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 中国山脈での戦いは、尼子方の降伏という形で終結した。尼子の領地を併合し、ついに毛利家は中国のすべてを手中に収めた。領地併合の際にはもっと反発があると思っていたが、彼らはすんなりと毛利に従う。弱いものは強いものに従わなくては、この世界は生きていけない。私は、それを再認識させられた。

 中国を統一した今、周りに戦の動きはない。私は気が抜けたようになってしまい、すぐに郡山城には帰らず山陰にとどまった。本来ならば戦後処理や、やらなくてはいけないことはたくさんあるけれど、何もする気が起きない。

 家臣たちは皆、今までの緊張の糸が切れたのだとか、疲れがたまっているのだとかそんなことを言うのだけれど、なんとなく私はこの虚脱感の正体が分かっていた。私は中国を一つにして、勝負の約束も果たしてしまって、何も目標が無くなってしまったから気力がわいてこないのだ。

 私は月山富田城で日々、必要最低限の仕事をしつつ、晴久の部屋に入り浸ってはだらだらとしていた。そんな私を見かねたのか、ある日突然、晴久が私を散歩に連れ出した。埃っぽい風の匂いが懐かしい。砂の大地を歩けば歩くほど、幼かったあのころを思い出す。

「懐かしい……あちらの丘でそなたと遊んだ記憶がある。新しく建物ができたようだな」

「ああ。とりあえず、あそこまで行こうぜ」

 晴久に手を引かれて、ゆっくりと歩く。何となく、足跡ができる砂の地面を見た。彼に手を引かれて歩くのも、懐かしい。もう大人になったと思っていたのに、自分一人で歩いて行けると思っていたのに、迷子の子供みたいにひどく安心した。

 でも、彼が手を引いてくれるのもあの建物まで。私がこの国を守らないと、しっかりしないと。私が、この中国の主になったのだから。これから先は、もう誰も私の手を引いてはくれないから。


「松寿、ついたぜ」

 名を呼ばれて顔を上げると、少し上の方に晴久の顔があった。ついたのは、小さなお屋敷。晴久に引っ張られて、中に入る。砂が入り込むのも気にしないのか、床は少し砂っぽかった。

「……あれ、いねぇな」

「晴久、ここは」

 何かと聞こうとすると、ふわりと風が吹いた気がした。辺りを見回しても、部屋が続き廊下が伸びているだけで、誰もいない。また、風が吹いた。

(こっち?)

 私は風が吹く方へ足を踏み出した。曲がりくねった廊下を私は歩く。奥へ奥へ進むと、人一人通れるくらいに不自然に開かれた襖があった。

(入ってもいいのかな……)

 少し迷ったが、もう既にこの城は私の城ということになっている。城主がどこにいても問題はないだろうと部屋に足を踏み入れた。部屋に入ると見えてくるのは本や紙の山。新しい墨の匂いが充満しているので、ここに誰かいたことは間違いない。私は興味本位で足元に積みあがっている本の山に手を伸ばした。

「人の部屋に入るときは一言、声をかけるのが礼儀じゃねぇのか?」

 部屋の奥の方にある、本と紙の山がばさばさと崩れた。私は驚いて、そちらを見る。そこにいたのは、懐かしい人だった。

「……経久様?」

「俺は挨拶もできない奴に育てたつもりはなかったんだがな」

 私の記憶よりも白髪が増えたぼさぼさの髪をかき上げて、経久様は座ったまま私をみた。

「申し訳ありません。誰もいないと思ったので」

 冷静を装いながら謝る。しかし、頭の中は驚きでショート寸前だった。

 心の中で晴久に悪態をつく。晴久め、最初から私を経久様と合わせるために散歩などと言って連れ出してきたのか。それならば、そうと言っておいてほしかった。尊敬して止まない私の憧れの人に合うのに、私も心の準備が必要だ。それに、肝心な時にいない。私が彼を置いて行ってしまったのだけど。

「……まあいい。こっちに来て座れ」

 経久様は隣にあった書物の山をどけて、手招きした。足の踏み場もないこの部屋で、座れそうなところはさっき作ってくれた経久様の隣だけ。しょうがないので私は、書物の山をかき分けて、何とかそこへ座った。

「あれから14年か……お前がこれだけデカくなったんだ、俺も年を取るのは当たり前だな」

 経久様は隣に座った私の頭をぽんぽんと叩いた。

「悪かったなぁ。お前との約束、俺自身で果たせなかった」

 俺がもう少し若ければ、とため息をつく経久様に胸が熱くなるのを感じた。私との約束を大切に思ってくれていた、それだけで私には十分だった。

「我は……晴久が居たから、良いのです。あの約束が我をここまで導いた。だから、経久様には感謝しています」

 苦しい時、諦めそうになった時、いつも遠くで支えてくれた。その約束はどんな形であれ、果たされたのだ。私に未練などないのに、謝られるなんて。私は首を横に振った。

 私は今一度、経久様の顔をしみじみと見た。痩せたと言うより、やつれた顔。袖から覗く手は血管が浮き上がって、年寄りの手だと主張していた。老け込んだのは病のせいだろうか。それでも、瞳だけは昔と変わらない輝きを放っていた。

 じっとその瞳を見ていると、目が合う。私はそっと目を伏せる。何故か、今の私にはその輝きが眩しく見えた。

「俺の予想は当たってただろ? お前には才能があって、俺に並ぶどころか追い越して、中国を一つにしちまったんだからな」

 くしゃくしゃと頭を撫でられるのが心地よかった。甘えたい気持ちになる。でも、その気持ちをぐっと抑え込んだ。

「経久様の……おかげです。」

「藍より青しってやつだな。それに」

 経久様はそこで言葉をきって、私に顔を上げさせた。カサカサした手が、頬を撫でる。

「美人になった。……弘元にも見せてやりたいくらいに」

 私は、思わず息をのんだ。恥ずかしいような、うれしいような、変な気持ち。父上に、どうしようもなく会いたくなった。そして叶わぬ願いに、どうしようもなく泣きたくなった。父上は日輪の光のもとから私を見守っていてくれているはずなのに、なぜこんなに胸が締め付けられるのだろう。もう一度、会いたいと思ってしまうのだろう。

 私は私を落ち着けるために、ゆっくりと飲み込んだ息をはきだした。経久様は、それが終わるのを待っていてくれた。それからまた経久様は話し出す。

「ただなぁ、お前の奥の方にある何か……それが分からねぇのが心残りだな。俺にはもう時間もない。これも晴久に投げとくか、なあ」

 経久様が、急に少し開いていた襖に声をかけた。

「……なんでもかんでも俺に押し付けるなよ」

 少し間があって、襖の裏から晴久の声がかえってきた。いつからそこにいたのだろう。気が付かなかった。経久様が呼ぶと、晴久は素直にそれに従った。この部屋何とかしろよ、とぶつぶつ文句を言いながらも、経久様の横に座り込んだ。

 こうしていると14年前の思い出がよみがえってくる。あのころは純粋に楽しかった。少なからず、この世界を楽しめていた。経久様はあのころの思い出と同じように笑った。

「俺の隣に孫がいて、一番の弟子がいて……俺はいい人生だったと思う。お前たちはまだまだ、これから先が長い。最後の最後に自分は幸せだった、いい人生だったと思えるように、悔いのない生き方をしろ」

 経久様の言葉に、晴久は少し微笑み返した。私は笑顔を作ってみせたけれど、上手く笑えていたかは分からない。今まで経久様の教えは守ることができていたはずなのに、これだけは守れないような、そんな気がした。


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