無我夢中で熱いそこをこすりつけた。自然と腰の動きが激しくなる。どれだけ今の自分が滑稽であるか考える余裕はなかった。とっくに思考は散らかっている。
「はっはっ……ぁ……はふ……ん、ふぁ……!」
「おい、うるせえぞ。今いいシーンなのに聞き逃しただろうが」
「ぅあん!」
 臆面もなく喘ぎだした臨也をついに無視しきれなくなったのか、静雄は苛立たしげに臨也の尻を足の甲で小突く。思いがけない外部からの刺激に溜まっていた熱が暴走し、ガクガクと全身が揺れた。手のひらに爪を立てて快感をやり過ごす。恐らく、血が出た。
「はっ……気持ちわりい声出してんじゃねえよ。見逃しちまったじゃねえか」
「あ……あぁ、あっ……ん……」
 力の抜けた口は開きっぱなしになっていて、こぼれた唾液でカーペットにシミができている。甘ったるい声はだだ漏れてとまらない。生理的な涙が浮かんで、視界がぼやける。
「もっ、ゆる……ぁ……おねが、もう……」
 頭に靄がかかって思考を鈍らせる。プライドを折り曲げてただ懇願した。この状態から解放されるためには、静雄の協力は必要不可欠だ。静雄は観察するように臨也をじっと見つめる。だがすぐに何事もないようにテレビに視線を戻してしまった。
「や、ほどいて……! んっ、も、むり……むりだってばぁ……!」
 どうにか静雄の気を引こうと話しかけ続けるも、それも長くはもたず喘ぎ声へと逆戻りする。こうして喘ぎ続ければ先ほどのように刺激を与えられるかもしれないと、DVD鑑賞に支障が出る声量で喘ぐも、静雄は平然としていた。臨也の声は段々とか細くなっていき、気づけば涙をすする音も混じっている。
 静雄が三本目のDVDを見終えたとき、臨也の意識は朦朧としていた。少なくともあれから六時間が経過しているということを、その枚数が傍証している。
 いい加減薬の効果が切れてもおかしくない頃だが、それはむしろより強烈になるばかりで臨也を苛む。流れる汗にも、頬に触れる自らの髪の毛にも、あらゆる刺激を鋭敏にとらえすぎてしまっていた。外だけでなく皮膚の内側にも快感がたまり、もぞもぞとした感覚が身体中を這い回る。これがつらい。どこにも逃げ場がなかった。薬が切れるのが早いか、熱を放出できるのが早いか、臨也には全く見当がつかない。
 テレビの電源を切った静雄は、ソファから腰を下ろしてカーペットに屈み込む。静雄の背で光が遮られ、視界がワントーン暗くなる。臨也がもぞもぞと身体を擦りつける音と、湿った声だけがクリアになって強調された。目の前にぶすっとした顔がおりてきて、静雄は舐めるように臨也の顔の隅々まで視線を這わせる。
「し……うちゃ……? んっ…… も、ねえ……」
「すっげえ汗。あつくねえの」
「う、ぁ……あつい……」
「だろうな」
 目の前の鶯色をした瞳をぽうっと眺める。溶け出した飴玉のようにとろんとした表情の臨也が、静雄の瞳に閉じ込められていた。相変わらず何を考えているのか読めない。静雄が喋るたびに煙草臭い息が顔をくすぐり、こそばゆさに目を細めた。
「シャワーにするか」
「へ……」
 静雄は臨也の両腕に手をかけシュルシュルとロープを解く。あまりにもあっさりと解放されたものだから、臨也はますます混乱した。熱に浮かされた頭ではものごとの区別がつかない。本来ならここで事務所から逃げ出す手順を計算するところだが、正常に働いていない脳は静雄の発言を鵜呑みにする。
 肘かけを支えになんとか立ち上がるも、体重に負けてたちまちソファへと倒れ込んだ。長い間縛られていたというのと、薬のせいで力が抜けてしまっていた。何度も倒れては起き上がってを繰り返す。四苦八苦している臨也に静雄が手を貸すことなどあるわけもなく、ただじっと見下ろしている。
 とにかく一刻も早くバスルームへと避難して、高ぶる熱を吐き出したかった。ふらふらと覚束ない臨也をついに見かねたようで、静雄は臨也の腕を引っ張り自らの肩へとまわす。思わず肩が跳ねて腰が砕けそうになり、静雄の腹に抱きついた。情けねえと嘲られ、ぎゅっとシャツの裾を掴む。
 静雄が脱衣所まで支えるという名目でついてきて、臨也の服を脱がすことになんの疑問も抱かなかった。
「ふぁ……あ……ん……」
「その声どうにかなんねえの?」
「ふ……んう……?」
 水越しで話されているように言葉が不明瞭で、臨也は首を傾げた。静雄は会話にならない臨也を見て、満足気に頭なでる。髪が振動を頭皮に伝え、ゾクゾクとした感覚が脳をかき混ぜた。
「んんぅ! ……ん、ぁ……はあ……」
「ほら、脱がしてやるからバンザイしろ」
 うっそりと静雄を見あげる。静雄の指示を理解していないのでなく、力が抜けて腕を上げられないのだと察した静雄は、強引に服を脱がしていく。全身の皮膚が敏感になった状態でのそれは、刺激が強すぎた。汗で皮膚に張りついたシャツをはがされると、まるで皮膚ごとめくられているかのような刺激が襲う。
「ひあっや、ぁ!……や、ゆっく、り……!」
「ああ? 注文おおくねえか」
 声のトーンがやや下がる。静雄は服の摩擦がどれほど恐ろしいか知らないからそう言えるのだ。静雄を睨む瞳から、ぼろぼろと絶え間なく涙が流れる。臨也の意志ではない。断じて違う。
 ブツッと革が千切れて腰回りがゆるむ。もともとベルトは破る気でいたようで躊躇がない。予告なく一遍にズボンと下着をおろされ、目を見開く。まぶたの裏で光が弾けて、身体が棒のようにつっぱった。
「ああぁ! ふ、ぁ、あ……!」
「うお……想像以上にすげえ」
 静雄の声につられて目を落とす。引き落とされた下着はほとんど全て、ぬめった体液でぐっしょりと湿っている。それは下着だけに留まらず、ズボンにまで到達していた。黒だからはっきりわからないだろうとタカを括っていたが、それは一目でわかるほど股部の彩度を上げている。
「漏らしたみてえ。いや、漏らしてんのか」
「ち、ちがっ……」
「たいして変わんねえだろ」
 静雄はてろんと臨也の股から下着にかけて伸びるそれを、指に絡めて遊ぶ。羞恥で頬に血がたまる。狩るような視線に射竦められ目をそらすことができず、涙の量が増した。
 臨也の着衣を脱がし終えた静雄が自らの服を脱ぎ始めて、ようやくこの状況の異様さに気がつく。
「なん、で……」
「ああ? ああ、着替えなら持ってきてる」
 そういうことを訊いているわけでないという反論は、突然の浮遊感によって封じ込められた。発言から汲むに、ここまでは静雄の予定通りということなのだろう。
 静雄は抱えた臨也をバスルームの椅子に座らせ、その後ろで立膝をついた。見せびらかすようにシャワーを手に取り、自らの手に当てて温度を調節する。準備ができたのか、シャワーを臨也の身体にゆっくりと近づけた。
「ひっ…! やめっ……!」
 当てられずとも今の臨也の身体では、その刺激がどのようなものになるか容易に想像ができる。臨也が求めている刺激は、ただ身体のほてりがおさまるまで熱を吐き出すものであった。これは見るからに強すぎる。
 腕を掴んで静止を促すも、静雄は構わず臨也のつま先から肩まで慣らすように時間をかけてシャワーを移動する。
「あっひ! いあっあぁ!」
 直接的な刺激に椅子から転げ落ちそうになったのを、静雄は片腕だけで押さえ込む。
 しとしととやさしいシャワーだが、それは臨也を苦しめた。表皮が剥けたように敏感になった皮膚へ、容赦なく水滴が叩きつけられる。シャワーから逃れようと泳ぐように宙を掻くも、静雄に押さえられてしまっては逃げ場がない。前のめりになり、腰に回された静雄の腕にしがみついて必死の思いでやりすごす。
 シャワーの当てられる場所がずれるたびに眉を寄せ、身をくねらせた。体温が急激に上昇し、吐息は火がついたように熱い。浴室に蒸気がこもって熱を放出できず、のぼせてしまいそうだ。
 シャワーが腹や太ももに近づくと、臨也は期待に身を震わせた。だがあと少しのところでシャワーは別の場所へと移動する。どうしてと首をひねり抗議の目で訴えるも、静雄は素知らぬふりをするばかりだ。
 一通り臨也の汗を流し終えた静雄は、ハンドルを切りシャワーをとめてしまう。ついに一番欲しいところに刺激を与えられることはなかった。悔しくて、悲しくて、涙が水と混ざる。
 静雄がすぐそばにいることも忘れ、臨也は自身を慰めようと前に手を伸ばした。
「っと……それはいけねえなあ」
「やあ! なんっ、なんで」
 臨也の目的を察した静雄は、臨也の手を後ろでひとつにまとめてしまう。これではイけない。
「やっ、だめ、おねがい……もうだめ、だした……!」
 何かを口にするたびに舌が口内のあちこちに当たり、それすらひどい快感へと変わる。しかし脱力した役立たずの身体では、静雄に訴える手段は口頭しか残されていない。
「ゆる、して……も……や、うぅ、ううぅー……!」
 喘ぎ声と涙声が溶け合う。静雄はなにも答えない。ふと視線を前にやると、曇った鏡に静雄の愉悦に浸った顔が映されていた。本能的な恐怖を揺さぶられ鳥肌が立つ。ゾッとした。心底楽しくて仕方がないといった面持ちだ。
 臨也の嬌声と静雄の息遣いが、浴室の壁に反響する。ぽたぽたと控えめに落ちる水滴がアンバランスだ。脳みそがぐらぐらと揺られて目眩がする。もしもずっとこのままであったらと、最悪の可能性が脳裏にちらつく。
「イきたいか?」
 うしろから耳元でささやかれ、糸を引かれたように身体が硬直した。静雄の手が臨也のそれへと伸ばされ、触れるか触れないかのところでぴたりと止まる。臨也は必死に首を縦に振った。
「ふうん」
 静雄は性器に触れぬよう細心の注意をはらい、臨也のものを扱く動作をしてみせる。決して触れられてなどいないのに、臨也の身体はビクビクと打ち震えた。
「は、うっ……も、もっと……」
「感じてんの?」
 静雄はおかしそうに喉を鳴らす。あと、ほんの一センチずれれば。どうにか静雄の手に当たるように腰を揺らすも、静雄は巧妙にそれを避ける。
「や……なんっ……たりな、しずちゃ……!」
「だあめだ、おあずけな」
「そんっ……ひぁ!」
 それ以上続ける気はないらしく、静雄は臨也から手を離し、ボディーソープのポンプを数回プッシュした。丹念にボディーソープを塗りたくってはシャワーで流していく。ただ撫でられているだけだというのに、臨也の身体は過剰な反応を示して静雄を喜ばせた。
 身体を洗い終えた静雄は、ざぷんと浴槽から洗面器にお湯を汲む。シャンプーをするという声が耳に入ったのと、頭からお湯をかぶせらたのはほぼ同時だ。臨也は甲高い声で拒絶の言葉を叫び、気が触れたように暴れだした。
「こら、おとなしくしてろ」
「イヤ! やッ……あぐ、けほっ……やめて!」
 水はだめだ。水は怖い。
 あれ以来、臨也は水に顔をつけることができなくなってしまった。臨也がもがけばもがくほど、静雄は臨也の頭上で洗面器をひっくり返す。鼻や口に次々と水が入り込み、このままでは溺れてしまう。
 臨也は手当たり次第近くのものに掴まろうと両手を振り回す。死の恐怖がよみがえり、臨也を襲う。滝のような水から死にものぐるいで脱出しようとする臨也を面白がって、静雄は水をかぶせ続けた。
「や、うく、んぐッ……かはっ……!」
「どうしたんだよ、ガキじゃあるまいし。……ああ、もしかしてこの前のアレのせいか」
「ふはっ……けほ、ごほ、うッ……はーッ、はあっ……」
 とっくにわかっていただろうに、白々しくも静雄はいま気づいたというふうに洗面器を置いた。恐怖で全身が小刻みに震え、臨也は背を丸めて自身をきつくきつく抱きしめる。
 臨也の目が虚ろであることなどに静雄は頓着せず、こしゅこしゅとシャンプーを頭皮に揉み込んでいく。恐怖が快感に塗り替えられ、身体の強張りがゆるむ。
 ごしごしと力まかせに揉みしだいたかと思うと、くるんと耳付近をくすぐるように泡をのばされ、臨也は子犬のような声をあげた。強弱をつけられた洗髪に腰が淫靡に踊る。響めく自身の声にすら快感をひろう始末だ。すべて終わる頃にはすっかり意識が混濁して、前も後ろもわからなくなっていた。
 静雄はぐったりとした臨也を引きずるようにして脱衣所の床に転がす。強制的な快感と恐怖に振り回され、体力はすでにゼロに等しい。バスタオルで水分を拭き取られ、ようやく臨也の肺に酸素が満ちた。静雄がだぼっとした臨也の部屋着をつまみ上げる。
「やっ、ふく……ふくは……」
「ああ? 自分の家でもさすがに全裸ってわけにはいかねえだろ」
 そのようなことはわかっている。だがあれは、いちいち肌に擦れるのだ。過ぎるほど鋭敏になったいま、臨也からしてみれば大人の玩具を全身に押しつけられるのとなんら変わりない。汗で全身に布が張り付く恐ろしさは味わったばかりだ。
 静雄は有無を言わさず、臨也より一回り大きいパーカーを手に取り、壊れ物を扱うように丁寧に服を着せていく。摩擦に耐えようと洗濯かごに爪を立てるも、邪魔だと追いやられてしまう。
 前転したかごがモノクロばかりの衣類を吐き出した。暴れる人形にそうするように服を着せ終えた静雄は、達成感に満ちたため息をつく。だがそれで終わりではなく、静雄は臨也の痛む両腕を後ろにまとめ上げた。静雄はまだこれを続けようというとしている。
 何をしようとしているのか正確に推測し逃げようともがくも、上半身が前に傾いただけであった。臨也がもたついているうちに、静雄は手際よく臨也の両腕を背中の後ろで縛りあげる。
 先ほどまでの粘着質な丁寧さは欠片も見せず、静雄は米俵を担ぐように臨也を脇に抱えた。リビングへと戻り少し前までDVDを観ていたソファに臨也を放って、自身は台所へと向かう。最低だと、月並みな言葉しか浮かばない。
 静雄の行動に触発されてか、ぼんやりと空腹を思い出す。もうとっくに日が暮れている。腹が減ってもおかしくない時間であったが、それどころではなかったため最優先されるべき生理的欲求すら二の次になっていた。
 時計の秒針すらけたたましく鼓膜を叩く。一度意識してしまうとそれさえも刺激となる。シャワーを浴び血流が増した身体の火照りは、おさまることを知らない。臨也の浅く忙しない呼吸音と、鍋の中身が火に煽られコトコトと破裂する音が静寂を壊している。
「ほら、お粥つくってやったから食え」
 ソファの前のテーブルに器を置き、臨也を起こして背もたれに体重を預けさせる。冷ますのが面倒だからか、どろどろとした粥の上には氷が数個浮いていた。
 この気まぐれな責め苦がいつまで続くかわからない限り、何かを口にしなければならない。だが食べるという行為は存外体力を使うものである。空腹感と食欲は別物であるし、なにより静雄の施しを受ける気には到底なれない。だが臨也はこれが半ば強制的であることを正しく感じ取っていた。
「あ、ちょっとまってな」
 静雄はいそいそと持参したバックの前ポケットから、半透明の紙包みを取り出す。透けているのは薄桃色の粉末だ。静雄は臨也の目の前でそれを粥にふりかけ、れんげでよく混ぜる。
「ほら、口あけろ」
「へ……」
 明らかに怪しいものを混ぜられたそれを食べるために、自ら口を開けと静雄は言う。粥の色に変化は見られないが、薬が溶けているのは明白だ。
「や……ま、まって……」
「どうした?」
「なん、だって、いま……」
「ん?」
 文章を組み立てる分野を司る脳は、すでに瓦解してしまっている。静雄は微笑みながられんげを臨也の唇にふにゃりと押しつけた。本能が逆らうなと警鐘を鳴らしている。口を開ける他なかった。
「へうっ……むぐ、う……」
「おい、食べながら泣くなよ」
 量の多すぎた粥は臨也の口端からとろとろと垂れていく。静雄はこぼれた粥をタオルで手荒く拭き取った。
 やけに視界が歪んでいると思っていたが、そうか、泣いていたのか。だって、それも仕方がない。自分から正体のわからない薬を口にするなんて。これ以上苦しくなどなりたくないのに、静雄はそれを許さない。
 このいたずらな責め苦の終わる条件がようやく見えた。薬効を切らすつもりなど、静雄にはハナからないのだ。だとしたら、静雄が飽きるのを待つしかない。絶望的であった。
「んう、んくっ……ん、うく……」
 咀嚼すれば口内を粥が刺激する。臨也はほとんど飲むようにして粥を胃に落としていく。口の中が空になれば、また次の粥が注がれる。体温が上がり汗が弾けた。薬のせいなのか、粥の熱のせいなのかはわからない。もういらないと首を振って拒んでも、静雄は容器が空になるまで粥を臨也の口へ運び続けた。
 拷問のような食事をやっとの思いで乗り越え、臨也はずるずるとソファへ崩れる。静雄は白い底が見えるようになった粥の器をさげて、自身の食事を開始した。黙々と玉子やハムを口に運ぶ静雄を焦点の合わない瞳で眺める。この食器はもう使えないと、静かに目を閉じた。
 汗腺という汗腺が開いて、シャワーを浴びた意味などとうになくなっている。汗を流すというのも口実で、ただ臨也を弄びたかっただけなのだろう。
 これほど時間の流れが遅く感じたことは今までにない。復讐を妄想して熱を紛らわそうとするも、熱が勝って結局は現実に引き戻されてしまう。堂々巡りだ。


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