※企画サイト『あなたに。』さんに載せていただいたもの



喉元を、すうっと通ってゆく風がある。
ふと顔を上げると、窓際、彼がこちらに背を向けて立っている。そこは、ベットに備え付けた電気スタンドの明かりがぎりぎり届く範囲なので、振り向いた彼と目が合ったのがぎりぎりわかった。

窓の開いた音すら聞こえなかった。ちっとも気が付かなかったことに多少驚いて、私は開け放たれた窓を見た。カーテンが微かな風に揺れている。彼は静かに窓を閉めた。
急ぐでももったいぶるでもなく、彼はこちらへ近寄ってきて、私に六幻を突き出した。
意図が分からず、しばし見つめ合う。その間も彼は六幻を突き出したまま。受け取れということだろうか、うつ伏せになって本を読んでいた私は渋々体を起こし、彼の愛刀を受け取ろうと手を伸ばし、それを受け取った。手にした六幻は、ずしりと重たい。まるで彼の命を戴いたようだと思う。

彼がベットに腰を下ろしてスプリングが軋み、私の体が彼に引き寄せられるようにして少し傾く。
彼がひとつ息をついたのが耳に届く。
「あの、ドアから入ってくるとか」
六幻から彼の背中へと視線を移しながら言った。せめてノックとか、ね。それは心のうちにしまっておく。
「面倒くせえ。こっちのが近い」
コムイ室長のところからなら、確かにそうだ、と納得してしまったので、私はそのまま視線を落とした。彼に借りた本を読んでいた。綴られているのは日本語で、私はいつも、その文字たちをとてもいとおしく思いながらなぞってゆく。それは彼を構成するひとつであるので。

すぐ傍に居る彼が、一つに結い上げていた髪を解いて、頭を大きく左右に振った。長い髪が私の頬を掠めて、汗と、僅かに血のにおいがする。
彼が団服を脱ぎ始めたので、少しだけ名残惜しく思いながらも、栞を挟んで本を閉じる。六幻を持ったままでベットを降り、ドレッサーに出しっ放しにしていたブラシを取って再びベットに上がる。
シャツのボタンをひとつひとつ、何となくたどたどしい手つきで外している彼の後ろに回り、その髪を手に取る。何故か預けられた六幻は膝の上へ。
 
いつからこんな風になっただろう。ずっと昔からのことのようで、けれどもついこの前からのことのようにも思える。
「幸運を」と、なけなしの勇気を振り絞って、戦争へ赴く彼の手のひらを、握ったあのときからだ。あれは、いつのことだっただろう?
目を丸くした彼を覚えている。驚く顔を、その時初めて見たからだ。いってらっしゃいでも(そんな気軽なものじゃない)、気をつけてでも(そんなの今更私が言うまでもないこと。相手はあの神田ユウ)、ないような気がしていた。
いつもいつも彼の後姿を見ては、その背中にかける言葉を探していた。必ず帰って来てほしいなんて、それはこちらの身勝手な願いであって、彼に送るには似つかわしくない言葉に思えた。
 
私のされるがままになっている彼は、とても無防備で、少しかわいい。丁寧に丁寧に、彼が気持ちいいように、その髪を梳く。たまに首を触ったり、耳を触ったり、頭を撫でたり、そういうこともこの時ばかりは文句もなく、許される。
気が済むまで髪を梳かし、とんと肩を叩く。船を漕いでいたらしい彼がはっと顔を上げる。そんな、愛しい彼の頭のてっぺんにキスを落とした。
「さらさら。お風呂、入ってきなよ」
「ああ」
立ち上がった彼がこちらを向いて、私の頭に、唇をあてた。すぐさま彼を見上げたけれど、見つめ合うどころか、目を合わせる隙さえくれなかった。
バスルームへと消えて行く背中を黙って見つめる。零れていきそうだ。なにもかも。それを掬って、抱きしめることが、私にもできたらいいのに。膝の上の六幻をぎゅうと握りしめて、その柄に唇をあて、誰かさんに向かって、感謝を捧げる。




しあわせ


しあわせ(神田ユウ)
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