∴ walkの約束





世界を巡る旅をしよう。
数々の困難を乗り越えた果てに待っていた、はじまりの伝説とのデュエル。
彼らとの闘いの中で、大人になるための代償として失くしたものを少しずつ取り戻した俺は、そう決めた。
旅の連れは相棒である毛玉のようなモンスターに、かつて世界を滅ぼそうと目論んだ精霊、それから幽霊となった恩師及びその飼い猫という、何とも可笑しな組み合わせ。
まあ俺だって人のことをとやかく言える立場ではないから、このくらいが丁度いいのかもしれない。
「どこに向かうんだい?」
「さぁな。風の向くまま、気の向くままってね!」
どこまでもついてゆくよ、と笑った声に背中を押され俺は日の照る大地を駆けだした。
まず向かったのが北アメリカ、その次が南アメリカ、海を渡ってオーストラリア、そこから北上して東南アジア、中国、インド…。
とにかく片っぱしから踏破するつもりで地図を片手にあちこち練り歩いた。
はじめに訪れた街で適当に買ったその地図も、俺と共に風雨にさらされ続けた結果、今では羊皮紙の端々がぼろぼろに欠け黄ばんでいる。
紙の上に描かれた無機質な図案は、旅した地が増える度、思い出という確かな温かさを持つものに変わっていった。


気ままな旅では快適な宿を確保できることの方が珍しかった。
はじめの頃は、見ず知らずの土地で迷い日没までに街に辿り着けなかったり、たとえ運よく着いてもすでに宿が満室だったりで、野宿をすることもざらだった。
もともと潔癖な性質ではないし外で寝ること自体に抵抗はなかったが、こと治安の悪い場所で困りものだったのは、バックパッカーをターゲットとする窃盗グループによくよく目をつけられたことだ。
年若く、体格もひょろっちい異国人の俺は連中によほど与しやすく映ったのだろう。
寝首をかかれた回数は、十を過ぎたところで馬鹿らしくなり数えるのをやめた。
これには俺よりも同行者たち(主にユベルとかユベルとかユベル)の方がお冠で、ちゃっかり実体化し乱闘騒ぎに発展、「悪魔憑き」のレッテルと共に、苦労して着いた街から追い出されたこともしばしばだ。
そのうち勝手がわかってくると、宿が無いときは酒場などで交渉し、一晩泊めてもらう代わりに雑用を引きうけるというやり方を覚えた。
とはいえ身分の定かでない俺を雇ってくれるようなところは、言っちゃあ悪いが客の柄も悪く。
幸い腕っ節に自信のあった俺はときに掃除用のモップを武器に変え、目に余るマナー違反の客を叩き出す、なんて用心棒の真似ごともしていた。
中には働きっぷりを気に入られ、資金稼ぎついでに暫く滞在することもあった。


それなりに資金も貯まり、携帯食料を買い込んでは人里離れた場所にも足を伸ばすようになった頃。
ある山奥の小さな村に泊まった際には、珍しい客人を一目見ようと村中から集まって来た人々の手で歓迎会を開いてもらった。
村人は採れたての野菜や貴重品である肉をふんだんに使い、様々な郷土料理を振舞ってくれた。
久々に素朴だけれど豪勢な食事にありつけた俺は気が緩んでいたのだろう。
人前でつい何の気なしに、匂いに誘われやってきた精霊に話しかけるという失態を犯した。
きょとんとした村人たちの視線を受けあわてて弁明する俺に、長老は白い眉の下で目を細め「大地の民は精霊と共に、じゃよ」と優しく微笑んだ。
村人も村人で「ここに精霊がいるのかい?」「じゃあとっておきのデザートでも用意しましょうか!」「ねぇ、精霊さんって好き嫌いはあるのかしら?」と、戸惑う俺に口々に尋ねては慌ただしく動き回っていた。
不思議だった。
声が聞こえるわけでも、ましてや姿が見えるわけでもないのに、村人たちは精霊の存在を親しい友人のように受け入れたのだ。
両親にすら異質として否定されたこの力も、ここでは何ら不幸な意味をもたない。
その晩、俺は青春時代を共に過ごした懐かしい人たちの顔を夢に見た。



山を抜け、むき出しの土から再び舗装されたコンクリートに変わった街道の上を歩いていくと、やがて大きな街に辿り着いた。
夜だというのに目の眩むような明るさに圧倒され立ち尽くしていると、行き交う人々の視線がちらちらと自分に向けられることに気付く。
そうして俺は自分の身なりが相当酷いものであることを悟り、真っ先に宿で身を清めることとなった。
(あの時の受付係の引き攣った顔を俺は今でもはっきりと覚えている)
滞在中、仕事を探そうと街をうろついていた俺は、ふと目を奪われる瞬間というものに何度か出くわした。
それは楽しそうに友達とはしゃぐ子供であったり、幸せそうに微笑み合う家族連れであったり、実に何てことのない光景だ。
なのに、俺の目は縫いつけられたようにそこからぴくりとも動かせない。
次々と押し寄せる人波にのまれ我に返るも、一度焼きついた光景はふとした拍子に甦り、そういったものを目にした夜は決まって寝つきが悪かった。
そんな風に覚醒とまどろみを繰り返す浅い眠りが続き、目の下に紫色の隈を作り始めた頃。
魂の共有者が呆れたように、「君は寂しいんだよ。全然関係のない他人を羨んで、いちいち感傷的になるくらいにね。自分から突き放すようなことをして出てきたくせに、未練タラタラじゃないか」と溜息をついた。
その時になってようやく、俺は自分が寂しがっているのだと自覚した。
一度理解してしまうと現金なもので、今まで音信不通だったくせに、俺は懐かしい顔が見たくてしょうがなくなった。
万丈目、翔、剣山、明日香…選択肢は幾つもありどれも魅力的だったけれど、一番に頭に浮かんだのは縹(はなだ)色の髪をした親友の顔。
ヨーロッパにはまだ足を伸ばしたことがなかったし、丁度良い。
尤もらしい言い訳を心の中で連ね、俺は俺の心が望むまま懐かしい友のもとへ会いに行くことにした。


アカデミアの卒業式で渡されて以来しまいっぱなしだったメモを頼りに、親友の家を目指した。
北国の冷えた風が容赦なく体温を奪う中、メモを持つ指先だけがじんわりと熱を持っていた。
綺麗に整備された平らな道から一本はずれ、入りくんだ迷路のような路地を五分ほど歩いたところに目的の場所はあった。
赤茶色の屋根に、淡いベージュ色の壁、そして明かりとりの窓がいくつかついた小さな家。
古くこじんまりとしたどこか温もりを感じる佇まいに、ほうっとひとつ息がもれ、白い霧がたなびいた。
メモが間違っていなければ、何らかの事情で住所が変わっていなければ、ここにあいつがいる。
この土壇場にきて俺は急に臆病風に吹かれた。
会いたい。けど会いたくない。ああ、でもやっぱり会いたい。いや、しかしどんな顔をすればいい?
思わず一歩後じさったところで、偶然かはたまた何かの必然か、足元をちょろちょろとうろついていたファラオのしっぽを踏んでしまい。
「ギニャー!」
それはもう、盛大な悲鳴が夕暮れの街に響き渡った。
ハネクリボーが驚いて翼を震わせ、大徳寺先生があちゃーと額をおさえ、ユベルがやれやれと首を振ったが、俺はそれどころじゃなかった。
もし自分の家の前で悲鳴など聞こえたら人はどうするか。
よほど用心深かったり小心者でない限り、答えは一つだ。
予想していた通りすぐに内側からパタパタと足音が聞こえ、最後の砦であった木製のドアが勢いよく開き、

「おいおい何の騒ぎだ…って十代!?」
「…よぉ」

こうして俺と親友――ヨハンは、感動の欠片もない間抜けな再会を果たした。