<夢物語>
今までのことは夢だったのだろうか。そう思ってしまうくらいに、名前の心は落ち着いていた。
あれから数ヶ月。
最初はもやもやとした毎日だったが、シャンクスや皆の顔を見ていると戻って来てよかった、これで良かったんだとそう思える様になった。
けれども、ローへの気持ちが無くなったわけでは無い。手配書の額が上がる度に、会えない辛さが心を締め上げる。
だが、それは彼が生きてる証。
この広い海でそれを知ることは、名前を安堵させもした。
「おい、名前!これ今日の新聞。」
「ありがとう。」
船員からそれを受け取ると、甲板に置かれた椅子へと向かう。肌触りの良い滑らかな木でできたロッキングチェア。
それが置かれているのは風がよく当たり、船の上を見渡すことができる名前のお気に入りの場所だ。
(また額が上がってる...。)
新聞に挟まれた新しい手配書。そこに書かれたトラファルガーの文字。
彼らしい挑戦的な笑み。
名前は特等席の椅子へと座る。キィ、と音を立てて揺れた。
今さら彼が何故、あんなにも態度を変えたのか、その理由を知ろうとは思わなかった。
自分にもやるべきことがある。
白ひげが逝き均衡が崩れた今、世界は確実に動き出す。
渦巻いた時代に身を投じるならば力が必要だ。今よりもっと強くならなければならない。
それにもう一つ、理由がある。
「なんだ、またここにいたのか。」
「ここは私のお気に入りなの。」
きゅっと胸の前に回されるゴツゴツした一本の腕。それに包まれるように椅子の背に沿って、名前は身体を後ろにそらす。
そのまま空を見上げると、甘い香りとともに、赤い髪が目に入った。
「何見てたんだ?」
「新聞。」
「新しい手配書...ローか。」
シャンクスの表情が一瞬、曇る。名前はその変化を見逃さなかった。
船に戻ってきてからのシャンクスはどこか以前とは違い、娘では無く一人の女として自分を扱ってくれる。
それらのことからシャンクスとローの間にあった出来事が自分に関係しているのだ、となんとなく予想がついた。
そう考えると、自ずと理由は見えてくる。
それに気付いた日から、名前は考えるのを辞めた。
「シャンクス、お願いがあるの。」
「ん?なんでも聞いてやるぞ!」
嬉しそうな笑顔。シャンクスの場合、島が欲しいなんて無茶苦茶な願いも叶えてくれそうだ。
そう思うと笑みがこぼれた。
胸の前に置かれた手を握り返す。それに反応したのか、ピクっとシャンクスの手に力が入った。
(なんだ...?)
しばしの沈黙が続いたあと、名前は“強くなりたい”と小さく発した。それを聞いたシャンクスは黙り込む。
小さくもはっきりと聞こえたその声からは、名前の覚悟らしきものさえ感じられる。
だから、“今でも十分、普通の男達より強い。このままでいいじゃないか”とは言えなかった。
「また私に剣を教えて?戦闘の時には参加もしたい。」
「分かってるのか?危ないんだぞ!」
「うん、それは分かってる。でも皆のように私も強くなりたい。」
どこか切なかった。彼女は少なくとも自立を望んでいる。
(無理をしなくても守ってやる。お前が望めばどんなことだって、俺がしてやるのに。)
一人の大人の女として向き合うことの難しさを感じる。自分の気持ちを抑えるために、きゅっと唇を噛んだ。
「手加減しねェからな。」
「してくれるのっ!?シャンクス、ありがとうっ!!」
「うぉ......っ!!」
いきなり振り向いた名前に、抱きしめられたシャンクスの目が大きく開く。
一瞬見えた名前の笑顔は、とても嬉しそうで可愛かった。
(こりゃ、重症だな...。)
いい歳をして頬を赤らめる自分を少し情けなく思いながら、それもまた、自分らしさなのだとシャンクスは鼻で笑った。
それを聞いた名前が、そっと離れる。名前のじっと見つめる瞳にドキっと心が弾むが、その瞳はどこか冷たい。
「何その笑い、気持ち悪い。あ...もしかして、やらしいこと考えてる?」
「なっ、ち、違うぞ!バ...バカやろう...っ!」
慌てて訂正するシャンクスに、名前はさらに疑いの眼差しを向ける。
「違うからなっ!」
「ほんとにぃー?じゃあ、なんで笑ったの?」
「えっと、その...だな。名前が可愛くて、つい。」
「ふーん......。」
「本当だ、そんな目で見るなよ!」
そう言うと頬を軽く膨らませ、拗ねた態度を見せる男を名前は少しだけ可愛い、と思った。