両の手には、もう感覚がない。
さっきまで、冷たくて、痛くて、どうしようもなかったように思うけれど、もうそれもわからなくなってしまった。

身体からいろいろなものが零れてなくなっていくのを感じる。身体はやっぱり、どこもかしこも冷たくて痛いのに、ただ、目だけがあつい。瞼だけが、あついのだ。
仕事はきっちり片付けたし、もう諦めはついている。
いつだって、それは、わたしのそばから離れようとはしてくれなかったのだから、いまさら都合よくいなくなるわけがない。わたしはそれがそばにあるのを、諦めてしまっていたのだ。
ただこんなに早くに寄ってくるなんて、想定外のできごとではあったけれど、真っ暗で真っ赤な真っ黒いわたしが、真っ白できれいな雪に覆い尽くされて、埋もれてなくなってしまうのもなかなかいいかもしれないと、そうも思う。
確か、四肢はちゃんと胴体と繋がっていたし、せめて顔がきれいなうちに彼に見つけてもらえたら、わたしはもうそれでいい。

ロマンチックな終わりかたではないけれど、目の前には、真っ白しかない。それでいい。わたしは、きれいになりたかった。
想う。想う。願う。残酷かもしれない、自分勝手過ぎるかもしれない、だけど、あなたはどうか、いきていて。「ユウ……」おやすみなさい、



「美月との通信が途絶えた、大至急そちらへ向かってほしい」
いつか降り懸かる未来として、俺も美月も、覚悟を決めていた。何の為の覚悟なのかは、俺にはよくわからなかったけれど。怯えていたわけではけしてない。ただ、それはいつもそばにある、身近なものだっただけだ。

――自分の腕のなかに大切なものを抱えると、どうしても、なくすのがつらい。自分が傷付かないためだったのだ、はじめ、彼女を拒否したのは。もう既にそのとき、彼女は大切なひとになっていたのにも関わらず。なんて間抜けなことだろう。
背の高い針葉樹林の真ん中で、美月との通信は途絶えたのだという。
雪がしんしんと降る所為で視界は随分悪いし、積もった雪の所為で足場も悪く、走りづらいことこの上ない。
あちこちを注意深く見渡しながら林を進むと、やがて開けた場所に出た。いろいろなものが雪の隙間から覗いている。アクマだったもの、林だったもの、服だったもの、そして、ひとだったもの。息が、酷く苦しい。

――美月とは長い付き合いになる。美月が教団に連れて来られてからからだから、もう十年近くになる。俺は人見知りをするひとりが好きな子供だったが、美月がそばに居るのは別に嫌ではなかった。美月がどうして俺と居たのかは今でもわからない。こんな無愛想な俺なんかより、同じ年頃のリナリーだとか、他にも子供は居たはずだったのに。

上がった息もそのままに、必死になって雪を掻き分けていると、すぐに真っ白な顔をした美月が現れた。
元々白かった肌がまるで人形のように、凍って、更に白くなって、じっと瞼を閉じている。息を呑む。美月の頬に落ちる雪は、やはり溶けることがない。

――子供だった俺たちはやがて、ひとりの男と女になった。いろいろなことに絶望しながら、受け入れることと諦めることとを間違ったまま、中途半端な存在となった。俺なんかは尚更だった。
わたしは強いから大丈夫、と、美月が笑っていたのはいつのことだっただろう。「でももしわたしが先に死ぬことがあったら、そのときはあなたがわたしを見つけてね、ユウ」俺たちはなかなか似た者同士だった。「もしも、万に一つ…億に一つ? ユウが先に死ぬことがあるなら、わたしがユウを迎えに行くね」覚悟と、諦めの差は、違いは、いったいどこなのだろう。

涙など出てくるわけはなかったが、抱き上げた身体の重さと冷たさに、俺の身体のどこかが悲鳴を上げたような気がした。
「おまえは無駄に勇敢で、無駄に男前だよな」
笑おうと思ったのに頬の筋肉が引き攣って、うまくはいかなかった。
美月がすぐそばで、頷いて、笑ったような気がした。
おまえが素直に守られているだけの女だったなら、俺はおまえをこの腕のなかに入れたりはしなかっただろうに、それを望んでいた俺はこうして、呆気なくそれを諦め受け入れるしかないのだ。



わたしがしあわせになるには、あなたが必要だった。わたしはあなたがだいすきだった。あなたに愛され、あなたがいなくちゃ、戦えもしない。ただ、でも、それは、唯一あなたとわたしとを分かつ、どうにもならない現実なのだと、わたしはきちんと知っていた。あなたがいなくなるのなら、きっとわたしも消えてなくなる。それは、だから、受け入れて、諦めることだ。
すてきな最期は、おじいさんになったあなたの、腕のなか。




往き道


往き道(神田ユウ)
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