∴ 夜を渡る




ランニング中のおじさんに挨拶したり、道路を横切る野良猫とばったり遭遇したり、そこらに生えてた雑草で草笛を作ってみたり。
そうこうしているうちに時間は経ち、あっという間に別れの時がやってきた。

「さぁて、着いた着いた」
「おおー」

当初の予定より五分ほど遅れて、二人はスタート地点である遊城家へ戻ってきた。
出かける前と何ら変わりのない我が家の姿に、十代はほっと息をつく。
帰る場所があるというのは無条件に安心感を与えるものだ。

「わざわざ家まで送ってもらって悪いな」
「気にすんなって。どっちにしろ通り道だし」

ヨハンはそう言って手を振った。
本当は、二つ前の十字路で別れた方が彼にとって近道だったことを十代は知っている。
本人は認めないだろうが、明かりを持たない自分に気を遣ったのは明白だ。
まったくこの男にはかなわない。
十代は改めて、自分の友人にしてはできすぎた奴だよなぁと妙な感心を抱いた。

「ところで十代。散歩、楽しかったか…?」

だから、ヨハンが少し不安げにこんなことを言い出したときは目を丸くしたものだ。
あれだけ気の回る友人でもそんな簡単なことが分からないのだろうか、と。

「すげえ楽しかった。本当に。誘ってくれてありがとな」
「へへっ…!それは良かった!」

安心させたい一心で感謝の言葉を重ねると、ヨハンは照れくさそうに笑った。
友人の喜ぶ姿を見て十代もまた嬉しさからの笑みをこぼす。
そしてぴったり同じタイミングで顔を見合わせ、内緒話でもするかのように二人でくすくすと笑いあった。
もちろん近隣に配慮してのことだが、それすらも今の彼らにはスリルたっぷりの悪戯に感じられるらしく。
二人して必死に笑い声を押し殺す様はなかなかにシュールである。



「あのな、俺…お前にこの町のことをもっと知ってほしかったんだ」

ひと通り波がおさまった頃、ヨハンがぽつりと呟いた。
風に揺れる髪の奥、まっすぐな翡翠が十代の鳶色を捉える。

「お前さ、転校してきたばっかの頃すげぇつまらなそうな顔してただろ」
「え…」

何と答えたものか、十代は返事に窮した。
ヨハンの指摘は正しい。
確かに十代は当初、自分の意思の及ばぬところで決まったこの引っ越しに大層不満を抱いていた。
口には出さなかったものの、こんな田舎絶対に好きになるもんかというのが本音であった。
今思えばそれは身勝手な両親への怒りからくる反発で、この土地自体に向けられた嫌悪ではない。
とはいえ、良い印象を持っていなかったのも事実だ。
そんなことをこの町の住人であるヨハンにずけずけと伝えてしまってよいものか。
咄嗟に切り抜ける策も浮かばず困っていると、それを汲み取ったヨハンが「あはは、別に隠さなくていいって。責めてるわけじゃない」と助け船を出した。

「むしろ、俺はお前の気持ちがよくわかるよ」

知っての通り、俺もよそ者だからな。
そう言ってヨハンは軽く肩をすくめる。
言葉こそ少し斜めに構えているが、その声は穏やかで悲観的は響きはない。

「ヨハンは六歳のときにこっちにきたんだっけ」
「そ。小学校入学に合わせてな。親の日本フリークには困ったもんだぜ」
「…辛くなかったか?」
「そりゃはじめはな。でも、良いこともいっぱいあった。今は母さんたちに感謝してるよ」

それには十代も内心で同意した。
ヨハンの両親が何を思ってこの田舎にやってきたのかは知らないが、彼らがいなければこうしてヨハンと出会うこともなかったのだから。

「まぁとにかく俺はここが大好きなわけだ。でだ、十代」
「お、おう」
「お前にも、できれば好きになってほしい」
「へ…」
「だって、俺が好きなものを親友のお前が嫌ったままなんて悲しいだろ」

大真面目な顔でヨハンがそんなことをのたまうので、十代はぽかんと間抜け面をさらす破目になった。
聞き様によってはとんでもなく身勝手な意見である。
でも、それがまたヨハンらしいといえばヨハンらしい。
そもそも十代はヨハンと過ごすうちに「この町も悪くない」と思うようになっていたので、主張としてはややあさっての方向だと言えるが。
それはさておき、今この男は自分のことを何と呼んだ?
シンユウ、しんゆう、――親友。
頭の中で何度も反芻しようやく辿り着いた二文字。
十代自身、きっとヨハンみたいな奴をそう呼ぶのだろうなと漠然と考えてはいたし、相手もそうならいいなと思ってはいたけれど、こうしてはっきりと口に出されたのは初めてだった。
何てずるい奴だろう。
このタイミングでそんなことを言うなんて。
これではまるで、親友という言葉に絆されて考えを改めたように見えるではないか!
悔しいやら気恥ずかしいやらで十代の頭はパンク寸前だった。
ギッと、両手を腰に当てているヨハンをねめつけ、

「心配しなくてもとっくに好きだよ馬鹿やろう!」

小声で叫ぶという器用な真似をし扉の向こうに逃げ込んだ。
ぜいぜいと荒い息を吐き、戸を背にずるずるとその場にしゃがみ込む。
そうしてうずくまっていると、やがて背後から近づく足音があることに十代は気付く。
言うまでもなく先ほど置き去りにしたヨハンだ。
足音は十代の真後ろまで来ると止み、次いでコンコンと扉を叩く音。
遊城家の玄関扉は一部がすりガラスになっている。
よって十代がここにいることはヨハンにバレバレだ。
それでもだんまりを決め込み全神経を耳に集中させていると、多分に笑いを含んだ声で「十代、また明日な」ととんできた。
また明日。
そうだ、明日は。
明日は俺の方からあいつのことを親友と呼んでみよう。
心の中で決意を固め、十代は遠ざかっていく砂利の音を心地良く聴いていた。





――数分後、自室に向かった彼が部屋の前で仁王立ちしていた母親にこってりと絞られたのはまた別の話。





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親友っていいな!



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