∴ 橙をなぞる




※学パロ




幼い頃、俺は夢が嫌いだった。
俺が夢を見るのは、決まって良くないことが起きた後だったから。
何も考えたくなくて眠りを選んだのに、無意識の世界すら安息を奪うんだ。酷い話だろ?

夢の中で俺はいつも走っている。背後から迫りくる何かに追い立てられ、そりゃもう必死に。
何かって何だって?さぁ。俺もよくわからない。
とにかくそれに捕まったらヤバいって感じがするんだよ。でまぁ、がむしゃらに走ってるわけだ。

場所は公園だったり、森の中だったり、お伽話に出てきそうなお菓子の城だったりといろいろ。
唐突に景色の切り替わる空間を走っているとさ、何となくわかるんだ。
ああ、これは夢だなって。そうわかってても止まれない。夢だろうと現実だろうと、怖いものは怖い。
そんな感じで悪夢にうなされ続けた小さな俺は、夢が大嫌いになった。


でもいつからだったかなぁ。
悪夢をぱったり見なくなったんだよ。
そのかわりに、自分とそっくりな顔をした奴が出てくるようになった。

そいつの目は深い橙色をしていて、吸い込まれそうだなって思ったのをよく覚えてる。
俺は不思議とそいつに親しみを感じて、たくさんのことを話した。
好きなもの、嫌いなもの、友達のこと。
くだらないことから当時の俺にとって重要なことまで、思いつく限り何でも。
親友にさえ話さなかった秘密基地の場所だって教えた。
俺が一方的に喋るだけで返事が返ってくることはなかったけれど、それでも俺は楽しかった。
だって、微かに下がる目尻が、柔らかく頭を撫でる手が、俺との時間を楽しんでいると教えてくれたから。
言葉はなくとも、俺達は確かに友達だったのだ。


夢の住人との交流が始まって以来、俺は夢を恋しく思うようになった。
夢の世界へ渡るには"嫌なできごと"という切符が必要だったけど、それを差し引いても彼は魅力的だった。
優しい兄であり、無垢な弟でもある友人に、俺はすっかり夢中になっていた。
寝ても覚めても頭の中は橙色の友人でいっぱい。
そのうち彼に会えないことがそのまま"嫌なこと"になり、俺が夢を見る時間はどんどん延びていった。
寝る子は育つ、と笑っていた家族が心配に思うほどに。
心配をかけているのは心苦しかったけど、理由を話す気にはなれなかった。
「夢の中の友達と遊んでいる」なんて、正直に話したところで頭の病気を疑われるのがおちだろう。
彼との時間を、そんな言葉で片付けられたくなかった。

そんな生活がふた月ほど続いた頃だろうか。彼の様子がおかしくなったのは。
何か考えごとをしているのか、反応が一拍遅れるのだ。
それだけではない。無言でじっと俺を見つめることが増えた。
どうやら無意識のようで、俺が呼びかけてやっと我にかえる、ということを繰り返していた。
悩みでもあるのか、と聞いてもただ首を横にふるばかり。手を変え品を変えそれとなく尋ねても結果は惨敗。
あんまりにも頑ななもんだから、俺は悔しくなった。そしてそれ以上に、悲しいと思った。
言い訳にしかならないけど、俺は子供だった。ただ彼が好きで好きで、…それだけだった。
好きという気持ちが必ずしも相手に幸福をもたらすものではないと、理解できていなかったのだ。
好意を示せば同じように好意が返ってくると疑いもなく信じていた。
だから、つい言ってしまった。なぜ隠し事をするのか。俺のことが嫌いなのか。
なら、もういい。俺だってお前なんか――嫌いだ、と。

もちろん本心じゃない。全部勢い任せに出た言葉だ。だけど、そんなことは俺にしかわからない。
傷ついたように揺れる橙の瞳を見て罪悪感が湧き起こった。が、謝ることはできなかった。
自分で傷つけたくせに、彼が傷ついたことに俺は苛立っていた。
なぜ本心を察してくれないのか、と身勝手な失望すら抱いた。
そして俺は、決定打となる言葉を口にする。

――もうお前なんかいらない。いらない!俺の前から、消えてしまえ!