∴ 偶像崇拝







※卒業後
※モブ→ヨハ要素有り
※モブが出張る






ヨハンが例のごとく道を間違え、薄暗い路地に迷い込んだときのことだ。
――あの、ヨハンさんですよね。ヨハン・アンデルセン。宝玉獣デッキの。
はぐれた親友と合流するため大通りへの道を探していた彼に、後方からやや緊張を孕んだ声がかかけられた。
ヨハン・アンデルセン。宝玉獣のヨハン。間違いなく彼のことを指した名である。
こんな人っ子ひとりいない路地に自分以外の人間がいたのか、と内心驚きつつ振り返ると、そこには彼とそう歳の変わらない少年が立っていた。こげ茶の髪に青い瞳を持った背の高い少年で、目鼻立ちの整ったなかなか綺麗な顔立ちをしている。
ヨハンが首肯すると、少年はやっぱり!と嬉しそうに手を叩き、熱っぽい目で彼を見下ろした。
「僕、ジョシュアって言います。あなたのファンです。握手をお願いできませんか?」
少年の期待に輝く目を受け、ヨハンはそれくらいお安い御用さ、とにこやかに応じた。
「ああ、僕は本当に運が良い!あのヨハン・アンデルセンと握手できるなんて!」
少年はいたく感激した様子で何度も頷き、そのうち片手だけでは飽き足らなくなったのかヨハンの両手をとってぶんぶんと振りだした。
「初めてあなたを見たとき、なんて綺麗な人だろうって思ったんです。それからずっとずっと、あなたのことを見ていました。あなたの姿を目にするたび、僕の心は喜びに震えました」
(そりゃまた物好きな…)
両手をぎゅっと握りしめ真摯なまなざしを向けてくる少年に、ヨハンは曖昧な笑みを返した。慕ってくれるのは素直に嬉しかったものの、それが容姿のみに終始しているのは複雑だった。ヨハンはあくまでデュエリストでありアイドルではない。人を魅せるのなら容姿でなくデュエルの実力で魅せたい。ヨハンの苦笑に気付いているのかいないのか、ジョシュアは上気した顔でにこにこと賛辞を並べ続ける。
「あぁ…やっぱり間近でみるあなたは綺麗だ。その青い髪も、新緑の瞳も、繊細な指先も…」
「えっと、いつも応援ありがとう。悪いけどそろそろ戻らないと連れが心配するから…」
歯の浮くような台詞にいい加減恥ずかしくなってきて、ヨハンはやんわりと、しかし半ば強引に会話を打ち切った。
――きっと今頃、親友が自分を必死に探している。およそ自身を形容しているとは思えないおべんちゃらより、彼の飾らない素直な言葉を聞きたい。そう思ってのことだった。なのに――少年はいつまでもヨハンの手を離そうとしない。
「君…?」
困惑の色を見せるヨハンに、少年は唇をつり上げにこりと笑った。
その笑顔がどうにも好ましい性質のものに思えなくて、思わず眉を顰める。
「ええと、ジョシュア」
「何でしょう」
「そろそろ手を離してもらえるかな」
「あと少しだけ」
「ごめん、急いでるんだ」
「なぜです?」
「なぜって、連れが」
「そんなの放っておけばいいんですよ。だって――」

がつん。

(あ――?)
突然、固いもの同士がぶつかったような音が響き、頭蓋骨から背骨にかけてヨハンの身体を衝撃が伝った。
「だって、あなたは僕のものなんですから」
そう言って微笑むジョシュアの顔がぐにゃりと渦を巻いたように歪む。
――殴られたのだ。
理解した瞬間、後頭部に激痛が走った。
(痛い。頭が熱い。ぐらぐらする――)
背後からの強打に、ヨハンはなす術もなく地面へと崩れ落ちた。


*

(う、うぅ――)
頭を押さえ痛みに呻くヨハンを、ジョシュアと数人の男が見下ろしている。
新たな闖入者の数は、一、ニ、――三人。いずれも喧嘩慣れしていそうな体格のいい男だった。
ヨハンを襲った男は役目を終えた鉄パイプをぞんざいに放り捨げると、衝撃で未だ起き上がることのできない彼の背に重石のようにのしかかった。乱暴な手つきで前髪を掴み上げ、その勢いで開いた口に手早く猿轡を押し込み固定する。それから他の二人に命じ、それぞれ左右から手足を押さえさせ拘束をより強固なものとした。
(うぅっ…く、くそっ…まずいぞこれは…)
いくらデュエルが強くてもヨハンは所詮子供。力でねじ伏せられてしまえばそれまでだ。
「もう助けは呼べねぇなあ?」
焦りを見透かしたように、背に跨る男が耳元で囁いた。むわっと生温かい息が肌に触れ、ヨハンは嫌悪に顔を歪める。すると嫌がる様が面白かったらしく、三人はげらげらと下卑た笑い声を上げた。
「――無駄口をたたくな」
そこへ、今まで静観していたジョシュアが冷ややかな声を投げた。これから楽しくなるぞ、というところで横やりを入れられ、男たちは血走った目を少年に向けた。そのまま数秒、睨み合う。――肌を刺すような緊張の中、意外にも先に折れたのは男たちの方だった。一度互いに顔を見合わせると、興醒めしたように鼻を鳴らし拘束に専念する。
「手荒な真似をしてすみません」
――でも、あなたを手に入れるにはこうするしかなかったんです。
ジョシュアはそう言ってヨハンの前にしゃがみ、息苦しさに喘ぐ彼の頬を撫でた。
(こいつ…ハナから全部、計画通りってことか…)
ジョシュアの言葉と先ほどのやり取りから、ヨハンは少年と男たちが結託していたことを悟る。口ぶりからしておそらく主犯格はジョシュア。彼の身なりはシンプルながら質の高いもので統一されていたので、金持ちの息子が金にものを言わせてその辺のゴロツキを雇ったのだろう、とヨハンは踏んだ。
「おい坊主、本当にアレは俺たちがいただいていいんだな」
右半身を押さえている男が念を押すような口調で訊ねた。ジョシュアは頬を撫でていた手を止め、少しうっとうしそうに男を見る。そしてひとつため息を落とし、
「ええ。僕はお遊戯には興味がないので」
と答えた。少年の回答に男たちは満足そうに笑う。
(“アレ”に“お遊戯”…?一体何の話だ?)
自分を無視して頭上で交わされる会話にヨハンは疑問符を浮かべた。
「じゃ、忘れねぇうちにいただくとするか」
「そうだな」
そう言って背に跨った男が半身を捻り、ヨハンのベルトに手を伸ばした。正確には、ベルトそのものではなく、そこに取り付けられた茶色い革製のケースへと。
――まさか。
辿りついた結論に、ヨハンの顔は青を通り越して白くなった。
(そんな、まさか…こいつらの目的は――!)
「こいつがあれば億はくだらねぇぜ…!」
僅かに自由のきく首を必死に捩り、男が手にしたもの――デュエルモンスターズのカードたち――を視界におさめた瞬間、ヨハンの中で何かがぷつりと音を立てて切れた。押さえつけられていることも忘れ、奪われたデッキを取り戻そうとなりふり構わず暴れる。
「何だコイツ急にっ…!」
カードに触れたとたん猛然と暴れだしたヨハンに、男たちは面食らったような顔をした。しかしそれも一瞬で、すぐに拘束の手を強める。ヨハンはそれこそ死に物狂いでもがいたが、大の大人に三人がかりで押さえつけられてはどうしようもなかった。
(――返せ!返せよ!俺の大切な家族なんだ!!)
怒りで赤く染まった視界の向こう、ヨハンは助けを求める宝玉獣たちの姿を見た。ルビー、サファイア、アメジスト、コバルト、アンバー、トパーズ、エメラルド、そしてレインボードラゴン。精霊界においては人間と比べ物にならない力を持つ彼らだが、この世界の中ではあまりに無力だった。
「…よし、全種揃ってるな」
やがて検分を終えた男たちがカードを袋にしまうと、宝玉獣たちの姿はすぅっとヨハンの前から消えてしまった。
(みん、な……)
目の前で家族が奪われていくのを、ヨハンはただ呆然と見つめることしかできなかった。


「ねぇヨハンさん。僕を見てくださいよ」
「ぐっ…」
背後を見やったまま動かなくなったヨハンの顎を掴み、ジョシュアは無理矢理自分の方へと視線を向けさせた。ツンと不満そうに唇を尖らせる姿は、大人に構ってもらえず拗ねる子供にそっくりだ。
「これ、何か分かります?」
そう言ってジョシュアは懐から細長いケースを取り出し、ヨハンの眼前にちらつかせた。ちょうど手のひらをめいっぱい開いたくらいの長さで、竹を平たくしたような形をしている。中身が何なのかは知らないが、こんな状況で出てくるものがろくな代物であるはずがない。ヨハンの額に汗が滲む。
「ふふっ、いわゆるおクスリってヤツです。これを打つと、もう誰も僕に逆らえない。僕なしじゃ生きられなくなるんだ」
(は……?)
うっとりとした表情で、ジョシュアはとんでもないことを言った。
目を見開き固まるヨハンの前で、ジョシュアは見せつけるようにゆっくりと留め具を外し、中から小さな注射器を取り出す。鈍く光る針の先端から透明な液が溢れ、地面に濃い染みをつくった。
(おいおいおい――!)
「そんなに怖がらないでください。大丈夫、すぐに気持ち良くなりますよ」
ことさら優しく微笑むと、ジョシュアは男たちに命じてヨハンの袖を捲らせた。
「ん…っんん―!」
「暴れても無駄だっての」
「運が悪かったと思って諦めろや、兄ちゃん」
外気に晒された左腕、その内側にぴたりと針が押し当てられ、生白い肌に小さな窪みを作る。
(いやだいやだいやだ…!!)
恐怖、焦燥、嫌悪、様々な感情が渦巻き、ヨハンはめちゃくちゃに叫びだしたい衝動に駆られた。しかし身を捩ればそれだけで体内への侵入を許してしまいそうで、現実にはぴくりとも動くことができない。
「ふふ、賢明な判断です。動くと手元が狂いますから」
(――狂っているのはお前の頭だろうが!)
よっぽどそうなじってやりたい、と思った。
怯え、かたかたと震えだしたヨハンにジョシュアは何を思ったのか、
「心配しなくて良いですよ。外には二度と出られなくなりますけど、かわりに僕が一生可愛がってあげます」
と、見当違いの気遣いを寄こした。
――ジョシュアは正真正銘の気狂いだ。
この少年はヨハンの人権をことごとく無視し、本気で飼う気でいる。
(大切な家族を奪われ、そのうえ薬物漬けの愛玩具になれだって…?冗談じゃない!)
ヨハンは事態を打開する策を探して必死に考えを巡らせた。ジョシュアを思いとどまらせるか、男たちを退けるかのどちらかができれば、あるいは――。
しかしそれも、皮膚を突き破ろうと目論む針の感触で中断となる。説得の言葉も抵抗の手段も奪われた現状では、彼にできることはもう何もなかった。
(っ誰でもいい!お願いだから、助けてくれ…!)
限界まで見開かれたヨハンの瞳からぼろりと涙がこぼれ落ちる。
助けて――十代。





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