お人よしの領主と、それに負けないくらいお人よしの女中や兵士たちにいろいろと世話を焼かれた結果、私は夏が終わる前に全快した。体のだるさが抜け自由に歩き回れるようになるころには、私はもうすっかり四国の空気に慣れきってしまった。前は中国に帰ることばかり考えていたはずなのに今は忘れている時間の方が長い。何よりも、いつも気を張っていなくともいいからこの国は楽だ。
感情的で馴れ馴れしくて鬱陶しいことこの上ないと思っていた四国の民の性質は、裏表がなく実に素直だ。彼らは嬉しければ笑い、悲しければ泣き、気に入らないと怒る。自分の感情がすぐに表に出るからこそ、彼らは人を騙せない。騙そうとも思わない。それに気付いたから、私はこの国で暮らしやすくなったし、この国が少し気に入った。もう少しこの国にいてもいいかもしれないと思う程度には。
残暑、慣れたくなかった四国の暑さにも慣れた。相変わらず暇を持て余している私を、長曾我部は城下に連れ出した。城下に何やら用事があるらしく、そのついでに私にずいぶん復興した街を見せたいのだとか。私もせっかく誘われたのだから、その誘いにのった。何処を歩いていようとおこられたことはないが、ひとりで歩いていても何も知らないのだから面白くない。この土地をよく知っている人間に案内された方が面白いだろうと思った。
城は、ちょっと小高い所にあってずっと坂道を下っていけばすぐ町がある。町を抜ければ港だから、海が近い。長曾我部もここが気に入っているようだった。
長曾我部は例の鮮やかな黄色の鳥を連れて、城下の町を隠れようともせず堂々と歩く。領民に声をかけられたり、子供たちが珍しい鳥を触ろうと群がってくるので、私は巻き込まれないように少し後ろでそれを見ていた。相変わらず長曾我部は領主らしい振る舞いをしているとは思えない。偉い人というよりムードメーカーで人の輪の中心、という感じだ。
領主に似るのか、この国は明るくて人懐っこい人間が多い。あまり華やかとは言えないので田舎っぽいと言えばそれまでだが、平和でいい国だと思う。私も長曾我部について回っていたからなのか何か興味を引く事でもしたのだろうか、いつの間にか領民に囲まれてしまった。もみくちゃにされて困っていると、そこから長曾我部が私を引きずり出す。
「大丈夫か?」
「……髪が」
ただでさえ外にはねる髪質で困っているのに髪がぼさぼさだ。私が懸命にそれを直していると、長曾我部が笑っていた。そんなに笑うことなんて無いだろうに。私はそれにムッとして、長曾我部を置いて歩き出す。後ろから声をかけられたが、振り返らなかった。
真っ直ぐに歩いていると、人が多くなってきた。どうやら郊外の商人が集まっている地域に迷い込んでしまったようだ。私がようやく後ろを振り返ると、もう彼の姿は見当たらない。
私は少しもと来た道を戻ってきょろきょろとあの目立つ大柄で銀髪の男を探す。人が多くて、いつもならば容易く見つけられるであろう姿はどこにも見当たらない。しばらく商人の町をうろついて、迷子になったことにようやく気付く。この年で迷子とは、あきれてものも言えない。城に帰ればきっと会えるだろうと、私はあたりを見回しながら一歩踏み出す。
「いてっ」
踏み出した瞬間、人にぶつかった。反射的に相手を見ると、小さな少年だ。尻餅をついた少年をみて、私はあわててしゃがみこんで少年の顔を覗き込む。
「よそ見をしていた……怪我はないか?」
私が手を差し出すと、髪を綺麗に結われた少年は私の手をとって涙をこらえ立ち上がる。鼻水をすすって、無理をしているように見えた。どこかで見たことのある子供だと思って見ていると少年と目が合う。
「あーっ! 兄ちゃん、鬼の兄ちゃんの友達だろ!」
いきなり少年に指差され、私は目をぱちぱちさせた。この少年、あの長曾我部に嵐の海で助けられた少年に似ている。それと、彼の言葉で思いだしたが私が初めて四国に来たとき声をかけてきた少年だ。確か呉服屋の……名前は知らない。何故かきらきらとしたまなざしで見られるので私は少し戸惑う。
「……友人かは分からぬが……世話になっている」
「俺な、俺な、鬼の兄ちゃんに助けてもらったんだ! 兄ちゃん、お城に住んでるんだろ? 俺も連れてってくれよ!」
興奮した様子で少年は早口で言った。私はしゃがんで彼の目線に合わせて話す。
「長曾我部に会いたいのか?」
「そう、ちゃんと御礼を言いに行かないと。俺が寝てる間に帰っちゃったんだって……」
急にしょんぼりと眉を下げる少年はまだまだ幼さが残ってかわいらしい。
「俺な、いつか兵士になるんだ。それで今度は俺が鬼の兄ちゃんを助けるの」
少年は胸を張って夢を語る。私はそう言い切った少年に驚きつつも、納得した。商人の子が兵になる、というのも変な話だが、長曾我部に仕えるのが夢だというのならば、なんとなく理解できる。命を張って助けてもらえば、そういう気になっても仕方ないかもしれない。なんといっても、この少年にとって長曾我部は自分の命を救ったヒーローなのだ。
私ならば、斬り捨てたであろう命が次につながっていく、それを見てしまった。人の真似をするのは得意だが、とても私には真似できそうにない。
「良い夢だな」
私は少し微笑みながら立ち上がる。長曾我部という男が羨ましかった。私とは違って、ちゃんとこの少年を守ったから。私は自分の異母弟すら助けられなかったのに。少年の頭を撫でてやると、ばさばさと羽音がしたような気がして私は空を見上げた。少年もつられて空を見上げ、声を上げた。
「あ、あの黄色の鳥!」
「見つけたぜボウズ」
少年の後ろにぬっとあらわれた大柄な男に、私は少し驚いた。長曾我部がそこに立っていて、何か包を小脇に抱えていた。
「あ、鬼の兄ちゃん!」
「風邪っぴきがふらふら出歩くもんじゃねぇ。体調管理も鬼の子分には必要だぜ?」
何処から私たちの話を聞いていたのか、長曾我部は得意げにそんなことを言う。盗み聞きとは趣味が悪い、と思ったが少年が楽しそうなので何も言わなかった。ぱたぱたと、長曾我部の鳥が私の頭の上にどっかりとのってきた。子供には近づきたくないのだろう。
彼らはしばらく何か話していたが、私はあまりその内容を聞いていなかった。誰にでも優しい長曾我部は不思議な輝きを放っている。人を引き付ける力というのだろうか、本当に領主に必要な才能とはこういうものなのではないかと、私は思った。
話が終わったのか、長曾我部が何か言うと、少年がぴょこぴょこと走り去っていった。その後ろ姿を眺めていると、長曾我部は私を見て笑う。
「あんた、あんな顔もできるんだな。子供好きか?」
「……騒がしいのは嫌いだ」
私の言葉を長曾我部は全然信じていない様だ。腹を抱えて笑うので、足を思いっきり踏んづけてやった。その反動で私の頭から長曾我部の肩に鳥が戻っていく。
「ーっ!」
痛みに顔をしかめる彼を置いて私は歩き出す。
「おい、また逸れるだろうがっ」
足を引きずって追いかけてくる長曾我部の言葉に、今度は振り返った。
「ほら、もう用事すんだから案内してやるよ」
包を軽く持ち上げて、彼は言う。中に何が入っているか気になったが、詮索するのもよくないかと思い、ただ頷く。差し出された手を何も言わずに取った。今度逸れたら何を言われるか分からないから、しょうがなくだ。
「……」
長曾我部は差し出した手を私が握ったのを、しばらく何も言わずに見ていた。私は不思議に思って首をかしげる。
「何ぞ。早うせぬか」
私が声をかけると、長曾我部はへらりと笑う。その笑顔が少しいつもと違って、気持ち悪い。いつもはもっと爽やかな感じがするのに、なんだかだらしがない感じがする。
「おう、じゃあ行くか」
くるりと踵を返して私を引きずるように歩き始めた長曾我部はいつもより機嫌がよさそうだ。私をダシに遊べるからだろうか。
長曾我部の持った包がふらふら揺れている。それに合わせて鳥の尾も揺れた。長曾我部は顔は見えないが、多分笑っているのだろう。港へ向かって歩いていく彼の足取りは軽く、私はついていくのが大変だった。
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